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歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

宗教経験に於ける「沈黙」と「語り」―西田幾多郎の宗教哲学を手引きとしてー

2012-10-30 |  宗教 Religion

西田幾多郎は、『働くものから見るものへ』の序文において次の如く云う。 

 形相を有となし形成を善となす泰西文化の絢爛たる発展には尚ぶべきもの、学ぶべきものの許多なるは云ふまでもないが、幾千年来我等の祖先を育み来った東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、聲なきものの聲を聞くと云った様なものが潜んで居るのではなかろうか。我々の心は此のごときものを求めて已まない。私はかゝる要求に哲学的根拠を与へて見たいと思ふのである。[i]

この文章は、「東洋的に形而上的なるもの」[ii] をヨーロッパの「キリスト教的形而上学」、とくに高次の意味での「有」として「神」を捉える「有-神論(Onto-Theologie)」と対比させるときにしばしば参照される。その場合、仏教は、根源的な「無神論」(久松真一)として、あるいは宗教以後のニヒリズムをみずから克服する「絶対無」として有-神論を越える高次の「空の立場」(西谷啓治)として語られる。しかしながら、これにたいして、私は以下のことを主張したい。

「形なきものの形を見、聲なきものの聲を聞く」ことは、大乗仏教とそれに影響された日本的霊性の基本的な特徴であるというにとどまらず、「泰西文化」の源流にあるユダヤ教の聖書的伝統、原始キリスト教の信仰のうちにおいても重要な契機として内在しているものである。[iii] したがって、このような聖書的伝統、ないしキリスト教信仰に配慮しつつ、東洋/西洋の二元的図式を越えた普遍性を持つ宗教哲学的思惟を展開することは可能であり、また必要である。

西田幾多郎の宗教哲学は、単に西洋思想にたいして東洋思想を哲学的に基礎づけるものであったのではなく、東西の対立を越えた普遍性をもつ宗教哲学の先蹤であった。そのような究極の普遍性を志向する思索は、当然ながら一度に形成されたわけではなく、キリスト教思想との対話を重要な契機として自己形成されたものである。

『善の研究』に代表される初期の西田は、一切の思慮分別を越えた「純粋経験」に立脚し、主観と客観の二元論、感性と悟性の二元論、事実と意味の二元論など一切の二元的立場を超出ることを志向していた。したがって、それは「純粋経験」を唯一の実在とする一元論(『善の研究』)、ないしは「絶対自由意志」(『自覚に於ける直観と反省』)を究極の立場とする神秘主義的一元論ないし発出説(純粋経験の自発自展)として特徴付けられることができよう。

しかしながら、中期以降の西田の宗教哲学はそのような神秘主義の立場をも越えていくような哲学的なロゴスの探求として解釈することができる。「不二」の宗教的立場は、決して実体的な一元論ではなく、それは同時に「不一」の立場でもある。「絶対矛盾的自己同一」の論理とは、鈴木大拙の云う「即非」の大乗仏教思想に示唆されたものであったが、西田の場合は、単に禅宗や浄土真宗の伝統だけが念頭におかれたのではない。それは、東洋や日本というローカルな種的存在を越える普遍性、究極の普遍的・超越論的なる述語の場にほかならぬ「絶対無」の場に立つものであった。西田の云う「場所的論理」とは、最も普遍的なる場所において、最も個別的かつ実存的である個人を主題とするものであった。それは東西の宗教的伝統の差異を超えて適用され、とくに聖書やキリスト教的プラトニズムの伝統の中において形成された宗教経験にも適用され得る普遍的なロゴスを志向したものであった。

西田六二歳の時の著作、『無の自覺的限定』の宗教論は、まさにキリスト教論であると言ってもよい。滝沢克己はこの著作を読み、後に西田のすすめによりカールバルトの神学を聴講したときに、非キリスト者である西田がバルトと同じ問題を論じていることに驚き、後年、「西田哲学はこのときに生まれ、この国の言葉をもって語られたる真(まこと)の神の証言(あかし)としての悔改(メタノイア)の哲学である」[iv]と書くことになったが、それはある意味で西田がキリスト教的な経験の事実にそれだけ肉薄したことを意味している。

 西田はまず「哲学史上自覚の深き意義に徹底し万物をその立場から見た人」としてアウグスチヌスの言葉を引用し、その「三位一体論」を神学的人間学として評価し、「我々が外物を離れて深い内省的事実のなかに自己自身の実在性を求めるとき、自ずから神に至らざるを得ない」と書く。[v] ここで注意すべきは、「自覚」を我々に促す神の働きを「創造」という言葉で西田が表現するようになることがあげられる。これ以降、創造という働きが、単に「自己が自己に於いて自己を映す」という写像作用の代わりに用いられると共に、自己の内に完結する自己内写像の作用を突破する「絶対の他」という用語が「無の自覺的限定」のなかに登場するようになる。

「無の自覺的限定」では、他者論とアガペー論、そして原罪論というキリスト教的テーマが集中的に取りあげられる。まず、「肉親」への愛、「我国人」への愛を越える愛が、エロースならぬアガペーとして位置づけられ、絶対に分離せるものの結合としてキリスト教的愛が考察される。[vi] 

次に自己知よりも「汝」の呼びかけ、「物のよびかけ」が先行することが指摘され、「過ぎ去った汝として過去を見ることから歴史が始まる」という歴史認識が示される。「自己自身の底に蔵する絶対の他と考へられるものが絶対の汝という意義を有するが故に、我々は自己の底に無限の責任を感じ、自己の存在そのものが罪悪と考へられねばならぬ」という立場からキリスト教的な「原罪」の意味するものが語られる。すなわち「自己自身の底に絶対の他を見るということの逆に絶対の他に於いて自己を見る」という意味に於いてのみ、真に自己自身の底に原罪を蔵し、自己の存在そのものを罪とする人格的自己」が考えられること、そこに西田はキリスト教の云うアガペーの意味を見出している。[vii]

西田にとって宗教の問題は、ある意味で彼の哲学的思惟のアルファであると同時にオメガでもある。しかし、その思惟は、アルファの以前、およびオメガの以後を限りなく追求するということを付記せねばならない。西田は、哲学的思惟の可能根拠を求めて、思惟の原理以前の経験、原理(アルケー)をさらに遡る無底の経験、ないし経験の無底へと下降する。この下降的な超越ないしケノシス的な超越こそが、西田の宗教哲学に於ける超越論的経験の基本的な特徴である。「有を存在せしめる根拠」を再び存在者として定立することはできない。したがって、(卓越した意味での)存在者、もっとも完全なる存在者を目指す「上昇的超越」、すなわち神的なエロースにもとづくプラトン的な超越は、下降的超越の経験無くしては成立しない。上昇的超越は、対象化しえぬものを対象化する「ノエマ的超越」に立脚する限りは、経験の裏付けを持たぬカント以前の形而上学的思惟として斥けられる。西田のいう場所的論理においては「ノエーシス的超越」という語が使用されたが、それは知的直観としてのノエーシスの立場をもって哲学的思惟の終結と見なす立場そのものの超越、すなわち「メタ・ノエーシス」の立場をも含意している。田辺の『懺悔道としての哲学』の立場は、ある意味に於いて西田のうちに既に存在していたものである。

最晩年の西田哲学のキリスト教論は、それ以前の西田哲学の行為論の要をなしていた「行為的直観」をも越えるものであった。そこでは、「神の言葉」が、聞くべくして見るべからざるものとして、主題化される。[viii]

「場所的論理と宗教的世界観」を執筆中に鈴木大拙に宛てた書簡に依れば、西田は第二次世界大戦に於ける日本の敗北と予感しつつ、その終末論的な意識のもとで、旧約の預言書を読み、おそらくはじめて旧約聖書に内在する預言者の精神に触れたと思われる。西田は大拙に向かって、バビロン捕囚時代のユダヤ民族の精神に学ぶべきことを指摘し、「民族の自信を唯武力と結合する民族は武力と共に亡びる」と述べる。それと同時に、鈴木大拙の言う『即非』の論理に共感し、その立場から、「人というもの即ち人格」というものを出し、それを現実の歴史的世界に結合することを自分の課題としていると述べる。[ix]

 西田の遺作とも云うべき『場所的論理と宗教的世界観』には、キルケゴールの『怖れとおののき』でとりあげられたアブラハムのイサク獻供の物語に対する西田の『即非的弁証法』による独特の釈義が含まれる。アブラハムのイサク献供について西田は次のように言う。

極めて背理の様ではあるが、眞に絶対的なる神は一面に悪魔的でなければならない。斯くして、それが眞に全知全能と云ふことができる。エホバはアブラハムに、その一人子イサクの犠牲を求めた神である(Kierkegaard, Furcht und Zittern)。人格そのものの否定を求めた神である。單に超越的に最高善的な神は、抽象的な神たるに過ぎない。絶対の神は自己自身の中に絶対の否定を含む神でなければならない、極悪にまで下りうる神でなければならない。悪逆無道を救ふ神にして、眞に絶対の神であるのである。最高の形相は、最低の質料を形相化するものでなければならない。絶対のアガペは、絶対の悪人にまで及ばなければならない。神は逆對應的に極悪の人の心にも潜むのである。[x]

これに対して関根清三は、「彼(西田)の神理解は正に旧約の記者が神話的にしか言表できなかったことの真意を言い当て、また現代の我々に到るまでの神経験の見事な解説になっているように見える」[xi]とコメントしているが、たしかに、戦前の日本の哲学者でここまで深く旧約聖書の神と切り結んだものは居なかったであろう。

ヘレニズムの世界における汎神論的な神概念やスピノザの哲学や、神秘主義のキリスト教に共感する日本の哲学者は多いが、もっとも非哲学的と見える旧約聖書の神に言及する哲学者は稀である。預言者イザヤの神経験について西田は次のように述べている。

相對的なるものが、絶對的なるものに對すると云ふことが、死である。我々の自己が神に對するときに、死である。イザヤが神を見た時、「禍なるかな、我亡びなん、我は穢れたる脣のものにて、穢れたる脣の民の最中に住むものなるに、我眼は万軍の主なる王を見たればなり」と云って居る。相對的なるものが絶對者に對するとは云へない。又、相對に對する絶對は絶對ではない。それ自身亦相對者である。相對が絶對に對するといふ時、そこに死がなければならない。それは無となることでなければならない。我々の自己は、唯、死によってのみ、逆對應的に神に接するのである、神に繋がると云ふことができるのである。[xii]

「善の研究」の西田哲学は汎神論的であったが、最晩年の西田は自己の宗教的立場を汎神論ではなく万有在神論(panentheism)だといっている。万有在神論とは、「万物(世界)が神に於いてある」ということ、世界が神の場所なのではなく、神が世界の場所であるという意味であり、それ自体は、クザーヌスなどキリスト教神秘主義の神観にも見られるものであるが、後期西田哲学においていわれている「場所の論理」は絶對否定を媒介とするダイナミックな即非の論理として展開されている点に特徴がある。すなわち、そこでいう「絶對の無」は、絶對の悪にまで下り得る神の「無」として、「死によってのみ逆對應的に接する」絶對の有として把捉されている。

旧約聖書では、言葉だけでなく沈黙も又主題となるが、旧約聖書列王記19:11-13は、神の言葉が沈黙において聞かれることをきわめて印象的に記している。

「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 新共同訳聖書で、「静かにささやく声」と訳されているヘブライ語を、旧約学者の関根正雄は「火の後で、かすかな沈黙の声があった」と訳したうえで次のような釈義を残している。

