重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





12月21日(月)、中野区「なかのZERO」学習室2で
第16回連続学習講座が行われました。



今回は西川重則さん(平和遺族会全国連絡会・代表) を講師にむかえ、
「重慶大爆撃から70年、日本の戦争責任を問う」の題でお話いただきました。


1.DVD上映
学習会の前に、重慶大爆撃について約10分間のDVD上映をしました。
この映像は、2009年4月末の重慶スタディーツアーに参加した
斎藤紀代美さん提供の映像をもとに牛越国昭さんが編集しました。
内容は主に重慶大爆撃で顔を負傷した趙茂蓉さんが当時の爆撃について、
趙さん自身が被害にあった場所で証言をしています。

   
重慶市の原告 趙茂蓉さん


2.西川さんの講演
重慶大爆撃や東京大空襲、南京大虐殺など日本の戦争責任や
西川さんが重慶へ行かれた時に出会った被害者や重慶の様子について
お話しいただきました。

    


   
                             

3.クロストーク
コメンテーターに三角忠さん、内田知行さんをむかえ、
西川さんとのクロストークをしました。


三角忠さん、内田知行さん、西川重則さん

4.その他
①重慶大爆撃訴訟と関連して、12月14日(月)に判決が出た
東京大空襲訴訟について谷川さんより報告がありました。


②一瀬弁護士より今後の方針について報告がありました。


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