ちょうど同系式DE10の大宮工場最終出場のタイミングで走った小山発50系列車。
電化はされているものの、その単線を行く雰囲気は昭和の国鉄のローカル線のムード満点。
梅雨の走りのような雨の田園風景をデジャビューのように・・・。
かつてのローカル線列車の起点がそうであったような設定で本線を行くローカル列車そのものを見ているようだった。
2017年5月 水戸線 9721レ
冬は寝床の温もりも恋しいし、外も暗くそんな気にはなれないが
夏は寝苦しさも手伝って早朝から目覚め、その勢いで支度をして早朝練習に。
といってもゴルフの練習じゃなくてヒガハスの4時台の貨物たちが狙いなのである。
空のグラデーションの変化を楽しみつつ4時台の貨物銀座を撮る。
さすがに日の出前の通過の鶴A207桃152号機 1075レは宵闇が抜けきれず空もマゼンタ系の4時15分過ぎ。
朝陽はもう地平線の際位の頃か4時40分ごろに上る6090レは仙A117の55号機。
東の空は黄みを帯びてくる。
すでにロクロクの後ろに顔を出している太陽を巧く捉えられず、おまけに左のライトが玉切れでカッコ悪いのでちょっと移植を。
吹A10は131号機で4時50分ごろ通過。
再掲写真だが、上ったばかりの丸い太陽を鶴A68の2092号機3072レと一緒に望遠で4時56分頃。
そして5時になろうかという時仙A139の56号機が下っていき4時の貨物銀座を締めくくる。
今ではすっかり金太郎銀座と化してしまっているが、街々が目覚める前から黙々と仕事を熟している貨物列車を撮るのは
やはり楽しいものである。
2013年7月 ヒガハスにて
一度だけ、木曾谷探検の帰り道に寄った井川線。
深い谷から見上げる2000m超の南アに属する峻峰というこの景観を見ていると、
狭い国土をそんなに急いで何処まで行くの、そんなに便利になりすぎて何が嬉しいのと・・・。
不便でゆっくリズムの方がこの国土にあった人間に育つと思う。
自然を畏敬する念をもってこそこの国の人じゃないのかと・・・。
今こそリ・ディスカバージャパンだと。
電関人の超個人的意見である。
1983年 関の沢
6月を迎えて都営の7000系の運行もあとわずか。
荒川線から聞こえるモーター音に吊掛音が聞けなくなるのが寂しいが、
少し前の紫陽花シーズンに撮った7000のアウトフォーカス姿を組で題して「紫陽花の白日夢」と。
夏の日差しの飛鳥山で
日陰の青が涼し気な宮の前
下町風情の庚申塚にて
これからも季節をモチーフに都営荒川線撮影は続く。
2013年6月撮影