重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





12月18日(火)、港区立商工会館で
第29回連続学習講座が行われました。



 今回は講師に木戸衛一さん(大阪大学大学院)を迎え、
「ドイツに見る〈過去の克服と歴史和解〉―日中和解を考えるために」
との題で講演いただきました。


1.木戸衛一さんの講演
「ドイツに見る〈過去の克服と歴史和解〉 ―日中和解を考えるために」




木戸衛一さん(大阪大学大学院)


       
          
2.コメント



聶莉莉さん(東京女子大学教授)

 
 

学習会前日に行われた第24回裁判で意見陳述をした原告李本澤さんと、
今後の裁判について田代博之弁護団長にもお話しいただきました。

3.発言



田代博之さん(重慶大爆撃訴訟弁護団長・弁護士)



李本澤さん(楽山爆撃の被害者・重慶訴訟原告)



会場の様子



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