:: dragonyan ::

日々のこと

今さらながら凪のお暇見て思うこと

2020-08-10 | 日々の事とか

今さらながら「凪のお暇」を見てます。
なんでってAmazon primeにやっと登場したから。

で、まぁ簡単に言うと
それまでは周りの顔色や空気ばかりを読んで生きてきた女の子が
疲れ果てて新天地で新しい自分を模索し始めるという話。
まだ途中なんで分からんけどこんな感じ。

共感、できますのん?
どうですのん?

確か高校2年生の時やったか友達から
「〇〇(私のこと)って自己中やもんな」
と言われたことがあります。

私はそれまで人の顔色や空気ばかりを気にして
自分の希望ではなくとも周囲に合わせて生きていた、
そんな私がジコチュー⁉︎

その時に自問自答や自己分析始まるよね。

私の場合は人の意見を取り入れてる風で
実は自分の意見を押し通す我の強さみたいなんが透けてたんかな。
はっきり主張しない、でも周りが動いてくれるのを待つ、みたいな
それはもしかしたら末っ子気質なんかもしれん。

家族の中で一番幼い私の意見など取り合ってはもらえないものやし、
自分の主張なんて価値のないもの、そういう風に感じてた。
そう感じてたけど、最近また姉に言われて気づかされたことは
「大人しかったけど小さい頃からイヤなことに対する主張は強かった」らしい。
それはたぶん、自分の希望は取り入れてはもらえんかもしれんけど、
自分を守るためにイヤなことに対する主張だけは強めやったんかな。
昔から今もずっとそれはそうやな。

だから元々「NO」と言える日本人やったんやけど
それ以外のどうでもいいことは人に合わせてるていうところを、
自分は気遣いができて、周りに合わせてばかりと思い込んでたんや。

それにこのドラマでも言われてたように
人の顔色を伺うのは、自分がどう思われるかってことばかりに意識が向いてて
結局人のことなんかどうでもええんよね。興味がない。
自分にも他人にも向き合ってない。

とにかく、自分が思う自分と、人から見た自分には差異があるんやなと
気づかされたのは高校生の時で、それは自分のペルソナが外されるようで
人生の早い時期にそういうことが知れて良かった。ありがとう友よ。

それからもやっぱり
人から見える自分を気にする癖みたいなもんは抜けへんし
イヤでもやらなあかんことはやるし、全部が全部自分の意のままではないよ。
でも良い人ぶらないでいいのは楽です。言いたいこと言えるが楽。

究極はなんだっていい、どんな自分だっていい、ありのままでヨシ
なんやろうけど、そこにたどり着くまではもがくよねー。
いくつになっても玉ねぎみたいにむいてもむいても出てくるわ。
その作業は自分しかでけへんし、だんだん軽くなると見えてくる、かな?

父の命日

2020-07-27 | 日々の事とか

今日は父の18回目の命日です。

5年以上前にしたためておきながら
なかなかアップすることができずにいた記事を
なんとなく今日あげてしまいましょう。

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もう十年以上も前のことになりますが、
私は父の死に立ちあうことができました。

大阪の夏の風物詩である天神祭が終わり、その2日後の土曜日、
入院していた父の元には、たくさんの人がお見舞いに来ていました。

父の友人や、親戚一同が勢ぞろい。

すでに意識のなかった父に、
訪問者の声が届いていたかどうかは分からないけれど
賑やかな雰囲気は伝わっていたことでしょう。

日が暮れて、訪問者たちは帰り、兄は仕事へ、
姉達も幼い子がいたので一旦引き上げることとなり、
残った私と母だけが、その晩病院に泊まることになりました。

ひっそりといきたかったのかもしれない。

みなが帰ったすぐあとに容態は急変し、
私と母に見守られながら息を引き取った父。
最期の瞬間、その口からため息のように
「あぁーー」という声を発しました。

魂といわれるものかもしれない何かが、
煙のように父の肉体から出ていくように感じました。

肺に残っていた最後の空気が押し出されただけかもしれない。
でも私はそのあとに続く言葉を想像した。

「あぁーー、しんどかった」という解放感か
「あぁーー、おもろい人生やった」という回顧か
「あぁーー、なんやそういうことか」という発見か

死んだ父から教えてもらうことはできないけれど、
そのあとに続く言葉を想像することが
“生きる”ということのような気がします。

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・・・・このあとにもう少し文章は続いていたけど
今の自分にはあまりしっくりこなかったので消しました。

