もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

中国の「南京大虐殺」記憶遺産登録決定_ ユネスコには断固たる処置、そして次回「慰安婦」は必ず阻止を!

2015-10-10 19:38:16 | 政治
2015年10月10日

「国連教育科学文化機関(ユネスコ)は9日(日本時間10日未明)、中国が登録申請していた「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録したと発表した。「慰安婦関係資料」は登録されなかった。…略… 「南京大虐殺文書」の登録によって、中国は国際機関の“お墨付き”がついたとして、歴史認識問題において新たな日本攻撃の材料を得ることになる。…略…」(10日 産経)。
虚偽だらけで資料価値のない紙くずを、人類の宝として認定したわけだから、ひどい話だ。日本政府は中国に対しては申請の取り下げを求め、ユネスコ関係者には中国からの2件の申請が「ユネスコの政治利用になりかねない」として慎重な審査を求めていた。にも関わらずこの様なのだから、中国の出鱈目さは言うまでもないが、ユネスコのいい加減さもどうしようもないレベルに達している。国連やFIFAなど、最近の国際機関の腐敗堕落ぶりは目に余るものがあるが、ユネスコもこれらに近いレベルにあるのではないか。今回のユネスコの対応に対して、日本政府は断固たる対応で臨む必要があるだろう。日本が申請した大戦後のシベリア抑留の関連資料と国宝「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」の2件が登録されたことは喜ばしいことではあるが、「南京大虐殺」の登録は、この喜びを吹っ飛ばしてしまった。こんな興醒めなこと、理不尽なことが許されてよいはずがない。そこで、日本がこれからやっていかねばならないことを、四つ述べてみたい。

<その1_ユネスコの徹底批判が必要! 外務省「遺憾」とする報道官談話を発表 外務省も少しはやる気になった?!>
「(外務省)談話では「中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、文書は完全性や真正性に問題があることは明らかだ」と指摘。そのうえで「日本政府が申し入れを行ってきたにもかかわらず、記憶遺産として登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ」と批判している。」(10日 産経)。
言っていることは正しい、それなりの迫力も出ている。ただ、なぜ「声明」でなく「談話」なのか? この辺りは、いつものようにポーズだけなのか、もしくは「抗議声明」を出せるほとのことをしていなかったということではないのか? まあ、「抗議談話」を出しただけでも、従来の外務省からみればかなりの進歩ではあるが…。毅然とした声明を出して、相手側(今回はユネスコ)をしっかり非難していく態度が大切だ。

<その2_分担金拠出を凍結せよ!>
「日本政府筋は「断固たる措置を取る」と述べ、ユネスコの分担金拠出などの一時凍結を検討する構えを見せている。  平成26(2014)年度のユネスコ予算の日本の分担率は米国の22%に次ぐ10.83%で、金額は約37億1800万円。米国が支払いを停止しているため、事実上のトップだ。さらに分担金以外でも、さまざまな事業に対する任意拠出金があり、同年度のユネスコ関係予算は計約54億3270万円に上る。 外務省首脳は「日本の分担金はトップクラス。(ユネスコ側が)日本からの申し入れに真剣に耳を傾けることに期待したい」として、中国の申請案件の登録が認められた場合は拠出金の凍結もあり得るとのシグナルを送り、慎重な審査を求めていた。…略…」(10日 産経)。
日本側としては、ここまで警告していたにも関わらず、結局コケにされたわけだから、ここは断固として報復する必要がある。ところで、「一時凍結を検討する構え」とあるのはどういうことだろうか??! なぜ「一時凍結の構え」でないのか! 「検討」だけでは役に立たないし、その役立たないものを行う「構え」を取るというのだが、これでは「抜けない竹光」ではないか。こんなへっぴり腰だから馬鹿にされるのである。ユネスコの今回の行動を何もせずに済ましてしまうと、ますますなめられるだけだ。現在の中国の分担率は日本のほぼ半分とされるが、日本がユネスコから手を引けば、中国はこれ幸いと勢力を伸ばしてくるかもしれない。しかし、それがなんだというのか。もともと、国連もそうだが、国際機関というのは、そんなに意味あるものでもない。民主党や小沢氏のように、国連、あるいは国際機関至上主義、「国際機関=正義」として理由もなく崇め奉るのはもうやめようではないか。金だけ取られて、何の見返りもないようなところは、見限るべきだ。現に米国は拠出していないのである。

