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学校のない社会 大学のない世界

学校のない社会、大学のない世界に興味・関心のある方、ともに集いましょう。大学教員によるトラックバック等はご遠慮ください。

古賀議員、学歴詐称で辞職

2004年09月26日 11時36分43秒 | weblog
古賀議員が辞職するそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040924it04.htm

 いい学歴がなければ就職も結婚もできない。本当にそうかどうかは分からない。けれど、もしそれが神話でなく現実だったら……。いざというときの保険として人は学歴を求める。
「大学出てないのは服着てないも同じ」「博士号をとらないのは知的に半人前」それが「世間の常識」というものだ。

 そこで、実際以上によい学歴を示そうとすると、古賀さんのようなことになる。
 学歴詐称はいけないことか否か。
 ともかくウソをついているのだから、ルール違反なのは確かだ。実際、「不正確→不誠実」ということでイメージも悪くなる。苦労してアメリカの大学でリスクをとり苦労をして学位をとった方にとってはヒドイ話だ。かたや、学歴がなくて恥ずかしくても苦労しても生きている人には「自分ってバカ正直だったの?」ということになる。なので、国政をあずかる政治家としては辞任するのが妥当、という判断だったのだろう。

 しかしなぜか釈然としない。政治家が「公約」を守らないことなど恒例行事ではなかったのか?
社民党は消費税廃止を掲げて選挙に圧勝した。その後、消費税を3%から5%に引きあげた。また、自衛隊違憲論から合憲論に切り替えた。その後、また選挙のために自衛隊合憲論を違憲論にすりかえた。なのにまだ解散していない。誰も辞職しない。
 今は、ウソ社会からホントウ社会への転換期なのだろうか? それとも、ただの気まぐれというか、気分だけで決まっているのだろうか? 報道されない派閥や閨閥や世代にからむ争いが、背後にあるのだろうか?

 自分としては、やはりウソはやめてほしい。コロコロと何の脈絡もなく政策を変え、有権者をあざむいた党も、過日の選挙では圧敗(圧倒的敗北)していた。
 また、ウソをつかなくても「正直者がバカをみない」社会ができればいいと思う。過渡期に混乱して犠牲になる人は気の毒だが、今から10年も経てば変わるのではないだろうか?
 
 
 
 

 

アオサギ

2004年09月23日 16時29分19秒 | weblog
近所にいたアオサギ。枯山水に色をつけたような写真になりました。
いつもは近くの川で魚を探しているのですが、時々公園にやってきます。
そこそこ人に慣れているのか、携帯カメラで写真をとれる距離に近づいても逃げません。

(9月24日文章を書き足し、カテゴリーを修正しました。)


飛田さんへのレスポンス

2004年09月02日 22時50分22秒 | weblog
 飛田さん。お返事ありがとうございます。親HPのほう、改めて参照させてもらいます。

 自分は、「フリ-スク-ルの他に学びはない」という立場ではありません。ホ-ムスク-リングももっと普及してほしいと考えています。「旅の学校」も仕事や日常生活からの学びも大切です。
 ただ単に、子どもの選択と実存を否定することに批判的立場をとっているのです。自分の場合はもう少しいろんなフリ-スク-ルをまわりたい、または長く滞在したかったのです。なのに役人としての親の許認可制度によってつぶされた。そのことを問題にしているわけです。

 アンファニズムの話は、「統計調査もなく仮説だけでこんな話をしていいのかな?」「多様性を無視していないかな?」といった疑問を持っています(照)。でもとりあえずこういうプロセスなりスタイルも必要かな、一度は(一部では)子どもを子どもだというだけで過小評価するな、とキツく訴えることも大事だろうなと考えています。
 それで、「古い」と批判が来ることは承知のうえで書いたんです。まだまだ「子どもの権利は日本の伝統」といえる状態ではありませんので。(もし「子どもの中の多様性無視」という批判があれば、具体的に書いてほしいです。)

