昨日、午後から奈良市内に行く用があったので
早めに家を出て薬師寺に行ってきました。
ちょうど家から奈良市内の中心部に向かう途中
薬師寺や唐招提寺のある西の京あたりを通るのですが
いつも通り過ぎるだけでした。
薬師寺も唐招提寺も過去に行ったことがあるのですが
今回は薬師寺拝観というよりも
その敷地内にある平山郁夫画伯が描かれた壁画が
大唐西域壁画殿にあり11月25日まで公開されているので
観に行こうと思ったわけです。
薬師寺の入り口券売所で
薬師寺の拝観はしません。壁画殿のみ拝観したい旨を告げると
そういうチケットはありません、セットで買って下さいとのこと。
壁画殿だけでいいんやけどなあ。半額にならんかなあ。などど思いつつ
セットで買わなきゃ入れないのなら買わなきゃ仕方ありません。
壁画は期待通り良かったのですが
やはり拝観者が大勢やって来る時間帯は避けた方が良いと痛感しました。
通路いっぱいに広がって通行をじゃましてるおばさんたち
大声でしゃべってる団体客
壁画の描かれた場所が中国かチベットかで言い合ってるオジサン
(残念ながら中国でもチベットでもありません)
ちょっと、うんざりです
まだ時間があったし、薬師寺も拝観できるので見てきました。
世界遺産となってるようですが
国宝となっている東塔、東院堂と
昭和50年代に建て替えられた大講堂、金堂、西塔
渋く歴史を感じさせる落ち着いた建物と
白壁・朱塗りの柱・緑色の戸の建物が
同じ敷地内に建っているのが
違和感があるというか、なんとなく調和が取れてない
そんな感じがしました。
mokaさんもおっしゃっていたことですが
金堂の中に収められている
国宝の薬師三尊佛も あまり感動しませんでした
派手な建物でかなりの光が入るお堂の中にあるというのが
なんとも味気なく思えました。
やはり、薄暗いお堂の中の少しの光が
仏像をより一層 際立たせるのだと思います。
どちらかというと東院堂の聖観世音菩薩像の方が
神々しく思えました。
「そこのお方、ちょっとお待ちなさい。」
「私ですか?」
「そうじゃ。少し私と話していかんか。」
「これから行かなきゃならないところがあるのですが、10分くらいならかまいません。」
「そなたに、お子はおありかのう?」
「はい、おりますが」
「お子が生まれるとき、そなたは何か思ったかのう?」
「はあ、まあ世間一般の親と同様、ただ無事生まれますようにと…。まあ多少の病気や怪我はありましたが…」
「ふむ。健やかに成長するお子をみて何か思われたか?」
「素直な子に育ちますようにと…。お蔭様で、私のような親にしては、割とまともに育ってくれたかなあと…」
「成長していくお子をみて、そなたは何か思ったかのう?」
「はあ、学校の成績が上がるようにとか、良い配偶者に恵まれますようにとか…」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉ。そなたも欲深じゃのう?」
「どうしてですか?」
「そなたは最初『ただ無事にうまれますように』ということだけを祈ったのじゃろう?
一つの思いや悩みが解決すればまた新たな悩みが出で来るものよのう」
「そりゃ、誰だってそうじゃないんですか。」
「炎天下のもとに出ている月をどう思う?」
「まず、そんな状態じゃ月は見れないし、見えたとしても気づかないでいるでしょうね。」
「ふむ。しからば、月も見えない真っ暗闇はどう思う?」
「もし、山中などを歩いている状態で真っ暗闇なら、どっちに向かって歩けばよいのか迷ってしまうでしょうねえ。」
「ふむ。では、その暗闇の中に月明かりがあればどうじゃ。」
「そりゃあ、わずかの月明かりでも嬉々とするでしょうねえ。」
「ふむ、よろしい。後はそなたが暗闇の中にいることを自覚するだけじゃ。」
そう言ったきり、その声は聞こえなくなってしまいました。