歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

東條耿一詩集について

2005-09-04 |  文学 Literature
昨年の9月4日に東條耿一詩集朗読会を開催してから丁度一年が経過しました。私が東條耿一という名前を知ったのは、北條民雄の最期を看取った東條の手記を創元社の「北條民雄全集」で読んだことに始まります。その文章と彼の人柄に惹かれました。また、東條耿一の妹の津田せつこ(渡辺立子)さんの随筆には、昭和一七年になくなった兄の臨終の模様が描かれており、それは三十歳でなくなった兄に対する思いの溢れた者でした。とくに、病苦に苦しむ中で、東條が彼女に、「一篇の詩を詠み、私に代筆してくれと言った。あの緑の草原の上を素足で歩いてみたいそんなような意味の美しい詩だった。私は口述を書き留めながら、涙が流れた。いまはその詩の一節さえ憶えていないのが、悔やまれてならない」と書かれていた、その文が印象的であったので、彼の詩を読んでみたいと思いました。

しかし、東條耿一の詩を読むといっても、公刊された書籍に収録された彼の詩は微々たるものでした。1950年に出版された多磨全生園合同作品集「癩者の魂」の中の詩3篇(皓星社の「ハンセン病文学全集」第六巻に再録されています)、「倶会一処」に光岡良二さんが紹介した詩2編、その程度が知られていただけでした。

その「東條耿一詩集」を、村井澄枝さんと私が、主として「山桜」から蒐集・編集してWEB出版(第一版)したのが昨年の6月8日でした。昨年の9月4日の朗読会開催後、昭和9年、10年代に東條耿一が、環眞沙緒子というペンネームで、詩誌「蝋人形」「詩人時代」に投稿していた詩群が見つかり、また、カトリックの雑誌「聲」に昭和16年に投稿していた晩年の手記も発見しましたので、新しく見出された詩群を付加して

東條耿一詩集第二版(PDF)

を、今日(2005年9月4日)WEB 上で出版しました。

また、詩以外の小説・随筆・手記を集めて、

東條耿一著作集

というWEB頁を作りましたので、どうかご覧下さい。
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5 Comments

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この経緯は事実と若干違う。 (北風)
2005-10-26 08:45:07
この経緯は事実と若干違う。 (北風) 2005-10-26 08:43:52





ある掲示板での出来事であった。今となっては、主催者が自己削除したためにその経緯は失われてしまったが、当初、山田瑞恵という大手術の予後を自宅で養っている初老の婦人が明石海人を「研究する」ということであった。

そこに「しゅう」という人が、東條耿一の詩を賞賛され、東條環と同一人物ではないかという問題を提起した。

この時点で、山田瑞恵は東條に関心はなく、東條の名もはじめて知ったようであった。そして、海人を賞賛していた。

ところが、誰かが東條の「遺稿」を紹介した。これはカトリックの信仰告白そのもののような詩であった。

このとき、「しゅう」さんは落胆し、山田瑞恵は態度を一変した。いままでの無関心から、東條礼賛に変わった。そして、あれよあれよという間に「しゅうさん」のお株を奪って、東條研究者になり、東條の「朗読会」の「主催者」となった。そして、朗読会の当日、初老の婦人と信じていた参加者の多くは、山田が男で田中と名乗るカトリック大学の教授であることを始めて知って驚いたのである。

この事実経緯は記録として残しておく。

もし、間違っていたら、削除ではなく、事実をもって反論していただきたい。



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東條耿一詩集の編集の経緯 (田中)
2005-10-26 11:28:05
>北風さんへ



私のブログの記事に事実とことなることは書かれていません。ただし、第一版をWEBで出したときには、私は編集者の実名を公開するつもりはなかったので、山田瑞恵というペンネームの儘でした。その3ヶ月後、東條の命日に追悼会を行おうという企画が、村井さんから出され、全生園の愛徳会聖堂でおこなう関係上、その追悼朗読会に私も参加しました。このときに、私の実名も、参加者に公表しましたので、第二版は、ペンネームではなく実名で編集した次第です。



東條耿一のことは、北條民雄日記の彼の追悼文を読んで以来知っておりました。その追悼文は東條耿一のひととなりをよくあらわしており、印象深いものでした。したがって、



>この時点で、山田瑞恵は東條に関心はなく、東條の名もはじめて知ったようであった。



は事実ではありません。東條の名前は、それ以前から存じていましたし、北條民雄とおなじく惹かれるものがありました。また、彼のキリスト教信仰は、それだけを切り離して理解すべきものではなく、彼の詩と結びつけて読まれるべきであり、その魂の軌跡をおうことは意味があると思い、彼の著作集を編集した次第です。



また、個人的なことになりますが、私は、自分の入院時の体験をもとに宗教詩や短歌をやはりペンネームで書きましたが、これも実名ではなくハンドル名のもとで自由に創作したいという意図があったからです。



私は連歌や俳句のサイトも運営していますので、俳号というかたちで様々なペンネームを使ってきました。WEBでは、それを書いている人が如何なる職業の人か、年齢は幾つくらいか、男性か女性か、などという先入観に煩わされずに、自由な一個人として投稿し、その内容だけで読者に判断して貰いたいという気持ちからでした。ただし、ハンドル名の使用については、様々なトラブルがあることも経験しました。そこで、最近では、出来る限りハンドル名を使わずに、どの場所でも、実名で投稿するように心がけています。
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肝心のところは答えない。 (北風)
2005-10-29 21:47:53


どうでもいい、後付でもどうにでもなることだけに答えて、肝心なことに答えない。



たとえば、東條の名を知っていたかどうかなど、その人以外にはわからない。小生もその点を主張するつもりもない。そういう印象であったとしか書いていない。



また、職業、年齢、性別などに囚われず、内容だけでどくしゃに判断してほしいためにハンドルネームを使うというが、では何故、病後の初老の婦人というようなキャラクターまで偽って書いたのはなぜか。



また、「さまざまなトラブルがあることを経験しました」とあたかも、そういう事実を指摘されたことをもって「被害」にあったような、他人のせいにするような姿勢はいただけない。



また、そうした敬意を知ることの出来るBBSを一方的に閉鎖したのはなぜか。



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Unknown (北風)
2005-10-29 21:49:38


誤字が散見。ご容赦。



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復生の文学、読みました。 (空安)
2005-11-28 11:34:46
復生の文学のシリーズたいへん感銘をうけたとともに、いろいろとお勉強させていただきました。

当ブログでハンセン病と詩についてシリーズで書きこみしたので勝手にトラバさせていただきました。

お暇な時、ご覧ください。
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