 それから、飛田さんの言う新しい学び論は、パウロ・フレイレの唱えた「銀行貯蓄型教育」と「対話型教育」の対比とどう違うのでしょう? 
 また、知識の暗記詰め込み学習を否定して、別のスタオルの学びを求める議論と実践は、わたしの知る限り80年代からやっています。
 暗記や知識だけが重要なのではない。もっと実験や実習を(仮説実験授業)。あるいは直接の体験や見聞を(フィールドワークとか)。または日常生活とのつながりや具体的な説明を。思考や表現の豊かさを。礼儀や社交性を。または感性や感情を重視して。もっと具体的な処世術やスキルを。知識がどんな意味や関係があるかを調べるために自分たちで討論したほうがいい。大学では遅すぎる。もっと小さいころから、せめて十代半ばの中等教育レベルからでもやったほうがいい云々。
 それらの主張は、わたしの知る限り、80年代から各種の教育学や教育ジャーナリズムと財界からの要請として、左右の違いを超えて主張されています。
 また、1920年代のニール、シュタイナー、モンテッソーリなどの自由教育が花開いた時期にも唱えられました。実際に羊の毛を刈る授業などは公教育の総合学習でも行われています。また、わたしが公教育を受けていたとき(70年代~80年代)にも、公立学校で、社会科ではTVや新聞を使う、あるいは複数の資料をもとに調べるといったことはしていました。仮説実験授業も、工場の見学もやっていました。
 それらのことを考えると、飛田さんの言う「新しい学び」論のどこが新しいのかよく分かりません。いったいどういうことなんですか? わたしは「新しい」と称するものには警戒的ですので、その辺の事情をハッキリさせていただきたい。

 独学方法または自由教育法について。自分的には学校と離れる時期が長かったので、興味があります。一般にも学校は儀礼として出席するだけ、実際には塾・予備校・家庭教師、それに地道な自主学習が受験の成否を決めています。また、仕事や趣味の勉学も含めて同じ傾向があります。そのことを鑑みても、多方面から教員養成校の教科教育法は信頼されていません。
学校にやってくる教育実習の学生を見ても、教育学部・教育学科以外の専攻の学生のほうが人間として魅力がある、勉強の教え方がうまい、子どもとのつきあいも上手という話はよく聞きます。80年代から90年代の愛媛ではよく聞きました。また、ネットの掲示板でも同様の情報を愛知や千葉の方が書き込んでいるのを見たことがありました。
 学校の外でも使える教育や学習のメソッドは、広く求められているのです。また、その土台となる哲学や思想も、人々は探しているのです。
 それで、「まなび」について、実務面から意見を書いていらっしゃる飛田さんのブログはとても興味深いです。こちらは大学ということもあり、理論寄りの話が多くなるでしょう。その理論が実務の立場から役に立つかどうか、飛田さんのような方からチェックを受けるのは望むところです。
 
 科学や学問は、実務や日常から距離をおかねばなりません。でなければ卓越性、正当(統)性、自律性を失ってしまいます。スポンサ-に遠慮しすぎて原発批判ができないTV局のようであっては困るのです。
 だからといって、まったく実務や日常とかけ離れて、内輪でだけ通じる談義をしていてもいけない。非論理的・非実証的ではダメです。同時に・対照的に、経験則や直感によるリアリティがゼロ、というのもいただけない。
 実用性と非実用性のはざまのちょうどよい所でバランスをとるためには、実務家の視点に晒されることが必要です。したがって、飛田さんのご異論は、ぱれいしあにとって大切です。
 できれば、これからも異論や批判をよろしくお願いします。このブログに来た方もご批判をお願いします。
 

反パキシル情報

2004年08月08日 01時51分02秒 | weblog
ちょっと古い情報になりますが、パキシルの副作用を確認しましたか?
以前いくつかのMLに投稿したものが掲示板・阿修羅に転載されていました。
家のPCが壊れたときにネットカフェで時間を気にしつつ書いたので論理の構成が荒いのですが、パレーシア大学にふさわしい情報なので、採録します。

製薬会社が抗うつ剤の副作用を隠蔽 -- ネオコン下での医療の害毒 [○○○○氏]
http://www.asyura2.com/0401/health8/msg/547.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 6 月 07 日 08:39:38:dfhdU2/i2Qkk2

製薬会社が、抗うつ剤「パキシル」の副作用を隠していたと
の報道がありました。
 イリイチが「脱病院化社会」で医療業界の隠蔽・検閲体質を
批判し「医療マフィア」が人々の健康を収奪すると警告して、
30年以上が経ちました。
 それでもなお、情報を検閲し、患者の健康とひきかえに利潤
をあげようとする製薬会社。リストラへの不安と、残ったのは
いいとしても、大幅賃下げと労働時間の増加。そこにつけこむ
ように健康を破壊する製薬会社、という構図が透けて見えます

