先日、平和団体にいたころの知り合いと電話で話した。
団体を辞めてから約1ヶ月。わたしは辞めてよかったこと、また、前にも話を書いたMLの管理人で運動のリーダーBさんへの不満をまくしたてた。
彼特有の、訳の分からないグロテスクな言動について、腹が立つこと、思い出すだけで改めてイライラさせられることを勢いあまって語った。
そこにいるときには目の前の作業に夢中だったり、忙しさや緊迫感に包まれて考えられなかった。そのことが、今、距離を置いて冷静に見えてきたのだった。
いくらなんでもあの言葉・行動は非常識・悪趣味・トンチンカン……。一体何よ?
それに対して話し相手は、「あんまり気にしないで」とか「もうあの団体のことはいいじゃない」とか言ってくれた。
確かにもう辞めているのだからどうでもいい。だが、わたしは彼がなぜあそこまで信じられない暴走をできるのか、よく分からない。いっしょに話した人は「彼も若いから~」と言う。でも、前後数歳の広い意味での同じ世代・同じライフ・ステージの人たちからも、彼は「困ったチャン」扱いされている。
平和団体とは無関係の別の友人と電話でそのことについて話した。「平和団体のリーダーが、デモの協力者にお礼を言わない。それで周りの世話人からも責められている。それでも何を言われているか理解できず、『え、そんなことしなくちゃいけないの?』的な反応だったの。どうも全て自分だけでやっていると思い込んでいるらしい……。」そうすると「一人でできるわけじゃない。いろんな人の協力でやっているのにね。」との答え。
話を元に戻そう。昔同じ団体にいたAさんと話しているうちに、思想の話になった。
日ごろの疑問を解きたくて、思い切ってたずねてみた。どうしてあのリーダーのBさんは、『思想・思想』と思想にこだわっているのか? 今の20代終わり~30代初頭くらいの世代であれほど思想を怖がる人も珍しい。だいいち、あの時わたしは思想というよりも理論の話をしていた。彼の言い分では、新しいMLを作るのはテクノロジーの問題、規則づくりや投票や情報とは別の意見情報を出すのは思想的で意味のない行動、ということだ。だがそもそも、テクノロジーの基本にも「すみわけ」という哲学的・思想的基盤がある。そのへんのところ、どう考えているのだろう? 全く二重にも三重にも人をバカにしてやしないか?
Aさんのコメントは次のとおりだった。「どうもあのB君は、よく分かっていない人だね。」
ピンと来た。「そうだと思う。大事なポイントをことごとく外している。」
彼のアメリカのリバータニアンにも似たアナキズムの主張に話は移った。
Aさんいわく、「彼はヨーロッパのアナキズムも、日本のアナキズムも、ちゃんと読んでいないと思いますよ。」
わたしも同意する。「そうですね。あんまり勉強していないみたいね。」
Aさんがこう言ったのは印象に残った。「彼は思想のことをよく分かっていなくて、ふりまわされているんじゃないかな。」
自分はこう答えた。「ドストエフスキーの小説に『悪霊』がありますね。あのなかで、ある登場人物の口を通じて『君は思想を飲んだのではなく、思想に飲まれたのだ』と批判させている部分がある。要するに、彼もその罠にはまった、ってことなのかな?」
「うーん、そうですね。」
なるほど。腑に落ちる。これで管理人Bさんの不思議な行動と態度のおおもとが明らかになった。
要するに彼は、高い所に木登りをして、怖くて降りられなくなった子ネコなのだ。それで戸惑っているので、顔があちらにこちらに向いたり、人をいつも以上に警戒したりしているのだ。
あの幼児的な表情や言葉や身振りは、お母さんネコかやさしい飼い主を求めてミィミィとかわいそうな声を振り絞って鳴いているのだ。言い換えれば軽いパニック状態なのだ。
それでも、知らないもんね。わたしは管理人さんのお母さんじゃないんだし。自分がいつのまにか予想以上の高いところに登ったのが、自分でも信じられなくて困っているんだろう。どうすれば無事降りられるのか不安になっているんだろう。一度降りたら二度と登るチャンスはないと杞憂しているのかもしれない。
試しに一度降りてみればいい。一歩一歩、そろそろと。
別に大怪我する高さじゃないよ。母ネコや飼い主の助けはいらないよ。一度降りてもまた登れるさ。
そうすれば高い地位・高いプライドだけがいものじゃないと気づくはずさ。
勇気と決断力をもって、自分自身で降りてごらんよ。誰も笑ったりしないから。嘲笑するヤツとはつきあいを切ってもいいだろ?
