狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

三菱化学四日市事業所

2010年03月24日 07時57分35秒 | 徒然鉄ネタ
今日も四日市界隈ネタです。
四日市から塩浜に向かう途中、近鉄名古屋線に沿う区間で近鉄海山道(ミヤマド)駅傍に
この三菱化学の専用線が存在します。ここのスイッチャーは深緑色でなかなか格好良いです。
2両の内燃機を擁しているようで、ロッド付きの古典機の登場を願いましたが、残念ながら
願いかなわず新型が大きなタキを1両牽いて登場。所定の位置にタキを置くとスタンバイ位置に
移動。するとDD51重連に牽かれてタンクコキが数量到着。このコキ軍団を工場へと牽き込み
ながら工場敷地へと下がっていきました。これが済むと今度はDD51重連がたった1両のタキを
連れて塩浜を目指します。とても模型チックで楽しい編成です。1度ぜひ訪れてみてください。

撮影;2002年11月 三菱化学四日市事業所専用線 NikonF4 Nikkor50㎜ f2 RDPⅡ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

専用線桃源郷 四日市

2010年03月23日 00時31分03秒 | 徒然鉄ネタ

シコシコとポジのスキャニングをしていたら、日付が変わりブログのアップを2日もサボって
しまいました。(爆)
今日は少し昔の撮影旅行ネタからです。2002年の11月に連休を利用して鐡友と四日市へ
遠征しました。目的は専用線がメインで、その他DD51が港湾地区の専用線まで入線する
四日市港線の跳ね上げ橋、それに三岐鉄道など山盛りでした(笑)
専用線でいえば、三菱瓦斯、三菱化学、太平洋セメント、昭和石油、それにB6でも有名な
石原産業ほか四日市周辺でもこんなにも存在していて、その大半が現役です。
そのトワイライトな雰囲気を味わいたく計画した撮影旅行でした。
まずはその第一回目として近鉄名古屋線の塩浜駅脇に広がる貨物ヤードに出入りする、
昭和四日市石油のスイッチャーです。黄色とグリーンのツートンカラーで日本通運所有で
L型機が背中合わせで2両対で運用されています。塩浜駅を出るとすぐに海側へ分岐し
少し公道脇を進んだ後に門をくぐり工場敷地内に入ってしまいます。工場内も脇の公道から
見えますが撮影はしづらいです。
写真は、工場からタキを連れて塩浜に到着する列車です。塩浜のヤードはかなり広く、
数多くのタキが屯っていてそこにDD51が単機や重連で頻繁に出入りして迫力満点です。

撮影;2002年11月 塩浜貨物駅にて NikonF4  Nikkor50㎜ f2  RDPⅡ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消えゆく客車列車に思う

2010年03月20日 10時48分31秒 | 徒然鉄ネタ

テーマはがらりと変わり今日は、なくなり行く客車列車の話で・・・。
ついこの間も改正で無くなる寝台特急北陸号に乗り旅してきましたが、客車列車の持つ
独特な旅情が好きです。自走はできないものの食堂車や寝台車などを組成して優等列車に
なったり、たった1両で貨物と繋がってミキストになったり、ブルートレインで美しい編成美も
あれば、地味なローカル鈍行もどんなシチュエーションでも鉄道風景を演出できる最高の車両、
それが私にとっては客車です。それにさまざまな牽引機が有り撮影対象としてもバラエティに
富んでいます。少し前まで全国各地いたるところで活躍していましたが終点駅での機回しなど
運行上大変に手間が掛かり合理化の中でどんどん衰退していきました。
写真は、まだ客車が全盛だった頃の出雲市駅での一齣です。山陰旅行の際に散々お世話に
なった、鈍行「山陰」号が18時半過ぎには入線しますがまだ牽引機は付いていません。その
40系客車と画面左側には臨時急行だいせん等に使われる波動用の12系が留置され、右奥の
ヤードには、出発準備を整えつつある20系急行だいせんの姿。秋雨に濡れそれぞれの車体も
レールも冷たく輝くのとは対照的に車内を灯す灯りが暖かく感じられました。

撮影;1981年9月 山陰本線 出雲市駅にて OLYMPUS OM-1 ZUIKO 50㎜ f1.8 TX
    バルブ+ストロボ補助灯火

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優等列車運用

2010年03月19日 07時38分55秒 | 徒然鉄ネタ

またまたED75ネタに戻ってしまいます。電関人はかなりのナナゴーフェチです。(爆)
今改正で東北筋の運用がさらに落ちたとか・・・。東北のナナゴーの走りをあまり押さえてなく
なんとか撮りに行こうと思っている矢先に寂しい知らせです。でも常磐筋はソコソコ本数がある
ようなので早いうちに出かけたいと思います。
そんなナナゴーですが、電関人の九州時代にはその雄姿をできれば優等列車で撮りたいと
思い来る日も来る日も博多駅や鹿児島本線沿線でカメラを構えました。希少ではありますが
その写真を撮ることができました。今日はその1枚で急行阿蘇の先頭に立つ307号機です。
記憶では鳥栖以南は軸重制限があり、ED72やED76といった軸重変圧用の中間台車がある
機関車のみ入線可能だったと思いましたが、この頃1977年ごろにはその制限が無くなった
のか寝台特急はやぶさやこの急行阿蘇など西鹿児島、熊本発の列車にED75300番代が、
まれに入るようになったようです。この日はこのカットに興奮しながら何度もシャッターを
切っています。

撮影;1977年3月12日 博多駅にて 上り急行阿蘇 OLYMPUS OM-1 ZUIKO 28㎜ f3.5 TX

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関ガマ運用

2010年03月18日 07時54分01秒 | 徒然鉄ネタ

昨日の14系ハザネタの続きになりますが、我が最愛のゴハチとのコンビネーションを考えると
そのプロポーションがスリムでゴハチのスレンダーなボディーにピッタリだと思います。ハイ!
14系寝台車ほかですと屋根の高さがあって少しずんぐりしていてどちらかというと、EF65等の
箱形機関車に似合うと思います。
写真は、おそらく1978年だと記憶しますが大阪駅で下り急行銀河やDC特急まつかぜなどの
発着番線側で撮影している際に、上り急行阿蘇が終点新大阪に向けて出て行くのをサイド
から撮ったものです。ちょっと架線柱が多くうるさい写真ですが後年その牽引機が下関所属
のEF5837号機だとわかり大切にしているカットです。下関には私の大好きな31号機のほかに
この37号機と29号機と30号機の4両配属されていましたが、定期運用を持たずこの阿蘇号の
運用も、通常は宮原か広島の持ちだと思いますが、台検などの理由で罐が入場の際に、
代走の形で運用に入っていたのだと思います。高校の頃は全く罐の運用など知るすべもなく、
唯来る罐が何番かをチェックしていました。サイドからの写真だとその屋根の高さが、罐と
客車で合っていてゴハチの長さがさらに強調され14系ハザを牽くゴハチの姿がとても好きで
した。

撮影;1978(?)年 大阪駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50㎜ f1.8 サクラカラーⅡ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする