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郷愁病

2005年04月10日 05時34分45秒 | 不登校
近日、大変強い郷愁を味わった。それは、半分は苦行、半分はなつかしさの塊だった。

 とあるメ-ルの差出人は、十台半ばのわたしがやろうとしてやれなかったことをしていた。それも、フリ-スク-ルとかコミュニティではなく、通常の学校や大学を通ってそれを果たしていた。あるいはこれより果たそうとしていた。
 もちろん、「ああ、やっぱりこの人は学校系だなあ」と思わされるところもある。強引に分類をすると、彼は反学校、わたしは脱学校といったところか。
 ただし、私の場合は学校よりも家と地域の封じ込めによる絶望が大きかった。彼は違っているようだった。
 なぜかその人は、天皇陛下の名前のつく組織の勤め人だった。かたやわたしの側は、失業者だった。
 彼の学校を基盤とした言葉遣いには、ついてゆけなかった。言葉のニュアンスや背景がすれ違い、対話が困難かつ不可能であることを認識することもたびたびだった。これはたぶん、同じ日本語を用いていると考えてはならないのだ。

 以上の明らかな断絶があるにもかかわらず、彼からのメ-ルは、たまらなく懐かしくて、わたしの脳と神経と胃腸をゆさぶるようだった。これまでの人生での、生き残るためにやむをえずやってきた妥協や打算や諦念が、すべて間違っているようにも感じる。とりわけ、3歳のころと、十台半ばのころの素朴な願望と圧倒的な苦痛を彼のメ-ルは示していた。
 まるで近所の公立図書館に閉じ込められるようにして本を読むほかなかったころの記憶を刺激する人名が、彼のメ-ルの中には散らばっていた。ふだんはタテマエの裏に隠したホンネを見透かされているようで驚きだった。そのホンネは、自分自身忘れかけていた記憶だった。全身が痙攣を起こすような振動感覚に見舞われ、いつもの落ち着きは失われた。

 メ-ルを読んだあと、不意に涙が流れ落ちる。家では泣いてないて、泣きつかれて眠り込んでしまう。昔がなつかしくてどうしようもない。戻りたいけれど、あのころには戻れない。そう知っているからなお辛さが増す。ロクに食事も睡眠も取らず、昔行った博物館に出かけ、昔読んだ本を図書館で古本屋で捜し求める。今の生活がすべて取るに足らなく思えてくる。すべてを捨て去って、もう一度人生をやりなおしてみようか。そう、家も故郷も友人も恋人もみんな整理して、2、3歳か14、5、6歳のころに戻ってすべてをやり直さねばならないような、それがひょっとしたら可能なような感触に満たされてしまう。
 しかし、実際には不可能だ。それがたまらなく嫌で、一日中体がフリ-ズしたまま動けなかったりする。痛みはない。ただ凍っているのだ。動くことはおっくうなだけではなく、自分自身への裏切りのように感じられる。
 そう、もう一度、たった一週間とか10日程度で帰されてしまったフリ-スク-ルかコミュニティに行ったような、いや、帰ってきたような錯覚に満たされているのだった。まるで十年来の親友が、いつの間にか自分のために建てた家に招かれたようなうれしさ。甘美で陶酔させられる懐かしい感情。そして、次の瞬間、時間と空間によってかき消されるみずみずしい感覚と残酷な今の現実。ふたつの世界を短時間で行き来している。これでは、神経がおかしくなってしまう。

 そういえば以前、中井久雄が「治療文化論」で、中世では恋愛病と郷愁病とは精神病とされていた、しかし近代では病気ではないと述べていたっけ。かなり古い話だけに中世・近代という時代区分を真に受けないほうがよい。ということは、現代、わたしは郷愁病にかかったのだ。
 その人からのメ-ルの用件も忘れて、わたしは郷愁しすぎて理性を忘れていた。過去をなつかしがりすぎて、幾人もの友人と絶交した。ただ、過去が大事だったから。彼氏も捨てることにした。それよりも過去へのノスタルジアが勝っていたから。
 ノスタルジ-がすべてを支配する。自分の帰るべき故郷は、多分ここにある。今かかえている別種のボランティアも集中して打ち込めなくなった。十代半ばころにやりたくてもやれなかった種種の課題を一挙にこなしたくなる。現実には無理な相談なのに。たとえ飢え死にしてでもやらねばならない気がする。

 そんな状態のときに、恐怖によってある事故を起こした。
 かつて一度は興味とあこがれを抱きながら、結局は断念したある事柄を彼はやろうとしていた。
 わたしにはそれは手に入らないものであり、まぶしすぎた。その概念の実行へのマイナス情報をわたしは思い浮かべた。今の目の前の現実と強烈な懐かしさ。郷愁とふだんの時間・感情とのあいだに引き裂かれたわたしは壊れる寸前だった。
 まともに説明にもならないいいわけをメ-ルに書いておくり、すっかり悪印象を持たれたのだろう、それっきりメ-ルはやってこない。メ-ルが舞い込まなくなってはじめて、郷愁が薄らぎ、少し落ち着いた。
 それでもまだ、帰りたい、あの原初の楽園のような時と場所に戻りたいという強い郷愁が、感情をゆさぶり、ゆっくりとしたスピ-ドで自らを破壊しているのが分かる。

 おそらく、この病気は治さないほうが自分のためなのだろう。自分が途中でいいかげんにしてきた、あるいは泣く泣く捨ててきたテ-マがそこにあるからだ。郷愁に耐えられない今現在の自己ならなくなってもよいのだと思う。いや、なくなることこそふさざしい。
 郷愁は、私の中の毒を抜いてゆく。郷愁は、わたしの正義の感覚を呼び起こす。郷愁は、わたしが汝自身を知ることを助けてくれる。
 そう、この最も大事なテ-マ、自分自身を知るということをいとわしい学校文化は厳しくとがめる。内申書が典型だが、ずっと他人にどう思われるかという他人への従属をあおってばかりだ。自分を知ろうとすれば、世間知らず、自己中心すぎる、自意識過剰とレッテルを貼り、非難を浴びせる。えんえんと他人や社会について語ることを求める。もちろん世界や自然や宇宙を語ることも「キチガイ」めいた行為としてとがめられる。
 それらの環境の中でバランスを失い、損なわれた自分自身の、あのときに選べたかもしれないもうひとつの古里を、無意識の欲求を、そのメ-ルは思い出させるのだった。このまましばらく自分の中で、おぞましい郷愁に暴れていてもらいたい。
 そうすれば、さらに困るウイルスだか細菌だか寄生虫がわたしを宿主にすることはないはずだ。そして、わたしが自由の精神をすっかり忘れないようにわたしを刺激し、助けてくれるはずだから。
 だから、しばらくの間、この郷愁病と共存することにしよう。この病気がわたしを他の災いから守ってくれるかぎり、相利共生が成り立つ。はじめは驚いたけれど、もう拒絶はしない。郷愁よ、ようこそ。
 いや、わたしのなかで眠っていた郷愁が活性化するタイミングとその人からのメ-ルのタイミングがたまたま重なっただけだったのだろうか? それは原因でもなければきっかけでもなかったのではないだろうか?

 とにかく、この郷愁病によって、自分自身が取り戻せる可能性に賭けるしかない。