「神の不在の確認の後の「声」は、テリエン(旧約學者)の考えるような神の現在の自覺の準備云々という程度のリアリティではなく、すでにそれ自身神の霊的現実であったと我々は解する。だからこそ、この声ならざる声を聞いてエリヤはその顔をマントで覆い、出て行って洞窟の口に立ったのではないか。(中略)沈黙の声すら霊的に聞けないものに、神はどのようにして語り得たであろう。肉の耳をもってではなく、霊の耳をもって神の声を聞いた経験のない人が、「神は語られる」といってもそれはテキストをなぞっているにすぎない。(中略)エリヤの聴いた「沈黙の声」についてデイヴィッドソンが1970年の論文で記していることは我々には示唆的である。風や地震や火を通してという今まで受け入れられてきた信仰のカテゴリーが死に絶えるときに、神は新しく見出される、という意味のことをデイヴィッドソンは言っているのである。」[xiii]

ある意味で、聖書自体がそのような「沈黙の声」に満ちているようにさえ思われる。たとえば、神の創造された世界は「沈黙の声」を語る。「話すこと」なく、「語ること」なく、その「声」も聞こえないのに、「天は神の栄光を語り、大空は御手の業を示し、昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る」(詩編19)このような栄光に満ちた沈黙だけでなく、試練のなかでの沈黙もある。沈黙を破る言葉があるだけでなく、言葉を破る沈黙というものもある。聖書の中で示される「沈黙」を理解することによって、はじめて我々は聖書の言葉を理解できるということがあるだろう。やかましく響き渡る声よりもはるかに我々の心に響く沈黙というものがある。そして聖書自体、様々な箇所でそういう「沈黙の声」を主題としている。このような「沈黙の声」はアウシュビッツ以後のユダヤ人のなかでとりわけ重い意味を持つようになったことは言うまでもない。

アンドレ・ネエルは『言葉の捕囚-聖書の沈黙からアウシュビッツの沈黙へ』のなかで、問題になっている列王記の箇所について次のように言っている。

「神は嵐の中にも、つむじ風のなかにも、火の中にも(カルメルの火)おられない。かれは<ささやくような小さき声>コル デママー ダッカー(19-12)のなかにおられるのだ。この表現もまた、きわめて皮肉な表現である。というのは、それは、神の唯一の声は「その沈黙」であることを、人間に教えているからである。こうして、二度の逆転がカルメルとホレブの継続場面の結合の中で同時に行われる。言葉の観念は価値を失い、沈黙の観念は積極的な価値に達する。神の言葉は自動的ではない。それは無価値であることを表明しうるし、失敗をももたらしうるのである。また、沈黙はもはや神の怒りないし神の拒否のしるしではない。それは言葉と同様、またそれ以上に、神の「現在」を表現する。この二枚織りの絵を通して、神の沈黙は象徴を変える。不活動の水準から、生命の水準に達する。カルメルの場面の夕べ、民は声を揃えて、「言葉」と「応答」の神こそ、生ける神と叫んでいた。そして今、ホレブの場面の夕べ、預言者エリヤは孤独のなかで理解する。生ける神とは「沈黙」と「引退」の神であることを。(中略)聖書は、たといそれがか細くとも、「沈黙の声」を語るとき、聖書自身が我々に聴くように招いているのではないだろうか」[xiv] 

嘗ては「言葉」と「応答」という雄弁なる対話の(政治的)世界にいた預言者も、孤独の中で、生ける神の「沈黙の声」に耳を澄ませる-「沈黙」と「引退」のただなかで、彼も又、自らの沈黙の言葉を語るであろう。

 晩年の西田が「場所的論理と宗教的世界観」において旧約聖書を取り上げた背景には、当然、この著作を執筆していた頃の西田の於かれていた時代背景を見る必要があるだろう。西田の日記を見れば分かるように、この論文は大日本帝国の崩壊の予感のなかで書かれており、当時、西田は旧約聖書の預言書、とくにイザヤ書を読んでいた。亡国の危機に直面していた預言者のもつ終末論的自覚は、西田にとって決して他人事ではなかったろう。

西田の云う「即非の弁証法」は、キリスト教論に適用されることによって、日本化された仏教の典型である天台本覚論などの「煩悩即菩提」「生死即涅槃」のごとき絶対否定を含まぬ「即」の融通無碍の立場とは質的に異なる論理となっている。そこでは、「人間の根柢に堕罪を考えるということは、きわめて深い宗教的世界観である」ことが認められる。

絶対矛盾的自己同一は、抽象名詞として理解してはならず、それ自身が動詞として理解すべきであり、そこでいう神は「神性」のごとき働きのない抽象的な属性ではない。神と人との関係はあくまでも逆対応的であり、我々の宗教心は、我々の自己から起こるのではなく、神または仏の呼び声であり、神または仏の働きであり、自己成立の根源からである以上、それは自己同一性を基軸とする有-神論の形而上学のもっともラジカルな批判を内に蔵している。

 

 

[i] 西田幾多郎全集(岩波書店 1979)6:6 

[ii] 「形而上学」とは、アリストテレスのmetaphysicaの日本語訳であるが、「形而上」という言葉自体は、易經の「繋辞傳」のなかの「形而上者謂之道 形而下者謂之器」に由来し、東アジアの霊性の伝統においては元来は「道」を意味する言葉である。 アリストテレスの「形而上学」という書物は、「自然学」の「後に」編集配列された著作であり、内容から言えば「自然学」を前提しつつも、その「背後にあるもの」を問い、自然的存在の究極原因となる「実体」とは何かを理論的に問うものであった。これに対して、易經の自然哲学にいう「道」は、自然の背後にある超越的な有=実体ではなく、万物を産みだす能産的自然であり、それ自体はいかなる「形」にも限定され得ぬという意味で「形而上」なるものであり、「形」を産み出す創造活動である。「道」は、人間が自己の目的のために使用できる道具(器)ではなく、何かの「ために」存在するようなものではない。

[iii] 「神の言葉」は「啓示された神(deus revelatus)」を特徴付けるものであるが、その同一の神が、預言者によれば「隠れたる神(deus absconditus)」でもある。イザヤ書45:15と45:19参照。尚、クザーヌスの小品「隠れたる神について」を西田は『善の研究』の宗教論で消極的神学の必然性を論じる文脈で論じて、神は有(aliquid)でも無(nihil)でもなく両者を超越するというクザーヌスの言葉を引用している。

[iv] 「西田哲学の根本問題」こぶし書房刊、214頁、2004(法蔵館「滝沢克己著作集第一巻」は1972)

[v] 「場所の自己限定としての意識作用」西田幾多郎全集6:116 

 哲学史上自覺の深き意義に徹底し萬物をその立場から見た人はアウグスチヌスであったと云ひ得るであらう。その「三位一體論」の一篇は一種の神學的人間學と云ふことができる。我々が外物を離れて深い内省的事實の中に自己自身の實在性を求める時、自ら神に至らざるを得ない。彼は「懺悔録」の始に
Thou awakest us to delight in Thy praise; for Thou madest us for Thyself, and our heart is restless, until it repose in Thee
と云って居る。彼は我々の自覺的實在の根抵を神に求めた。メーン・ドゥ・ビランの「人間學」といふ如きものも我々の精神的生命の基を神に帰して居る。

 [vi] 「自由意志」

汝の隣人を汝自身の如く愛せよといふキリスト教的愛は、絶対に分離せるものの結合でなければならぬ。我親なるが故に、我子なるが故に、愛するのではない。又我国人なるが故に愛するのでもない、否、何等の価値のために愛するのでもない、唯、人なるが故に愛するのである(西田幾多郎全集6:319)。

[vii] 「私と汝」

道徳的にはわれわれは有限なる自己の中に無限の当為を蔵することによつて人格と考へられ、宗教的には罪の意識なくして人格といふものは考へられないと云はれる。併し我々の人格的自己は何故に斯く考へられねばならぬのであろうか。それは我々の自己自身の底に絶対の他を蔵するといふことを意味するに外ならない。自己自身の底に蔵する絶対の他と考へられるものが絶対の汝といふ意義を有するが故に、我々は自己の底に無限の責任を感じ、自己の存在そのものが罪悪と考へられなければならない。我々はいつも自己自身の底に深い不安と恐怖とを蔵し、自己意識が明となればなる程、自己自身の罪を感ずるのである(西田幾多郎全集6:419-420)。
自己自身の底に絶対の他を見るといふことの逆に絶対の他に於て自己を見るといふ意味に於てのみ、真に自己自身の底に原罪を蔵し、自己の存在そのものを罪とする人格的自己といふものが考へられるのである。そこにキリスト教の所謂アガペの意味がなければならない(西田幾多郎全集6:424

[viii] 「哲学の根本問題」

現実が現実自身を限定する世界を絶対否定の肯定として絶対弁証法的世界の自己限定と考へるならば、自己自身を限定する現実の世界の底に、我々は行為的直観を越えて、無限なる表現に対すると考へなければならぬ。それは唯何処までも我々の行為的直観を越えるもの、行為的直観によつて達することのできないものと云ふだけでなく、行為的直観を否定する意味を有つたものでなければならない、道徳をも否定する意味を有つたものでなければならない。それがキリスト教徒の所謂神の言葉と考へられるものである。それは聞くべくして見るべからざるものである。絶対の彼方にあるのである。(西田幾多郎全集7:428)

キリスト教を度外視した西田哲学釈義では「行為的直観」をもって西田の最終的立場とするものが多いが、上のテキストは、それが適切ではないことを示している。

[ix] 鈴木大拙宛書簡(西田幾多郎全集19:399、19:426)

私は今宗教のことを書いています。大体従来の対象論理の見方では宗教といふものは考へられず、私の矛盾的自己同一の論理即ち即非の論理でなければならないと云ふことを明にしたいと思ふのです。私は即非の般若的立場から人といふもの即ち人格を出したいと思ふのです。そしてそれを現実の歴史的世界と結合したいとおもふのです。(昭和20年3月11日 鈴木大拙宛書簡)
君の東洋文化の根柢に悲願があるといふことよく考へて見るとそれ非常に面白い。私もさういふ立場から考へて云って見たいと思ふ。その故に西洋の物の考へ方がすべて対象論理的であったのだ。此頃猶太民族の宗教発展の歴史を読んで色々考へさせられる。猶太人がバビロンの捕囚の時代に世界宗教的発展の方の基礎を作った。真の精神的民族は斯くなければならぬ。民族の自信を唯武力と結合する民族は武力と共に亡びる。(昭和20年5月11日 鈴木大拙宛書簡)

[x] 西田幾多郎全集11-404(岩波書店 1979)

[xi] 関根清三、『旧約聖書と哲学』(岩波書店、2008 32頁)

[xii]  同全集11-396(岩波書店 1979)

[xiii] 関根正雄 『古代イスラエルの思想家』(講談社 昭和57年 275頁)

[xiv]  アンドレ・ネール『言葉の捕囚-聖書の沈黙からアウシュビッツの沈黙へ』(西村俊昭訳 創文社 昭和59年 108頁)

 

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オスカーワイルドの「獄中記」を読む

2012-07-16 |  宗教 Religion

今週末の西田哲学会で「キリスト教と西田哲学」という題で講演をする予定があり、このところ西田が若い頃に出逢ったキリスト教関係の書物を調べているが、たまたまオスカーワイルドの「獄中記」を入手してこれを読み、大いに感ずるところがあった。おそらく神学者や哲学者のキリスト教論などよりも、この本一冊のほうが西田の心を直接に揺るがしたのではないか、そういう内容であったからである。