それでも「成長」しなければならない奇妙な社会にわたした
ちは生きています。(おわりなき成長神話にすがりよる斉藤環
というネオコン系精神科医は、「ひきこもりは病気ではないが
治療の必要がある」との迷言を吐いて、失笑を買いました。)
 この壮大な組織的健康破壊をしているのがアングロサクソン
系の多国籍大企業だった、というのも示唆的です。
 (グロ-バリゼ-ションなどやめて、製薬会社はすべて公営
にすればいい! って日本の場合国は省庁益でしか動かず英米
追随だからNPOに作ってもらうのがいいか? いやどこが作っ
ても隠蔽はダメだ。)
 それを告発したのがやはりアングロサクソン系のニュ-ヨ-
ク司法当局だったのも示唆的です。アングロサクソン圏内でな
ら、人権や健康を考慮するのでしょう。これが第三世界に輸出
する薬であれば、告発しなかったのではないでしょうか? 
 それでも、限定つきの守備範囲であっても、医療の害毒への
抵抗は歓迎するところです。それが次なる医療の害毒への抵抗
をいたるところで生むでしょうから。
 イギリスでの新自由主義政策とパラレルに増加し世界に拡が
った抗欝剤。憂鬱のもとを断つのは安定した仕事や生活です。
あるいは「自由のための文化行動(フレイレ)」です。
自分たちの権利と生命のために抵抗してこそ、クスリに頼らず
にすむのでしょう。
 クスリはあくまでも最後の手段です。アングロサクソン系多
国籍企業に屠られてはなりません。いくら失業や連日の残業が
辛くても、安直に抗鬱剤に手を出さないほうがよいでしょう。
 健康を希少なものとみなし、病気をケガレのごとく忌み嫌う
潔癖主義はファシズムと親和性が高い。近年は健康増進法さえ
成立させた健康崇拝をやめ、医療の害毒を減らさねばなりませ
ん。
 それも「医療マフィア」の利権にがんじがらめの専門家では
なく、市民の側から訴えていく必要があるでしょう。

                      千田 容子
報道のリンク先を3つあげておきます。
http://www.guardian.co.uk/medicine/story/0,11381,1230239,00.html
http://www.asahi.com/international/update/0603/005.htmlhttp://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040603i207.htm

http://groups.yahoo.co.jp/group/nomorewar/message/13548



パレーシア大学の共同運営者募集!

2004年08月02日 01時49分00秒 | weblog
 こちらのBlogをご覧のみなさん! 実はパレーシア大学はまだリアル世界にありません!

 わたくしPacheは、関西にオルタナティブ大学をつくる使命を実行にうつすつもりです。けれど、ひとりの力ではオルタナティブ大学は作れません。知恵やお金や労働力を提供してくださる方がどうしても必要です。
 「わたしは会計」とか「チラシに携帯番号載せてもいいです」とかおっしゃる方、どうぞご参加ください。
 今のところ交通費ひとつ出せませんが、いずれ多少の黒字が出るころから、せめて交通費と弁当代くらいは出せるようにしようと思っています。週に5日程度入ってくれる専従スタッフには、給料や保証もつけられるようにしたい……。

 心あるみなさん、今の大学に飽き足りないみなさん、お願いです。どうか、パレーシア大学がこの世に産まれるために、あなたの力を貸してください。どんなささいなことでも構いません。
 ときどき事務所にお福わけするのもよいでしょう。「こんなことではいけない!」と厳しく批判してくださるのでも結構です。
 妊娠中で生活困難なPacheを助けるつもりで、よろしくお願いします。
 この子が産まれ、育てば、関西の宝・国の宝・地球の宝になるでしょう。産まれなければ、新しい伝統は、まだ胎児のまま捨てられてしまいます。
 堂々と批判的にものを言える大胆な人間は、今の関西・日本ではなかなか育ちません。むしろつぶされてしまう。そういうタイプの人をつぶさないのがパレーシア大学です。人に同情して、どこかに導こうとしない教える側の謙虚さがあるのがパレーシア大学です。
 パレーシアが生まれ育つのを助けてやってください。
 
 連絡先メールアドレスは
egrettagarzetta@goo.mail.co.jp
 
 どうかよろしくお願いします。
 

 
 