もういいかげんに、正しいことを間違っていると強弁し、自信たっぷりすぎる表情と身振りでわけもなく他人を侮辱するなよ。
「発起人」や「デモ申請者」といった肩書きを利用するのではなく利用される形で、非常識を常識だと言い張り、悪趣味をよい趣味だとゴリ押しする。理解者や協力者に儀礼的な感謝ひとつ表せず、小さな独裁者として他人の外面ではなく内面を図ってランキングづけるのはよしてほしい。それで傷ついたり不愉快になったりしている人だっているのだから。
ヘンに大物ぶって、「個人的な意見は話さないでください」と唱えなくていいよ。もう一度集団が個人から成り立つという原点に戻ればいいだけさ。
別にルサンチマンで言っているんじゃないよ。ただあなたの横暴にいたたまれなくなってデモやミーティングに来なくなった人もいるんだよ。そのことだけは分かるべきじゃないかい?
別に勘違いしてもいいよ。ただし、あとで反省して次に生かせるのなら。
リーダーは責任も作業量も人よりも多くなる。だったら、なぜ「助けてください」「一緒にやりましょう」と言わないんだい?協力団体のうち、どこが下請けかなんてどうでもいいことでしょ?
そりゃ、お宅はあまり偏差値の高い学校を出ていなくて、プライドを持つことを認められない。ゆえに、かえってプライドに憧れ、プライドを持つ権利を模索したのだろう。
しかしこのへんが限界だ。高すぎるプライドは、堕落の元だとそろそろ気づいてもいいんじゃないの? 奴隷根性はよくない。ところが一方で、貴族根性というのも困ったものなんだよ。
プライドに振り回されて、自分で自分を貶め、視野を狭くして、いつも人を無視したり見下したり誤解したりして面白い?
やっぱり、甘えたって知らないからね。こっちはこっちでやることがあるし。
脈絡もなく威張って、暴力を暗示して人を脅す。北朝鮮でさえやっている投票制度を拒絶する。当然の常識を否定するあまり、冷酷に「仲間」を攻撃し、人を混乱させる。外の世界のルールを守らないかわりに、外では通じないことを身内のルールにしてしまう。
そんな子ネコを誰が助けたいと思うか。学歴どころか心で人をランクづける横柄で傲慢そのもののキャラクターに誰が親しみなり信頼をおけるものか。
幼児ぶって甘えてくるのも、マザコンらしくて不気味だし。ホント、おかしいよ。それを克服しようとして行過ぎるのか、いきなり人を幼児扱い、自分は保護者ぶるのもウンザリだね。一体何を考えているのか、MLには18歳以上の人が加入しているし、お宅の親どころか祖父母の世代も参加しているというのに……。
とにかく、高いところから降りるべく一歩踏み出しなはれ。お母さんネコ、兄弟姉妹ネコ、飼い主や近所の人も待っているから。
それとも、暴れて暴れて、犬のおまわりさんにお世話になってみたい? 代用監獄は監獄よりも大変だそうですよ。ま、一度自分が看守ではなく囚人役をしてみるのもいいかもしれませんね。
そうすれば監視され幼児扱いされ意見や行動ではなく心や人格全部を否定されるキツさが分かるでしょうから。それでも人一倍復讐欲の大きいお宅のこと、さらにひどい暴君となってシャバに戻ってくるかもしれませんがね。
もうわたしには関係のないことですから。
あ、そうそう。そこで共同体主義だの人間関係主義だのを唱えてもムダですよ。共同体を選ぶことができると言っちゃえば終わり。人は関係の中で生きているからこそ、気持ちの悪い関係は切ることが必要だ、人間関係はお宅との関係だけじゃないと言い切ればオシマイ。
分かっている? 勘違いはやめてね。
団体を辞めてから約1ヶ月。わたしは辞めてよかったこと、また、前にも話を書いたMLの管理人で運動のリーダーBさんへの不満をまくしたてた。
彼特有の、訳の分からないグロテスクな言動について、腹が立つこと、思い出すだけで改めてイライラさせられることを勢いあまって語った。
そこにいるときには目の前の作業に夢中だったり、忙しさや緊迫感に包まれて考えられなかった。そのことが、今、距離を置いて冷静に見えてきたのだった。
いくらなんでもあの言葉・行動は非常識・悪趣味・トンチンカン……。一体何よ?
