Any Color You Like

日々の写真のページです。

アナタは女王様、なら私は王子様ッ!

2006年07月31日 | 過去の記事
大佐(弟のこと)が、ブログでちょくちょくオカンネタを書いている。

いろいろ笑わせてくれるオカンではあるけれど

わが親のことをあまり酷くも書けないし、自分を産んでくれたのだから

感謝こそすれ、ネタにするのはちょっとはばかられたりもするし

第一ネタが大佐とかぶってもイカンので、あまり書かなかったのではあるけれど

ま、許される範囲では少しくらい書いても良いかと思うので

久々の身内ネタを書きます。(前置きが長いって、すんません。)


先日のこと、オナラが出そうになって…

「あッ、オナラ出そう。」
「したらアカン。」
ブッ!
言い終わるや否やオカンがオナラをした。

「人にオナラしたらアカンて言うといて、自分がしてるやん。」
「私はこの家の女王様やから、ええねん。」
「ほー、女王様は良くて、王子様はオナラしたらアカンのかいな?」
「ケッ、そんなぶせ~くな(不細工な)王子様なんて、おらんやろ。」

あんなぁ、オカンが女王様なら、その女王様から産まれたワシは

王子様になると思うんやがなぁ~。

で、結局オナラ出そうと言ったワシはオナラが出んかった。

どうやら、女王様の一言に、びびったオナラはワシの体内にひっこんでしまった…みたい。



ある晴れた日に 前編

2006年07月30日 | 過去の記事
つい先日の大雨が嘘のように、ここ数日はうだるような暑さが続いていた。

が、電車に乗って1時間、そこからバスに乗って20分ほどのところにある

奥深い山と渓谷に囲まれたこの場所は、街の暑さが嘘のように涼しい風が吹いていた。

風だけではない。街ではシャワシャワと、思わず「じゃかましいわい。」

と怒鳴りたくなるような、クマゼミの声が連日のように暑さを倍加させているが、

ここではセミは鳴いているもののミ~ンミ~ンと鳴くミンミンゼミかツクツクボウ

シであり、それだけでも街のジメジメした暑さから開放された気分になる。

あまりの気持ちよさに、水筒を出して冷たいお茶を飲んで、川原に寝そべりながら

空を見上げていると、いきなり「オジサン、痛いやんか。」

という声がしてビックリして起き上がったのである。

周りを見ても誰もいないので、「何だ、空耳か。それにしては、妙にハッキリ聞こ

えたなあ。」と思ったが、また、川原の草の上に寝転がろうとしたら

「オジサン、痛いやんか。」と今度はハッキリと聞こえたので、

上半身を起こし周りを見回したが、やはり誰もいない。

対岸のお土産屋さんが店を開け始めたらしいが、そこに見えるオバサンの姿はこち

らに気が付いていない様子で、その他には人が見えないので、一体誰が喋ってるの

かと辺りをキョロキョロ見回していたら

「どこ見てるん、オジサン。ここや、ここや。」という声がするので見てみると、

そこには名も知らぬ小さな桔梗のような花が咲いていた。


「今、喋ったのはお前か?」

「まあ、初対面で『お前』って随分失礼な言い方やない。」

「ああスマンスマン。名前知らんからなぁ。桔梗の花に似てるから『キキョウちゃ

ん』でいいか?」

「そりゃ、構わないけど、オジサンさっきから、私の茎の上に乗っかってるから、

苦しくてしゃあないやんか。」

「あ、それは悪かったなあ。けどお前…じゃなくてキキョウちゃんは植物のくせし

て話ができるんか?」

「オジサン、植物のくせしてって失礼やで。まあ、ええわ。

ワタシはいつも話してるよ。けど、聞こえる人と聞こえへん人がおるみたい。」

「へ~。けど、関西弁話す花も珍しいなあ。」

「何言うてんのん。オジサンが関西弁話すから、ワタシも関西弁で話してんねんやん

か。オジサンが標準語話すんやったら、ワタシも標準語で話すし、英語で話すんやっ

たらワタシも英語で話すよ。」

「おッ、キキョウちゃんはバイリンガルやな。」

「えっへん。って自慢することでもないねんけどね。だいたい話すっていっても、

いわゆる言語を使ってるんやなくて、オジサンの頭の中に波動で働きかけてるから

関西弁とか標準語とか英語、フランス語、ロシア語、ハングル、スワヒリ語…言語

なんか関係ないねん。」

「キキョウちゃんは植物のくせにスゴイねんなあ。」

「オジサン、わかってないね。だいたい『植物のくせに』というのが、人間がこの

世の中で一番偉いって思ってる証拠やね。それは人間のおごりというもんやよ。」