いま思えば、なるだけ自分の良い面を人に見せたい父だったので
命が尽きるさまをあまり多くの人に見せたくなかったのかもしれない。

ショーン・ペン主演の「21グラム」という映画をご存じだろうか。
内容は全く覚えてないけど、この21グラムという意味だけは鮮烈に覚えている。
それは「人が死んだ時に軽くなる重さ、魂の重さ」だそうです。

父がなくなる瞬間に発した声は忘れることはないと思うし
その声と同時に、本当に何かが抜けていくような感じがした。
そして不思議なことに、あの時私は悲しいという感情が全くわかずに
泣き崩れる母を横目に、命を全うした父の肉体を冷静に見ていた。
残された肉体にはもう父はいなかった。

死というものに対する考えは、取り扱いが全くもって難しく、
命と同様に尊重されるべきとは思うけど、
あまりにも厳かに尊ぶものでもない気がする。

ただ命の横にあるもの、ということは確かで
忌み嫌うものではないけど、その感覚は安易にではなく
じっくりと掴まなければ歪んでしまう気もする。

昨日は母と二人、
ご先祖様、父がいるであろう仏壇でお参りしましたら
お参り後、母曰く「今はお父ちゃんここにおらんけどな」と。
その母の独特の独白に「え?え?なになに」とツッコミを入れましたら
「今は店に行ってる時間やからおらんねん」て。

ここで言う店とは、父が生前に営んでいた飲食店で
現在は兄が引き継ぎ経営している店のことで、いまはそちらに行ってると。
これはなにも母が死者の言葉がわかるイタコでもなんでもなく
「夢に見た」とかなんとか言ってたけど
それ以上はつっこまずにソッとしときました。

というか命日前日やからお参りに来たのにおらんのかい。

その後母と二人、空に架かる虹を見ましたよ。
母は生まれて初めて見ると感激して手を合わせていた。
私は虹が見られたときは「大丈夫、その道で合っている」と
優しく背中を押されているような気がします。


大丈夫、大丈夫

人のせいにしない

2020-07-18 | 日々の事とか

今日は人に会うために京都へ行ってまいりました。

コロナに罹らないこと、万が一無症状で罹っていたとして
人にうつさないための配慮は必要やけど、
どこまで自粛するのかって話やなー。

今月、会社で大変お世話になった方の異動が決まり、
7月はじめに送別会が行われました。
行くかどうかめちゃ悩んだわー。

2年前に私が手術入院した時には
健康状態を最優先に考えてくれたり
今回のコロナ禍でも体調を気にかけてもらっていたり
ちなみに今はいたって元気にやっているんやけど。
それだけやなくて、いろんな面において
上司としては最高点をつけてさしあげたい人だったので、、、
行くよね。行ったよね。

話変わって、私ずっと太鼓お休み中なんやけど、
(お休み中とか言いながらもう2年も経ってる。時流れるよね。)
それまで教えてくれてた先生がちょうど私がお休みに入る頃と同時期に
名古屋に引っ越されてしまったのでした。

名古屋に行くことあればぜひ会いたいと思いつつ
名古屋になんの用事もないまま2年経ち、時流れるよね。
特に連絡のやり取りもすることなく過ごしていたけど
先日「大阪に行くから会おう」とお誘いいただきました。わーい。

すごい仲良しでしょっちゅうご飯食べに行ったり、なんてことはなかったのに
そうやって大阪戻ったら会おうと思ってもらえるありがたき幸せで、、、
行くよね。行ったよね。

今日も今日とて人に会うために京都に行ったよね。

会いたい人に会うチャンスがあって会ったとして
もしコロナに罹ってもあの時あの人に会わなければみたいには、
思いたくないし、思われたくもない。誰のせいでもない。

私は今日なにを書きたかったのかというと、
どんなことも人のせいにしない。ってことを書きたかったんやー

コロナだけにあらず、自分のいまの状態に不満がある場合
自分の心を守るため「あいつのせいや」て思う瞬間もあってもええけど
いつもいつも人のせいにしてたらそれはもう自分の人生じゃないよな。
不満があれば自分が変わるほかない、今日はそんなお話をしてましたよ。