河合隼雄情報ーー河合の定理

2004年07月31日 01時04分36秒 | weblog
http://www.longtail.co.jp/yoshida/yougo.html
河合の定理 1988年8月4日、吉田西寮IV棟撤去を前に吉田寮生との話し合いに際して河合隼雄学生部長によって示された、「小さい廃棄物の処理は話し合って決めるが大きい廃棄物(吉田西寮IV棟のこと)の処理は話し合わなくてもよい。これは「河合の定理」と言ってもよい。」との考え。



オルタナティブ大学の構想

2004年07月23日 11時01分37秒 | weblog
名前:パレーシア大学
   パレーシアとは;古代ギリシャ語で「率直に真実を語るこ   と」。特に自分と同等かそれ以上の身分の人の前で、嫌   われたり叩かれたりするリスクを犯しながら、自らが真実   と信じるところを語るもの。とりわけ、権力者の前で真実   を語ること。

重点研究分野:自然修復学
       狩猟・採集学
       平和学
       不登校学
       ひきこもり学
       フリーター学
その他各人のリクエストによって設置。

方針

これまでの日本の大学について
   
 従来の日本の大学は、閉鎖的・家父長的・官僚的といった批判を受けてきた。それでは、批判に対してどれほどの改善が行われただろうか?
 アドバルーンのように女性や在日の東大教授が生まれるだけでは、本当にオープンかどうか疑わしい。
 帰国子女や留学生の数が増えるのは結構だが、中のカルチャーは、いかにも日本人中心ではないだろうか?
   
中世の伝統の復活ーー学生は先生をリストラできます   
 そこで当パレーシア大学では、学生が教員を選ぶことができる。
 といっても授業の選択権のみならず、教員を雇う・雇わないの段階から、学生たちによる会議で決めるのだ。
 そうすればアカハラやセクハラといった問題も起こりにくいだろう。先生は学生に選んでもらった恩があるのだし、いつでも緊急会議によって学生からクビにされるリスクもあるからだ。
    
民主的な大学   
 
 夏休みの期間や誰を講師に呼ぶかまで、すべて学生中心の  会議で決定する。パレーシア大学は民主大学、自治大学だと
イメージするとわかりやすい。
 ファシズムにならないか、との懸念もあるだろう。あるいは自由ではなくわがままになるとの心配もあるかもしれない。
 当パレーシア大学では、自由と放縦(わがまま)の違いについて大学主催のセミナー・討論会を行う予定だ。また、自由主義の古典(ロック、ミル、老子など)を重視し、社会性なきリバータリアニズムと対決してゆく。

国家を認める中間団体をめざして  
 
 とある普通の大学を出た20代おわりの男性は、あるときわ たしにこう言った。
 「国があるから戦争が起こる。だったら国をなくせばいい。村とか町とかで自分たちで自治をすればいい」「失業者や交通事故にあった人への福祉などいらない。そういう人は、失業者どうし、傷病者どうし集まって助け合って暮らせばいい」「オレはアナキストだ」

 この手の国家を否定する共同体主義を、当パレーシア大学は採用しない。国による再配分を否定しては生きていけない人たちを切り捨てる政策とは距離をおく。それはミルも言うようにリベラリズムの本義にもとる。
 この手の、脱学校論者によれば「学校によって頭を破壊された」人間は、自由と放縦の区別を説明できない学校や大学から生まれる。パレーシア大学には、この手の勘違いした自称アナキストは生まれない。自由と放縦の違いを検討しつつ、真に自由でのびやかな空間を提供したい。

自然主義的誤謬の排除 
 
 当パレーシア大学は自然主義でもない。これまで「強者」は
自然によって劣位にある人種・民族・階級・ジェンダーを差別してきた。自然破壊は問題だが、自然そのものを拝むことを目的にはしない。