「まあ、『植物のくせに』と言ったことは誤るけど、でも、人間は万物の霊長って

いわれてるんやで。」

「ふ~ん。じゃあ、その万物の霊長っていわれているオジサン達でも、私ら植物が

存在してなかったら生きて行かれへんやん。」

「けど、植物がなくたって家は建つで。鉄とかコンクリートとか木の代わりになる

ものは、あるしなあ。」

「オジサン、そんな一部分だけ見てモノを考えたらアカンと思うよ。第一、二酸化

炭素を吸って酸素を吐き出すワタシらがおらんかったら、オジサンたちだって生き

て行かれへんやん。 『風が吹けば桶屋が儲かる』って話、知ってる?」

「知ってるよ。昔、江戸の町を強風が吹き荒れる年があって、これだけ毎日強い風

が吹くと、砂埃が舞い上がってそれが目に入って失明する人でいっぱいになるんじ

ゃないかと考えた人がいて、失明する人が増えたら出来る仕事も限られてきて、三

味線片手に唄をうたうという人が増えてくる。三味線の需要が増えてくると、三味

線の胴の皮の部分に使う猫の毛皮が沢山いるようになる。三味線を作るために猫の

数は減ってくるから、猫を天敵とするネズミの数が増えてくる。ネズミは桶をかじ

るからネズミの数が増えてくるとかじられる桶が多くなってくる。かじられた桶は

使い物にならないから、桶の需要が増え桶屋が儲かるっていう話やろ。」

「オジサンよく知ってるやん。感心、感心。」

「こう見えても、ワシ算盤2級やねんぞ。」

「関係ないやん。それより、そのネタ岡八郎みたいやな。」

「お、キキョウちゃんは、よしもと新喜劇知ってんのか?」

「そんなことは、どうでもええねん。で、結局その年、桶の需要が多くなると考え

たこの人、大量の桶を買い込んだんやけど、外出する人も少なく、顔を覆いながら

歩いたから失明する人もいず、大量に買い込んだ桶の支払いに追われたため旅に出

るんやけど…。」

「その話が一体何の関係があるねんな?」

「ま、例えがちょっと悪かったかも知れないけど、全てのものは何かで繋がってる

ということなんやわ。ワタシら植物は枯れて死んだら微生物に分解されて土に還

り、肥えた土地になり、またそこから新しく命が育って、生物は花の蜜を吸い、植

物を食べて命を維持し、植物を食べる生物を餌にする生物がいて、その生物が死ん

だらそれを分解して土に還す生物がいてうまく循環してるんやよ。

ワタシらは枯れて死んだら、土に還ったり、あるいは川の流れに乗って海へと下っ

ていくんやけど、その間にも植物を分解したり生物の排泄物を分解する生き物がい

て、そのような生き物を餌にする昆虫がいて、その昆虫を餌にする魚がいて、その

魚が死んだらまたそれを分解する生物がいて、川の流れは清流となって海に流れる

んやよ。」

「ああ。何かそんな話、小学生の頃、学校で習ったなあ。生態系…やったっけ?」

「そうやね。海にたどり行いた川の水は、蒸発して雨雲となって山にも恵みの雨を

降らし、そうしてワタシらも育っていけるようになってるんやよ。」

「なるほどね。こんなところで郊外学習するとは思わなんだわ。」

「ワタシの話、面白くない?」

「いいや。すごく興味深い話やと思うわ。それに、キキョウちゃんの声、透き通っ

た可愛い声してるし、連れて帰って声優さんに推薦したいくらいやわ。」

「ウフフ。ありがとう。オジサンのこと好きよ。」

「…」

「わぁ~、オジサン赤くなってる。か~わいぃ~。」

「こらこら、からかっちゃあかんで。その喋り方現代っ子やネエ。キキョウちゃん

はもっと古風で奥ゆかしいと思ってたわ。」

「だって、こういう喋り方の方がオジサン喜んでくれると思ったんやもん。」

彼女は少しふくれっ面をしてプイとソッポを向いて風に揺れながら、私の言葉を待

っているようだった。

つづく

室生寺

2006年07月29日 | 過去の記事
今日は午前中、奈良県の東部にある室生寺に行ってきました。

奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地は、龍神の信仰を生み

雨乞いの祈願も度々行われてきたようです。

また厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女性の参詣を許したことから

「女人高野」と呼ばれています。

もちろん高野山が女性蔑視をしていた訳ではありません。

3億もの精子(最近では精子の数が減ってるといわれてますが…)のうち

受胎できるのはたった1匹だけ。残りの精子はどうなるのでしょう?