人にコントロールされたくないと強く思う人ほど
実は、自分より他人にフォーカスが当たっているということがよくある。
はい、私のことです。

自分の人生に集中していたら人のことは気にならないし、
それが回りまわって人のためになる、全体的によくなる。
そんな話。

過去の人も今の人も未来に会う人も、
どんな人間関係にも感謝できる心があれば最強。



ベガベガ金閣寺

始めました。

2020-05-04 | 日々の事とか
今年の初め、上半期中に始めたいという目標を掲げてたんやけど
コロナウイルスの発生により、まぁ無理やなぁと頓挫していました。
それでもう進める気もなくぼんやりしていたところ、
急に友達から申し込まれて受ける運びとなったのですねー。

年始に掲げた目標とは「パン教室を開く」でした。
知識も経験もまだまだやし、作ったことないパンめっちゃあるし、
レシピも固まってないし、ないない尽くしで始められるものか、
という感じもあり、そんな中のコロナで今年は無理やという結論に至っていたのに
このコロナ禍において、友達も家でじっとしてられない、何かしたい、
そやパン作り教えてもらお、という流れで申し出てくれました。

ありがたいことこの上なし!
それで昨日初めてのパンレッスンが行われたわけです。
一日経っても美味しいパン、を目標にいちおう自分なりのレシピを考え、
前日も予習して準備万端にはしていたものの、正直教えるという立場にはほど遠く、
進め方も定まってない中とりあえずやってみた感は半端ないけど、
それでもなんとか焼きあがったパンを見てほっとしたわ。

何より、楽しかった、て言われる喜びたるや。
しかも、人生で一番美味しいクリームパンやった、てそんな嬉しいことあるのか。
捏ねている間は無心になれるし、そして手間暇かけて作ったものがすぐ完成品として手に取れる。
さらに焼き立てのパンの美味しさをかみしめる幸せたるや。
パン教室て癒しの場やんかーーー。
そんな風に思っております。

なのであまり細かいことは言わずに楽しく作れる場として存在したい。
さらにもっと知識や経験もつけとかなきゃあかんなー。
クロワッサンとか一回しか作ったことないし。

そんなこんなで今年の目標、上半期中に始める、はなんとかクリアしたけど
まぁボチボチやっていこうかなぁと思っとります。


友達作。人生初のパン作りとは思えない出来栄え、お上手でした。

武井壮からのインナーチャイルド考

2020-05-04 | 日々の事とか

ツイッターで武井壮さんをフォローしてまして
テレビで拝見した感じでは、
空気を読んだり、人に対する気遣いとかなさそうやし、
実際目の前にいたらウザそうやなぁという印象で、
ツイッターでもきれいごとを書いてる感は否めないけど
私はわりと推しています。

生い立ちやなんやはあまり知らんのですが、
苦労してきたからこそ分かる人の痛みや、おそらく汚いものも知っている上で
それでも強くきれいな心で生きたいという意思が感じられるのですね。
しかも知性も感じられてなおヨシという感じでしょうか。

すると昨日のつぶやきで
「コロナ自粛の部屋の片隅の風景が、
 子供の頃両親がいなくなった部屋の風景に似てると気付いた。」
と書かれていた。どういう経緯でそうなったかまで知らんけど
その寂しさを埋める為にひたすら運動理論の本を読んで勉強して、
身体の形をコントロールする訓練をした、と綴られている。

両親不在という、どうあがいてもコントロールできない事実に対して
その寂しさを自身の身体をコントロールすることによって昇華しはったんや。
やっぱすごいやんかこの人。

さらに
「好きなこと全部我慢して『こうすれば褒めてもらえる』って
 頑張ってた子供の頃の自分を楽しませてあげたい気持ちが残ってる、任せとけ。」て。
インナーチャイルドと対話してさらに自分で癒してるやんか。