去勢を許さない 
 
 ライマーやイリイチら脱学校論者たちは、学校が人を去勢することを批判してきた。一方、ネオコン系精神科医斉藤環らは、人はもっと去勢されねばならないと騙っている。パレーシア大学の選択は、前者だ。
 去勢は人をおとなしく従順な子羊にしてしまう。人の生気を奪い、もとの魅力を台無しにしてしまう。時に生命すらうばってしまう。よって、去勢を美化することはできない。
 さらに去勢とは、遺伝的選抜も意味する。
 支配と被支配の構造を再生産するために、県内トップの進学高校には自由を与え極端に去勢させないが、それ以外の学校は抑圧的にしめあげて去勢するということを学校はやってきた。あるいは旧7帝大は自由だが、師範学校や士官学校では、不自由に縛り付けて人を去勢してきた。
 パレーシア大学では、人を去勢しない。とりわけ恵まれない出自の人に対して、「どうせ自分(たち)はダメだから」という「敗北主義(ボーヴォワール)」や、「どのみち自分にはレベルの低いコースがふさわしいのだ」といった「自己選抜(ブルデュー)」をすすめない。絶望・奴隷根性・コロニアル・メンタリティは、パレーシア大学にふさわしくないからだ。もちろん、象徴的な意味でだが、人のペニスを切りおとし、血まみれの子宮を取り出すのは、「普通」の大学とドミナントな精神医学だけで結構だ。
 そのかわりに、希望・自由人の高貴な魂こそパレーシア大学にふさわしい。

パレーシア大学の規則

学長以下、みなが守らねばならない規則です。

0.ミーテイングで規則をつくる。
1.自由を平等の権利とする。
2.他人の自由を侵すな。
3.規則を変えたいと思ったら、ミーティングで過半数の賛同をとること。
4.信仰や信念により、どうしても服従したくないときには市民的不服従の権利もある。

 普通の大学のように、まるで中学・高校とも似た事細かな規則がを作っておきながら、普段は取締りの手をゆるめる、といったことはしません。
 規則をできるかぎり規則どおりに運用してゆきます。みなが覚えることのできるシンプルな規則をめざします。そうすれば、コントロールマニア的な「規制のための規制」や利権のための規制は生まれません。
 パレーシア大学では誰かを排除するいじめ、物理暴力や攻撃は許されません。ただちに警察に通報されます。学校や大学のなかでなら何をしても許されるといったあのクレイジーな放縦はありません。

 

 
 





 

 
 

 


 

 
 

 
  

   
   
   
  
    
    
    




わたしが平和団体をやめた理由2--MLの扱いをめぐって

2004年07月23日 02時10分06秒 | weblog
 7月7日に平和団体のMLから退会してはや2週間が経つ。
 辞めてからというもの、平和団体の活動を通じてストレスだったこと、イヤだったことがひとつひとつ思い起こされて、憂鬱な気分が浮いては沈み、沈んでは浮いてくる。
 
 あの団体の特徴として、リーダーのキャラクターが特異というのがある。周りのサブリーダーはリーダーほど乱暴でも自意識過剰でもないが、基本的な調子が似ている。
 片やフォロアーは、疑問をもたずに受身の傾向もある。(このへんはとても大雑把な記述で、個人差はあるし、タテマエ・ホンネの差もあるはずだ。)
 
 何といっても一番怖いのはリーダーだ。過度に地位や肩書きにこだわり、ルサンチマンのかたまりなのだ。
 言葉を自己流にねじまげて使うので、人のいいたいことが分からない。なのでまともに会話や議論が成り立たない。ほとんど2chの「荒らし」か「叩き」状態だ。
 
 彼はMLの管理人もしている。それで、メールというメディアを使った現代的ないやがらせをしている。もっとも、彼は「悪気はない」「みなの立場を尊重するために調整した」といいはる。それでは、メールによる仲間はずし(以下、「メールはずし」と略)の主観はどうなるのか?

 いつもデモ・ミーティング・実行委員会などに入っている何人かについては、規制はないも同然だ。一般参加者(?)にも許されている集会のお知らせと他のMLの転送・転載のついでに、「個人的」なコメントや思想を述べたり、他の世話人と会話を交わすのも自由である。
 しかし、それ以外のものが何か会話をかわすと、誰が自殺したわけでもないのに、管理人さんはたいへん神経質に騒ぎ立てる。
 次に、「個人的な意見や思想についての会話は、語り合い専用件地板か個人のメールでしてください」と管理人さんから指示が出される。
 MLに入るときに、ルールの説明がないため、初心者ほど不意打ちをくらう。まだ若い人ほどショックを受けるようで、「とても悪いことをしてしまった」と罪悪感、うしろめたさ、それに自己嫌悪でいっぱいになってしまう。
 
 ここで問題なのは、ルールの不透明さやなれあい共同体主義だけではない。プラスメールが介在するのが厄介なのだ。
 MLでは、ニックネームも含む名前とメールアドレスが明示される。そこでは、不特定多数の読者にメールを届け、また衆人環視のもとレス(レスポンス。返事。)を受け取ることができる。

