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自由のために抵抗しよう! 大阪府の不登校「半減」政策

2005年03月01日 18時44分51秒 | ネオリベ・ネオコン
 みなさん、これは緊急のアピ-ルです。FONTE(旧・不登校新聞)のトップペ-ジをごらんください。
http://www.futoko.org/top/

▼大阪の「不登校半減」政策を問う緊急アピ-ル
<ahref="http://www.geocities.jp/futoko_osaka/appeal.htm">http://www.geocities.jp/futoko_osaka/appeal.htm

保坂展人さんたちも賛同しています! ぜひあなたも!
▼参加団体・賛同人
 http://www.geocities.jp/futoko_osaka/member.htm


立場を超えて、個人の自由に反する政策に反対しようではありませんか。

▼大阪府の不登校対策を考える市民連絡会議
http://www.futoko.org/cgi/newsread/newsread.cgi?disc=newest&st=34&ed=34
〒537-0025 大阪市東成区中道3-14-15
℡06-6973-5892/FAX06-6978-6626
e-mail: osaka@futoko.org


▼ 府知事への意見フォ-ム
http://www.pref.osaka.jp/j_message/teigen/tijifmt.html



今・ここにある全体主義 
 
 なんと、大阪府が不登校半減3ヵ年計画を建てているそうです。不登校はあってはならない腐敗・堕落した存在で、登校ならば輝かしく清らかな存在だとでも言うのでしょうか? 個々の事情や選択を無視した総動員の政策です。ということは、ファッショにほかなりません。ナチス、ソ連、文化大革命期の中国共産党を彷彿とさせる、犯罪的な政策なのです。
 誰が不登校かはきわめて不明瞭な問題であり、半不登校や1/4不登校についてあいまいな取締りが行われることも、予想されます。これでは、ナチス期のユダヤ人のように、不登校の親子は国内亡命の隠遁を強いられるでしょう。でなければ矯正収容所のような場所に閉じ込められ、人権と人格のすべてを蹂躙される恐れがあります。
 府は、緊急事業の具体策として、地域住民から選考した「不登校支援協力員」を活用して家庭訪問を行なうとしています。これは将来の徴兵拒否者への取締りを予感させる行動です。何よりも、各家庭の方針を無視した全体主義的な横暴です。プライバシ-をまるごと否定するような、相互監視の網の目の強化に加担してはなりません。
 

恐怖の地域の連携
 
 地域社会の過密にして過熱した共同体主義は、各家庭や個人の自律性を根こそぎ奪ってしまいます。そうすると、かえって親と子、兄弟姉妹、近所の人同士、友人・知人の個と個のつながりが摩擦熱で擦り切れるように滅びてしまいます。
 支配欲と権力欲、嫉妬と同情が入り混じった世界は、人と人との絆が、温度と圧力の急激な上昇によって、集団的な情緒の爆発・炎上が起こります。常に個人は全体の大きな「流れ」や、慢性的・集団的なパニック状態にさらされ、保身以外を考えられない全体への隷属状態に陥るのです。
 極限にまで達する思考不能、生き残りのためのうそや芝居は日常となります。
相互監視とピアプレッシャ-によって、いつでもどこでも神経のはりつめた状態が、個人の神経を蝕みます。やるせない疲弊の連続は、感情と思考をどんどん単純に、浅薄にしてゆくのです。
 具体的には、学校に行かないで家にいる子は、今まで以上に自己否定でいっぱいにさせられてしまいます。
 そうすると、これまで以上に家庭内暴力が増すでしょう。過日の寝屋川の事件のような教育殺人が増えるでしょう。選択肢を奪われ、実存を陵辱され追い詰められた者の最後の抵抗の手段はテロですから。
 単につながっているだけではなく、二重に三重に結合させられた状態から脱出したければ、誰かを殺すことによってしか因果の糸を切れないからです。因果の多重結合を解除するために、通常の話し合いや選挙といった手段は公民権のない子供には使えません。そういったところでは、大人も子どもも意見を言う権利や投票の権利、つまり公民権を奪われます。
 一部の指導者の気まぐれで決定された「全体の決定」への何の抵抗の手段も持たない親は、ただ保身のためだけに子どもを学校へ逝かすでしょう。こうして子と親、町内の住人同士の会話や議論が壊されるのです。過度の自治が適当な自治を食い物にする瞬間です。かつてモンテスキュ-の指摘した、民主政が一人支配へと至る道は、こうして開かれるわけです。
 

特高よもう一度?
 