残りの精子は母親が1週間かけて体内で殺してしまうのです。

一つの命を生み出すために、残りの命を絶ってしまうのです。

そのような理由から高野山は女人禁制となっていたようですが、

室生寺は女性の済度もはかる道場として、その門戸を開いていたそうです。


5月には原生林に囲まれた胸突きの石段の横には石楠花(シャクナゲ)の花が

咲き乱れ

秋には紅葉、冬には雪景色と指揮その姿を変えます。

今は、天然記念物の暖地性羊歯の多い茂る奥の院への石段は

杉の大木が鬱蒼と並び、昼もなお暗い木陰を冷気がわたっています。

山のあなた

2006年07月29日 | 過去の記事
年次有給休暇というのがあって、毎年何日か平日に休みをとることになっている。

休みを取るといっても別段何をするということもなく

かといって家でゴロゴロしていたら相方が露骨に嫌な顔をするので

今までは涼みがてら映画なんかを観に行ったりしていたのだが

何か趣味を持ったらという周りの勧めでデジカメを買ったのがきっかけで

まあ、日頃の運動不足解消という目的も併せて最近は外出することが多い。


その日も良いお天気だったので、別にどこに行くということもなく

片道1000円までで行けるとこまで行ってみようという思いつきで

おにぎりとお茶などをデイパックに詰めて出かけることにした。

駅で960円の切符を買って各駅停車に乗って約1時間半。

朝、早いのと、通勤圏の反対方向のせいもあって電車の中はガラガラだった。

電車の揺れというのは気持ちのいいモノで何故か眠りを誘発させる。

ご多分にもれず私も車内でうとうとしてしまって

気が付けば降車駅の近くまで来ていた。

1時間半近く車内で居眠りしていたことになる。


駅に降り立つとまさに山里の田舎の駅という感じで

駅の前には食料品や日用雑貨を取り扱うお店が一軒あるだけであった。

この駅で降りたのは私と地元の人らしきおばさんの二人だけで

まだ朝とはいえ夏の日差しが照りつけるホームの木々では

セミがこれでもかというくらいに鳴いていて暑さに輪をかけている。

改札口を出た正面に見晴らしのよさそうな山が見えていたので

その山に行ってみようと、行く道を駅員に尋ねると

「山の方に向かって道なりに行けば頂上に行けますが

これといって特徴のない、観光の目玉になるようなものもない

しょうもない山ですよ。」と言ったが

別に何が目的ということもないので、周りの景色を撮りながら

ボチボチと登って行くことにした。

程なくして舗装路は地道となり、道路横を流れる川では

夏休みということもあってか数人の小学生が水遊びをしていた。

やがて人の姿もなくなり、幅2~3mの山道になり

噴出す汗を拭いながら、ただ頂上を目指して歩いた。

あの駅員が言ったとおり、本当になにもないところである。

二時間ちょっと歩いたろうか、ようやく頂上の辺りが見えてきた。

木々の間から見える景色は、遠くに山、田畑、民家、川、線路、空だけが見える

ただそれだけの景色で、この山に登る人はあまりいないのか

道の両脇も結構雑草が覆い茂ってる。

頂上近くにちょうど木陰になっていて、椅子代わりによさそうな大きな石が

ある場所があったので、ここで昼食をとることにした。

時計を持ってこなかったので正確な時間はわからないが

太陽の位置からいって、ほぼ正午に近いと思われる。

山道にはいって誰ともすれ違わなかったが、なるほど

