重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





「戦後補償裁判の現況と今後の課題2010」
-2009年戦後補償裁判の到達点と課題を考える-




1月8日(金)、弁護士会館1003号室で、戦後補償裁判を考える弁護士連絡協議会+戦後補償ネットワーク主催の
「戦後補償裁判の現況と今後の課題2010」 -2009年戦後補償裁判の到達点と課題を考える- 
第12回戦後補償フォーラム が開かれ、会場には100人を越える参加者が集まりました。





フォーラムでは各弁護士より、裁判の報告がありました。
また、特別報告として東京大空襲訴訟判決報告、
中国人強制連行・広島安野和解報告がありました。

<報告のあった訴訟>
旧日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害訴訟
中国人強制連行・福岡・宮崎・長野・酒田訴訟
中国・海南島戦時性暴力被害者訴訟
日韓会談文書公開訴訟



また、円より子参院議員、石毛えい子衆院議員より
挨拶と国会の動き・海外の動きの報告がありました。


  
                   円より子参院議員                                         石毛えい子衆院議員

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