<その3_「南京大虐殺」の資料の虚偽を露わにすることを通じて、登録の撤回要求運動を継続すべきだ!>
「中国が「南京大虐殺文書」として申請した資料には、捏造(ねつぞう)が確認された写真や「大虐殺」があったことを証明するには不適切な文書、所有者の許可がないまま使用された写真-などが多数含まれていることが、日本人の歴史学者らの検証によって明らかになっている。中国側は、資料は「旧日本軍が作成した」と主張。日本は検証の機会を再三求めてきたが、中国が応じることはなかった。」(10日 産経)。
これまで、中国のみならず、ユネスコも、その文書を公開していない。記憶遺産というものが、どういうシステムになっているのか私はよく知らないが、少なくとも、登録された資料は何がしかの形で公開されるのではないか。そうでないと、誰も見ることのできないものを「宝」として奉るという、原始宗教のようなものになってしまい、著しく不条理だからである。公開されれば、虚偽の部分が正式に確認できる。その部分について徹底的な取り消し要求を続ければ、ウソを真実と言い募るわけにもいかないだろうから、最後には、登録見直しに至るはずではないか。もし、資料が公開されないとされるなら、「虚偽だから公開できないのだ」として、批判し続ければよいはずだ。
「記憶遺産は、人類にとって歴史的価値のある貴重な文書の保護などを目的とする。中国が日本を貶(おとし)めるために利用する「南京大虐殺文書」の登録が本来の目的にそぐわないことは明らかだ。政府関係者は「今回の申請も受理も理解できない」と述べ、記憶遺産事業の見直しもユネスコに働きかけるべきだと強調した。」(10日 産経)。
全くこの通りだ。ただ、これが、言うだけで終わってしまうのでは意味がない。徹底的にやってもらいたいものだ。

<その4_ 次に出る韓国の「慰安婦」申請は絶対阻止を!>
「慰安婦問題をめぐっては、次回の審査に向け韓国が申請の動きを見せている。中国では韓国とともに、北朝鮮や台湾、インドネシアやオランダを巻き込んで登録を目指す計画もあるとの指摘もある。」(10日 産経)。
とにかく、韓国そして中国は、アジアにおける覇権、経済についての彼らの勢力拡大のために、日本を叩くことを行っているのであり、南京事件や慰安婦の問題は、このことの手段にしか過ぎない。この実態は「文化遺産の身勝手な政治利用」なのである。日本は、この不当性を世界に訴えて、全力でこの歴史戦に勝利していかねばならない。これにはもちろん「慰安婦問題」が根拠のない虚偽であることを広報していくことも欠かせない。なお、杉原領事による「命のビザ」の登録も急がれる。

インドネシア高速鉄道 敗北_ 残念だがこれは避けられないプロセスだ まずは中国の「お手並み拝見」!

2015-10-03 20:14:16 | 政治
2015年10月3日
「日本と中国が争ったインドネシアの高速鉄道計画では、中国案が採用された。 日本は戦後長らく開発援助を続けてきた親日国で受注競争に敗れた。その裏には中国側の動きを読み切れなかった日本の誤算があった。
 ◆見通しの甘さ
 「中国案で本当に大丈夫なのか」。日本の和泉洋人首相補佐官は9月29日、ジョコ大統領の特使として来日し、「中国案採用」を説明するソフヤン・ジャリル国家開発企画庁長官に懸念を伝えた。  ソフヤン氏は、政府支出も政府保証も出さないというインドネシア政府の条件を中国が受け入れたと繰り返した。日本は、3年で完工させるという中国案を「実現性を度外視した売り込み」と見ていただけに、採用の決定に衝撃は大きかった。「日本はインドネシアでインフラ(社会整備)整備の実績を積んでいた。選んでくれると甘く見ていた」と日本政府関係者は悔やむ。」(1日 読売)。