 そこでメーリング・リストから追い出されると、どうなるか。そのとき・その場での自己表現を禁じられるだけで抑圧的だが、
ひとつのコミュニテイから追放をくらったも同然なのだ。

 仮に個人的にメールをやりとりして議論を続けるとしよう。たいがいは、場所を移るとヤル気もなえて参加人数も減り、盛り上がらないものだ。
 しかしそれでも激しく議論がやりとりされたとしよう。有意義なアイデアを生んだり、お互いのささいな誤解がとれて相互理解がすすめばいい。しかし、もし会話や議論が陰湿ないじめ・いやがらせとなったときに歯止めになるものがない。ロクでもない投書をしたものをML参加者が白い目で見ることもなければ、途中で「まあまあそのへんで~」「あなたもそこまで言うことないじゃない……」と誰かが仲裁に入る可能性もなくなってしまう。そうすれば、被害者は孤立のなかでひとり苦しみ泣き寝入りするリスクもある。
 何より、いまどき、リアル世界とネット世界は密接にリンクしている。リアルで話し合った話題はネット世界に受け継がれる。ネット世界であらかじめ話し合った話題をリアル世界の会話や会議でとりあげてより深める。このループが切れるとどうなるか?
 それも、面とむかって言いにくいことでもネットだと気軽にいえてしまう現実もある。タテマエに対するホンネ、世界からはずされればどうなるか?

 それは少なくとも半分の社会的排除である。ネットのほうがホンネが飛び交うとすれば、実質的には7、8割の排除になるだろう。つまり、現代的な村八分が達成される。

 もちろん、ML管理者サイドに「いやがらせをあおってやろう」という意図はないだろう。日常的な会社や役所で使われる規則をMLでも適応しただけかもしれない。むしろ、スムーズな人づきあいのために、「善意」で組み立てたルールだったかもしれない。
 しかし、実際には、現代的な形の村八分を作ってしまった。「個人的な話は個人間でメールのやりとりをしてください」との指示は、「意見を言うなら排除だ」という命令にかぎりなく近い。
 さらに、コミュニティ参加者の見えない会話や議論への不安も高まる。個人的にメールをやりとりしていったいどんなことを話しあっているのか? MLで話せない話題って何か? MLには流せないほど危ない内容なのか? まさかテロの相談でもしているのではないだろうけれど……。
 現実的には、MLのなかで露骨に意見や思想とみえない暗号を決めて、分かるものだけが情報をやりとりする手段も考えられる。
 つまり、MLのなかで自由な意見の流通を禁止するだけで、参加者は互いに疑心暗鬼となるわけだ。

 そういうMLの特徴を、管理人さんはよく分かっていなかったのだと思う。それで、彼が予想する以上の傷を周囲に与えてしまった。
 実は彼には他にもいろいろと困ったところもあるのだが、MLのもつ性質、MLを中心にした人づきあいについて、わたしたちはまだ試行錯誤が足りないのだと思う。
 みなが気持ちよく利用できるMLの規則や運営については、
一人一人が試行錯誤を重ねるしかない。
 何もネットが悪いのではない。多分使い方が問題なのだ。
 
 それにしても、いくらなんでも意見を言ってはダメというのはあまりに窮屈で人格否定が強すぎるので、よくないことは確かだけれど。



平和団体の二重権力

リーダー フーコー的な「主体化する」権力
           ↑
  リーダーとフォロアーのズレ
           ↓
フォロアー ドゥルーズ型の「情報管理ネットワーク」
      自己管理


フォロアーにはMLを通じた情報配信により、過度の同調が生まれている。


 
 
 

  

 

 

「心のノート」関連情報

2004年07月17日 21時17分51秒 | weblog
2chのひきこもり板 斉藤環スレより転載http://life6.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1089258961/101-200


悪名高い2chですが、こちらの有名医師のスレッドは長寿かつ充実した討論が交わされています。
もちろん、解釈が微妙な話、例によって下品・失礼と思われる表現もあります。事実誤認もあるかもしれません。それは読者個々の判断にゆだねます。

161 :(-_-)さん :04/07/14 14:11 ID:3cvlyIY6
核家族の中だけで教育・福祉・労働の問題が解決されないのは当然だ。
しかし何でもいいから第三者が介入すればよいのか? またその第三者とは必ず専門家でなければならないのか? NPOを充実させるなど政策的なものはどうするのか?