西田がオスカーワイルドを引用している『善の研究』のテキストは以下のようなものだ。

罪はにくむべき者である、しかし悔い改められたる罪ほど世に美しきものもない。余はここにおいてオスカル・ワイルドの『獄中記』 De Profundis の中の一節を想い起さざるをえない。基督は罪人をば人間の完成に最も近き者として愛した。面白き盗賊をくだくだしい正直者に変ずるのは彼の目的ではなかった。彼はかつて世に知られなかった仕方において罪および苦悩を美しき神聖なる者となした。勿論罪人は悔い改めねばならぬ。しかしこれ彼が為した所のものを完成するのである。希臘人は人は己が過去を変ずることのできないものと考えた、神も過去を変ずる能わずという語もあった。しかし基督は最も普通の罪人もこれを能くし得ることを示した。例の放蕩子息が跪いて泣いた時、かれはその過去の罪悪および苦悩をば生涯において最も美しく神聖なる時となしたのであると基督がいわれるであろうといっている。ワイルドは罪の人であった、故に能く罪の本質を知ったのである。

『善の研究』では、西田最晩年の『場所的論理と宗教的世界観』ほど深刻な悪の問題や原罪にかんする考察はない。しかし、「深き淵」より呼ばわるワイルドの声に耳を傾ける西田は、この小品に深く共鳴したことは間違いない。そのことは、『獄中記』の出版がワイルドの死後5年後の1905年であり、西田が上の文章を書いたのが1909年であったから、当然西田は出版間もない原著でこれを読んだわけであり、その詳細な読書ノートが西田幾多郎全集の第16巻断章2に収録されている。京都大学で行った宗教学講義草稿でも、「ニーチェ、ワイルドの思想は宗教を否定するもののようではあるが、一面より見れば宗教を建てんとするものと見ることが出来る」と、生の理想を美的生活に求めた思想家としてワイルドをニーチェと共に論じている。また「善の研究」の第4篇宗教論の末尾にこのワイルドの文があることからみて、西田がいかにこの文に共感を覚えていたかが偲ばれる。 

 このたびDe profundis を読んでみて、さらにこれまでの西田にかんする先行研究で指摘されていなかったと思われるテキストを見出した。それは「悲哀」(sorrow)にかんするワイルドの述懐である。彼はスキャンダラスな罪によって投獄されてから三ヶ月後、母親の死を、病をおして駆けつけた妻から聞かせられる。その折の彼の言葉。(日本語訳は角川文庫の田部重治による)

 繁栄、快楽及び成功は、いずれも肌理のあらい、繊維のような月並みなものであろう。しかし悲哀はありとあらゆる創造物の中で、もっとも感受性の鋭いものである。・・・悲哀は愛以外のいかなる手が触れても血を吐く痛手であり、また、愛の手が触れるときでさえ、痛みこそしないものの、同じように血を噴くものである。悲哀のあるところには聖地がある。いつか人々はこの意味を身に沁みて悟ることであろう。それを悟らない限り、人生については全く何事も知ることが出来ない。・・・
 喜びと笑いとの背後には、粗野な冷淡な、しかも無神経な気質が潜んでいるかもしれない。しかし悲哀の背後にはいつも悲哀がある。苦痛は快楽と違って、仮面を被ることはない。藝術に於ける真とは実質的な観念と偶然的な存在との一致ではない。形が影に似るようなものでもなければ水晶に映った形が、形そのものに似るということでもない。また窪める丘からこだまする山彦でもなければ、月を月に、ナーシサスをナーシサスに映してみせる谷間の銀色の泉でもない。藝術に於ける真とは、物がそれ自体と一致していることを云う。つまり外面が内面を表現するようにされることであり、魂が肉の形をとることであり、肉体が精神に溢れていることである。(Truth in art is the unity of a thing with itself: the outward rendered expressive of the inward: the soul made incarnate; the body instinct with spirit)。そうした理由で、悲哀に匹敵する真理はない。私には悲哀が唯一の真理であると見えるときがある。他のものは、眼あるいは嗜好の幻で、それは目をくらまし、嗜好を満たすようにされているかも知れない。しかし、悲哀から数々の世界は作られた。子供が生まれるにも、星が生じるにも、そこには苦痛がある。

私はこのワイルドの驚くほどの洞察に満ちた文を読み、はじめて西田が「哲學の動機は驚きではなくして深い人生の悲哀でなければならない」と述べたことの意味を理解したのである。その悲哀はただちにワイルドのイエス論、すなわち「悲哀の人にして悩みを知る人 a man of sorrows and aquainted with grief」としての キリスト論につながっているのである。

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黙示録の時代を生きる-

2011-04-04 |  宗教 Religion

福島原発の事故を報道する欧米の新聞やテレビの報道の中でしばしば Apocalypse (黙示録)と言う言葉が使われている。
たとえば Ghost Island: Apocalyptic scenes in tsunami worst-hit Japan areas と題する以下の映像を見てみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=MyTTrj4wKMU  

http://www.youtube.com/watch?v=Or7iY7TUFM4:movie

ユダヤ・キリスト・イスラム教の影響を受けた「聖書の民」からすれば、このような情景は、世界の終末・審判の時を連想するものである。津波によって乗用車がビルの上に乗り上げたり、燃えさかる家が流されていく情景、そして津波が襲った後の廃墟の有様などは、まことに世の終わりという感じを人に与えるものなのだろう。
また、福島第一原発の一号機が水素爆発をおこした情景が放映されたときも、地震、津波、につづく破局として、「黙示録」という言葉が盛んに使われていた。3号機がおなじように水素爆発したときに、東電社員が一時的に待避したとき、一部の報道機関は「東電が原発を見捨てた」と書いたが、その水素爆発によって建屋が吹き飛んだ情景は、まさに世の終わりを連想させるものであったろう。

誤報であったとは言え、50人を残して作業員が引き揚げたという事実は、日本よりも外国の方でより深刻に受け止められたことはいうまでもなかろう。実際、第一原発の近くでまだ避難せずにいた住民たちはその凄まじい爆発音を聞いたときには、文字通り世の終わりが来たと実感したであろう。 この文明は完全に亡びるかも知れないーそのような終末論的な意識・黙示録的な自覚を促すものとして、今回の自然災害と原子力災害を受け止めるべきだと思う。

我々に必要な知は、科学的な技術知ではなく、世の終わりが恒に我々の現在に差迫っていることを知る終末論的な知である。 終末の予兆となる黙示録的事實から眼をそらすことなく、平常心をもって現在を生きることであるー明日世界の終わりが来るということを知ったなら、私は自分の家の庭に林檎の樹を植えるだろう。(マルチン・ルター)

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草木や石ころのうちに宿るイエス-キリスト教的共生の原点をもとめて

2009-12-24 |  宗教 Religion

トマス福音書のイエス語録77 より

イエス言ひ給ふ。我在りて万物の上なる光なり。我在りて万物なり。万物は我より出で、我に達せり。木を割りてみよ。我自らそこに在り。石を上げよ。そこに汝等我を見出すなり。
(Michael Grondin のコプト語-英語逐語テキストから日本語に訳した)

Jeshua says: I-Am the Light above them all, I-Am the All. All came forth from me, and all attained to me (again). Cleave wood, I myself am there; lift up the stone and there you shall find me.

トマス福音書の中で最も良く知られた一節である。「木を割りてみよ・・」は、オクシュリンコス・パピルスにギリシャ語断片として見出されていたテキストであり、これについて、ホワイトヘッドは1926年に公刊した『宗教とその形成』の中で次のように言っている。

数年前あるエジプト人の墓で一枚のパピルスが発見されたが、この文献は、たまたま「キリストの語録」と呼ばれる初期キリスト教徒の編集書であった。その正確な信頼性とその正確な権威とがわれわれにとって問題なのではない。私がそれを引用するのは、キリスト生誕後の最初の数世紀間にエジプトにいた多くのキリスト教徒の心理状態を示すものとしてである。その当時、エジプトはキリスト教思想の神学的指導者たちを提供していた。我々は、この『キリストの語録』のなかに「木を割って見よ、そうすれば私はそこにいる」という言葉を見出すのである。これは内在性の強力な主張の一例に過ぎないが、セム族的概念からのはなはだしい離脱を示している。内在性は周知の現代的教説である。注意しなければならない点は、この教えが新約聖書の様々な部分に内包されていることであり、またキリスト教の最初の神学時代において顕在的であったということである。

この引用文は、極端な超越性と極端な内在性のドグマの双方を否定するホワイトヘッド自身の神学思想を投影したものでもあったが、彼が、引用したオクシュリンコス・パピルスの文は、20年後、やはりエジプトのナグハマディで発見されたコプト語訳のトマス福音書の一節であったことが判明した。

トマス福音書について、その聖書学に於ける意義を洞察した最初の学者の一人であり、校訂者でもあったユトレヒト大学の古代キリスト教史家G・クイスペルは、上述の「木を割りて見よ・・」を含むイエス語録の言葉のいくつかをトマス福音書の中に認めたときに、直観的に、「この福音書には共観福音書に編集されているイエスの言葉伝承そのものが収録されている、すなわち現行の福音書よりも旧い段階の福音書ではないか」と思ったということである。(荒井献 トマスによる福音書 16頁)

私自身は、ここでホワイトヘッドと同じように、トマス福音書にあって共観福音書にない言葉(アグラファ)が、歴史的イエスにさかのぼる伝承であるかどうかという聖書学者の専門的論争には立ち入らない。(個人的には、トマス福音書はイエス語録なる文藝様式のキリスト教文書が実在したことを示す重要な発見であり、そのいくつかのテキストはグノーシス文書などという偏見を捨てて読まれねばならず、イエスその人にさかのぼる伝承であると思っているけれども) 

そういうことよりも、イエスのこの言葉を伝えた最初期のキリスト教徒がもっていたイエス・キリスト理解から深く学び、それを適切に解釈することによって自らも生き、その精神を現代において継承することに関心があるのである。

イエスは大工の息子であり、「木を割って・・」「石をあげて・・」ということばは、樹木や岩石を加工し、家を造る手仕事労働は、子供時代より親しかったであろう。そして、「木を割る・・」ことは、当然の事ながら、樹木の生命を犠牲にして、それを人間のために役立てることを意味している。我々が建築をするということは、樹木の生命を奪うことを意味するのであり、いうなれば樹木の死のお陰で我々は生活しているのである。

まことに汝等に告ぐ。一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらむ。死なば多くの実を結ぶべし。(ヨハネ12.24

というヨハネ伝のイエスは、御自身の受難を一粒の麦に喩えている。「野の花」「空の鳥」のなかに父なる神のこころを感じ取る感性は、建築士が見捨てた石ころや、割れた樹木の中にさえ、いやそのような小さきものの中にこそ御自身を見出していたのではないか。端的に言って、イエスは、樹の痛みを知る人ではなかったろうか?