残念としか言いようがないが、客観的に見ればこういう事態はどこかの時点で一度か、二度は起きねばならないことなので、やむを得ない事態と受け止めるべきだろう。というのは、現在の日中の高速鉄道商戦は、新幹線が高い品質、安全性を備えているが、値段が高く工期も長いという特徴があるのに対して、中国のそれは低品質、安全性は疑問、しかし短工期で価格が安いということで、2つの選択肢がユーザーに提示されている状況である。中国の言うことが本当なら、一応は安全なものが新幹線の半分の期間で安く出来るのだから、金の無い新興国にとっては、多少の品質の悪さは我慢するとして、中国製を選びたくなるだろう。しかし、中国の話は信用できそうにもない。今から土木工事を始めて、3年後に運開など、素人考えでも不可能に思える。最も重要な安全性では中国には大きな疑問符が付く。中国の高速鉄道は、2011年7月に死者40人、負傷者192人とされる衝突・脱線事故を起こしている。だから恐ろしくて、中国の話には乗れないだろう。そこで日本ということになればよいのだが、そうは簡単にいかないところに問題がある。金の無い国が、工期は2倍、値段も高い日本の新幹線を導入する理由付けが容易ではない。中国製は危ないと言えればよいのだが、「絶対に危ない」とまで言える根拠はない。おまけに、インドネシアは中国と(もちろん日本とも)良い関係を保ちたいと考えているはずだから、中国の機嫌を損ねたくない。そこでこのような状況に対して今回、なんとかして輸出の実績を作りたい中国は、捨て身で、インドネシア側のこのジレンマを解決する案を示し、インドネシアを取り込み、合意に達したものと見える。

《インドネシア「政府保証、政府支出なし」、何から何まで中国がやるということで決着か?》
「インドネシアのリニ国営企業相は1日、中国案の採用を決めたジャワ島で計画する高速鉄道について、「2016年1月までに建設に取り組みたい」との方針を表明した。中国案の採用を明言したうえで、速度を下げるなどして総事業費を当初の55億ドル(約6600億円)から「削減できる」と述べた。  高速鉄道はジャカルタ―バンドン間の約140キロメートルを結ぶ。日本と中国が受注を競っていたが、インドネシア側は政府の保証や予算を必要としない中国案の採用を日本側に伝えていた。リニ氏はインドネシアと中国の企業連合による合弁会社を年内に立ち上げる方針だと述べた。  合弁会社には中国国有企業の中国鉄路総公司、インドネシアの国営建設会社ウィジャヤ・カルヤなどが参画する見通し。今後は「株主として、価値を生む事業になるよう監視する」(リニ氏)としている。」(2日 日経)。
つまり、このプロジェクトを中国と、インドネシア側の合弁として、政府の保証や予算を必要としない計画とすることで、インドネシア政府の負担をかなり軽減したということである。日本案の条件は日本の円借款貸与と、政府保証を求めているのだから、日本にはできない芸当である。これはインドネシア側が日本に断りを入れるための、理由付けにもなっている。こうすれば、インドネシア政府は直接関与していないことになるから、工期の大幅遅れ、性能やコスト面での中国とのトラブル、あるいは運開後の事故発生などの問題、直接関与している場合に比べて、かなり責務が軽減される。結局、インドネシア側にしてみれば、中国の低価格と超短工期が魅力だったし、中国の‘政治的にらみ’も怖いということでもあったのだろう。これらの点で日本側が中国に敗れたことは間違いないのである。

