重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





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6月1日(水)午後3時30分から
東京地裁103号法廷で
第18回重慶大爆撃裁判です!




中国重慶から原告劉吉英さんが来日し、
法廷で意見陳述を行う予定です!



◆第18回裁判当日の予定
①午前9時から裁判所前で宣伝活動
②午後3時半から第18回裁判(東京地裁1階103号法廷)
③午後5~7時、裁判報告会(弁護士会館10階1006)



※第4次提訴の原告劉吉英さん(重慶、1936年8月31日生、74歳)
劉吉英さんは1941年8月31日、左膝に重傷を負い、めい2人が死亡した。
住んでいた船は全壊した。



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