このように私が言えば、君はイエスをアッシジのフランシスと混同していると批判されるかも知れない。しかし、敢えて言おう、むしろアッシジのフランシスこそ、イエスの精神をイタリアにおいて忠実に受け継いだ人であったのではないか。

仏教においても「草木国土悉皆成仏」という思想は、樹木を伐採して寺院を建築することを生業とする仏教者が、樹木に感謝する意をこめて言い始めたものであって、素朴なアニミズムなどではなかったという話を聞いたことがある。私は、福音書の中に描かれたイエスのなかに、そのような、他者の犠牲を代償として生きなければならぬ人間の生のただ中に受肉したキリストのこころ、「悲しみの人にして悩みを知る」キリストの、すべての被造物におよぶ無限の愛と救済の意志を感じるのである。

イエスによる救済は、只人間にのみむけられているのではない。それは「いと小さき物」を含むすべての被造物に対して向けられているのである。パウロもまた、ロマ書の中で次のように言う。

それ造られたるものは切に慕ひて神の子たちの現れんことを待つ。造られたるものの虚無に服せしは、己が願によるにあらず。服せしめ給ひしものによるなり。されどなほ造られたるものにも滅亡の僕たるさまより解かれて、神の子たちの光栄の自由に入る望みはのこれり。
我等は知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむことを。(ロマ書8.19-22)

キリスト教が人間のみを特別視して、他の被造物を顧みないと言うものがいるが、すくなくも初代教会の使徒の言葉は、そういうものではない。「すべての被造物が今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむ」ことを知る彼らにとって、キリストのケノーシスとその救済の行為は、ひとり人間のみにとどまらず、草木や石のごとき被造物にまで及ぶものであった。

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「 いのちのパン」-「主の祈り」の第四の願いについて

2009-12-21 |  宗教 Religion
τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον·
(マタイ伝 6.11)

聖書協会口語訳:わたしたちの日ごとの食物をきょうもおあたえください。
新共同訳:わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

ここで「日ごとの」糧ないし「必要な」糧と訳されたギリシャ語 ἐπιούσιον(エピウーシオン)は、新約聖書の中では、マタイ伝とルカ伝の主の祈りの該当箇所にしかでない稀な言葉であり、コイネーのギリシャ語でも他に用例を見ることのないことが古くから知られていた。(最初に指摘したのはオリゲネスのようである)。他の様々な邦訳と近代語訳を参照したが、おおむねは

  毎日必要なパンを今日もください

という意味にとっているようである。「毎日必要なパン、生きるのに必要なパンを今日も下さい」、というのは実にわかりやすい解釈であるが、マタイ福音書の文脈に於ける主の祈りの解釈として、それで果たしてすむであろうか。何か大切なことが見落とされてはいないだろうか。

マタイは主の祈りの直前に「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである」というイエスのことばを置いている。つまり、異邦人のようにくどくどと言葉数を多くして祈るな、「隠れたところにおいでになる父に祈れ」という文のあとに主の祈りが出てくるのである。

さらに、主の祈り6-11 のでる「山上の垂訓」の後の箇所 6-24 では

「何を食べ、何を飲もうかと、自分のいのちのことで思い煩い、何を着ようかと自分のからだのことでおもいわずらうな」 

という言葉が出てくる。「何をたべるか、と思い煩うな」という言葉は、神が自分を必ず養って下さることへの信頼である。「空の鳥、野の花の装い」を例に出してイエスは語っている。その無条件の信頼の言葉と比較すると、

「毎日食べるパンを今日も下さいね」

と「念を押す」ようなことは、マタイ伝の山上の垂訓のメッセージの主調音と調和していないのではないか? 

ヨハネ伝になると、マタイ伝よりもさらに徹底して、物質的な意味でのパンのみにこだわる人々を批判する言葉がイエスの口から語られる。

「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが私を尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンをたべて満腹したからである。朽ちる食物のためではなく、永遠の命にいたる朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子が、あなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子それをゆだねられたのである。」
(ヨハネ6-27)

ヨハネは、次に、約束の地に向かう民に天上からのマナが与えられたと言う群衆の言葉を載せる。

「わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」(ヨハネ6-31)

そしてこの旧約の故事を受けたイエスの言葉は

「天からのパンをあなたがたに与えたのはモーゼではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えたのは、わたしの父なのである。神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである。」(ヨハネ6-32-33)

そして、この後で「いのちのパン」という大切な言葉がイエスによって語られる。

彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちに下さい。」
イエスは彼らに言われた。「わたしがいのちのパンである。わたしに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じるものは決して渇くことがない。」
(ヨハネ 6-35)

ヨハネのこの言葉は、天上より下されたマナが約束の地にむかうユダヤの民を生かしたように、感謝の祭儀(聖餐式)におけるパンが、キリストに従うものを生かす「キリストの身体」であることを述べたものである。言葉が受肉し、そして受肉した言葉が、「いのちのパン」となってひとを真に生けるものとすること、けっして飢えることも渇くこともないこと」を示している。ヨハネは、地上の食べ物のためではなく、「永遠のいのちに到る朽ちない食べ物のために働く」ことをすすめるのである。

 キリスト者は旧約の「過越の祭り」を刷新した。「エジプトの肉鍋」を懐かしむユダヤの民に、隷属から解放された民に相応しい「天上のマナ」が与えられたように、新しい契約を記念する「感謝の祭儀」(聖餐式)の「いのちのパン」も「天上から下ってこの世にいのちを与え」、キリスト者に自由をもたらすのである

さて、この「感謝の祭儀」において中心的な役割を果たす「いのちのパン」は、イエスその人に由来する「主の祈り」に登場するパンと無関係であるのだろうか。

ここに、教父時代からの伝承に基づく「主の祈り」の別の翻訳があることを認識しておくことは重要である。そして、カトリック教会の典礼では、「感謝の祭儀」の時にかならず、主の祈りを共同で唱えることとなっている。つまり、感謝の祭儀のなかでは、マタイ伝の山上の垂訓にさかのぼる伝承と、ヨハネ伝の「いのちのパン」にさかのぼる二つの伝承が統合されているのである。

現代のカトリック典礼で使われている主の祈り
τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον·
のラテン語訳は
Panem nostrum cotidianum da nobis hodie
(私たちの日ごとのパンを今日お与え下さい)

であるが、伝統的なラテン語訳(ヒエロニムス訳)は、
Panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie
(私たちの命のパンを今日お与え下さい)である。

ここでsupersubstantialisというラテン語は、ある意味でギリシャ語の直訳である(エピ=スペル、ウーシア=スブスタンチア)。ウシアを生存=生きる という意味にとれば、「生きるのになくてはならない」という意味となるので、ここは、日本語で言うならば、「いのちのパン」と訳すのが妥当であろう。

ここで、さらに興味深いのは、「いのちのパン」とは、感謝の祭儀の聖体を象徴する言葉でもあるということである。実際に、この supersubstantialis という言葉の スブスタンチアには、実体という意味もあるから、スペルスブスタンチアリスは超実体的ないし超自然的という含意も存在するのである。

カトリック教会では、聖体拝領のときにパンが聖別されたときに実体変化してキリストの身体となるという教義が後に生まれたが、この教義の成立は福音書の成立よりも後の事柄である。しかし、そのような解釈の源流に、聖体を天上よりのパンとして、また「いのちのパン」として拝領する伝承があったことは事実であろう。

ヴルガタ訳の、主の祈りのパンは、旧約聖書の「天より下ったマナ」のように、「超自然的な」「いのちを与えるパン」である。終末論的意識を持って、毎日を暮らしていた原始キリスト教者にとって、今日明日のパンに不自由することもあったであろう。そのような信徒を勇気づける祈りであったとすれば、ここのパンは、あきらかに永遠のいのちを与えるパンと見なすことが出来るのではないか。

「日用の糧」や「日ごとの糧」では、ヨハネ伝で言う「いのちのパン」のもつ重みが十分に表現されないし、マタイ伝に於ける祈りの精神とも調和しないし、原始キリスト教に於ける終末論的な「御国の到来」を希望する「今日」の祈りの精神にも合致しないだろう。
(聖書協会訳の「今日も」の「も」は原文にはない。エピウーシオンを「毎日食べるパン」と訳したために、訳者が「も」を補っているのである)

私は、以上の考察から、主の祈りの第四の願いは、

「私たちのいのちのパンを今日お与え下さい」

と唱えるのが最も適切である、と思う。
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顔の現象学-レヴィナスの他者論に寄せて

2009-07-02 |  宗教 Religion

「顔」を形而上学のテーマとしたのはレヴィナスである。彼の云う顔とは、第一義的には「他者の顔」である。それは自己の表象の世界にあって、自己に内在する物の中に解消されぬ他者の世界の侵入を示すものである。

しかし、顔が「他者の」表象であると言うだけであるならば、同じ論理によって、すべての表象は「他物」の表象である、と云うことも出来よう。表象とは、つねに表象ならざるもの「の」表象である。その物自体は、表象の中に解消されはしない、卓越した意味での存在であり、我々の主観の中に客体化された表象は、つねにそのもの「の」表象である。いいかえるならば、「他物」も「他者」と同じく、自己の表象の世界の中にはつくされぬものを開示しているのである。

それでは、何故に、「他者の顔」が「他物」に優る特権を有するのであるか。

その理由は、「他者の顔」が「自己の顔」を知ること、即ち自己の覺知にとって必要不可欠な存在であるからではないか。

その顔が、自己に向かって「汝殺すなかれ」と語る。その語りは、聲をもってかたるのではなく、死者の聲のごとく、聲なき聲の如く、沈黙を以てアウシュヴィッツ以後の生を生きるレヴィナスに語りかけているかのようだ。

「他者の顔」は存在の領域から倫理の領域へ、単なる事実の「存在とは別の仕方」において、自己の支配権の属さぬ他者の、自己の世界の只中における顕現を示す。そして、そのような他者に攪乱されることによって、そのような他者を鏡として、自己は自己自身の存在の覚醒へと促される。その覚醒は閉ざされた存在の世界の中で、結局の所は他者を自己実現の媒介として位置づけようとする自己の存在を揺り動かす。通常の自己意識を越えて、意識よりもさらに深いレベルでの自覺がそこで生起する。

私はレヴィナスの他者論を上のような意味での攪乱として、意識を越える自己意識として、捉える。それは「存在とは別の仕方で」生起する自覚であるから、それを「無の自覺」と言おう。存在でもなく意識でもない自覺は、無の自覺という以外に如何なる適切なる言い方があるだろうか。しかし、そこでいう「無」とは何を意味するか。

「無」の第一義の意味は「無の場所」であるが、場所は世界とは異なる。世界は常に現実の世界であり、現実的なものは有限であり、個に対して相対的である。絶対的世界などというものはない。世界は歴史的である、すなわち、その都度、作られたものから作るものへと生成の過程のうちにあり、完結することなく未来に向けて開かれている点に有限なる世界の本質的特徴がある。

私は、西田幾多郎に倣い、一切の生成消滅する世界がそこに於いてある場所を、「絶対無の場所」と呼ぶ。絶対無の場所においては世界も個もともに徹底して相対化されている。かかる無の場所の自覺においては、「本来の自己」とは、「絶対他者」である。レビナスの言う他者の超越とは、実は自己自身の超越であり、他者の顔を知ることは、同時に自己の顔を知ることでもある。すなわち、自己と他者という両極的なるものの矛盾的自己同一とは、他ならぬ絶対無の場においてこそ成立する根源的な事実なのである。

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インドで殉教した使徒トマスの伝承および「トマス福音書」についての個人的なコメント

2009-06-01 |  宗教 Religion

2009年に南印度の新興都市バンガロールに行ったときに、当地のカトリック・カルメル会の司祭から、使徒トマスがインドに布教し、その地で殉教したという伝承をインドのキリスト者は非常に大切にしているということを聞かされて、さもありなんと大いに頷いた事があった。

  たとえば、バンガロールにあるカルメル会の修道院には、「瞑想する使徒の画像(それはヒンズー教のヨガ行者・座禅する仏陀とよく似ていた)」が、講堂の壁画として飾られていた。ちょうどローマのサンピエトロ寺院が使徒ペテロの殉教の場所に立てられたのと同じように、インドのキリスト者にとっては、使徒トマスの殉教(これはトマス行伝にある)の地、インドで彼のキリスト教を継承するという考え方は自然なのである。 

 西洋諸国のキリスト教宣教が、帝国主義・植民地主義と深く結びついていたことは言うまでも無かろう。ところがインドにはスペイン人やイギリス人がキリスト教を伝道する遙か以前から、直接に使徒繼承のキリスト教が伝えられていたのである。したがって、インドではローマ典礼以前にシリア典礼に従う礼拝が行われていた。そして、インドのキリスト教徒の数は、ヒンズー教に比べれば少数派であるとはいえ、仏教徒の数よりも多いのである。 

 さて、福音書といえば西方に伝えられたキリスト教では、ローマカトリック・プロテスタント・ギリシャ正教をとわず、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つが聖典であって、トマス福音書なるものの存在を知らない人の方が多いのではないだろうか。我が国でも、基本的にキリスト教といえば西洋のものと考えるものが多いから、トマス福音書の存在を知っている人でも「外典」として、軽んじている人が多かったと思う。 