《あまりにも無謀な中国のやり方 いかに中国とは言えこんなやり方はもうできないだろう そこで、次回が本当の勝負になる!》
中国は、確かに今回の表面的な結果だけに限れば日本に勝ったようにも見えるが、少し長期的な見方に立てばとてもそうは言えないだろう。なんとしても実績作りをしたいがためのものとは言え、中国が抱えたリスクはあまりにも大きい。一般にこの種のプロジェクトでは、評価の対象は、工期、費用、品質(仕様)、安全性、資金、現地調達、技術移転となるだろう。工期面では、日本は2021年(19年に試験走行)としていたのに対して、中国は18年に開業できるとしているのだから、もしそれが本当なら大変な差だ。費用面では詳細はわからないが、一般的に言えば中国の高速鉄道は建設コストが日本の新幹線の半分から3分の1で済むとされている。もちろんこれは仕様の差が大きいのだろう。用地取得は完了しているのだろうが、いま一つ疑問であるし、環境問題などはどうなっているのだろうか。住民から反対運動などが起きると、ややこしいことになる。現地への技術移転などの問題はどうなっているのだろうか。現地生産部品の品質や納期が守られないという問題も常に発生するし、こういったことはすぐに工期を遅らせる。その遅れを取り戻そうとして突貫工事をすれば、欠陥工事となって後に事故などにつながる可能性もある。また、工期が遅れれば、コストは大きく膨らむ。運行管理や運転士のトレーニング不足、技量不足で事故などが起きる可能性もある。なにしろ合弁としている以上、中国が得意としている金と人海戦術で一方的かつ強引に乗り切るわけにもいかない。中国としてはある程度の追加出費は覚悟の上だろうが、コストが大きく膨らむ可能性もある。本来であればこれはインドネシア政府から取り立てるべきところだが、今回は「無保証、無支出」となっているのだから、そうはいかないだろう。さまざまな問題をなんとか凌いだにしても、これは中国の高速鉄道の輸出実績を作ったということにしか過ぎず、とても以後のビジネスモデルを作ったとは言えない。商売にならない大盤振る舞いは、一度や二度はなんとか凌げるにしても、何回もやるわけにはいかない。やはり次からは本来の価格、工期でやらざるを得ない。そうすると、次は、本当の意味での日本の新幹線あるいは欧州の高速鉄道との勝負が始まることになる。
中国はかなり焦っているようだ。それというのも、安い労働力を基盤として成り立っていた高度経済成長が終了し、経済が失速し始めた現状では、高速鉄道の海外への売り込みは今後の中国の成長を支える数少ないカードになっているからである。しかし、こんな無謀なやり方がそう都合よくいくとは思えない。中国の顧客たる新興国も中国に劣らずしたたかだから、インドネシアはともかくも、国によっては援助だけはさせておいて、食い逃げというようなことに出るかもしれない。投資した金を踏み倒されてしまう可能性もある。今回と言い、AIIBと言い、中国のやり方はあまりに、手を広げ過ぎではないか。右肩上がりの時ならともかくも、もう下降局面に入っているのだから、それに応じたやり方をしないと、自滅の道をまっしぐらということにもなりかねない。
もしかすれば以上のことは日本側(というより、私)の身勝手な夢想、甘い見方、敗者の遠吠えなのかもしれない。本当は、工期など少しぐらい遅れてもよいとの、中国とインドネシアとの裏密約ぐらいはあるのかもしれない。が、いずれにしても推測の域を出ないことだから、これをはっきりさせるには、中国に一度はやらせてみるのが一番なのである。

