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日々の写真のページです。

おでん

2006年11月30日 | 過去の記事
今夜のおかずはおでん
別にどうということはないのですが
みんな出払っていて息子と二人のおそい夕食でした
ああ何と淋しい…ということはなく
ペチャクチャ喋りながらの夕食
「筋肉(スジにく=牛スジのこと)入ってないなあ」
「まあ、ええやん」
「玉子もないなあ」
「まあ、ええやん」
「おでんの主役って何やろ?」
「そらやっぱり厚揚げやろ」
「そうかな、やっぱり主役は大根やろ」
「けどこんにゃくって必ずはいってるけど主役になれへんなあ」
「主役にはなれへんけど、こんにゃくのないおでんは考えられん」
「最近ではリンゴをおでんの具にするところもあるみたいやで」
「ほんまかいな、ちょっと考えにくいなあ」
「けど結構美味しいらしいし、リンゴは煮て食べたら体にもええらしいで」
「ふ~ん、それは初耳やなあ。ほな、今度おでんするときバナナいれてみようか」
「ギャハハ。ついでにキーウィーとかみかんとかも入れてみようか」
「そうなったら、もうおでんとは呼べんような食べ物になるなあ」
などとアホな会話しながらの夕食でした。

世の中には変った統計を取る人もいて
相対的に寒くなって気温が10℃を切ると
夕食はお鍋になることが多く
10℃を切らなければおでんになる確率が高いんやそうです。
ほんまかいなあ???

ところでおでんの主役といったら何なんでしょうねえ???


コラボ展

2006年11月26日 | 京都
家から京都(市内)を往復するのには、いくらがんばっても
往復で3時間以上かかります。
だから、ちょっと時間が空いたから行こうか
というのにはちょっと微妙な時間です。

昨日はほぼ半日時間がとれたので
二条城の見学と12月3日までやってる
漫画と写真のコラボ展に行ってきました。

タイトルが「珈琲とやる気なし」なんですが
何故このようなタイトルが付いているのかは不明です
展示場所が町屋を改造した喫茶店で
「ことばのはおと」という雰囲気のあるお店でした
ここでいただいたチキンカレーは
かなり長時間煮込んであるとみえて
トロ~リとして美味でした
ちょっと酸味が感じられたので
果物か何かも煮込んであるのかなあと思ったけど
お店の方が少し忙しそうにしていたので
聞きそびれました
許可をもらって内部の写真も撮らせてもらいたかったのですが…

昔ながらの町屋の店とチキンカレー
これもコラボレーションでしょうか??

JR二条からあちこち歩き回って
京阪出町柳駅に着いたときには足が痛くて
帰って見てみるとマメが三つできてました
ああ、バーゲンで買った靴を履いていくんじゃなかった…
後悔、先にたたず
(夜は足にできたマメを潰して遊んでました)

闇・月

2006年11月24日 | 過去の記事
昨日、午後から奈良市内に行く用があったので
早めに家を出て薬師寺に行ってきました。
ちょうど家から奈良市内の中心部に向かう途中
薬師寺や唐招提寺のある西の京あたりを通るのですが
いつも通り過ぎるだけでした。
薬師寺も唐招提寺も過去に行ったことがあるのですが
今回は薬師寺拝観というよりも
その敷地内にある平山郁夫画伯が描かれた壁画が
大唐西域壁画殿にあり11月25日まで公開されているので
観に行こうと思ったわけです。

薬師寺の入り口券売所で
薬師寺の拝観はしません。壁画殿のみ拝観したい旨を告げると
そういうチケットはありません、セットで買って下さいとのこと。
壁画殿だけでいいんやけどなあ。半額にならんかなあ。などど思いつつ
セットで買わなきゃ入れないのなら買わなきゃ仕方ありません。

壁画は期待通り良かったのですが
やはり拝観者が大勢やって来る時間帯は避けた方が良いと痛感しました。
通路いっぱいに広がって通行をじゃましてるおばさんたち
大声でしゃべってる団体客
壁画の描かれた場所が中国かチベットかで言い合ってるオジサン
(残念ながら中国でもチベットでもありません)
ちょっと、うんざりです

