Any Color You Like

日々の写真のページです。

13回忌

2007年01月17日 | 過去の記事
神戸・淡路大震災から12年経ちました。

当時、ワタクシは大阪に住んでいて、地震があったときは東海大地震かと思いました。

私の知人も3人この震災で他界しました。

予知できない自然災害は本当に怖いです。

慎んで亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


話は変りますが、昨年末にフォトアルバムとイラ

ストアルバムの入れ替え作業のため、ゴチャゴチ

ャしておりましたが、順次UPしなおしていって

ます。

以前にUPしたものの整理がほとんどなので「前

に見た」という感じを受けられるかも知れませんが、新しく描いたものも小出しに

UPしていきますので、是非お立ち寄りください。

このイラストは奈良県のならまちにある料理屋さんです。

あまり色数は使わず、ポスターっぽく描いてみました。

 ☆うたたねイラストはこちら

タイムスリップPart2

2007年01月15日 | 過去の記事
ここ関宿は宿場町だったので、大阪の富田林寺内町や奈良の橿原今井町のような

寺院を中心としてできた町ではないので、町全体は奈良の五条新町と同様、細長

くなっています。

ここ関宿の場合は東西追分の間が約1.8kmです。

関宿の通りにあるのは土産屋さんだけ

ではありません。

見ておわかりの通り散髪屋さんです。

なんだかちょっとかわいいですね。

もちろん江戸時代からあった訳じゃな

いと思うけど、景観を考えてこういう

デザインにしたのでしょうか。


創業何年かは知りませんが、かなり古

くからご商売をされているようです。

もちろん全てハンドメイドですが、採

算がとれるのかなあ。

ガラス越しに撮ったので対面の景色が

写ってしまってますが、いろいろ角度

を変えてみてもダメでした。


こちらは骨董品屋さんのようです。

「臨時休業」の札がかかってます。

空いてたらちょっと覗いてみたかっ

たのですが残念でした。

といっても買うわけじゃありません

けどね。

どんな物が置いてあるのか見てみた

かったもので。

前回、看板だけUPした薬局です。

ど真ん中に写っているのが、アースの

噴霧器です。

ああ、懐かしいなあ…。

反対側の景色が写りこんじゃってます

が、まあお許し下さい。

ショーウインドウに昔なつかしの薬用

品や看板などが見えますが、店内はちゃんとした薬を売られているので心配は無

用です。

奈良では超有名な「陀羅尼助丸」もここでは売られていませんでした。

まあ、全国的には「陀羅尼助丸」よりも「正露丸」の方が有名ですしね。

成分や効能はたぶん同じようなモノだと思います。



タイムスリップ

2007年01月14日 | 過去の記事
関宿は古くから交通の要衝で、伊勢鈴鹿の関が置かれていたところから、関の名も

この鈴鹿の関に由来しています。


江戸時代には、東海道五十三次の江戸

から数えて47番目の宿場町として参勤

交代や伊勢参りの人々などで賑わった

そうです。

現在、東海道の宿場町のほとんどが旧

態をとどめない中にあって、数少ない

歴史的な町並みが残されている場所でもあります。

関宿の範囲は、東西追分の間約1.8km、25haにも及び江戸時代から明治時代にかけ

て建てられた古い町屋200軒あまりが残っています。


真新しい感じの薬局の看板です。

シオノギ製薬の特約店のようですが通

りに面したガラス越しに置かれてあっ

たのは、昔なつかしの薬用品です。

今は殺虫剤はスプレー缶式のものがほ

とんどですが、昔の霧吹き式の容器が

置かれてあったり…

あまり言うとワタクシの年がばれちゃうので(別にばれても構わないんだけど)

書きません。

それにしても看板の下に書かれてある電話番号が45番だけです。

もちろん今は45番にダイヤルしても繋がらないでしょう。(そんなこと言われ

んでもわかってるって? いや、これはどうも失礼しました。)