もともと、政府に対して意見を言える人、弱い立場の人に寄り添える人、という印象があったので
彼の言う「悪口を言わない、人を責めない、争わない、汚い言葉を吐かない」てのも
政府批判封じとして書かれていないのは明白やった、私の中では。
でも室井佑月さんは批判の抑止と捉えて、こんなこと言う人嫌い、軽蔑さえしている。て書いてた。
文字の上っ面だけ捉えたらこういうことになりますよね。
ツイッターてまぁ文字だけの世界やしそういうところではあるんやけど、
自分の中に強いバイアスを持って入り込むと不毛な場所にもなってしまうなー。
だから気をつけねばならんと思ってます。

ほんで彼の言う「悪口を言わない、人を責めない、争わない、汚い言葉を吐かない」てのは
自身のインナーチャイルドに対してお手本になる大人でありたい、そういう願望がある気がする。
それは大事なことちゃうかー。
子供の頃から言われてた「お天道さんが見てるで」は、
誰が見てなくても自分の中にある良心は見ているで、てことやと思うし、
その良心てのは、純粋無垢で幼いインナーチャイルドなんかもしれんな。

安倍さんや麻生さんや橋下さんやを見てくださいよ。
完全に屈折したインナーチャイルドを持ったアダルトチルドレンやんかなー。
幼児性として表れてるやんか。そんな大人が人を先導できるわけあるかいや。
一刻も早く退陣していただきたいし、橋下さんは国政に出てこないでいただきたい。
成熟した大人が政治家になれる社会になってほしーなー。

そんなことを考えるGWですよ。
もはやGWもへったくれもない今年やけど、私もインナーチャイルドとちゃんと向き合うわ。

タイミング

2020-04-29 | 日々の事とか

在宅勤務3週間目でしょうかね。
家に引きこもってしまうし、体も動かさなくなるよなぁ。
これはヤバイってんで、仕事終わってから無意味に歩き出したりします。毎日ちゃうけど。
先日、そのウォーキング途中にあった少し小さめのスーパーに初めて入ってみたら
今わりとどこでも売り切れ中のハンドソープがたまたま売られてて
ちょうど切れそうで困っていたところタイミング良く購入することができました。

こんなに買えなくなる前から家にはたくさんのマスクがあったし、
除菌スプレーも去年買っていた5リットルの業務用の物がまだ半分ある。
キッチンペーパーも以前に買った物がまだ7ロールはある。
今は買えるようになったけど、トイレットペーパーも騒動前にたまたま安くて買っていたし。

昨日スーパーに行って驚いたのが強力粉が無くなっていたのですね。
なんで?みんなパンでも作るん?なんなん?
パン作りが好きな私は、4月の頭に10kgの強力粉をすでに買っていましたよ。

タイミングてなー、ええ時も悪い時もあるよな。
なんとなく、なんとなく思うことが、タイミングの悪い時って何か余裕が無い時のように思う。
みっちみちで隙間がなくって意固地になってる時は、いろんな歯車が狂う気がするねんなぁ。
でも、それはそういう認識があったとしても、どうしても余裕を持てない時期やったりする。
それがバイオリズムの底の時期なんやと思う。だからしゃーない。

最近入った会社の子と以前話してて、
その子は「私占いは一切信じません」とキッパリ言い放ちました。
ええねん、ええねん。私も占いは好きやけど全部信じているわけではないので。
でもバイオリズムはある。それが天体との相関関係によるものなのか、なんなのか分からんけど
そういうものを体系的に取りまとめられた占いの一切を否定はできないよね。と思うけど。
その子が体感としてそれを感じられないならそれは何も言うことがないよなぁ。

ほんで、これらの売り切れの原因てテレビが原因なんやろ?
私は3年ほど前からほぼテレビを観ない生活になりました。
録ってたドラマやなんかは観るけど、以前のように垂れ流し状態ではない。
だから情報の押し売りからは逃れられてるわけです。洗脳解除。
テレビなんかで情報を得なくても、必要な情報は入ってくると思うし、
こうやって必要な物も入ってくると思うわ。