 西洋ではトマス福音書はグノーシス主義(信よりも自己認識を重んじるキリスト教)として異端視され、それを否定する論者の引用を通じてのみ知られていたのである。しかるに1945年にエジプトのナグハマディで、コプト語に翻訳されたトマス福音書のイエス語録が発見されるに及び、事態は大きく展開した。ナグハマディ文書の発見はある意味で摂理的な出来事であったのではないか。  

  私は、インド旅行から帰ってから、荒井献氏の懇切なる注解のついた「トマス福音書」を読み、その内容に深く感銘した。この5番目の福音書を読めば、4福音書のイエスのことが更に良く分かるであろうし、西方に伝えられたキリスト教では切り捨てられたイエスの教えの大切な内容を知ることが出来るという確信を得たのである。

 西方に伝えられたキリスト教は、率直に言ってその教義の本質に帝国主義的な所がある。唯一の神は絶対的な創造主であって、全能であり、万物を支配する「嫉む神」であり、他の神々や人間が自分と等しい存在となることを許さぬ我が儘な独裁者の如き存在である。トマス福音書は、このような宇宙を支配する気まぐれな創造主を究極のものとは見ない。「嫉む神」にまさる至高者から遣わされたイエスは、その至高者を知り、それと一つである存在である。

この世の専制君主として君臨している「神」は、実は自己を知らぬ未だ「無知」なる存在であり、イエスはそのような神以上の存在である。そしてイエスを先覚者としてイエスに倣う人間はだれでも自己の本質を認識することによって、イエスと同じ存在になることができる。

トマス福音書では、使徒トマスはこの意味で、イエスの生き方を自らのものとして、イエスをもっともよく理解した使徒であり、精神的なる意味でイエスの「双子」と呼ばれる。トマスとは「双子」という意味である。マタイによる福音書では、ペテロがイエスの後継者としてローマ教会の鍵をゆだねられたが、トマス福音書ではトマスこそ、イエスの心をペテロ以上に知る使徒として描かれている。 

人は自己が何ものであるかを認識したときに神を認識できるという思想は、アウグスチヌスにも見られるものであり、決して異端などではない。むしろ、絶対者として万物の上に君臨する神の観念のほうが、一神教の名前を借りた偶像崇拝であるといえるのではないか。このような偶像崇拝が人間を如何に抑圧し、どれほどひどい異端審問・宗教戦争を人類にもたらしたかを思えば、今日の世界に於いて、西方キリスト教の神学の中でイデオロギーとして絶対化された神よりも、トマス福音書のイエスの言葉の方に人々は共感するのではないだろうか。

 「イエスは言われた、「汝等を導くものが「見よ、御国は空にある」というならば、空の鳥が汝等に先んじるであろう。「御国は海にある」といえば、魚が汝等に先んじるであろう。そうではなくて、御国はまず汝等の内にあり、次に汝等の外にあるのだ。汝等が自己自身を知るときに、汝等は知られるのであり、生ける父の子等であるのは汝等であることが分かるであろう。しかし、汝等が自己自身を知らぬならば、汝等は貧困のうちに住むのであり、その貧困こそが汝等なのである。」(トマス福音書 イエス語録3) 

 

トマス福音書については、聖書学者の研究がこれから数多く為されるであろうが、現在の段階でのわたしのコメントを纏めておきたい。

序と第一のロゴス

これらは隠された言葉である。これを生けるイエスが語った。そしてデドモ・ユダ・トマスが書き記した。そして彼が言った、「この言葉の釈義を見出すものは死を味わうことが無いだろう。」

コメント

 「隠された言葉」(オクシュリンコン・パピルスのギリシャ語断片では、ホイ・ロゴイ・アポクリフォイとある)は、一般の読者に「公開された教え」ではなく、イエスと親しく霊的な交わりを持ったものに「霊的に啓示された内面的な教え」であるという意味であろう。

日本では、「アポクリファ」を「外典」と訳すことがあるが、これは「正典」の「外」の文書という意味であるから、「アポクリファ」を正典にいれなかった当時の公教会の立場を前提した翻訳である。アポクリファを大切な伝承として保存してきた人々の立場からすれば、公教会の「正典」が「顕教」であるならば、アポクリファは「密教」と訳すべきであろう。そして「密教」の立場からすれば、それは、「生けるイエス」が我々の心の奥底で語った言葉であるが故に、「顕教」よりも深い教えなのである。

 次に問題とすべきは、「生けるイエス」の解釈である。顕教の立場からすれば、これは「復活したイエス」の言葉である。前掲の荒井献の著書を読んだが、彼の解釈はグノーシス的であった。つまり、そもそもイエスは不死であり、十字架上での死は、単なる肉に於ける死であり、それは、信者を救うための方便であった。本来、神の子イエスは「永遠に生きている」のであり、死ぬことはない。そして、語録第一では、生けるイエスの言葉を釈義するものもまた、死を味わうことのない本来の自己を見出すであろうと、明言している。

「釈義」とはギリシャ語断片では「ヘルメーネイア」である。ヨハネ福音書の並行箇所と比較したい。そこでヨハネはわたしの言葉を守るものは、永遠に死を見ないであろう。(ヨハネ福音書 8-51) と言っている。「守る」と「釈義」の違いについて荒井献は、「ヨハネ福音書ではキリスト論が人間論に先行するが、トマス福音書では、人間論がキリスト論に先行する」と言っている。つまり、人間が真に人間となるためには、ロゴスの受肉、イエス・キリストの死と復活を信じ、イエス・キリストの言葉を守ることが必要であり、かくして初めて、人間は、永遠の生命に到るというのがヨハネの神学だというのである。これ対して、トマスの神学では、イエスの言葉の正しい解釈を通じて、我々は、我々自身の「本来の自己」が不死であることを自覚するのである。つまり、本来の自己を認識したものは、イエスと霊的な意味で「双子」なのであり、覺知をもたらしたもの(イエス)と、イエスの言葉を通して自己を認識したものは、同じ「覚者」なのである。

荒井献のトマス福音書解釈に対して、私は、暫定的ではあるが、次のような私自身の解釈を対比させよう。それは、グノーシス的解釈をその方向にさらに突破したような解釈をめざすものである。

 使徒トマスの立場でも、「釈義(ヘルメーネイア)」は単に知的に理解することではなく、その言葉によって生きることを意味しているのではないだろうか。それが我々の本来の自己の何ものであるかを教えるものであるといっても、その覺知(グノーシス)は、イエスの行いと十字架の死、復活という出来事によって、初めて弟子達に自覚されたのである。イエスが「一粒の麦」として死ななければ、弟子達は、彼らの本来の自己が何ものであるか、つまり自己が神の子であることを自覺しはしなかったであろう。本来の自己の自覚は、旧き自己に死ぬという絶対否定無くしてはありえない。その絶対否定を通じての復活ということを、弟子達は「十字架のイエスと共に死し、その復活に与る自己」として自覚したのである。

たんなる知性認識が、「覺知のキリスト教」の「覺知」なのではない。知性認識を越える「覺知」が宗教経験にとっては不可欠である。そういう「覺知」を私は、「グノーシス」などという手垢にまみれた言葉ではなく、西田幾多郎の言葉を援用して、「メタノエシス」あるいは、「ノエシス的超越」と呼びたい。そして田辺元が指摘したように、ノエシス的超越(メタノエシス)とは、メタノイア(懺悔=他者に対する罪の自覚)を本質的に伴うものでなければならない。「自覚」は「他者に対する罪」の自覚を伴わなければ「本来の自覚」ではないのである。それこそが、「キリスト教的自覚」の特色ではないか。

人間論とキリスト論との関係という問題は、確かに、トマス福音書とヨハネ福音書の神学を比較する上で、きわめて重要な論点であるが、トマスもまた復活のキリストを受け入れたが故に、ペテロと同じく困難な伝道の旅に出て、インドで殉教したのである。だから、決して、荒井が言うように「トマス福音書では、一般的な人間論がキリスト論に先行する」などとは言えないのである。そうではなくて、ヨハネ福音書とトマス福音書の違いは、おそらく、トマスの理解した「復活」とは「霊における復活」であり、これに対して、ヨハネ福音書が強調するのは、「肉体を伴った復活」であったのだろう。

それゆえに、ヨハネ福音書の中では、肉体を以てイエスが復活したことを信じようとしない(不信の)トマスにたいする言及(ヨハネ20:24-29)がある。トマス福音書の冒頭部分だけでも、実に重要な聖書解釈上の問題、そして單なる解釈問題だけではなく、「イエスの言葉を守ること、それによって生きる」とはいかなる意味であるのか、キリスト者にとって本質的な問題を再考させてくれることは間違いない。

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「在りて在る者」-出エジプト記第三章

2009-05-18 |  宗教 Religion

旧約聖書のなかで歴程神学(hayathology)にとってとりわけ重要な意味を持つのは出エジプト記第三章である。それは「歴程」(Haya)という言葉の用法が此処に典拠を有つと云うにとどまらず、「出エジプト」という歴史的出来事の有つ普遍的な意味ーそれはひとり過去のユダヤ人の民族的経験にとどまるのではなく、個と民族の歴史的自覺のありようを如実に伝える物語として、世界史の中で画期的な意味を持つ。

ユダヤ教の民族主義の壁を突破して世界宗教へと展開したキリスト教にとって、「出エジプト=脱出」は、特定の民族の自己同一性の証言にとどまらず、万人に妥当すべき歴史的現実である。そして、この第三章においてモーゼに啓示される神の名前は、中世のキリスト教神学においては、神学とギリシャに於ける哲学的な神探求=形而上学を結ぶ絆でもあった。西欧のキリスト教神学は、ギリシャの哲学と聖書の神との出会いの産物であったが、その二つの思想の流を媒介する聖書のテキストの重要な一節が、この出エジプト記第三章13節ー14節のモーゼに与えられた神の名の啓示であったのである。

それゆえに、この出エジプト記をあらためて読む場合に、そこに表現されている「神の名の啓示」とは如何なるものであったのか、それをまず確認しておこう。

 וַיֹּאמֶר מֹשֶׁה אֶל-הָאֱלֹהִים, הִנֵּה אָנֹכִי בָא אֶל-בְּנֵי יִשְׂרָאֵל, וְאָמַרְתִּי לָהֶם, אֱלֹהֵי אֲבוֹתֵיכֶם שְׁלָחַנִי אֲלֵיכֶם; וְאָמְרוּ-לִי מַה-שְּׁמוֹ, מָה אֹמַר אֲלֵהֶם.

13 モーゼ神に言ひけるは、「我イスラエルの子孫の所にゆきて汝らの先祖の神我を汝らに遣したまふと言はんに、彼等もし其の名は何と我に言はば何と彼等に言ふべきや。

 וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים אֶל-מֹשֶׁה, אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה; וַיֹּאמֶר, כֹּה תֹאמַר לִבְנֵי יִשְׂרָאֵל, אֶהְיֶה, שְׁלָחַנִי אֲלֵיכֶם.