観光になるものもなく、宣伝もされてないせいもあるだろうが

ちょっとしたハイキングコースとして紹介できそうな感じもした。

おにぎりとお茶をデイパックから取り出すと突然背後から

「オジサン」と呼ぶ声がして、ギョッとした。

ここに来るまで誰ともすれ違わなかったし、一体誰が…

「オジサンの持ってるお茶とおにぎり少し貰えませんか?」

見ると二十歳前くらいの女の子。

「ああ、別に構わへんけど。何であんたはこんなとこにおるんや?」

遠慮なくいただきますというや否や、

彼女は私の差し出したおにぎりをほおばりながら

「オジサンがここに来るのを待ってたんやけど、

待ちつかれてお腹ペコペコや。」

「けど私が今日この山に来ることは誰も知らんはずやで。」

「いいえ。私はオジサンが今日この山に来ることは私にはわかっていたし

話を聞いてもらおうと思って待ってたんです。」

何やら訳がわからんけど、話を聞くことにした。

彼女は幼い頃に両親に死に別れて、親戚の家にひきとられて育てられたんだけど

世間で言われてるようにマトモな生活は出来ず、

学校に入っても陰気で器量もよくなく、無口で暗いコドモだったから

友達も出来ず生きてることも面白くなかったという。

「それに、ブサイクだし…。」

「そうかなあ、結構美形やと思うけど。」

「ありがとう。でもお世辞はいわなくてもいいんやよ。」

お世辞ではなく、正直美人だと思ったのだが…

「オジサン、今幸せ?」

ギクッとした。

実は今日ふらっとここに来たのも特別の理由があったわけじゃないけれど

何に不満があるという訳じゃなく、このまま一生を終えて

果たして自分は幸せなのかというようなことを最近よく考えていたからである。

彼女の話は続いた。

陰気なため小学校、中学校と友達もできず、中学卒業と同時に

働きに出たけどここでも仲間ととけこめず

朝から晩まで働いて後は寮で風呂に入って寝るだけの毎日

何のために生きてるかわからなくなって、この山で人知れず死のうと思って

来たところ一人の老人に引き止められ

「まあ、どうしても死にたいならワシの話を聞いてからでも遅くはなかろう。」

という老人の話を聞いているうちに死ぬのを思いとどまった

のみならず、生きる希望が湧いてきたのだという。

「それで、あんたは幸せってなにかわかったのかな?」

「はい。わかりました。」

「ほう。それはどんなものなのかなあ?」

「形があるようでない。色があるようでない。臭いがあるようでない。」

「それならないのと同じと違う?」

「いいえ。無いようだけどあるんです。ふわふわとしていて暖かくて…。」

「どこに行けば幸があるっていうんだい?」

「オジサン。何も遠くに行く必要はないのですよ。

オジサンのすぐ近くにも、オジサンの体の中にも、それはあるんです。」

「…」

「ありがとう。オジサン。おにぎり美味しかったよ。」

そういうと彼女は立ち上がって歩き出した。

まだ続きを聞きたかったので追いかけたが、彼女は風のようにいなくなっていた。

気がつくと、もう日が西にだいぶ傾いていた。

今夜の夕食は何かなあ…そんなことを考えながら私は山を下りるのだった。

アクティブリスニング

2006年07月28日 | 過去の記事
前々回の記事で、受容・非受容ということを書いたけど

Cに入る(自分は受容(=問題なし)で相手が非受容(=問題あり))