まだ時間があったし、薬師寺も拝観できるので見てきました。
世界遺産となってるようですが
国宝となっている東塔、東院堂と
昭和50年代に建て替えられた大講堂、金堂、西塔
渋く歴史を感じさせる落ち着いた建物と
白壁・朱塗りの柱・緑色の戸の建物が
同じ敷地内に建っているのが
違和感があるというか、なんとなく調和が取れてない
そんな感じがしました。

mokaさんもおっしゃっていたことですが
金堂の中に収められている
国宝の薬師三尊佛も あまり感動しませんでした
派手な建物でかなりの光が入るお堂の中にあるというのが
なんとも味気なく思えました。
やはり、薄暗いお堂の中の少しの光が
仏像をより一層 際立たせるのだと思います。
どちらかというと東院堂の聖観世音菩薩像の方が
神々しく思えました。

「そこのお方、ちょっとお待ちなさい。」
「私ですか?」
「そうじゃ。少し私と話していかんか。」
「これから行かなきゃならないところがあるのですが、10分くらいならかまいません。」
「そなたに、お子はおありかのう?」
「はい、おりますが」
「お子が生まれるとき、そなたは何か思ったかのう?」
「はあ、まあ世間一般の親と同様、ただ無事生まれますようにと…。まあ多少の病気や怪我はありましたが…」
「ふむ。健やかに成長するお子をみて何か思われたか?」
「素直な子に育ちますようにと…。お蔭様で、私のような親にしては、割とまともに育ってくれたかなあと…」
「成長していくお子をみて、そなたは何か思ったかのう?」
「はあ、学校の成績が上がるようにとか、良い配偶者に恵まれますようにとか…」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉ。そなたも欲深じゃのう?」
「どうしてですか?」
「そなたは最初『ただ無事にうまれますように』ということだけを祈ったのじゃろう?
一つの思いや悩みが解決すればまた新たな悩みが出で来るものよのう」

「そりゃ、誰だってそうじゃないんですか。」

「炎天下のもとに出ている月をどう思う?」
「まず、そんな状態じゃ月は見れないし、見えたとしても気づかないでいるでしょうね。」
「ふむ。しからば、月も見えない真っ暗闇はどう思う?」
「もし、山中などを歩いている状態で真っ暗闇なら、どっちに向かって歩けばよいのか迷ってしまうでしょうねえ。」
「ふむ。では、その暗闇の中に月明かりがあればどうじゃ。」
「そりゃあ、わずかの月明かりでも嬉々とするでしょうねえ。」
「ふむ、よろしい。後はそなたが暗闇の中にいることを自覚するだけじゃ。」

そう言ったきり、その声は聞こえなくなってしまいました。


過労

2006年11月23日 | 過去の記事
芸能界には疎い私ですが…
若槻千夏さんは知ってます。
たまにテレビを見ても出演してはるのを見るし
テレビCMやポスターなんかでもお目にかかることがあります。

私の知ってる人が広告を打つときに彼女を起用したかったらしいのですが
断られたといってました。
高飛車に出ているのではなく、ギャラや商品イメージの問題でもなく
超多忙すぎてスケジュールが取れないということが原因のようです。

ニュースとしてはちょっと古いのかもしれませんが
風邪と過労のため入院中とか。
事務所がとってきたスケジュールをこなすのは大変だったのだと思います。
いつも明るく笑っているというイメージを壊せなかったのでしょう。
ちょっと無理がたたったのだと思います。
自分で目標を決めて取ってきた仕事なら
多少無理をしても大丈夫なんだろうなあという気がします。

死ぬということ

2006年11月23日 | 過去の記事
おそらく誰しもが一度や二度は
死んだらどうなるんやろうと考えたことはあると思う。

「人間、死んだら終わりや」と言う人がいれば
「いいや、肉体は死んでも魂は死なない」と言う人もいる。
人間死んだら終わりやと言ってる人でも
前世は…とか、今度生まれ変わったら…とか言ってるのをみると
終わりと言いながらそうではないと思ってるようにも思える。
死んだら終わりなのかそうでないのかは客観的な証拠のようなものがないから
死んでみなきゃわからない…