屋根瓦のついた立派な庵看板です。

この写真と次の写真は同じ看板の表と

裏です。

書かれてある文字が違いますね。

片側は漢字、反対側はひらがな。

これは、どういうことかというと

東海道五十三次の始点と終点つまりは西側(京都側)が漢字で書かれていて、

東側(江戸側)がひらがなになってます。



旅人が向かう方向を間違えないための

工夫だといわれています。

江戸で思い出したけど英語の授業で

「私は東京に住んでいますを過去形で

いいなさい。」といわれて、

「I leved in EDO.」って言ってた奴がいたっけなぁ。

それぞれ

2007年01月12日 | 過去の記事
今日も寒かったね。
それはわかるんだけど
アンタの乗ってるの、オイラの車なんだよね。
まあ、エンジン切ってそう時間も経ってないから
あったかいのはわかるけどさ

いやいや、足跡で汚れるのは洗車したらすむことだから
それを とやかく言うつもりはないよ
でも、その爪で傷をつけられて錆びてきたりしたら
また塗装してもらうのにお金もかかるんでね。

おいおい、どうしてそんなに睨むんだい?
まるでオイラが悪いみたいじゃない。

それにしてもアンタは本当に寒がりだねえ。



この子達を見てみなよ
まあ真ん中の子は普通だけどね
後ろの子は半ズボンだぜ
前の子なんか半そでに半ズボンだぜ
お前さんに比べたらこの子たちは元気だよ



朝から寒いのに 犬の散歩ですか
けど、なんか犬を散歩に連れて行くというより
犬が散歩に連れて行くように見えるのはオイラだけ?
トラックから降りてきた人の顔も
そう言ってるように見えるんだけど


ま、こういう寒い日は
仕事を終えたら、こういうのがいいですな。
酔いに任せて記事投稿するのも
思いつきで書けるから いいのかもね。
後で読んだら誤字脱字だらけかも知れないけど
「寒いのにロックか」だって
いいのいいの オイラ、ロックが好きだから
でもこう寒いと、お湯割の方が良いかもねえ。

☆アルバム「空・雲」に写真4点UPしました。

寒ッ!

2007年01月10日 | 過去の記事
寒い朝でした。霜が降りてました。


この時期はお天道様が顔を出すのも遅いです。



そして夕方5時にもなると、薄暗くなってきます。



早く家に帰って暖かいご飯食べよっと。




今日も昨日に続いてアルバムに花の写真を17点アップしました。
是非、覗いてみて下さい。
昨年10月に大阪府河内長野市にある花の文化園で撮ったものです。
カメラはペンタックスのK100D、レンズはタムロンの90㎜マクロ(232E)です。
このレンズはなかなか評判がいいのですが、どうもK100Dとは相性がよくないのか
AFがほとんど効きません。
迷いに迷った挙句ピントが合わない、あるいは最初っからピントを合わせるのを
あきらめているようなケースもあって困ってしまいます。
カメラあるいはレンズの個体自体に問題があるのかとも思いましたが、いろいろ
話を聞くところにとると、どうもそうではないらしく、カメラとレンズの相性の
問題のようです。
まあ、そんな訳でアルバムにアップした写真のほとんどはMFで撮りましたが
AFからMFへの切り替えは、レンズ側とカメラ側の両方を切り替えなければならず
少々面倒です。(C社やN社マウントのものは片方だけでOKのようですが…)
でも、結構きれいな写りをしてくれるので手放すつもりはありません。
ちなみに今日の記事内写真の最後のもの以外はコンデジで撮ったものです。

☆フォトアルバム「花 Flower」17点追加更新

多武峰

2007年01月08日 | 過去の記事
長次郎はひとり多武峰に来ていた。
幼い頃に父を亡くし、母親に育てられてきた彼が18のとき母が病に倒れ、以来、彼が
母の面倒を見、十数年の歳月が過ぎたある日、母があの世へと旅立った。
仕事のかたわら、母の面倒を診る毎日であったため、今も独り身のやもめ暮らし
ではあるが、母の百箇日も済み、農閑期ということもあって、ふと多武峰にある
談山神社へ行ってみることにした。
杉木立の林の中をひたすら歩いた。
寒い朝であった。