家に居ることを余儀なくされて、今だからこそできること、とか無理にせんでも
何もしたくなかったら何もしない、体を動かしたかったら動かす、って自然な状態になったら
いろんな感覚も研ぎ澄まされるんちゃうかー。第六感を開花するための内省の時とでも思ったら。
外ばっかり向いていた目を内に向けるええ機会なんちゃう。
そうか、無理して続けていたこととか、いろんな歪みが限界まできたから、
全人類的にいま強制的にストップさせられたんかもなぁ。
だからこれからは今までとは違う感覚で生きたほうがええかも。
今の国会にいるじいさん達はまだそれが分からんで滑稽なことばっかりしよるけど
あんなんももう続けてられんくなるんちゃうー知らんけど。

まぁ自然であれとは言ったものの、ある程度の節制は必要と思うわ。少しの運動と。
何事もバランスが大事。


2斤角食。水分量80%

在宅状況

2020-04-24 | 日々の事とか

在宅勤務を始めて2週間が経ちました。
会社でもPCに向かって仕事をしているので
その作業環境が自宅に移っただけで大した違いはないようですが、
隣の席の子とちょいちょいどうということもない話をしたり、
トイレや給湯で会った違う部署の人と井戸端会議をしたり、
そういう何げない、たわいもないコミュニケーションがなくなって
やっぱりさみしいんですよねぇ。
でもさみしくてさみしくて仕方がないかって言ったらそこまでもないんですけどねぇ。
まだね。今のところはね。

在宅勤務の良いところは、通勤時間0分てところな。
私は自転車通勤なので通勤時間は誰よりも短いんですよ。
それでも、家のパソコンの電源をつけてリモート接続したらもうここが職場になるんですから、
これはもうどこでもドアをひとつ開設したようなもんではないでしょうか。

ノーメイクになりましたね。
いちおう寝間着から部屋着には着替えますが、だいたい毎日同じ服を着ています。
服が好きなんやったら、誰から見られなくとも毎日違う服に着替えるはず。
そう考えると、普段いかに人に良く見られたかったかというのがあぶり出されましたな。
おしゃれと思われたかったり、多少はきれいと思われたかったりしますよね。

あとは家の用事ができますよね。
宅配便の受け取りもできるし、洗濯機回したり、洗濯物干すのは昼休みにできるし、
昼ご飯は昨日の残り物とか、簡単な料理なら作って食べてもええわけです。

そして毎日ラジオを聞きながら仕事をしていますよ。
聞いてるラジオはもっぱらFM COCOLOです。765です。
今月のマンスリーアーティストは鈴木雅之さんで、早く来月にならんかなぁと思ってます。
ちがうちがうそうじゃない。

難点は、画面が小さいところやな。
会社では大きいモニター2つ置いて作業してたのに、
今はノートパソコンの小さい画面が1つだけ。ちまちましとるわけです。
会社のモニターを持ち帰ることも可能みたいなので、この状況長引きそうなら持って帰ってこようかな。

リモートワークはネット回線を使って、会社に置いているパソコンを操作するわけなので
回線が込み合ってる時なんかはめちゃめちゃ遅くなるねんな。
あと接続がちょいちょい切れる。朝ミーティングには私はほぼ参加できてない状態。

そんなこんなあるけど、思ってたよりは作業できるし、意外と集中してる。
いや、私的なラインとかもめっちゃするけど、わりと真面目に座って仕事してますねん。
誰が見てなくてもやっぱりお給料発生するんやからそれ相応の仕事せねばやろ。

ほんで在宅やのに時差勤務という謎の行動も受け入れてもらえてるし。
なんやったら早朝とか深夜とかのほうが回線空いてて仕事が進むから
適当に時間調整してやってくれてもいいですよーやて。めちゃ融通きくやんか。
勝手にシエスタとかしてもええんやろか、それはやりすぎか。

まぁそんな感じです。
やっぱり一番には人との繋がりが少なくなることがさみしいよなぁ。
でもコロナってそういうやっちゃやんか。
分断を煽るようなやっちゃやんか。
それを一致団結して乗り越えよう、とかそういうノリ私ほんま苦手やねんなぁ。
吉村知事が「大阪は自由人のイメージがあるが、一致団結した時のパワーは凄まじい」とか言って
大阪の人がその言葉に乗せられて「吉村知事のためなら頑張ります!」とか言うのなんか寒気する。
そういう内輪ノリみたいな感じ、それは一歩間違えると排外主義にもなるしな。
実際吉村さんそういうとこあるしな。