パターンの一つに「相談」があります。

誰しも兄弟・家族・友人・部下…などから相談されたことはあると思うけど。


他人が問題を抱えているとき、私らは自分の考えや経験をもとに

忠告や提案という形で、相手に助けの手をさしのべたりします。

相手が問題を抱えていなければ障害にはならないどころか

提案や指導は却って建設的ではあるけれど

相手が障害を抱えているときはこういったことが障害になることがあります。

①命令・指示

 「泣き言ばかり言ってたのでは何も始まらないよ。」

  ・自分の感情を権威で押さえつけられる危機感を感じる。

②脅迫・警告・注意

 「やめるのは自由だけど、後悔するよ。」

  ・おどしの結果として本心からのコミュニケーションができなくなる。

③説教

 「仕事というものはだね…」

  ・過重な義務感・罪悪感を作り出す。

④提案・助言・忠告

 どうしたら悩みが解決するか助言する。相手に変わって解決策を出してやる。

  ・依頼心が生じるか、あるいは反抗的にさせる。

⑤講義・説得

 事実、論理、自分の意見などで相手に影響を与えようとする。

  ・反論を誘発する

⑥非難・批判

 「少し嫌なことがあったからって、辞めるなんて考えが甘いんじゃない?」

  ・未熟者・愚鈍だと思ってることを相手に暗示する。

⑦同意

 肯定的な評価をしたり賛成したり同意したりする。

  ・「自分の気持ちを理解していないのに」と自分を軽く見られたと不愉快になる。

⑧侮辱

 悪口を言う。馬鹿にする。

  ・完全に怒りがたまり売り言葉に買い言葉のケンカになる。

⑨解釈

 問題の原因を聞き手の主観で分析したりする。

 ・わかってもらってない、信用されたないと相手が思ってしまう。

⑩同情

 今の気持ちから抜け出させようとする。

 ・相手が依存的になる。あるいは「言うのは簡単だ」と敵対意識をひきおこす。

⑪尋問

 原因・動機・理由を知ろうとする。

 ・避けたり、嘘をついたり半分だけ本心を言ったりする。

⑫ごまかし

 悩みから相手をそらさせようとする。

 ・こんな人に話しても意味がないと話す気がしなくなる。

以上のようなことは、相手が問題を抱えているときにはカウンセラーとか

心理療法をする人は絶対に使わない例だそうです。

相手が話すのをやめ、劣等感を持ち、自己の評価を下げ、防衛的になり

怒りを爆発させ、受容されてないと感じる危険性を伴うからです。


ほな、一体どうしたらええねん?

ドアオープナー(心を開く言葉)というのがあります。

これは、自分の考え、判断、感情を相手に全然伝えないで

相手にその考え、判断、感情を話すように勧める一番簡単な方法です。

1.沈黙(黙って聞く)

2.あいづち(はっきりと意見をさしはさまない受け答え)

3.ドアオープナー(「それについてもっと知りたいんです。」

「どんどん話して下さい。」など聞く側の意思を伝える。)