 不登校支援協力員は、秘密警察のようにのさぼるでしょう。まるで文革期の紅衛兵のように、信じられないほど居丈高に、子どもと周囲の大人に専横を振るうはずです。
 公に誰かを学校に拉致・監禁してもいいのですから。なお、主観的には正義と使命感の塊ですので、あらんかぎりの乱暴を働くことも覚悟しなければなりません。殴る・蹴るといった物理的暴力から、暴言、シカト、セクシュアル・ハラスメント、モラル・ハラスメント、町内会等を通じての報復人事、本人だけではなく家族にも不利益を突きつける(近所の食料店での不売運動、近所の会社での雇用拒否、銭湯への入場拒否)なども起こるでしょう。
 そこには無残な恨みと憎しみの爆発があるだけです。プレートとプレートがぶつかったとき、地震や津波がやってくるように、人と人とがいつもぶつかっていては、地盤は不安定となり、液状化した地面が人をとらえる。
そのリスクの見えない人たちが、もっと人と人とをふれあわさねばならないとあべこべの発想で政策を作っているのです。これはとんでもないことです。何でも変動させればよいというものではないのです。

自然主義の横暴

「子どもは学校に行くのが自然かつ善」だという近代画一的な思い込みが根底にあります。
 しかし実際には子供は、家に生まれ町に育ちます。それから学校に行くこともあれば、逝かないこともある。それだけです。
 その点を根底的に勘違いした人々が、強制収用所としての学校を心のよすがにしています。タチの悪いことに、府の政策レベルで他人にもそれを押しつけようとしています。
 学校に行きたいのなら、行けばいい。だからといって他人まで巻き込んでは迷惑です。いくら暖かい善意によるものであっても、息苦しい者には息苦しいわけです。
 確かモンテーニュは、死の床にあるものに対して周囲の人々が呼びかけたり囲んだりするのはさぞ息苦しかろう、といったことを嘆いていました。そういった可能性をも考慮する、他人に対する繊細で的確な感受性や静かな気づかいは、あってはならない総動員政策によって摩滅させられます。
 一人一人のふとした瞬間の気づき、心の安寧、個人と個人のむきあえる空間は、ファシズム政策の威力によって、ズタズタに切り裂かれてしまうのです。強制動員の(学校の)ない社会という「自然」な共同体、いいかえれば学校に行く・行かないを自在に選べる個人の自然な行動を、自然主義が全体に統括し、総括--昔のサヨク用語で「処刑」の意--しているわけです。
 

まるで原発事故 
 
 あとには個人を燃やしているうちに自分自身も燃えてしまったコミュニティと荒廃した--それによって得る利益よりもはるかに損失が上まわった--国とが残されます。最終的には誰も勝者になれないのです。
 個人が存在しなければコミュニティや社会も国も成り立たない以上、当然の予想された結末と言えるます。
 目先の利益や保身を優先し、接触を絶対視するあまり強制参加を導入し、個を極度に弱らせた結果はざっとこんなものです。
 ひとりひとりの価値に恥辱をくわえ、集団や共同の価値で犯した結末はこんなものです。
 冷たい水域に住む魚と暖かい水域に住む魚を同じ水槽で飼ったのでは話になりません。熱帯魚にはサ-モヒ-タ-が、温帯の魚には常温の水が適当です。
 