私たちは一度は死を経験している。
それは、この世に生まれたとき。
この世に生まれるということは
母体レベルでは死ということになる。

生まれたときの記憶や前世の記憶があるという人がいる。
通常は生まれる時の痛み苦しみで前世の記憶を忘れてしまう
と、お釈迦様はおっしゃったらしい。

神様仏様はいないという人もいれば
存在するという人もいる。
信ずるが故に神仏あり。
自分は少なからず信仰心があるので
死んだら終わりとも、神様仏様はいないとも思っていない。

ある臨界点があって、その向こう側に行かない限り
生まれ変わり死に変わりするのだと思う。
その臨界点を超えたとき
天国とか浄土というところに行けるのだと思う。
人間が死んだ時、往生という言い方をするのは
往って生まれるというところからきている。
どこに往くのか、どこに生まれるのか
それは極楽浄土。
だから、死はそんなに悲しむべきことではなく
むしろ極楽往生できたのなら、喜ぶべきなのかも知れない。

だけども、亡くなった人が浄土・天国に往ったのかどうかが
私たちにはわからないし
浄土・天国に往ったとしても
やはり、今まですぐそばにいた近しい人が亡くなれば
悲しくもあるし、涙がこぼれそうになる。

トランス・パーソナル

2006年11月22日 | 過去の記事

人間はどこからやって来て、どこへ行くのか

花の咲く季節の

鼻をすする子供


澄み切った青空


歯医者に通う道

 

 

 


生まれ育った町


もういない人達


なくなってく形


なくならない気持ち

 

 

                                                    

そっと手をのばして


何もない手のひら


ポケットにかくして


お空へ かえる道

 

(326 詞・知久寿焼)

 


亀山峠から見渡せば

2006年11月21日 | 過去の記事

曽爾高原から倶留尊山に登る途中に亀山峠がある。
尾根伝いの道なので、見晴らしは最高。
東の方(三重県)を眺めれば、いくつもの山脈が連なってます。
山の名前は全然わかりません。
雲の下はお伊勢さんあたりか??
あるいは津のあたりになるのかなあ?
よくわからないや。
観光地のやまなら、説明の看板はあるのだろうけれど、ここにはありません。
倶留尊山2kmの標識はありますが…。

くるりと回転して、西の方を振り返ると大阪南部の方角になります。
東の方の山々に比べたら柔らかく平坦な感じがします。
それにしても、この辺りの室生火山群の山々は鋭角的な山が多く、別世界に来たような感じになります。
距離はそんなに歩いてないけれど、坂の勾配がキツイのでちょっと息が切れてます。
カメラを構える手も心なしか震えてます。
息が整うまで待てばいいのだろうけど、そんなことしてたらいつまで経っても倶留尊山まで行けそうにないので…。
それに一旦休憩したら、次に歩き出すのに気合を入れなきゃ歩けないような気がするし…

南を見れば登って来た道が見えます。
尾根沿いの道の一番高いところが亀山。
その向こうの尖がった山が古光山。
ずっと遠くの山々は和歌山県熊野あたりでしょうかねえ。
まだ、朝が早いので登ってくる人は誰もいません。
トップシーズンの午前10時~ともなれば、アリの行列よろしく、この尾根伝いの道をぞろぞろと多くの人が登ってくるようです。
以前に来た時は幼い我が子を連れてきていたので、健脚の人が後ろからきたら迷惑だろうなあと思い亀山まで登ってそこから引き返しました。

さて北側をみると、これから登ろうとしている倶留尊山への道。
なんか岩がむき出しで道幅も狭そう。
それに、今日のワタクシの格好ときたら、ジャージーの上にジャンバー。
ショルダーバッグひっかけて、足元はスニーカー。

せめてリュックタイプのものを持ってくれば良かったと思っても後の祭り。
登るのんやめて、もうおりようかなとも思うけど、折角ここまで来たのだから。
途中転倒したりしましたが、倶留尊山までもう少し。

目の前に見えているのが倶留尊山だと思っていたワタクシは、この後それが間違いだったことに気付かされるのです。
目の前に見えている頂上らしきものの所から、一旦下って、そこから急勾配の道を登ることに…。
散歩かハイキングのつもりが、山登りどころか、これじゃあまるでロッククライミングという羽目になってしまうのでした。