14 神モーゼに言ひたまひけるは、我は、在りて在る者なり。また言ひたまひけるは汝かくイスラエルの子孫に言ふべし。我在り、といふ者、我を汝らに遣はしたまふと。

 イスラエルの神、即ちアブラハム・イサク・ヤコブの神の固有名は何というのか。一昔前の聖書の読者ならば、「エホバ」、現在の読者ならば、「ヤーウェ」と答えるかも知れないが、実は、これらは、ユダヤ人が聖書を読むときに実際に口に出す言葉ではない。所謂神聖なる四文字を読むときに彼等は「アドナイ(主)」と言うのであって、決して神を名指しで呼ぶことをしないのである。神の名は聖なるものであるが故に、みだりに口にしてはならないというのが、彼等の考え方であった。「エホバ」は神聖四文字にアドナイの母音をあてはめて読んだものに過ぎず、「ヤーウェ」という発音は旧約學者の学問的推定である。したがって、エホバにせよヤーウェにせよ、その音から、神聖四文字に込められた意味を推定することは出来ない。また邦語訳聖書で「神」と訳されているエロヒームという言葉は、普通名詞であり、偶像崇拝の對象となっている多くの神々にも共通する名前であるから、アブラハム・イサク・ヤコブの神の固有名ではないのである。

古代人にとって、或る對象の名前を知ることは、その對象と親密なる関係に入ることを意味すると共に、その對象に対する話者の支配権を確立することとも結びついている。そういう感覚は洋の東西を問わぬと思う。さらに、名指すことのできるものは、有限なるものであり、限定されたものであり以上、限定するものよりも劣った存在であるとも言えよう。「名の名づくべきは常名にあらず」とは老子の言葉であるが、そこには、人間の与えた名前などは永遠の名にはなり得ないという洞察がある。「無名」なる實在と「有名」なる現実ないし活動とのあいだの関係は、洋の東西を問わぬ哲学の根本問題である。

聖書の世界は、しかしながら、無名を始源とする世界ではなく、基本的には固有名のおりなす歴史によって形成される世界である。そこにおいて最も根本的なる存在は如何なる名前を持つのか、ということは、存在とは何かということを根本的な問とする哲学の核心に触れる問題を提示するものと言うべきであろう。

出エジプト記のこの一節をヘブライ語で読むのを聴いてみたまえ。なんと力強い響きがあることか。「ワヨーメル・エロヒーメル・モーシェ イエヒエ・アシェル・イエヒエ」。それは端的な同語反復の有つ力強さである。

「我在り」と云ふもの我を遣はしたまふ-これも、二つの「我」という言葉が響き合う。 絶対無限なる、一切の相を絶した「我」という言葉、その「我」を「絶対の他」として、それ自身によって、それ自身と共に、それ自身のうちに成立する「我」という言葉が響き合う。絶対に切り離すことができず、しかし決して同一ではなく、不可逆なる絶対の順序を有つ根源的な関係の自覺である。

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「私」の無限の重み - 「意志と表象としての世界」再読。

2009-05-02 |  宗教 Religion

  第一巻で「世界は表象である」と規定し、第二巻で、「世界は意志である」と規定したショーペンハウアーは、第三巻において、プラトンのイデア論とカントの言う物自体の議論を独自の仕方で統合することを試みる。イデア論は彼の藝術論と深く関わるので、私自身、このあたりがもっとも興味深いところなのだが、このたび再読してみて、以前気が付かなかったこと、些細なことにみえてその実、重大な意味を秘めている事柄に気づいた。

 第一巻、第一章では著者は「世界は私の表象である」(Die Welt ist meine Vorstellung)と言っていた。表象(Vorstellung)という名詞につけられた「私の」という形容詞が、第三巻第30章では欠落し、単に「第一巻で我々は世界を単なる表象として、主観に対する客観として展示した」と述べているだけなのである。「世界は私の表象である」とか、「世界は私の意志である」いう一人称表現には、ある独特の強さがあり、それに比べると「世界を、主観に対する客観として展示した」という三人称表現は、ずっと常識的であって迫力に欠ける。著者は、「純粋理性批判」に関しては独我論的ともみえる第一版をとり、観念論論駁を付した第二版を後退と見るカント解釈を打ち出したのであるが、その著者自身が、第一巻の強い表現から、第三巻の弱く常識的な表現に後退したように見えるのは残念であった。

 「世界は私の表象である」は、あきらかに独我論的な表現であり、「私の」表象を離れた世界自体の存在を否定する意味合いを含む。これに対して、「世界は主観に対する客観である」という表現では、私という主観以外に、他我の存在も認められている。すなわち複数の主観が有るということが認められており、私にとって表象として立ち現れなくとも、私とは独立にある他の主観に対する客観として現象するものを世界は含むこととなる。その場合には、どの主観も、「世界は私の表象である」といって世界を私物化することは許されないが、「世界は表象である、すなわち、或る主観に対する客観の総体である」ということは許されるであろう。いってみれはこれは弱められた主観主義であり、常識とさほど離れたものではない。常識は主客が常に相関していることなら容易に認めるであろうから。

 「世界は私の表象である」「世界は私の意志である」というときの「私」は、「公」に対する「私」ではなく、ウパニシャッドの哲学で言うところの「アートマン」すなわち「自己」であると解さなければなるまい。私=自我よりもはるかに深い自己の存在。世界や物自体の「私物化」ではなく、「私」と「公」の区分を越えた自己自身の自己に於ける自覚という文脈で、ショーペンハウアーの第一テーゼは捉えられるべきである。

 もちろん、ショーペンハウアーの言う「私」をそういう方向に解釈することについては、様々な異論が立てられ得るであろう。そのような「自己」は、たとえば一なる者として存在するのか、多なるものとして存在するのか。それとも一多のごとき現象にのみ当てはまる範疇を、かかる「自己」に妥当させることが出来るかどうかも問題としなければならない。なによりも、かかる「自己」が自己に対して自己において、「世界」として、すなわち「私の表象」として、あるいは「私の意志」として「如何に」「現象」するのか、それを「現象に即して」記述することが求められるであろう。

 「世界は私の表象である」あるいは「世界は私の意志である」この二つの言明は、誰もが云うことの出来る命題であると共に、決して三人称に置き換えられぬ独自性を表現する命題でなければなるまい。この「私」を、だれか特定の個人の名前で置き換えることは出来ない。いや、それのかわりに、三人称で語らえるような「神」で置き換えることも出来ないのである。かつてバークリーが、「存在するとは知覚されてあることである(esse est percipi)」という主観的観念論のテーゼを打ち出したときに、私にも誰にも知覚されていない事物の存在を保証するために、無限なる精神としての「神」がつねに知覚しているというかたちで、特定の主観に知覚されていない事物の客観的存在を保証したが、私ならば、「世界は神の表象である」も「世界は神の意志である」もともに偽であると言うだろう。客観化して語られるような神などは、ここでいう「私」の重みに耐えきれないであろうから。

 ショーペンハウアーは第3巻34章で、バイロン卿の詩

「山も波も空も、私と私の心の一部ではないだろうか。ちょうど私がそれらの一部であるように」

またヴェーダのウパニシャッドから

「われこそこれらすべての被造物なり。われをよそにしていかなるものも或ることなし」

を引用している。

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ヴァガヴァッド・ギーターを読む

2009-04-25 |  宗教 Religion
[霊魂の不死より無我に徹すべし聖者の歌を非戦に転ず]

 講談社学術文庫から出版されたヴァガヴァッド・ギーターの新訳を読んだ。学術的な散文訳とも言うべき岩波文庫の上村勝彦訳と比較すると、哲学的叙事詩の雰囲気を良く伝える名訳である。この「聖なるものの歌」は、「ニーチェのツァラストラかく語りき」の独文がそうであるように、簡潔にして力強く、そして何よりも音楽的でなければならない。その点では、鎧訳は群を抜いていると思った。学術的な観点から見ても、詳細な索引があり、解説があるのも有り難い。この新訳を契機として、あらためてこの「聖なるものの歌」に惹かれたのである。全体を通じての白眉とも言うべき第2章を、鎧訳を手引きとしつつ読んでみた。ギーターは現代のヒンズー教徒の間でも読み継がれている古典である。

ヴァガヴァッド・ギーターは、インドの国民的叙事詩「マハーバーラタ」の第6巻にあるクリシュナ神と勇者アルジュナの歌う問答体の歌である。日本で言えば、平家物語のような叙事詩的な歌謡といえばわかりやすいだろうか。戦闘を前にして弱気になった戦士アルジュナを勇気づけるために語られたクリシュナ神の教えが、古代インドの宗教思想を背景として、韻律を以て歌われている。いかにもインド的と思うのは、叙事詩の中に哲学的な思索が統合されている点である、すなわち、梵我一如というヴェーダンタの哲学を根本的に特徴づける教えが含まれている点である。たとえば次のような一節がある。

2-16 有ならざる(肉体)に実在無く、有(霊魂)に実在ならざることなし。すべてこの両者の辺際は、真理を観ずる人々により看破せられたり。(鎧訳)

ちなみに原文と英訳(swami Prabhupada) は次の通りである。(サンスクリットのフォント"SuzSktR"が必要)
nAsato vidyate bhAvo nAbhAvo vidyate sataH ubhayor api dRSTo'ntas tu anayos tattva-darSibhiH


Those who are seers of the truth have concluded that of the nonexistent there is no endurance, and of the existent there is no cessation. This seers have concluded by studying the nature of the both.

肉体は真に存在するものではなく、霊魂こそが実在である、といってしまうと単純な霊肉二元論のように響くが、ここは、英訳のように Endurance(存続)しないと訳すのがよいだろう。「あるものはあり、ないものはない」というような単純な同語反復を述べているわけではあるまい。肉体が非有であっても、非有は非有としての存在性をもっているからである。いいかえれば、肉体が仮象であっても、仮象は仮象としての実在性を分有するといって良い。

肉体に生・病・老・死が避けられないということを、誰しもが経験によって知っているある。その意味で、肉体は真実の意味で「有る」とはいえぬものである。しかし、それが真実の意味で「有る」といえないということは、何処から言えるのであろうか。我々は、肉体の可死性をいうときに既に、不生不滅なるものの「有」を知っているのではないか。不生不滅なるものが何であるかはいまだ知らなくとも、それが「有る」ということが言えなければ、肉体がそのようないみでは「有らぬものである」ということを認識できないのではないか。さすれば、肉体の生・病・老・死をあるがままに認識するものは、すでに不生不滅なる何ものかの「有」を認識しているのである。

かかる不生不滅なるものとは、一体何であるのか? ギーターの詩人は、次の節でそれについて以下のように語る。

2-17 願わくは、この一切にあまねく充満彌綸せるもの、そを滅ぶこと無しと知り給わんことを。 この不易なるものの滅びを、何人も為すあたわざれば。
avinAsti tu tad viddhi yena sarvam idaM tatam vinASam avyayasyAsya na kaScit kartum arhati

「一切」の言語はsarvam であるが、これを全世界ととる場合と、この身体ととる場合とで翻訳が二つに分かれる。日本語訳は鎧訳も上村訳も「全世界」ととっているが、英訳では「この身体の全体」ととっている。全世界という意味でとるならばブラフマン(梵)の意味であり、この身体にあまねく充満しているものととれば「アートマン(自己)」であろう。アートマン即ブラフマンであるから、アートマンは、そこにおいてブラフマンが顕現する場である。

2-18 常住にして不滅、無量無辺なる霊魂の、これなる肉体は、限りあるといわる。されば戦うがよし-バラタの御子よ。

不生不滅なるものを霊魂であると素朴に言ってしまうのも哲学的にはもの足りない。「聖なるものの歌」では、まだ「不生不滅の霊魂」が実体化されて表象されている。これは哲学ではなくて叙事詩のもつ限界と言うべきか。

それはともかくとして、ギータの詩人がここで、アルジュナに「戦え」と言っていることについては納得できぬという意見を、私は、アメリカのある友人から聞いたことがある。つまり、これでは、霊魂不死という宗教的教義が、戦争や殺人を肯定する思想に転化しているというのだ。彼が言うには、戦争の無益さを実感したアルジュナのほうが人間的であり、そのヒューマニズムを捨てて、不生不滅の霊魂という、それ自身、論議の余地のある疑わしい宗教的教義のもとに人殺しを奨励するとは許し難いというのである。

