重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





重慶市内の原告団事務所を訪問(07.12.28)

 


 



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と き:2008年1月18日(金)午後6時30分~
ところ:東京都しごとセンター5F/第2セミナー室
   (JR・地下鉄飯田橋駅下車7分)。
    資料代500円

講 師:殷燕軍さん(関東学院大学教授)

テーマ◆対日平和条約(1951年)と日華平和条約(1952年)
  -〈西松建設強制連行〉4.27最高裁判決を分析する-

主催/「重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京」代表・前田哲男
  (連絡先:事務局長・西川重則 国立市富士見台1-7、1-11-108 
       TEL/FAX 042-574-9210)

 

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 被告日本政府は、2007年4月27日西松建設強制連行最高裁判決をカサにきて、居丈高に審議打ち切りを主張しています。
 これに対して原告側は、第5回裁判で、被告主張を徹底的に批判し、さらに2007年12月27日、請求権放棄問題に関する日華平和条約上及びサンフランシスコ対日平和条約上の解釈について、裁判所に求釈明書を提出しました。
 被告日本政府は、原告の求釈明に誠実に回答すべきです。
 第6回裁判は、この請求権問題をめぐる大きな山場となります。
 みなさまの傍聴・ご支援をよろしくお願い致します。
 (2007年12月27日付求釈明書本文は、重慶大爆撃裁判のホームページをご覧下さい)



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