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伝達

2006年08月18日 | 過去の記事

「きまぐれ日記」というブログに次のようなことが書かれていました。
「ことばと引き換えにテレパシー能力を失った我々が、再び『人類』という生物に戻るには。言葉の交換をするしかない。…」と。

沈没する船にネズミはいないとか、森が火事になる前に察知して森から動物が逃げ出すとかそういった話はよく聞きます。おそらく何がしかの予知能力とかテレパシーのようなものがあるのだと思います。
伝達の手段として言葉を手に入れた人間は、そのようなテレパシー能力というものが退化してきたのではないでしょうか?
言葉は伝達手段として非常に便利なのですが、嘘や誇張がそこに混じることが往々にしてあるので、難儀なこともありますよねえ。
「すぐに返すから。」「必ず返すから。」といわれて用立ててあげた経験は少なからずあると思いますが、9割方その約束を守られたことはありません。
こうなってくると、言葉は非常に厄介に思えてくるし、へたをすると人間不信になりかねませんよね。

ワタクシの大好きだった落語家の故・桂枝雀師(前にも書きましたが)は、よく高座で、「私が出てきて、ただ座布団の上に座っているでけで、何も話さなくても面白い。これが私の目指す落語です。」というようなことを仰ってました。
師の創作落語に「茶漬けえんま」というお噺がありますが、そこで、死んでお浄土に行ったある男が、極楽にいる先輩に「そもそも、私は私、あなたはあなたと別のものして考えるところに誤りがある。全ては一つなのだから、私もあなたもない。あなたは私であり、私はあなたなのである。」というくだりがあります。
「何言うたはるんですか。私は私であって、あなたはあなたやないですか。」
「痛てて。何するんですか。いきなりつねったりして。」
「私もあなたもないのだから、痛いというのはおかしいのです。」
「変な人やなぁ。痛いもんは痛いがな。」
「私の言ってる事がわかりませんか?ここに金属バットがあります…。」
やにわに、金属バットを振りかぶった先達を見て、この男、、あわててこの場を立ち去って、場面は変わるのですが…。

宇宙や自然からのメッセージが受け取れないのは、受信機能に受信能力がないのか、受信機能がぶっ壊れているのか、チューニングが合ってないのか、はたまたアンテナが折れちゃってるのか…。
放送局が沢山あっても、受信機がいかれてちゃあ、しゃあないですな。