もともと私がシカゴに来たのは、シカゴ大学で1年間のマスタープログラム(修士課程)を始めるためだった。
東京での仕事に行き詰って、1年間でマスターが取れて英語も習得出来れば「一石二鳥」じゃない!なんていう気軽な気持ちでアプライした。まぐれで合格したものの、そんな軽い気持ちは当然アメリカで仇で迎えられた。
授業についていけないのである(涙)。
トフルのスコアは良かったものの、実践の英語に慣れていない私の耳、講義が理解できない。内容が難しいこともあって、教授が何を言っているのか分からない。そしてそれよりもっと聞き取れなかったのが学生達の発言。若者の言葉ってどこの国でも難しいもの。。
毎日最前列に座ってレコーダーで講義を録音して寮に帰って聞き直す日々。当然ネイティブ・スピーカーの学生に比べて数倍の時間を費やすことになる。睡眠時間も極端に短くなった。
でも一番何よりも辛かったのは、ディスカッション(討論)の時間。これは「本当に」辛かった!今思い出しても我ながら良く耐えたな、と思う(笑)。
アメリカの大学では講義形式のクラスでは、講義が行われる日とは別の日に少人数のグループに分かれてその週の講義や課題として出されているリーディングに関するディスカッションが行われる。
この「ディスカッション・セクション」にはまず教授は来ない。TA(Teaching Assistant)と呼ばれる助手がいて、ディスカッションをリードし、生徒のディスカッションの内容、発言頻度をチェックする。
発言は自発的。名指しされることはまず無かった。ディスカッションのタイミングを見計らっていつ発言しよういつ発言しようとドキドキしっぱなし!心臓に悪いのなんのって。
はじめのうちは何が討論されているのかも分からず本当に泣く思いをした。討論の内容についていけない、つまり、言うことが何もない。珍しく言いたいことがあっても余りにドキドキして結局言えずじまい、なんていうこともしょっちゅう。
なんでそんなにドキドキしたんだろう。。やっぱりまずは英語への劣等感。せっかく発言しても皆分かってくれないのでは。。聞き返されたら恥ずかしい。。なんていうネガティブさ。さらにもしかしたら討論内容にそぐわないトンチンカンな発言内容かも。。という自信の無さ。
その内ディスカッション・セクション前にあらかじめ発言する内容を考えてメモしておいて、ディスカッションが始まってすぐにそのアイディアを発言して残り1時間は安心して黙っているなんていう苦肉の策も考え出した(苦笑)。
でもよくよく学生達の発言を聞いていると、英語はネイティブであっても、発言内容がひどいことが良くあった。ひょっとして皆、「何でもいいから何か言わなくちゃ」という気持ちで適当に発言してる?ネイティブ、非ネイティブ、発音の善し悪しに関わらず、きっとみんなやっぱり発言するときには緊張しているんだ。
そんなことが分かり始めてから私にも度胸がつき、声を震わしつつも発言できるようになってきた。
そんな私が何とかマスターを終えて、何故かドクター・プログラム(博士課程)に進むことになってしまった。そこでの私の英語との格闘は更に激しくなった。。
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