重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





2010/8/22  三峡博物館にて


蔡永培さん(爆撃被害者)に質問している様子

   
6・5爆撃記念碑とその前の慰霊の花輪


2010/8/23 重慶の原告団事務所


原告団に裁判の説明をしている様子

  
原告団事務所には、70人ほどの重慶市民が集まった


会議後、原告・被害者との集合写真


2010/8/24-26 松潘

  
      馬益蓉さん(女性、46歳、回族)          趙双林さん(男性、46歳、漢族)

  
      馬成啓さん(男性、62歳、回族)          馬雲福さん(男性、58歳、回族)

    
      翟梅さん(女性、70歳、チベット族)        索郎さん(男性、57歳、チベット族)

2010/8/28 成都

①午前、原告の車輻氏の自宅にて


原告車輻さんと娘の車蓉さんをインタビューしている様子


②午後、成都市内法律事務所の会議室にて


原告や被害者の方々をインタビューしている様子

  
    寥正林さん(第4次訴訟原告)              黄孝述さん(第2次訴訟原告)

  
    関昌麗さん(第2次訴訟原告)              文仲さん(第2次訴訟原告)


    付先群さん(第2次訴訟原告)


インタビュー後、原告及び被害者との集合写真



「川軍抗日陣亡将士紀念碑」(成都市内人民公園にある戦争遺跡)

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