飛鳥・法興寺で行われた蹴鞠(けまり)会で出合った中大兄皇子(後の天智天皇)
と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りの頃、談山神社裏山で極秘の談合
がされた。
「多武峰縁起」によれば、この談合により蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び文
治政治の完成を成し遂げた。
時に645年、大化の改新です。

「もし、お尋ねいたしますがのう。だんざんじんじゃというのはこちらでござい
ますかいのう?」
「だんざんではなくたんざんと読むのじゃ。」
「は、そうでしたか。談山と書いてたんざんと読むのですか。」
「ご参詣のお方か。いかにもここが談山神社じゃ。」
「やはり、そうでしたか。お参りさせていただきますじゃ。」
長次郎はずっと昔、ここ多武峰・談山神社に来たことがあるような気がしたのだ
が、定かでない。
お社は古く、歴史を感じさせるものであった。
特に信仰心に篤いということもない彼ではあったが、不思議に厳かな気持ちにな
るのであった。
お社の中を見てもいいというので、中に入ってみると、中大兄皇子と藤原鎌足に
関する書物と並んで、唯摩大師の掛け軸が架けられてあった。
「神社なのに僧侶の掛け軸があるのは、いかなる理由ですかい?」
「元に行き着けば、神も仏も一緒じゃ。」

本殿を出て少しいくと東殿があり、ここは別名「恋神社」と呼ばれている。
縁結びの神様らしい。
滅多に神頼みはしない彼ではあったが、母とも死に別れ兄弟も親戚もいない彼は
賽銭箱に小銭を入れると願い事をした。
「あっしは、この年になるまでずっと独り身です。どうか良い御縁がありますよ
うに。いえいえ、器量好みはいたしません。けど、あっしが30半ばなのに、相手
は80過ぎって、そういうのはあきませんで。」
社の脇に奥へと登っていく小径があったので、「どうせこのまま帰っても、誰も
待つ人もおらんし」と、彼は行ってみることにした。
大木に囲まれた小径は昼間でも薄暗く、物の怪でも出てきそうな感じだ。
しばらく歩くと、小さな祠が見えてきた。
三天稲荷神社と書かれてあった。
ここまで来る人はあまりいないのか
祠は随分と朽ちていた。
長次郎は懐から手ぬぐいを出して、柱や床を拭くことにした。
「いやあ、こんなもんしか持ってこんかったんで、大したことはできませんが、
少しは綺麗になりましたやろ。」
日も傾き始めたので、長次郎は祠に手を合わせ、家路を急いだ。
まもなく一匹の狐が長次郎の後をつけだした。

家に帰った長次郎は、夜の帳もおり布団を敷いて寝ようと思ったところ
表の木戸を叩く音がする。
開けてみると一人のうら若き女子が立っていた。
「今日はどうもありがとうございました。滅多に来る人も無く、すす汚れてまし
たところ、丁寧にお掃除をしていただき感謝の言葉もございません。聞くところ
によると、あなた様はいまだ独り者。どうか私を女房に…。」

こうして長次郎はその後、夫婦仲睦まじく暮らしたそうな。

え~っと、ここから先はフィクションではありません。
息子がバイト先で従業員割引券をもらってきたので
一家揃って「寿司食いねえ。」
ということで、息子のバイト先の寿司屋さんに行ってきました。
一応、回転すしではありますが、ネタは新鮮でしたよ。
(一皿百円ではありません。も、ちっと高級です。)
最初は遠慮がちだった皆も
食うわ食うわ。まあ若いって証拠なんでしょうな。
私?私も、もちろん食べましたよ。
といっても子供たちには負けますがね。
「みなさん、どんどん食べて下さいよ。
勘定は彼(息子)の給料と相殺しますから。」
思わず咽る息子。
もちろんお勘定は私が払いましたよ。