自分の経験やフリースクール等の口コミでは、教育相談センター、心理相談所と名のつくところにいったり、メンタルフレンドの大学生に来てもらってかえってこじらせた、おかしくなったというケースもあるよ。クスリづけで体ボロボロ、カウンセリングづけで人の話を聞いてばかりで自分から話せないかプライバシー自己暴露も含む独り言をえんえんと続けるクセのできたヤシもいる。
あるいは、やたら依存的なったり、ヤケになってリスカ・アムカづけとか。

相談機関や専門家に過剰な期待をするのはよしたほうがいい。前にフリースクールでメンタルフレンドの大学生と会ったが、特に教育や福祉に関心があって勉強しているわけではなく、
何かキッチリと研修を受けたわけでもない、ただ学校に行っている正常な人と接すればつられて正常になる、かわいそうな人にお見舞いのボランテイアをすれば就職有利になるかも、
ってなノリでやってくる連中ばかりだった。
むしろ、親や本人のほうが子どもの権利条約から脱学校論にいたるまで、よく勉強していた。
よく勉強している年長の子のほうが年下の子に受験勉強を教えるのも、いっしょにサッカーとかして遊ぶのも上手だった。
ハッキリいって、意味がない。学歴コンプあおられて、食欲不振・不眠になったヤシもいたしね。


162 :(-_-)さん :04/07/14 15:02 ID:???
>>161
>自分の経験やフリースクール等の口コミでは、教育相談センター、心理相談所と名のつくところにいったり、メンタルフレンドの大学生に来てもらってかえってこじらせた、おかしくなったというケースもあるよ。

とくに児童相談所は、良い評判というものを聞いたことがないね。
地域の校長を退職した人達が、悪く言えばクダを巻いてるだけ、良くいえば今すぐ学校に戻すことだけしか念頭におかずに接してくる。
奴らにリアルで泣かされたと訴えている、親や子供のいかに多いことか。

メンタルフレンドの大学生というのは、私自身経験がないからわからないが、

>かわいそうな人にお見舞いのボランテイアをすれば就職有利になるかも、
>ってなノリでやってくる連中ばかりだった

という傾向が全国的に強いのであれば、これは由々しきことだな。
確か政府が、ボランティアの義務化だとかなんだとか、勤労奉仕まがいのトンチンカンなことを言っているようだからね。
実際にそれで点を稼ごうとする学生も出てきてしまっているのだろう。
たいした勉強なんかしてきてるわけない罠。せいぜい御用学者先生の言うことだけをまにうけてる程度のことで。
そんな態度が、当事者の為になるとは期待できない。


163 :(-_-)さん :04/07/14 16:43 ID:???
>>101 >>157
徴兵拒否といえば、大韓民国はどうなってんだろう?
あそこは今それが一番深刻だと聞くけど。特に今こんな政情だし。

ドイツも徴兵制ではあるが、病院で一定期間ボランティアをすることで
徴兵を免除できる仕組みがあるそうだね。だからほとんどの人が
病院でボランティアする方を選ぶのだとか。

「ひきこもり」という名の中傷・ないしは「お上に従え」という脅しが
登校拒否者に対するのと全く同じように、徴兵拒否者に対しても
向けられるであろうことは、想像に難くない。
やはりその時「ひきこもり」という言葉は、戦前における「非国民」と同様に機能することになるだろう。

「ひきこもり」、心のノート、それぞれのジグソーパズルの
ピースだけをとってみれば、いっけん見過ごされがちなものだが
それらを全て組み合わせた時に、どういう世の中になるか、ということを真剣に考えなきゃ駄目だ。

もっとも、学習指導要領があれほど削減されりゃあ、その程度のことを想像する力もなくなるんだろーな(w まさに骨抜きだもんな、あれ。

164 :(-_-)さん :04/07/14 16:44 ID:???
「ひきこもり」というのは、要するにその対象を従属させる
ための表象操作だろう。
上のほうで、アイヌや琉球といった問題がチラっと出てきていたが「ひきこもり」問題は、じつは植民地に対して宗主国側が採った手法とどこか共通している部分があるんじゃないかと思っている。

列強と植民地の関係。西洋から見たアジアや中東。
日本本土から見た北海道や沖縄、満州や朝鮮半島や台湾など。
国家権力(をかさにきた専門家)からみた、不登校・非就業当事者。

こうした対比のもとに考えてみたとき、単に「差別が起こっていることは由々しい」というレベルだけには留まらない、
非常に厄介というか根深い問題がそこに横たわっていることに
気づくと思うんだ。