適切に権威を選ぼう
 
 メダカとネオンテトラを同じ常温の水槽で飼育して、ネオンテトラが弱ったら「もっと冷たい水にならして、きたえなければならない」「親があたたかい水域に卵を産んで保護しすぎたからこうなった」などと東大の上野千鶴子のようなことを言ってはいけません。
 学校の外でなければ子どもの生命が危ういときに、国の権威と権力を崇拝する儀礼などしている場合ではないのです。国の大学を出られた国の大学の先生の、まるで天下る皇軍のような天下るお言葉に従う義理や義務は、人権と命の視点からはありえません。
 むしろ、朝日のびのび教育賞受賞式において、東京シュ-レの子どもたちに肯定と励ましの言葉を贈られた皇太子・皇太子妃両殿下にこそ、国の権威として崇拝を捧げるべきではないでしょうか? 女性解放のために子どもの命を切り裂くアンチ・アンファニズムとしてのフェミニズムへの動員を拒否する権利もあるはずです。近代市民社会の市民は国の行うことを疑い、批判し、チェックする必要があるからです。

擬似医療と医師

 大阪府は、不登校の個人カルテを作成すると言い張っています。
 市民は、プライバシ-の観点から批判しています。
 
 さて、病気でもないものを政治的な観点から病気扱いするとき、医師は大きく二つの潮流に割れるでしょう。どの医師を信頼するかは市民が選べることです。
 古代ギリシャのガレヌスと16世紀のパレ-が典型的なタイプなので、記しておきます。
 ガレヌスはたいそう優秀な医者でした。しかし性格は奇矯で傲慢。自分が診た患者はみな治った、失敗した例はないなどと吹聴していたこともたたって、医者のギルドと雇い主から追放された時期もありました。ちなみにガレヌスとは「静かな男」という意味ですが、たいへんやかましい男だったそうです。
 それに比してパレ-は、自然に対して謙虚でした。その時代の一線を画する優れた技能を示しながら、あの名言を残したのです。“je le pansay et Deau le guarrit”(我は包帯するのみ、神が癒したもう。)
 具体的にはガレヌス・タイプは稲村博先生とその弟子の一部、あるいは佐々木病院の広告塔の静かな男の人と稲村筋の環という人です。
 パレ-・タイプは、日本児童精神医学のパイオニア渡辺位先生とその弟子筋に見られます。
 ガレヌス・タイプは、政治的な診断増加にとりこまれやすく、パレ-・タイプはとりこまれにくい傾向があるでしょう。
 どちらの筋を支持するかは、市民の選択にかかっています。
 



 
 
 
 
 
 
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3 コメント

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Unknown (shiro)
2005-03-02 09:27:40
おひさしぶりです。TBしようと思ったのですが、何故か送信できなくて・・・。今回のこの案に、私も自分の経験から物申したいので書かせていただきました。よかったらご覧ください。
友人に転送して良いですか? (youko)
2005-04-30 17:43:23
初めまして。

今日 はじめてブログ拝見しました。



<今・ここにある全体主義>気にいっちゃいました。



友人に転送したいのですが、いいですか?



ブログって公開しているから、そういう承認は不要なのですか?



インターネット初心者につき教えてね.





 
ありがとう、およびOK! (ぱれいしあ)
2005-04-30 19:39:43
>shiroさん



お久しぶりです。返事がおそくなり失礼しました。

大阪府の政策は、いろいろな立場から見て普遍的におかしいと思います。

のちに横浜で検討中の青少年の夜間外出禁止令的政策と連関させて、<子ども・若者排斥運動>ではないか?

との視点から記事を書く予定です。



>youkoさん



はじめまして。



><今・ここにある全体主義>気にいっちゃいました。



>友人に転送したいのですが、いいですか?



>ブログって公開しているから、そういう承認は不要>なのですか?



>インターネット初心者につき教えてね.



他のブログは管理人により方針・カラ-が違うので、そのつど確認したほうがよいと思います。こちらのブログは、すべての記事を著作権フリ-にしています。ですので、どうぞ転送・転載してください。宣伝・広告,歓迎です。ただし、よろしければ、このブログのリンクを貼って紹介してください。



そして、お友達とこの問題について意見を交わしてくだされば、それほどうれしいことはありません。









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詳しい情報はこちらをご覧ください。  私は学生時代、家庭教師をしていました。何人か教えていたのですが、その中に不登校の子がいました。  その子の学校区はかなり田舎で、本屋に行けばクラスの誰かに会ってしまうというかなりきつい状況だったみたいです。そういう「つ