重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。






2012年7月19日付「自貢網」にて第22回裁判が報道されました
※画像をクリックすると拡大表示されます(PDF)



寄せ書きを持つ原告鐘国華さん
(寄せ書きは第22回裁判で来日時に日本の支援者の方々に書いていただきました)

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【証言】四川省自貢市の原告 鐘国華(20120704撮影)


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7月2日(月)、第22回重慶大爆撃裁判で
原告鐘国華さんが法廷で意見陳述した陳述書です。


※鐘国華意見陳述書・日本文(PDF)

※鐘国華意見陳述書・中文(PDF)


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7月4日(木)、国会要請行動をしました。

原告鐘国華さんが国会議員を訪問しました。



近藤昭一衆議院議員(左)
自貢爆撃の被害や裁判について話す原告鐘国華さん(右)


原告鐘国華さんへ寄せ書きを書いていただきました。








服部良一衆院議員(左)
自貢が爆撃対象とされた塩工場について説明する原告鐘国華さん(右)





服部良一衆院議員と握手する原告鐘国華さん



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10月1日(月)午後3時30分から
東京地裁103号法廷で
第23回重慶大爆撃裁判です


中国から原告が来日し、法廷で意見陳述します!


◆第23回裁判当日の予定

午前9時30分 裁判所前で宣伝活動
午後1時30分 記者会見(司法記者クラブ)
  2時30分 霞ヶ関デモ(日比谷公園霞門出発)
 ◎3時30分 第23回裁判(東京地裁103号法廷)
   5時   裁判報告会(弁護士会館)
   7時   歓迎交流会(虎ノ門周辺)


◆関連スケジュール
10月2日(火)  
東京大空襲訴訟原告団訪問、国会要請行動



※チラシは後日アップします

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7月3日午後2時、押上の原告団事務所にて
東京大空襲訴訟原告団との交流会を行いました。




自貢爆撃の被害について話す原告鐘国華さん(右)



東京大空襲原告団の皆さんに寄せ書きを書いていただきました。



記念写真

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午後5時、弁護士会館10階1008にて
裁判報告集会を行いました






第22回裁判の法廷で陳述した自貢市の原告鐘国華さん(中央)
鐘さんは爆撃によって父を失い、困難な生活を強いられたことを
涙ながらに話され、日本政府が歴史を直視し謝罪することを訴えました。



会場の様子

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7月2日(月)、第22回重慶大爆撃裁判が開かれました

午後1時半、東京地裁の司法記者クラブにて記者会見を行いました。




記者会見の様子
壇上右から壇上右から内田知行さん(大東文化大学教授)、
西川重則さん(連帯する会・東京事務局長)、鐘国華さん(原告)





四川省自貢市の原告鐘国華(ジョン グォ ホァ)さん(中央)

鐘国華さんは、1939年3月17日生まれで現在73歳です。
1940年8月12日、日本軍による中国自貢市の爆撃で父鐘文亨氏が
殺され、家屋を破壊され、困難な生活を強いられました。

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