重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





10月2日(水)、第25回重慶大爆撃裁判が開かれました
 

①午後1時半、記者会見(東京地裁の司法記者クラブ)


壇上向かって右から重慶の支援者王永鋼さん、通訳の朱弘さん


 


②午後2時半、霞が関デモ




虎ノ門駅周辺をデモ行進する支援者ら

 

③午後5時、裁判報告集会(弁護士会館5階CD)



重慶の支援者王永鋼さん



重慶の支援者王永鋼さん(左)、田代博之弁護団長(右)

 

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【関連日程】

内閣府申し入れ

10月3日、内閣府に申し入れをしました。



内閣府へ陳情書を提出する重慶の支援者王永鋼さん(左)


 


内閣府前にて

 

国会議員訪問

10月3日、重慶の支援者王永鋼さんが国会議員を訪問しました。



近藤昭一議員に日本政府への訴えを話す王永鋼さん



寄せ書きも書いていただきました

 

東京大空襲訴訟原告団との交流会

10月3日、押上の原告団事務所にて
東京大空襲訴訟原告団との交流会を行いました。





東京空襲の写真を見る王永鋼さん



寄せ書きを書いていただきました



記念写真

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