たしかに、霊魂が不死であるという教えは、信仰に属する事柄であって、科学的認識には属さない。だから、他者に対してその帰結としての生き方(宗教的な生)を強要するだけの客観的確実性はない。だから、アルジュナが自らの主体性において、アートマンの不死を信じて行為したとすれば、それは一つの首尾一貫した生き方を示したことになろうが、そう言う生き方を万人に強制されたのではたまったものでは無かろう。

「戦え」という勧告は、私にとっては必然性を持たぬものだ。私ならば、一切戦わぬ、という生き方をむしろ選ぶ。しかしながら、世俗から自由となる超越論的な立場に立ちつつも、この世に於ける責務を引き受け、自分自身の持ち場を離れずに、果敢に行為するという生き方は私は正しいと考える。

また、無我を説く仏教と、梵我一如を説くヴェーダンタの哲学の違いも此処に関係するのではないか。仏教では「不殺生」こそが第一の戒律である。梵我一如を素朴に不生不滅の霊魂に結びつけるのではなく、無我説によってそういう自我の実体化を絶対否定したのが仏教である。したがって戦場に於ける名誉などというものはかなぐり捨てて、さっさと戦場から立ち去り、みずからいかなる汚名を着せられようとも頓着しないという態度を薦めることのほうが、戦場で名誉ある戦士として行為せよというよりも遙かに仏教徒らしいと思う。もっとも戦前の禅の老師達の中には、武士道に心酔するものも多く、学徒動員された弟子に対して、立派にお国のために死んでこいと、檄を飛ばした愛国者も多かったのであったが。
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般若心経をサンスクリット語で聴く

2009-04-09 |  宗教 Religion
[空性の智は悲となりぬ梵の歌]

 般若心経といえば、日本の寺院では宗派を問わず大切にしていて、誰でもどこかで玄奘の漢訳を日本式に音読みしたものを聴いたことがあるはずである。これは中国でもチベットでも重要視された大乗仏教の初期のテキストであり、原文はサンスクリット語。龍樹の時代にこのテキストがどのように読まれたのかは、おおいに興味があった。「経」はやはり「論」とはちがって読誦するものであろうから。
 しかし、過日、このサンスクリット語の般若心経の歌を聴くことが出来た。寺院での読誦ではなく、現代人の作曲による歌曲であったが、それでも、サンスクリット語の歌詞は伝承されたテキストにほぼ従っており、なかなか印象的であった。もっとも、最初の内は、それが女性のボーカルであったことに驚いたのであったが、もともと般若=プラジュニャーの「心」は、密教では人格化されて女性神として表象されるケースもあったから、或る意味では、女性のほう歌い手としては向いているのかも知れない。とくに最後のマントラの部分の歌唱は秀逸であると思った。この経の語手(歌手)は、このマントラの部分に関する限りは、玄奘訳の「観自在菩薩」であるよりも、羅汁訳の「観世音菩薩」のほうが相応しいような気もした。何故かと云えば、菩薩行というのは、他者を慈悲によって救済する「女性的」な働きであり、それは厳しい求道者であり、旧仏教の絶対否定を行った「観自在菩薩」の智慧の「男性的」働きと相補的な関係にあるものだからだ。 

 智慧と慈悲という大乗仏教の根幹が般若心経に含まれているわけだが、結果にとらわれぬ純一なる慈悲と実践行を導き出すものが、空の智慧である。それにしても、この経典の前半部分の絶対否定のラジカルなところは他に類を見ない。中村元訳によると

「シャーリプトラよ、この世において、全ての存在するものには実体が無いという特性がある。生じたということも無く、滅したということも無く、汚れたものでも無く、汚れを離れたものでも無く、減るということも、増すということも無い。それゆえに、シャーリプトラよ、実体が無いという立場においては、物質的現象も無く、感覚も無く、表象も無く、意志も無く、知識も無い。眼も無く、耳も無く、鼻も無く、舌も無く、身体も無く、心も無く、形も無く、声も無く、香も無く、味も無く、触れられる対象も無く、心の対象も無い。眼の領域から意識の領域に到るまで悉く無いのである。(覚りも無ければ)迷いも無く、(覚りの無くなることも無ければ)迷いが無くなることもない。こうして、ついに、老いも死も無く、老いと死がなくなることも無いということに到るのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道も無い。知ることも無く、得るところも無い。」

 これは、龍樹の「中論」と同じく、存在論となった既成仏教(説一切有部)のイデオロギーに対する絶対否定である。西欧哲学が、Onto-theology (存在-神学)の批判ないし脱構築をはじめたのは20世紀以降であるが、大乗仏教は、いうなれば Onto-buddology の批判を2000年前に遂行していたのである。

上の引用文の最後の所は、そこだけを取り出せば、苦集滅道という初期仏教の教えを破壊する者とも捉えられよう。実際に、空や無を唱える仏教徒は、当時の正統派からは、ニヒリストとして批判されたことが、龍樹の書いた論書のそこここに伺われるのである。

 説一切有部の教えは、倶舎論などを読む限り、小乗などと侮ることの出来ない緻密な体系化の試みである。おおよそ言語を以て何事かを説明するためには、なんらかの形で「存在を保つ者」すなわちダルマを立てることが必要である。言語はそのようなダルマを名指すことによって理解しうるものとなるーこれがおそらくは説一切有部の論者が暗黙のうちに前提していた考え方であろう。説くことのできる一切は、「有」としての法=ダルマなのである。

こう考えるならば、説一切有部のダルマ理解が、「三世実有法体恒有(三世(過去・未来・現在)を通じて実在する法の本質は永遠である)」と要約されるのも頷ける。とくに「法体」というところはプラトンのいう永遠的なる存在である「イデア」の考えと通じるところがあるということは多くの西欧の仏教学者によって既に指摘されている。そうすれば、龍樹の批判は、イデア説の批判とも重なる論点を持つであろう。

 もっとも、プラトンのイデアに該当するものは、厳密に言えば、有部の「無為法」であろうし、これに対して、同じく「法」と呼ばれていても、諸行無常によって特徴づけられる「有為法」は、英国経験論で云う諸々の観念(ideas)、すなわち感覚器官によって与えられる原子的なセンスデータおよび反省の観念に対応するだろう。このほかに、実践的な善悪によって価値づけられた「善法」と「不善法」、煩悩にまとわれた「有漏法」と煩悩からの解脱とそのために資する「無漏法」という仏教独自の価値論的な「法」もあるが、とにかく一切の「法」の本質なるものがあり、その本質は永遠であるというところがプラトン的なのである。

 そうしてみると、このようなプラトニズム批判を「空」の場において、実践的かつ直観的に遂行したものが般若心経に要約される初期大乗の立場であり、それをいうなれば絶対否定の「論理の道」によって示したものが「中論」であるということができるだろう。

 中村元によれば、色と空の関係は、玄奘訳では二段に説かれているが、サンスクリット・テキストでは三段に分けて説かれているとのこと。中インド、マガタ国の沙門、法月(Dharma-candra)訳では、「色性是空空性是色。色不異空空不異色。色即是空空即是色。」とあり、唐の沙門智慧輪訳では「色空空性是色。色不異空空不異色。是色即空是空即色」とあるとのことであった。ここは三段に説く方が内容的に興味深い。そのほうが、龍樹「中論」の漢訳「縁起即空、即仮、即中」に依拠した天台智の空・仮・中の三諦説とも繋がりが出てくる。つまり、第一段は「法空」、第二段は「法仮」そして第三段こそが「法中」という「中論」の積極的主張ー帰謬法によって示された破邪即顕正の中道-なのである。この「法中」の立場こそ、法蔵の『心経略疏』にある「色即是空と見て、大智を成じて生死に住せず、空即是色と見て、大悲を成じて涅槃に住せず。」という考えに通ずるものであろう。

 また「行深般若波羅蜜多時」=「智慧の完成を実践していたときに」はサンスクリット語からの直訳では「智慧の完成において行を行じつつあったそのときに」という意味になることも興味をそそられた。道元禅師の「仏法には修證これ一等なり。いまも證上の修なるゆゑに,初心の辧道すなはち本證の全體なり〔正法眼蔵(辧道話)〕を想起したのは私だけであろうか。
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古典時代の中国とギリシャ

2008-07-09 |  宗教 Religion
中国の古典時代の哲学思想のレベルに匹敵するものをヨーロッパに求めるならば、やはり、プラトン・アリストテレスの活躍した古典ギリシャ時代であろう。西洋の學者の中には孔子の時代に整備された音楽の美学におどろき、そこにピタゴラスの影響を牽強付会するものもいたらしい。これなどはオリジナルなものは皆西洋に起源を持つという一時代前の西洋人の偏見のなせる業ともおもうが、ここで古代ギリシャと中国の倫理思想ならびに音楽思想に共通するものが何であり、違いが何であったかを調べるのも面白いだろう。

 まず、アリストテレスは、「教養がない」人間のことを「非音楽的(アミュジコン)」であるといっている。要するに自己自身と他者との間に調和を保つことの出来ぬ人という意味であるが、これは孔子のもっていた教養の理想と一致する。孔子にとっては音楽こそが教養を完成するものであった。中国で、音楽を知らぬ民とは野蛮人の國という意味であった。

 アリストテレスのニコマコス倫理学の徳論の中心的な概念は「中庸(メソテース)」であり、それは内容において中国の「中庸」と驚くほどよく似ている。西洋の倫理の伝統的な徳目は、いわゆる四つの枢要徳すなわち思慮・正義・勇気・節制であり、三つの対神徳すなわち信仰・希望・愛であるが、このうち枢要徳はギリシャ起源であり、対神徳はキリスト教、それもパウロ書簡に由来するものである。

 キリスト教の影響を受けなかった中国では、これらの七つの徳目に対応するものとして、仁・義・礼・智・信の五常がある。仁は対神徳の愛に、義は正義(ディカイオシュネー)に、智は思慮(ソープロシュネー)に、ほぼ対応することを考えると、西洋になくて中国に固有の徳目は「礼」であると思われるかも知れない。たしかに後に儒教の中で発達した世俗的な礼の細目のようなものは中国独自のものであろうが、もし「礼」を「典礼」の意味にとるならば、それは西洋のカトリック教会の伝統の中で連綿と受け継がれてきた教会典礼に鮮やかに対応する。そして教会典礼こそは西洋の音楽の一大源泉であったこと、ヨーロッパの大作曲家がかならずミサ曲やレクイエムなどの典礼音楽を作曲していることを思えば、江文也が孔廟大成樂章のオーケストレーションに生命を賭けたことも首肯しうる。

 ギリシャと中国の倫理思想といえば、その違いは、ギリシャでは民主制が他の諸文明には見られぬほど高度に発達していたことに由来する。墨家はどこかギリシャのスパルタに似ていたが、アテネの民主制に該当する政治制度は中国にはなかった。もちろん民主制は衆愚政治ないし金権政治に堕落することがすでにプラトンによって厳しく指摘されては居たが、自主独立の精神と自由なる言論を尊重する気風は、ギリシャ文明の中心にあったアテナイにみなぎっていたと言える。

 また、音楽理論に関して言えば、ギリシャはピタゴラス派いらい數學との結びつきが緊密であった。そこから、一般教養として數學を学ぶことが重んじられ、また修辞学だけではなくものごとに真偽を判定すべき論理学も発達した。中国にも高度に発達した天文学や幾何学はあったが、それらは理論的なものではなかったし、一般教養に不可欠な科目として重んじられたわけではないようだ。すくなくも「幾何学を学ばざるものは入門を許可せず」とミューズの女神の學堂に書かせたプラトンのような數學重視の思想は孔子にはない。

 明治時代に儒学の教養を批判した福沢諭吉は、洋學にあって漢学にないものとして「自主独立の精神」と「数理の學」のふたつをあげたが、これは、正鵠を得たものといえよう。自主独立の精神は民主主義をしらぬ政体では育ちようがないし、「数理の學」こそがヨーロッパの近代科学を生み出した源泉の一つなのであったから。
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「中」の教え-中庸章句を読む

2008-07-07 |  宗教 Religion
 江文也の「上代支那正樂考」は正しくは、「上代中国正樂考」と呼ばれるべきものであった。是はその内容から言うのであって、江氏自身も、「支那」とは地理的名称としての便宜のためと言っている。当時の日本人が一般に使っていた「支那」を彼もまた使ったわけであったが、これが妥協であったことは言うまでもない。

 江氏の本を再読して、私は地理的名称としての「中国」ではなく、文明の名称としての「中国」ということを考えるようになった。「中國」の道徳の根本は、「中」でなければならず、朱子学で言う「中」の美徳こそが中華文明の根本に無ければならぬと思うようになったのである。敢えて言うならば、今の日本人はもちろんのこと、現在の中国人もまた、「中國文明」の核心にある「中」の美徳を忘却してしまったのではないかと思うことが屡々ある。朱子の「中庸章句」から、「中」の教えが如何なるものであったかを学ぼう。

 天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。

 tian1 min2 zhi1 we4i xing4, shua4i xin4 zhi1 we4i da4o, xiu1 da4o zhi1 we4i jia1o.