《日本は 今回は止むを得ぬにしても、次からは改善が必要だろう》
日本はどうすればよかったのか? 反省点はいろいろあるにしてもそれは結果論であり、これまでの情報ではやむを得ぬ結果だったのではないだろうか。問題はこれからだ。
「インフラ輸出では計画の透明性や採算の確保が重要となる。受注の獲得を優先するあまり、リスクを押しつけられるような商談では、日本の成長にもつながるまい。 新興国ビジネスは、相手国の政治的な事情を抜きに語れない。そうしたカントリーリスクを見極め、官民でしたたかな戦略を改めて構築しなければならない。」(2日 産経社説)。
中国のこういう瀬戸際戦略に、まともに対抗することは至難の業だ。だから、一回か二回は中国にやらせてみることも必要なのである。中国も発注をした国も、かなりの苦しみを味わうことになるだろう。そこで、ようやく、中国の高速鉄道の価格、仕様、工期、安全…に対する客観的な評価が見えてくるだろう。中国が万が一、うまくいくようなことがあれば、日本は素直に負けを認めて、力不足だった点を改善していくことができる。いずれにせよ、今回の件は中国の「お手並み拝見」ということになるが、日本も現在のままでは勝負にならないから、戦略も、製品も見直しが必要になるし、また中国だけでなく、欧州勢などとの苦しい長期戦は覚悟しなければならない。言わずもがなのことではあるが、特に、次の三点だけは述べておきたい。
一つは、中国はこのように、ありきたりの常識ではとらえられない国だから、より厳しい見方が必要になる。これは何も商戦だけのことではなく、尖閣や歴史戦でもすでに確認されていることだから、心して対応する必要がある。
二つ目は、客である新興国は、いずれもしたたかであることをもっと認識して、少しは‘強面’の手法もとらねばならないだろう。
「方針を二転三転させたインドネシア政府の姿勢にも不満が残る。…略… 新幹線方式を売り込んだ日本は事業化調査に協力し、円借款供与などを表明していた。  だが、インドネシア側は昨年10月の大統領交代後、政府の資金や債務保証を伴わない民間ベースの事業とする方針を唐突に打ち出した。…略… 先月初めに計画を白紙に戻すとしていた。
 それをまたも覆し、中国案を採用すると日本に伝えてきたインドネシアの判断は、とても納得できない。 中国側から、条件を受け入れる新たな提案があったためだというが、その経緯はあまりにも不透明だ。菅義偉官房長官が「常識では考えられない」と批判したのも理解できる。…略… これだけの国家的な事業を政府側の負担がまったくない形で建設するには無理がある。採算の見通しも立っていない。」(2日 産経社説)。
「仲良くやって来た国は、日本を裏切らない」という日本の信念が、場合によってはいとも簡単に崩れ去ることをしっかり認識する必要がある。そして、時にはこれらの国に‘強面’で対応することも必要になるだろう。「飴と鞭」のいずれも必要なのであって、「飴」だけでは、役に立たないとは韓非子も言っていることである。このことは、メキシコ政府が昨年11月7日までに、中国企業が中心の企業連合が落札したばかりの5000億円の契約、メキシコ初の高速鉄道の建設契約を一方的に取り消したことにも表れている。なぜメキシコ側が撤回したのかについては、はっきりしたことが明らかにされていない。中国のような強面でも、翻弄されることがあるのだ。現在、高速鉄道はインド、タイやオーストラリア、ロシア、中欧、東欧、アフリカ、英国、米国などで計画が取りざたされているようだが、日本は各国の本音を正確に把握し、‘したたかに’対応していく必要があるだろう。
三つには、中国の超短工期、超安値に対抗する戦略が必要になるということである。日本の売り込みは「品質と安全性」に偏り過ぎている印象を否めない。安全は不可欠であるにしても、高い品質や、時間通りの運用、工期通りの納入などは、不要な国も少なくない。言わば、新幹線にはオーバースペックなところがあるのだ。一層の工期短縮、コストダウンが必要。すでにそうなっているとは思うが、新興国輸出向けの車両開発は不可欠だろう。大変とは思うが、関係者の奮闘に期待したい。

THE世界大学ランキング 東大アジア首位から転落 他も不振_ 何かが狂っている! ガラパゴス化?