1.2.は話を引き出す力があり、また3.は最初の段階で

相手にもっと話すよう勧める役目をします。

しかしこれにも限界があるそうです。

理由は

1.具体的な言葉がないので、相手は物足りなく感じてしまう。

2.相手の言うことを本当に理解しているか相手にはよくわからない。

3.相手を受け入れているかどうか相手には確信が持てない。

4.もっと親密に充分わかりあえる力がない。

この限界のないのが、カール・ロジャース博士が考えた

アクティブリスニング(積極的な話の聞き方)といわれています。

アクティブリスニングには、繰り返す・話をまとめる・気持ちを汲む

という三つのレベルがあるそうです。

興味のある方はここにいってみては…。職場だけでなく家庭でも使えると思いますよ。

知ったがために…

2006年07月27日 | 過去の記事
25~26日と実家の近くの祭でした。

地域との関わりで参加するようになって16年になります。

祭の会計を何年かした後、大阪から奈良に転居しましたが

未だに、この2日は祭のために仕事を休んで参加してます。

今も、会計の補佐ということで行ってますが、人によっては

「何で仕事休んでまで、祭なんかいくねん。」という人もいますが

蒲団太鼓あるいは神輿やだんじりの宮入は、やはり意味のあるものです。

まあ、それはさておき

別枠の「デジカメ散歩」を見た人はもうお気づきやと思いますが

とうとうデジタル一眼を買いました。

「知らなかったら、知らないまま済んだんやけどなぁ。

実際にデジイチを触っちゃうと欲しくなるんやよなぁ。」

「それはわかるけど、プロがつかってるようなやつだと30万はするぞ。

それにな、レンズもいろいろ揃えるとビックリするような金額になるぞ。

第一お前に使いこなせる技量はあるのか?」

「わかってる。いいなあとは思うけど、買うのはあきらめる。」

「そや、それが賢明というもんやで。たいした写真も取れないアマチュアが

そんな大金つぎこんでどうするねん。」

「そうやな。あきらめるわ。」

一旦はあきらめかけたが…ある日、今あるデジカメの液晶保護シールが

ダメになりかけていたので、近くのカメラ屋さんに買いにいった。

すると、店内に「本日発売」と書かれたカメラがこちらを見ていた。

「オジサン、ワタシヲ、アナタノモノニ シテ。」

こっちを見て、そう訴えかけている。

「しかしなあ、予算が足らんやろ。けど、ちょっと見せてもらうわ。」

ご本人は鍵のかかったショーケースに鎮座しているので

釣書(いわゆるパンフレット)を見せてもらうことに。

「ワタシハ シサンカノムスメデモナイシ キリョウヨシデモアリマセンガ

アナタノオソバニオイテイタダケレバ キットアナタノオヤクニタッテミセマス。

ドウカ ワタシヲ ヨメニモラッテヤッテクダサイマシ。」

思案してると店員さんがやって来て、「実際に手にとってみますか?」という。

ISO(感度)の一番下が200からというのと、

プリズムではなくミラー形式というのが少しマイナス要因だけど

そのカメラ屋さんでのカメラ本体販売価格が6万7千円。

10月末まではメーカーから1万円のキャッシュバックがあって

オールカラーのガイドブックつき。

「あかん。もうあかん。下さいッ!」言ってしまった。

かくしてK100Dは私のところに嫁入りしたのであります。

(※ 今日の画像は一眼ではなく、コンデジで撮ったものです。)


ジョハリの窓 応用編?

2006年07月25日 | 過去の記事
7月7日付の記事でジョハリの窓について書きましたが

自分と他人(相手)を4分割して考えると、いろいろ面白いことがわかります。

自分が受け容れることが出来、かつ相手も受け容れることが出来るぶぶんをA。

相手はOKだけど自分がOKでない部分B。

自分はOKだけど相手がOKでない部分C。

自分も相手もOKでない部分D。

自分も相手もOKならば、な~んも問題はないんやが

中々、世の中そうはいかんもので、

第一、自分のOKエリアも時間や場所、相手、そのときの気分なんかによって

変わってくるのが始末が悪い。

「あなたは夫(妻)または恋人との待ち合わせの時、

どれくらいの時間なら相手が遅れてきても許せますか?」…

5分? 10分? 30分?

中には一分たりとも受容できないという人もいれば

1時間くらいなら我慢できるという人もいることでしょう。

また、その日の気分によっても変わってくるのではないでしょうか。

相手によっても違ってくるかもね。

また、相手が同じでも時間が違えば…つまり

恋人同士のときは、多少の遅れは平気でも

結婚して10年もすると、2~3分の遅刻でも許せん。

なんてことあるんじゃないでしょうか。

ワタクシ?ワタクシの場合は大丈夫ですよ。

だってねえ。周りはみんな時間を守る人ばかりですから。

自分がOKで相手がOKでないとき

相手がOKで自分がOKでないとき

自分も相手もOKでないとき…

どうしたらいいのでしょうか?

そのヒントは…また、次回にでも書きます。

「もったいぶらんと早よ書かんかいッ!」

「いけず~う」

そうです。ワタクシこう見えてもイケズです(笑)。

ま、ちょびっとずつ小出しに、気が向けば書いていきますわ。


アルファ波

2006年07月24日 | 過去の記事
バシッ! 「ひいぃぃぃ~。」  
ビシッ! 「ひいぃぃぃ~。」

館の中から響きわたる悲鳴。

すわッ!ここはSMの館かッ?


いえいえ、ここは座禅の道場です。



脳波には5種類あって

γ(ガンマー)波…興奮状態のときの脳波

β(ベーター)波…普通の意識状態のときの脳波

α(アルファ)波…安静型のくつろいだときの脳波

θ(シーター)波…浅い眠りのときの脳波

δ(デルター)波…深い眠りのときの脳波

で、α波が良いってことはよく知られていることですが

一体何がいいのでしょうか?

α波は自律神経を安定させる働きがあるようで

自律神経が安定すると自然治癒力が向上するのです。


「けど、意識してα波がいつも出るとは限らんやん。」

そうやねえ。世の中には、いつでもα波の状態になれる人もおるみたいやけど

中々、そうはいかないですよねえ。


座禅を組むとα波が出やすいというけど、な~んでか?