話が逸れた。維新が信用ならん話はまたいつか書くかな。書かんかな。どうかな。
とりあえず在宅勤務の現状はこんな感じです。



在宅勤務してたら家に閉じこもってしまうので、先週は中之島までテクテク散歩しましたよ。
この日は曇ってたけど、日に当たり運動することも免疫力を高めるのに効果的。あとは寝ること。

正常性バイアス

2020-04-12 | 日々の事とか
会社の人達はなんでこんなに呑気なんやろう、て書いたけど
あの正体は心理学的にいうと「正常性バイアス」というものらしい。
姉に教えてもらいました。

自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、
それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、
「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。

人間の心は、予期せぬ出来事に対して、ある程度「鈍感」にできている。
日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、心が過剰に反応して
疲弊しないために必要なはたらき


Wikipediaより

それそれ。それな。
恒常性維持機能と似てるやんな。

私は思考や理屈でとらえることにおいては鈍感な人間やけど、
論理的に説明できないなんとなくの直感は敏感やと思う。たぶん。
直感に対して正直であれば正常性バイアスも無視できるんじゃないかしら。

月曜日は出社する予定でしたが、どうやら自宅待機になるもよう。
な、そやろ、としか言いようがない。

今の政府に対しても同じように正常性バイアスが働いていませんか?
という疑問を投げかけてみよう。

桜ブログ 2020/4/9

2020-04-09 | 日々の事とか

もう葉桜になりつつあります。
今日で今年の桜ブログ終わろかな



本日からリモートワーク始まりました。
まぁー仕事がはかどらん。単純作業ならええけど、重い作業は難しいかなー。
ちょこちょこは出勤せなあかんけど、でもとりあえず在宅勤務継続でいきます。

こんな中でも休業できない、出勤しなくちゃならん人を責めるのはおかしいよね。
だって生活せなあかんもん。批判の向かう先を間違えちゃならん。
向かう先は政府ですよ。
日本に住む人の命と生活を守ることがお仕事でしょ違うんですか。
ちゃんと仕事してるように見えないから批判されるんですよ。
政府も頑張ってるんやから文句があるならやってみな、はないし、
日本全体が一丸となって、という気持ち悪いフレーズは、
政府批判を抑え込む手段として用いられてはならぬよ。

桜ブログ 2020/4/8

2020-04-08 | 日々の事とか

もうだいぶん散りぬるを


会社での働き方報告をこのブログで続けてきましたが、やっと明日からテレワークです。
緊急事態宣言のあとでもやっぱり今日も危機感のない職場でした。
いや、いいんですよ。ピリピリいやーな雰囲気に包まれた職場なんて最悪ですから。

みな生活のために働いてるんやから補償のない休業なんて考えられない、
てのは確かにあります。それをなんで出勤するんかね、とバカにされる筋合いはない。
でも、私の職場に限ったことかどうか分からないですが、すごい他人事感があるねんなー。
自分は罹らないと思っているのか、自分が保菌者にはなりえないとでも思ってるのか。
社内の密度を減らすために交代で在宅勤務したり、出勤したりという対策をしていますが、
そうじゃなくて、移動しないことが大事、てことは考えないのやろかな。

帰りに買い物をしたんやけど、
私は前の人との間に距離を空けていても、後ろの人はぴったり側にいてたり、
はたまた知ってか知らずか間隔を空けてレジを待つ私の前に入っちゃう人がいたり。
なんかなーおまえらなんやねん。

検査がなかなか受けられない、ということはよく聞きます。
がっつり検査して陽性の数字バーンと出したら危機感高まると思うし、
さらに検査で抗体を持った人てのもしっかり把握できたらパニックにもならんちゃう。
なんせ分からんから危機感なく呑気やったり、分からんから神経質になるんやから。

何が正解不正解か分からんけど、自分の身は自分で守ろうね。