電脳馬牧場-Electric Ranch

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羅生門(大映・1950年)

2005-05-07 18:50:13 | 映画・ドラマ


僕が以前大学の先生が開いた鑑賞会で観た黒澤作品は東宝だけで、おそらく黒澤明が亡くなってしばらくして東宝からビデオのセットが出たのだろう、そのうち「生きる」から「赤ひげ」の会に参加して、まぁ必要かつ十分なところだと思っていて、おそらくそんなに間違っていないんだと思う。黒澤作品が(そして日本の映画が)エンターテインメントとして最も優れていた時代で、実際面白い映画が多いから。

これで満足しておけばいいんだろう。僕は別に黒澤明の信奉者でも研究家でもないんだから。
ただ、「羅生門」がなければ、後の黒澤は存在できなかったという友達もいて、確かに国際的に認められたってことは、後の作品を製作するためにも大事なことだっただろう。

原作は芥川龍之介の「藪の中」。
藪の中で死んでいる男とその妻、男を殺した盗賊・多襄丸。それを目撃した木こり(杣売)。
役人に捕まった多襄丸、妻、殺された男(が乗り移った巫女)がそれぞれ事件について語っていくが、それぞれに言い分が異なり、それぞれが自分が殺したと言い張る(死んだ男に至っては自害したと言う)。
原作はここまでで、真相は藪の中。が、この映画では続きが描かれる。木こりの目撃談だ。
単なる死体の第一発見者であった木こりは、実は事の始終を見ていた。
そこで描かれるのは、先の証言にあったようなそれぞれが己を美化したやりとりではなく、自分勝手で、ちっとも格好良くない、震える手に持つ刀での斬り合い(ともいえないような)、一言で言えば人間くさいやりとりだ。

実際に見ていない旅法師はともかく、木こりはすべてを見ていながら、はじめに「わかんねぇ。」とつぶやく。出来事がわからなかったということではなく、自分勝手な人間という存在がわからない、信じられないということなのだろう。

そして、その木こりすら、ウソではないが、真実を語っていなかった。すべてが自分勝手で信じられない人間たち。
ラストシーン、それを覆そうとする。徹底的に人間の存在を落とし込んだ割にはあっさりしすぎているような気がするけど、志村喬の表情はいいよ。

太陽の光を顔に当てるような演出とか、モノクロだからかなり活きている。
面白おかしい映画ではない。「人間」を描いた芸術的な映画かな。

監督:黒澤明 1950年 ベネチア国際映画祭金獅子賞

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんはぁ! (ahaha)
2005-05-08 01:10:13
ご覧になられたのですね!

TBしてくださって、光栄です。

あの夏の木漏れ日の光(きっと撮影のときは、巨大なレフ板を使ったんじゃないかと思いますけど)が忘れられません。

京マチ子の壺装束に平安風の描き眉が忘れられません。

と、相変わらず、枝葉末節が先に思い浮かびます。

ところで、芥川の季節と、黒澤の季節が違いますでしょ。それに気が付いたとき、ああその人その人らしいなって思いました。

志村喬の「羅生門」のシーンが、やっぱり一番黒澤らしいんでしょうけれど(--; 小さな声で言いますが、ワタクシ的にはあのシーンなしでいいですぅ(x_x)☆\(-_-メ)バキ
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はいはい (電脳馬)
2005-05-08 21:13:04
コメントありがとうございますぅ。



>季節

>

すみません。ちっとも気づかなかったです(笑)。



>志村喬の「羅生門」のシーン

>

実ははじめ蛇足のような気がしました。

せっかく人間の本性みたいなのを暴き出したのにって。

そして、そのどん底から救い出そうとする割にはバタバタしすぎて、ちょっと物足りないんじゃないかって(千秋実、簡単に納得するなよ!みたいな 笑)。

でも、やっぱり、これがないとホントに救いがないっすよねぇ。
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