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日々の写真のページです。

多武峰

2007年01月08日 | 過去の記事
長次郎はひとり多武峰に来ていた。
幼い頃に父を亡くし、母親に育てられてきた彼が18のとき母が病に倒れ、以来、彼が
母の面倒を見、十数年の歳月が過ぎたある日、母があの世へと旅立った。
仕事のかたわら、母の面倒を診る毎日であったため、今も独り身のやもめ暮らし
ではあるが、母の百箇日も済み、農閑期ということもあって、ふと多武峰にある
談山神社へ行ってみることにした。
杉木立の林の中をひたすら歩いた。
寒い朝であった。

飛鳥・法興寺で行われた蹴鞠(けまり)会で出合った中大兄皇子(後の天智天皇)
と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りの頃、談山神社裏山で極秘の談合
がされた。
「多武峰縁起」によれば、この談合により蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び文
治政治の完成を成し遂げた。
時に645年、大化の改新です。

「もし、お尋ねいたしますがのう。だんざんじんじゃというのはこちらでござい
ますかいのう?」
「だんざんではなくたんざんと読むのじゃ。」
「は、そうでしたか。談山と書いてたんざんと読むのですか。」
「ご参詣のお方か。いかにもここが談山神社じゃ。」
「やはり、そうでしたか。お参りさせていただきますじゃ。」
長次郎はずっと昔、ここ多武峰・談山神社に来たことがあるような気がしたのだ
が、定かでない。
お社は古く、歴史を感じさせるものであった。
特に信仰心に篤いということもない彼ではあったが、不思議に厳かな気持ちにな
るのであった。
お社の中を見てもいいというので、中に入ってみると、中大兄皇子と藤原鎌足に
関する書物と並んで、唯摩大師の掛け軸が架けられてあった。
「神社なのに僧侶の掛け軸があるのは、いかなる理由ですかい?」
「元に行き着けば、神も仏も一緒じゃ。」

本殿を出て少しいくと東殿があり、ここは別名「恋神社」と呼ばれている。
縁結びの神様らしい。
滅多に神頼みはしない彼ではあったが、母とも死に別れ兄弟も親戚もいない彼は
賽銭箱に小銭を入れると願い事をした。
「あっしは、この年になるまでずっと独り身です。どうか良い御縁がありますよ
うに。いえいえ、器量好みはいたしません。けど、あっしが30半ばなのに、相手
は80過ぎって、そういうのはあきませんで。」
社の脇に奥へと登っていく小径があったので、「どうせこのまま帰っても、誰も
待つ人もおらんし」と、彼は行ってみることにした。
大木に囲まれた小径は昼間でも薄暗く、物の怪でも出てきそうな感じだ。
しばらく歩くと、小さな祠が見えてきた。
三天稲荷神社と書かれてあった。
ここまで来る人はあまりいないのか
祠は随分と朽ちていた。
長次郎は懐から手ぬぐいを出して、柱や床を拭くことにした。
「いやあ、こんなもんしか持ってこんかったんで、大したことはできませんが、
少しは綺麗になりましたやろ。」
日も傾き始めたので、長次郎は祠に手を合わせ、家路を急いだ。
まもなく一匹の狐が長次郎の後をつけだした。

家に帰った長次郎は、夜の帳もおり布団を敷いて寝ようと思ったところ
表の木戸を叩く音がする。
開けてみると一人のうら若き女子が立っていた。
「今日はどうもありがとうございました。滅多に来る人も無く、すす汚れてまし
たところ、丁寧にお掃除をしていただき感謝の言葉もございません。聞くところ
によると、あなた様はいまだ独り者。どうか私を女房に…。」

こうして長次郎はその後、夫婦仲睦まじく暮らしたそうな。

え~っと、ここから先はフィクションではありません。
息子がバイト先で従業員割引券をもらってきたので
一家揃って「寿司食いねえ。」
ということで、息子のバイト先の寿司屋さんに行ってきました。
一応、回転すしではありますが、ネタは新鮮でしたよ。
(一皿百円ではありません。も、ちっと高級です。)
最初は遠慮がちだった皆も
食うわ食うわ。まあ若いって証拠なんでしょうな。
私?私も、もちろん食べましたよ。
といっても子供たちには負けますがね。
「みなさん、どんどん食べて下さいよ。
勘定は彼(息子)の給料と相殺しますから。」
思わず咽る息子。
もちろんお勘定は私が払いましたよ。

私も結構頂きましたが、
私の場合はもっぱらこちらのほうです。