実は呼吸にあるのです。できるだけゆっくりと呼吸すること。

吐く息と吸う息を20秒で一回、一分間に3回の呼吸が良い。

と、ある方が言うたはりましたが

なるほど、イライラしてるときや興奮しているときは

確かに呼吸は早いですわなぁ。ま、γ波がでてるんでしょうなあ。


よって、カッときたときは、ゆっくり呼吸するのがよろしいようで

不思議と落ち着きます。

が…ワタクシの場合、時折α波を通り越してθ波が出てしまうようで
「眠りの森の美女」ならぬ「うたたねオジサン」になってしまうのですわ。




京都旅行

2006年07月23日 | 過去の記事
昨日、今日と同業者の仲間9人で京都に行ってきました。

例年だと飲めや歌えやのドンチャン騒ぎになるのですが

今年は何故か幹事さんの意向なのか

一日目は座禅。宿坊に泊まって二日目の早朝は勤行。

といっても、観光客用に行ってるものだから

きつくはありませんでしたが

一日目の出発はちょっと早かったので、

京都に着いて座禅が始まる頃には

ウトウトしている人もいたようですが、まあ無事に済みました。

約30分間の座禅でしたが、その間畳の縁の両側が

眩しいくらいにキラキラと光っていて、不思議な感じがしましたが

9人行った内、キラキラが見えたのは3人だけでした。

「畳の縁、キラキラ光ってたよなあ。」

「うん。あれは一体何やってんやろう?」

そんなものは見えなかった6人が言うには

「もう、お迎えが来そうな者にだけ見えたんと違うか?」とのこと。

そんな、アホな。きっと心の美しいものだけに見えたのだと

そういうことにしておこう。

終わった後は、三年坂から清水寺へ。

朝から天気がよいのはいいんやけど、とにかく暑い。

何といっても京都は盆地やから、かなりの気温だったと思う。

国立博物館を見学して銭湯へ(あまりに暑いので)

夕方からはこの旅行のメイン。川床料理をいただきました。

なんとも、贅沢で風流なものでした。

御酒もいつものように飲み倒すというような飲み方ではなく

夜風を楽しみながら、静かに語らいながらいただいちゃったりなんかして

ああ、ワシもこんな飲み方ができるんや。と少々感動。

お値段のほうは思っていたよりは安かったです。

翌日は朝から雨で、写真もいろいろ撮りましたが

最初に撮った写真が暗かったので

画像が荒れるのを承知でISO1600に設定して撮ったのですが

その後、その設定を戻すのを忘れたので2日目の写真は

全てISO1600の高感度撮影になってしまい。

画像は全て粗いものばかりになってしまいました。

ま、その辺の様子は超私的ブログにでも書きますわ。

それにしても、雨の日の撮影は大変でした。

デジカメ写真の撮影三大基本要素?

2006年07月22日 | 過去の記事
撮影の三大要素はピント・露出・構図だと、あるカメラマンが言ってた。

この三つに気を配って撮影すれば

期待した以上の写真をモノにすることも不可能ではないって語ってはった。

な~る。ピント・露出・構図ねえ。


デジカメってたいていオートフォーカスがついてるから

ピント合わせなんか簡単やんと思うけど

どこにピントを合わせるかというのは撮影者自身が決めなければならない

そして実はどこいピントを合わせたかが大変大事なことで

ピントを合わせる位置をぞんざいにしてはあかんということですな。


露出はシロウトにはわかりにくいと思うけど、

これもオートでとればカメラが勝手に適正露出を決めてくれる。

けれども出来上がった写真を見たら

思っていたより暗かったりあるいは明るすぎたりすることがあります。

露出補正をかけるにしてもどれくらいの補正量にすれば良いのか

けっこう迷ってしまうことも多いのですが

そんなときは露出を変えて何枚か撮るとか

カメラにオートブラケットの機能があればそれを使うとかして

その中からお気に入りを選べばいいと思う。

ありがたいことにデジカメは何枚写してもコストに影響しないし

不要なカットは削除できるので、ありがたいのであります。


「写真は引き算」らしい。(知らんかったわ。)

構図を決めるには余計なもの、不要なものは画面内に入れない。

というのが鉄則らしい。

それだけで、画面はグッと引き締まり写したいテーマが明瞭になる。

ふんふん。なるほど。

そういや、結構撮りたいものにピントが合ってなかったり

出来上がりが真っ暗あるいは真っ白な写真があったり

写真の中にいろんなものが写りすぎていて

一体、何をとりたいのかわからんちゅう写真があったりするけど

あまり神経質にならなくても、何枚も撮ってるうちに

だんだん上手になってくるような気がするんですわ。


ま、ピント・露出・構図はもちろん大切やし

知っておかなければならないことでしょうが、

ワタクシの場合、頭で理解するよりも

いっぱい撮りまくっていくうちに

どうすればうまく撮れるかということが

わかってくるような気がするのですが…。

間違ってる?


※ 大きな画像はここに載せている小さな画像をクリックすれば見れますので、よろしかったらどうぞ。