165 :(-_-)さん :04/07/14 18:15 ID:???
>>159
> 「脱ヒキには第三者の関与が必要、望ましい」というのには実は自分は賛成なわけなんですが。

脱ヒキするしないにかかわらず、孤立している当事者や家族にとって、専門家に限定されたないサポートないし居場所ないし繋がりがあったほうが望ましいだろう、というふうな意味なら斎藤氏
の言論に批判的な立場の人でも大いに賛成すると思います。
しかし、「第三者の関与」とした場合の関与のあり方の問題だとか、「必要」と言い切るようなところとか、当事者の自律性を否定して第三者を優位に立てるような論理がそこにしばしば垣間見れる
ようなニュアンスに大きな問題を感じるんですよね。

実際、不登校の場合、その初期の段階で第三者が介入的に関与していることも多いし、専門機関をたらい回しにされたり、特定の施設に無理やり入れられることも多いんですよね。そういう経緯でかえって本人を反動的な引きこもり状態に追い詰めているケースもあるし、私自身の経験もふくめ、私はむしろそういうケースのほうを多く知っていて、不登校問題が拗れるのはそういう点にも誘因があるのではないかと思っている。

170 :(-_-)さん :04/07/14 21:36 ID:3cvlyIY6

とくに児童相談所は、良い評判というものを聞いたことがないね。
>地域の校長を退職した人達が、悪く言えばクダを巻いてるだけ、良くいえば
>今すぐ学校に戻すことだけしか念頭におかずに接してくる。
>奴らにリアルで泣かされたと訴えている、親や子供のいかに多いことか。

知り合いに80年代は反管理教育・子どもの人権運動を、
今は道徳教育や日の丸・君が代のおしつけ、心のノート批判をしている人たちがいる。

彼(女)らの話を総合すると、児童相談センターというのは、たいていは地域の教育委員会や
元校長会と密接な関係にある。要するに体のいい校長の天下り先。そうでなければ、心理学や精神医学の地元ボスとその弟子の就職先。

だから当然、エリート主義的。優等生的な中産階級中心主義丸出し。昨日まで管理職をしていたので現場の事情や苦労も
ピンとこない。もちろん男性中心主義むき出し。そのための大した研修を収めているわけでもない。うまく仕事をしなければ自分の評判や生活に差し障りもない。
子とも親とも世代差があるのに自覚のないヒトも多く、世代の差や階層の差を「相手がまちがっている」「親が子を甘やかしている」くらいにしか見ない。
電話で問い合わせた段階から無責任で不親切、いかつい軍隊的な雰囲気らしい。
保身に成功したタイプばかりだから、一般世間以上に失敗者に冷たく、斬新なアイデアやユニークな実践などとうてい望めない。
そりゃ、傷つく人も数知れないだろう。


183 :(-_-)さん :04/07/14 23:40 ID:???
>>170
だいたいそんな感じだね。そこには役人の論理しかない。

で、たまにはそんな彼らの言い分も聞いてやろうじゃないか(w
と思って、校長職を経験した元教育委員会の人に、いろいろ話を
聞いてみたんですわ。

ひとつわかったことは、彼らは上意下達を厳格にやっているに
過ぎないということ。文部科学省の広報お疲れ様(w って感じ
なんだよね。
彼らに言わせると
「子どもの権利条約は組合が押付けたもので、法的拘束力のない
国際法だから、合わせる必要はない」
とか
「今までは組合が道徳教育の時間を勝手にホームルームに
 してきた。これからは自然体験を重視した道徳教育をやる」
だそうで。
俺に組合の愚痴ばっか言われても、なんともしてあげられないんだけどなぁ。

で、心のノートについて聞いたら
「そういうものは、存じ上げない」
だそうです(爆笑)。

↓は、心理学板 河合隼雄文化長官に就任スレッドより

579 :没個性化されたレス↓ :04/07/29 18:27
パトナ事件の職員たちは、みんな河合隼雄の崇拝者なのだろうか。どうも奇妙だ。まさかマインドコントロールされていたわけでもないだろうに。


580 :没個性化されたレス↓ :04/07/29 21:24
>>579
長官様だからw
てか、森林でもロックアウトやビラ撒きすると”排除”するでしょ?
さすが学園正常化を率先して行っただけあるわな。


(NOW BUILDING)