2015-10-03 20:08:26 | 政治
2015年10月3日
「英教育専門誌 タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)が1日発表した今年の「世界大学ランキング」で、東京大は43位(昨年23位)と大きく順位を落とし、26位のシンガポール国立大(同25位)にアジア首位の座を明け渡した。42位の北京大(同48位)にも抜かれた。東大がアジア首位から転落したのは2010年に香港大に抜かれて以来。日本勢は上位200校に入った数も昨年の5校から2校に減少し、同誌は「近隣のライバルに打ち勝つため、早急に研究投資を増やさねばならない」と指摘している。 日本勢で東大に続いたのは88位の京都大。東大と同様、昨年の59位から大きく順位を下げた。昨年141~165位だった東京工業大、大阪大、東北大は上位200校から姿を消した。  中国(香港を除く)、シンガポールも上位200校入りはそれぞれ2校ずつ。中国のもう1校は清華大で47位、シンガポールは南洋工科大で55位。韓国は4校入ったが、ソウル大の85位が最高で、残る3校は100位以下。」(1日 産経)。
遂に恐れていたことが現実になった。日本は大学ランキングで、長期低落傾向に歯止めがかからず、昨年の段階で、そのまま何もしなければアジア首位の座から転落するのは時間の問題と見られていた。結局、去年から今年にかけて、これらの大学は何も有効な手立てを打てず、ずるずると自壊過程をたどったということだ。今年の結果を見ると、東大が首位から転落したのみならず、日本はシンガポール、中国はもとより、香港、そして実質的には韓国からも抜かれてしまった(200位基準で)といってもよいだろう。そもそも、東大の順位が20位あたりで低迷していたこと自体が、世界第3位の経済力国家、科学技術立国としては、お寒い限りだった。更には、なぜ、人口1億200万人の日本が、人口わずか数百万人のシンガポールや香港に負けなければならないのか?! 評価基準が英語圏の国や多民族国家に有利な配点になっているとか、ランキングはTHE社だけではないとか、多様な機能を持っている大学をこんな数字で評価すること自体にほとんど意味がないなどと言い訳をしてみても、同じTHE誌のランキングで順位を下げ続けているのだから、虚しい。また、THE誌のランキングは最も権威あるものの一つとされている。更には、他誌、社のランキングでも、やはり日本の低落傾向、アジア首位明け渡しの傾向は変わっていないのだから、何を言っても言い訳でしかない。
結局、日本の大学は何かがおかしい、世界標準からずれている、そして世界の変化から取り残されていると言わざるを得ない。すなわち、「ガラパゴス化」が進んでいるということではないだろうか。日本経済も空白の20年というガラパゴス化の状態の中にあるが、それでもまだなんとか世界第3位の経済力を保持している。日本企業の技術開発力も、米欧になんとか追随し、中韓の追撃を振り払い続けている。それに比べれば、大学は独自の理由、動きで劣化し続けているようにしか見えない。日本経済は非常な苦境にあえいでおり、今、日本はアベノミクスで経済の活性化がなるかならぬかの瀬戸際で歴史的な挑戦をしている。本来的に大学にはこれを支援する活躍をしてもらいたいところなのに、まさに逆の動き、足を引っ張る動きになっているように思える。大学がこんな調子だと、社会に送り出される人材もどんどんレベルを下げ、それはそのまま日本の低落を導くのではないか。ランキングの主要な評価基準の一つが多くの人に読まれる研究論文の数であることを考えると、結局、大学は本来行うべき仕事である役に立つ真の学問・研究をせずに、役に立たない擬い物の「学問・研究」をしているということではないだろうか。文科省、そして主導的な大学で早急に問題点を洗い出し、対策を立てて、改革をしてもらいたいものだ。私は、とりあえず次のことだけをコメントし、お願いしておきたい。
一つは、とにかく現在の大学はいまだに「50年前の価値観、世界観」が醸し出す雰囲気の中で活動しているのではないかということである。というのは、何かにつけて大学の先生たちは「学問の自由」、「権力からの自立」などと叫んでいるが、これなどは大学を治外法権化しようとする行為以外の何物でもないからである。この人たちはいまだに戦前の軍国主義政権の残像を見ているのではないかと思わざるを得ない。つまり、ありもしない夢想に浸って、やるべきことをしていないのではないか。
二つ目には、外国人教員を増やすことは、学問・研究の幅と深みを増すことに貢献するし、ランキングの点数を上げることにつながるから、良いとしても、学問・研究とは無関係な政治的動機で日本批判をする外国人は、大学の活力を削ぐだけの存在だ。大切な国民の血税をこういうことに使うわけにはいかない。
三つ目には、日本の奨学金は優秀な外国人留学生に使うべきだということである。これも、大学のあり方を多様なものとして、活性化に役立つだろうし、ランキングの点数アップにもつながる。しかし、これまでのように、貴重な奨学金をばらまいて、頭数だけ増やすことはあってはならないことだ。できの悪い外国人留学生に、授業料どころか、生活費、小遣いまで出して、遊ばせて、挙句の果ては「反日」知識人として帰国させるようなことはあってはならない。