天の命ずるをこれ性と謂い、性に率(したが)うをこれ道と謂い、道を修むるをこれ教えと謂う。

 朱子学の魅力の一つは、それが総合思想、普遍思想であるということである。いうなれば中華文明のカトリシズムである。朱子が中国のアリストテレスと呼ばれる所以である。しかし、中国にはアリストテレスをキリスト教化したトマス・アクイナスの如き人物はいない。彼は世俗の政治倫理を説いたのみであるし、トマスの如き超自然の啓示にもとづく恩寵概念はない。しかし、朱子は、古代ギリシャに淵源する西洋哲学に比肩すべき独自の自然哲学、倫理学を体系化したのみならず、アリストテレスと同じく、特定の宗教的ドグマに拘束されはしないが、人間の道の中に、「天の道」すなわち超越的なるものへの開けをもつ思想家である。

 「性」xing4 とは、万物の本性であり、それは天の命ずるところであるという。「天」は、それ自身はキリスト教の神の如き人格神ではないが、人格を可能ならしめる超越者であり、人の本性を理解することは、それが天命であること知ることである。言い換えるならば、人間の本性のなかには、超越的なるものへの開けがある。そのような人間の本性に従うことが道であり、道を修めること、すなわち修道が「教」だという。

朱子学が儒教・道教・仏教の三つの教えを儒教の側から統合したものであるとはよく言われるが、この哲学的宗教の射程は長い。そこには自然環境の破壊、競争原理と市場経済における私益追求による社会環境の破壊に直面している現代文明が学ばなければならぬ叡智がある。

 現代文明は宗教を忘れた文明であり、宗教的基盤なき道徳は單なる形式的な建前にすぎず、力無きものである。道徳の基礎には宗教がなければならぬが、そのような宗教の本質を、哲学的に「天命」「性」「道」「教」の四つの概念によって簡潔に示した文によって中庸章句は始まる。きわめて理に適った普遍思想であり、久遠の哲学philosophia perennis et universalis と謂うべきではなかろうか。 
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世俗の中の福音ー松本馨さんの「小さき声」20号と、療友のための実践活動

2008-03-26 |  宗教 Religion
松本馨さんの「小さき声」第20号(1964年4月)と、多磨誌に寄稿された最後の一人のために(1968年11月)を復刻した。

「小さき声」第20号から、関根正雄先生との交流が詳しく書かれている。とくに、松本さんが、自己の無信仰の徹底的自覺から、二回目の回心を体験された経緯が語られる。

松本さんが聴いた関根正雄の講義では、「神の義が講じられイエスの十字架がさし示めされ信仰がもとめられるかわりに、信仰がとりさられることが求められた」。その講義には多くの人が躓いたが、松本さんにとっては、それこそが救いをもたらすものであったという逆説的な、しかし厳然たる事実が語られている。

先生は次のようなことを言われました。「様々な試みをへて、最後に残るのは信仰であるが、それをもっている限りはだめである。それを取り去られて十字架のイエスの足もとに身を投げ出すときが来る。否、そうせねばならない。自己自身に絶望して彼に死ぬことである。このことがなされて、はじめて魂に十字架を刻印されるのである」と。

先生の口より出ずる十字架の言は、火よりも熱く私の魂に焼きつけられ、きざみつけられました。そして、このとき私の目からウロコが落ちたのです。私は一瞬にしてすべてを理解しました。死のベッドの妻に、なぜ罪を告白することができなかったか、霊安所の妻の遺体に、なぜ罪を告白することができなかったのか、このことがなされなかったために、私の目に神は隠れ、私は失明し、地獄の苦しみをうけたのですが、それは罪に沈んでいる私の上に、神の義があらわれるためでした。神は私のために、あらかじめ時をそなえておいて下さったのです。時とは何か、時いたって、魂に十字架を刻印されることであります。


関根正雄のいう「無信仰」の徹底的な自覺ということ、自己が信仰であると思っていたものを捨て去ったときに、始めてキリストの信仰が与えられ、「魂に十字架を刻印された」ということ-それが、松本さん自身の如実なる体験として語られている。

「小さき声」の20号以降の部分は、このように松本さんのキリスト教信仰の原点を伺わせるものである。そして、この原点が定位された後、松本さんは、自己の問題だけでなく、療友のための活動に邁進するようになる。強制隔離に対する補償要求、生活と医療の改善を求め、自治会活動に精魂を傾ける。それは、松本さんにとって、世俗に於ける福音の実践であったのだろう。彼は、既成のキリスト教の枠組みを超えて、共産党系の活動家を含む全患協のメンバー達と連帯して、独自の視点から自治会の再建を呼びかける。

評論「最後の一人のために」は、いまから、37年前に書かれたもので、当時の全患協の運動に呼応して、再建されるべき自治会の活動の基本について述べたものである。

冒頭に明記されているように、松本さんは

一、強制隔離政策による損失補償。
二、身体障害者-老令者をも含む-に、拠出年金に替る特別措置を考慮してもらうことと日用品費の増額。
三、作業賃の増額。
四、居住様式の改善。
五、治療棟と病棟の改築

という全患協多磨支部の主張を引用・支援しつつ、独自の論陣を張っている。
とくに注目すべきは、1の強制隔離政策による損失補償の項目。松本さんは、損失補償に消極的な意見を

「強制隔離収容によって、私も家族も損失を受けたおぼえは無い、かえって助かったのだ。もし、隔離収容所が無かったならば、家族は私の一生の面倒を見なければならず、それによって受ける家族の犠牲は、金銭で量ることはできない。もし又、私の病気が世間に知れれば私は家を出て、生命の尽きるまで、あてもなく地をさ迷わなければならなかったであろう。強制隔離は、私にとって救いだったのである。」

のように、要約し、それにたいして次のように反論する。

もし隔離収容所がなかったらと云う前提のもとに、強制隔離を肯定することは、強制隔離の是非とは無関係である。現実の悲惨を、それよりも更に重い悲惨を過去に想像して、美化することもありうるからである。私が問題にしているのは、半世紀の歴史を持つ隔離収容所で、何が行なわれ何が起つたかと云うことである。

そして、次に、米国のキング牧師の例を挙げ、

黒人指導者キングは兇弾に斃れて既にこの世には居ないが、黒人の抗議デモは今後も継続されるであろう。それの止む時は死か、白人と平等の自由を獲得した時である。キングは私達にもまた、如何にして人間を回復するか、国民と平等の自由を確保するか、を教えている。それは諸要求に対する運動を通してのみ受取らされるのである。損失補償要求が出来るか出来ないかは、その人が人間性を回復しているか、回復していないか位、私にとっては重要なことに思われる。

と云っている。また、戦前から引き続いて行われていた軽症患者による重症患者の介護という制度を、患者自身の「相愛互助」の精神によるものと美化してきた考え方が、如何に実情とかけ離れたものであったか、その背後に患者が労働しなければ生活できない現実があり、患者の労働に頼らなければ運営できなかった療養所の実態があったことを指摘している。

松本さんは、また、医療センターという独自の構想についても言及し、

一万人の内の二十分の一、三十分の一、或いは最後の一人のために医療センターは設立しておかねばならない。生活の諸要求の声に消されてしまっている病棟の奥深くに、医療センターの設立を望む人達が居るのである。死と斗っている人達である。この人達のためにも、医療センターは設立させなければならないし、その責任が療養所に関係する総ての人にある。その声は弱く細く、小さければ小さいほど、関係者は謙虚に耳を傾けなければならない。私達もまた謙虚に病友の細き声に聞かなければならない。人の生命は世界よりも重い、それはキリストの教えなのである。

と結んでいる。「小さき声」とは、御自身の伝道文書のタイトルであるだけでなく、病苦に悩む療友の「細き声」に聴こうという松本さんの願いでもあったようだ。
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いのちの歌

2008-03-21 |  宗教 Religion
松本馨は、ルカ伝の「放蕩息子の譬」の核心が「永遠の生命」の問題であると述べていた。
永遠の生命をぬきにしては政治活動も平和運動も無意味であります。私は小学校五年生のとき、二階で首を縊っている兄を発見しました。そのとき以来、「人生とは何か、何のために自分は生きているのか」という一生のテーマを与えられました。癩の宣告を受けたときより、観念ではなく現実の問題として、一日としてこの問題から離れて生きることが許されませんでした。それほどに私にとっては切実な問題であります。」(「小さき声86号」より)
「永遠」という言葉を我々はどのように理解すべきであろうか。内村鑑三は、「聖書の研究」93号(明治40年11月10日)の「花巻座談」のなかで、聖書で云う永遠の生命とは、果たして「永い生命であるか?」という根本的な問を出している。もし、「永遠の生命」が、死することなくして無限に永く生きるということ意味であるならば、そのような「永生」を説く教えは、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と云った中国の道徳家にも劣るであろう、と明言して、次のように云っている。
私一個人の経験に於きましても、私が神より新たの真理に接したときに、此真理に接したれば今此時に死んでしまってもよいと思ふた事があります。神の真理に一分時間接すれば人生の苦痛はすべて償はれるのであります、真理とはかくも貴いものであります。必ずしも生命の永きを要求しません。(内村鑑三全集15巻、259頁、旅人さんの「晴読雨読」にもこの文書の復刻版があります。)
つまり、永生などは、決してキリスト教本来の教えではない。量的に「永い生命」ではなく、「一分時間(瞬間)」の内にも体験される「いのち」の根源こそが、聖書のいう「永遠のいのち」である。「永生」を願うことの中には、死すべき定めにある人間的現実の拒否がある。そういう「永生」ではなく、生死の現実の根源にあって、ひとを真に活かしている「いのち」に目覚めることこそ、内村が理解している永遠の生命であるようだ。

私も、内村と同じく、無限に永い生命を望むと云うことのうちには、神々の如くなろうとする不死への願望が潜む点に於いて、非キリスト教的なものがあると思う。

アッシジの聖フランシスの「平和の祈り」には、
我等は、与えるが故に受け、ゆるすが故にゆるされ、おのが身を捨てて死するが故に、永遠の生命を得る
という言葉がある。これは、カトリック教会、とくにフランシスコ会の教会ではミサの後でよく唱える祈りであるが、「死するが故に永遠の生命を得る」とは、ヨハネ伝の「一粒の麥」の譬えとおなじく、新約聖書の核心にあるメッセージである。それは、無限に永く生きようとする人間的な願望を否定している点で、むしろ、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉と共鳴している。
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