私も結構頂きましたが、
私の場合はもっぱらこちらのほうです。



オレ、アホですねえ。

2007年01月07日 | 過去の記事
いやあ、オレってアホですわ。
別ページにフォトギャラリー作ったのはいいのではありますが
行き先ごとにアルバムにしてしまったので、考えてみればこのままいくと
ものすごい数のアルバムが出来てしまうことになることに気付いたんですわ。
ん~、気付くのが遅い。
第一管理するのが大変なので、はたと困ってしまいました。
で、思いついたのがテーマごとのアルバムを作るということです。
既にアップしたものは、当分の間、残しておきます。
それでとりあえず第一弾として、紅葉の写真を集めてみましたので
既にご覧になったものもあるかも知れませんが
新たにアップしたものもあるので、よかったら立ち寄ってみてください。

☆フォトアルバムに紅葉の写真30枚UPしました。

帰省

2007年01月06日 | 過去の記事
例年、年末年始は相方の実家に帰ってるのですが、今回は大晦日に用事があって
私を除く家族全員が帰省してきました。
まあ、そんなこともあって私1人今日は日帰りで行ってきました。
(最初の写真は昨年5月に撮ったものですが、あとは全て今日撮ったものです。)
以前にも書いたと思いますが、相方の実家は和歌山県の龍神村にあります。
私の住んでる奈良県とはお隣の県ですが
車で約3時間かかります。
距離的にはうちから和歌山に向かって
高野山を越えて行くのが最短距離ですが
この時期は高野山と龍神温泉を結ぶ、高
野龍神スカイラインは夜間通行止めで、
昼間でも積雪によっては通行止めになる
こともあり、また時間的には高速道路で
大阪に出て高速道路で和歌山まで行って
そこから龍神村に行くのと大差ないので
高速を使って行って来ました。

途中で魚を買って行こうと思ったけど、
早すぎて目的のお店が空いてなかったので
急遽、白浜まで走ることにしました。
何年前か忘れたけれど、「とれとれ市場」
なるものが白浜にできたことを聞いてい
たので、行ってみることに。
和歌山で魚といえばマグロ、カツオ、伊勢
えびなどと並んでクエが有名です。
養殖の冷凍モノは鍋物にして食べたことが
あるけれど、天然モノは食べたことがなく
いつかは食べてみたいと思うのですが、な
んといってもお値段のほうが結構なもので
結局、実家に持って行く分だけ買いました。

お天気の方は、予報どおり大荒れです。
晴れそうならば夜明け頃白浜に着くように
出発して、朝日を撮って来ようと思ったの
ですが、残念でした。
実家で「明日も休みなら泊まっていくか」
と言ってもらったのですが、大荒れの天気
は明日も続きそうで、場合によっては雪に
なるかも知れなさそうだし、タイヤチェー
ンも携行してこなかったので、お昼ごはん
を頂いて1時間ほどうたた寝をして、帰っ
てきました。
田舎は空気が澄んでるせいか、いつも沢山
食べてしまいます。

お天気の方も回復どころか、だんだんと雨
も激しくなってくるようなので、午後3時
過ぎ出発したのですが、もう夜かと思える
くらい暗くて霧も出ていたので運転はいつ
も以上に慎重に。
でも街灯も無い山道で暗くて霧も出ている
にもかかわらず、ライトも点けずに走って
くる対向車がいてビックリしました。
前がみえているのかなぁ?
和歌山の紀ノ川SAに着いた時は午後5時
を少し回ったところでしたが、あたりはも
うかなり暗かったです。
家にはとれとれ市場で「アンコウ」を買っ
てきたので、今夜はあんこう鍋です。
4~5人前のあんこうが約2人前のクエの半
額以下。
いかにクエが高級かってことですね。