それに対して話し相手は、「あんまり気にしないで」とか「もうあの団体のことはいいじゃない」とか言ってくれた。
確かにもう辞めているのだからどうでもいい。だが、わたしは彼がなぜあそこまで信じられない暴走をできるのか、よく分からない。いっしょに話した人は「彼も若いから~」と言う。でも、前後数歳の広い意味での同じ世代・同じライフ・ステージの人たちからも、彼は「困ったチャン」扱いされている。
平和団体とは無関係の別の友人と電話でそのことについて話した。「平和団体のリーダーが、デモの協力者にお礼を言わない。それで周りの世話人からも責められている。それでも何を言われているか理解できず、『え、そんなことしなくちゃいけないの?』的な反応だったの。どうも全て自分だけでやっていると思い込んでいるらしい……。」そうすると「一人でできるわけじゃない。いろんな人の協力でやっているのにね。」との答え。
話を元に戻そう。昔同じ団体にいたAさんと話しているうちに、思想の話になった。
日ごろの疑問を解きたくて、思い切ってたずねてみた。どうしてあのリーダーのBさんは、『思想・思想』と思想にこだわっているのか? 今の20代終わり~30代初頭くらいの世代であれほど思想を怖がる人も珍しい。だいいち、あの時わたしは思想というよりも理論の話をしていた。彼の言い分では、新しいMLを作るのはテクノロジーの問題、規則づくりや投票や情報とは別の意見情報を出すのは思想的で意味のない行動、ということだ。だがそもそも、テクノロジーの基本にも「すみわけ」という哲学的・思想的基盤がある。そのへんのところ、どう考えているのだろう? 全く二重にも三重にも人をバカにしてやしないか?
Aさんのコメントは次のとおりだった。「どうもあのB君は、よく分かっていない人だね。」
ピンと来た。「そうだと思う。大事なポイントをことごとく外している。」
彼のアメリカのリバータニアンにも似たアナキズムの主張に話は移った。
Aさんいわく、「彼はヨーロッパのアナキズムも、日本のアナキズムも、ちゃんと読んでいないと思いますよ。」
わたしも同意する。「そうですね。あんまり勉強していないみたいね。」
Aさんがこう言ったのは印象に残った。「彼は思想のことをよく分かっていなくて、ふりまわされているんじゃないかな。」
自分はこう答えた。「ドストエフスキーの小説に『悪霊』がありますね。あのなかで、ある登場人物の口を通じて『君は思想を飲んだのではなく、思想に飲まれたのだ』と批判させている部分がある。要するに、彼もその罠にはまった、ってことなのかな?」
「うーん、そうですね。」
なるほど。腑に落ちる。これで管理人Bさんの不思議な行動と態度のおおもとが明らかになった。
要するに彼は、高い所に木登りをして、怖くて降りられなくなった子ネコなのだ。それで戸惑っているので、顔があちらにこちらに向いたり、人をいつも以上に警戒したりしているのだ。
あの幼児的な表情や言葉や身振りは、お母さんネコかやさしい飼い主を求めてミィミィとかわいそうな声を振り絞って鳴いているのだ。言い換えれば軽いパニック状態なのだ。
それでも、知らないもんね。わたしは管理人さんのお母さんじゃないんだし。自分がいつのまにか予想以上の高いところに登ったのが、自分でも信じられなくて困っているんだろう。どうすれば無事降りられるのか不安になっているんだろう。一度降りたら二度と登るチャンスはないと杞憂しているのかもしれない。
試しに一度降りてみればいい。一歩一歩、そろそろと。
別に大怪我する高さじゃないよ。母ネコや飼い主の助けはいらないよ。一度降りてもまた登れるさ。
そうすれば高い地位・高いプライドだけがいものじゃないと気づくはずさ。
勇気と決断力をもって、自分自身で降りてごらんよ。誰も笑ったりしないから。嘲笑するヤツとはつきあいを切ってもいいだろ?
もういいかげんに、正しいことを間違っていると強弁し、自信たっぷりすぎる表情と身振りでわけもなく他人を侮辱するなよ。
「発起人」や「デモ申請者」といった肩書きを利用するのではなく利用される形で、非常識を常識だと言い張り、悪趣味をよい趣味だとゴリ押しする。理解者や協力者に儀礼的な感謝ひとつ表せず、小さな独裁者として他人の外面ではなく内面を図ってランキングづけるのはよしてほしい。それで傷ついたり不愉快になったりしている人だっているのだから。
ヘンに大物ぶって、「個人的な意見は話さないでください」と唱えなくていいよ。もう一度集団が個人から成り立つという原点に戻ればいいだけさ。
別にルサンチマンで言っているんじゃないよ。ただあなたの横暴にいたたまれなくなってデモやミーティングに来なくなった人もいるんだよ。そのことだけは分かるべきじゃないかい?
別に勘違いしてもいいよ。ただし、あとで反省して次に生かせるのなら。
リーダーは責任も作業量も人よりも多くなる。だったら、なぜ「助けてください」「一緒にやりましょう」と言わないんだい?協力団体のうち、どこが下請けかなんてどうでもいいことでしょ?
そりゃ、お宅はあまり偏差値の高い学校を出ていなくて、プライドを持つことを認められない。ゆえに、かえってプライドに憧れ、プライドを持つ権利を模索したのだろう。
しかしこのへんが限界だ。高すぎるプライドは、堕落の元だとそろそろ気づいてもいいんじゃないの? 奴隷根性はよくない。ところが一方で、貴族根性というのも困ったものなんだよ。
プライドに振り回されて、自分で自分を貶め、視野を狭くして、いつも人を無視したり見下したり誤解したりして面白い?
やっぱり、甘えたって知らないからね。こっちはこっちでやることがあるし。
脈絡もなく威張って、暴力を暗示して人を脅す。北朝鮮でさえやっている投票制度を拒絶する。当然の常識を否定するあまり、冷酷に「仲間」を攻撃し、人を混乱させる。外の世界のルールを守らないかわりに、外では通じないことを身内のルールにしてしまう。
そんな子ネコを誰が助けたいと思うか。学歴どころか心で人をランクづける横柄で傲慢そのもののキャラクターに誰が親しみなり信頼をおけるものか。
幼児ぶって甘えてくるのも、マザコンらしくて不気味だし。ホント、おかしいよ。それを克服しようとして行過ぎるのか、いきなり人を幼児扱い、自分は保護者ぶるのもウンザリだね。一体何を考えているのか、MLには18歳以上の人が加入しているし、お宅の親どころか祖父母の世代も参加しているというのに……。
とにかく、高いところから降りるべく一歩踏み出しなはれ。お母さんネコ、兄弟姉妹ネコ、飼い主や近所の人も待っているから。
それとも、暴れて暴れて、犬のおまわりさんにお世話になってみたい? 代用監獄は監獄よりも大変だそうですよ。ま、一度自分が看守ではなく囚人役をしてみるのもいいかもしれませんね。
そうすれば監視され幼児扱いされ意見や行動ではなく心や人格全部を否定されるキツさが分かるでしょうから。それでも人一倍復讐欲の大きいお宅のこと、さらにひどい暴君となってシャバに戻ってくるかもしれませんがね。
もうわたしには関係のないことですから。
あ、そうそう。そこで共同体主義だの人間関係主義だのを唱えてもムダですよ。共同体を選ぶことができると言っちゃえば終わり。人は関係の中で生きているからこそ、気持ちの悪い関係は切ることが必要だ、人間関係はお宅との関係だけじゃないと言い切ればオシマイ。
分かっている? 勘違いはやめてね。