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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

家庭菜園作業

2020年05月25日 20時00分26秒 | 家庭菜園

 今日は、午後、家庭菜園の作業をしました。

 まずは草取りを行いました。そして、それからは、もう既に収穫の終わってしまって枯れかかった野菜を抜き取って畑を綺麗にする作業をしました。

 草取りも、まだ、気温もそれほど高くなっていませんから、雑草もさほど伸びていませんので、それほど時間はかかりませんでした(^-^;

 春菊、ワサビ菜、ノラボウ菜などの野菜は、もう収穫も終わり、背丈も伸び、大きくなって枯れかかってきましたので、それを抜き取って畑を綺麗にし、次の野菜を植える準備をしなければなりません。

 それで、それらを、一部の種を採る分だけを残し、綺麗に抜き取り、菜園の隅に運んで積み上げました。それらは、次に、堆肥にするわけです。

 それらの作業が終わったあと、ついでに、サヤエンドウ、ブロッコリー、グリーンアスパラガスを収穫してきました。

 今は、あまり収穫するものもなく、主に、サヤエンドウの収穫に時間を費やしたくらいで、全体の収穫に要する時間もそれほどはかかりませんでした。

 それで、今日は、それほど長い時間の作業にならないですみました(^-^;


伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿

2020年05月24日 16時05分37秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿」の紹介です。

 

表面

 

 

裏面

 

 

斜め上から見た裏面

 

 

<製作年代>

 江戸時代前期

<サイズ>

 長径:14.4cm    短径:11.6cm

 高台長径:7.9cm 高台短径:5.7cm

 高さ:3.0cm

 

 

 ただ、今回の「伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿」につきましては、前回の「伊万里 色絵梅鶯文扇形変形小皿」とは違って、少々説明が必要なようです。

 と言いますのは、前回の「伊万里 色絵梅鶯文扇形変形小皿」の場合は、ただ素直に見ていただくだけで理解していただけたと思うんですが、今回の「伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿」の場合は、これを見た瞬間、「何これ? 寝ぼけた色合いだこと!」「ブツブツした柚子肌だし、、、。何処の焼き物?」と思われる方が多いと思われるからです(-_-;)

 でも、これも、一応、「伊万里焼」なんです(汗)。

 確かに、私が古伊万里のコレクションを始めた頃は、やはり、この小皿を見たなら、皆さんも、「何これ? 寝ぼけた色合いだこと!」「ブツブツした柚子肌だし、、、。何処の焼き物?」と思ったことと思うんです。

 当時(約半世紀前)、この「伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿」が何処の焼き物かと考えた場合、一番近いのは「古九谷」でした。

 しかしね~、当時(約半世紀前)は、「古九谷」は、文字通り「九谷焼」の古いもので、九谷で焼かれたもので、非常に珍しいものとされ、高価でもあり、その辺にはまず存在しないものとされていました。

 ですから、このような物が市場に登場してきても、「古九谷のわけがない」「何処の焼き物か分からない」ということで、国籍不明なものとして相手にされなかったんです。

 ところが、そのうち、古伊万里研究家、東京国立博物館の学芸員などから、「どうも、『古九谷』というものは、九谷で焼かれたものじゃないんではないか? 本当は有田で焼かれた伊万里焼なのではないか!」という声が大きくなってきました。

 一方、有田では、考古学の発掘手法を用いた窯跡の発掘調査が進み、これまで古九谷と言われてきた「古九谷」の陶片が出土するようになってきて、その声はますます大きくなってきたところです。

 そうした中、1991年(平成3)10月、第19回東洋陶磁学界が開かれ、その中で、「古九谷」は伊万里焼の一様式に過ぎないということが大々的に取り上げられます。

 それ以後、「古九谷」は伊万里焼の一様式に過ぎないということが、だんだんと骨董界にも定着してきます。今では、テレビ報道などでも、「古九谷」は伊万里焼の一様式に過ぎないことを前提にして放映されていますから、骨董界のみならず、社会一般にも、「古九谷」は伊万里焼の一様式に過ぎないということは浸透しているのではないかと思います。

 しかし、そうは言っても、頭では理解しても、なかなか昔の考え方に囚われ、簡単には昔の呼称などを捨てられないのが人情というものです。ましてや、「古九谷」は「古伊万里」とは比較にならないほど高価でしたので、特に骨董好きにとっては、いまだに、「古九谷」の名称を捨てきれず、「古九谷」の名称には固執するんです。

 この小皿の前の持ち主もそうでした。今なら、「伊万里  古九谷様式色絵網目宝尽文変形小皿」と表示すべきところを、下の写真にありますように、「古九谷」の名称を捨てきれずに、「古九谷 網目宝尽文皿」と、「古九谷」のブランド名を使用しています。

 

前の持ち主が設えたと思われる箱。比較的に新しい

 

 

箱のシール部分の拡大写真

 

 

 この箱もシールも、「古九谷」が伊万里焼の一様式に過ぎないということが定着した後に作られ、貼られたものと思われますが、「古九谷」というブランド名を捨てきれず、いまだに「古九谷」の名称を使っていることがわかりますよね。

 

 ところで、今回も、箱を登場させてしまいました(-_-;)

 茶道具ならともかく、鑑賞陶磁器の場合、普通、箱と中身との結びつきは弱いですから、箱の有無が中身の価値を左右するわけではありませんので、箱にはそれほどの意味がないわけです。

 でも、今回のように、箱に貼られたシールに「古九谷」と書かれていたことには若干の意味を見出すことが出来ます。

 この「古九谷」というシールが貼られていたということは、この箱が、「古九谷」が伊万里焼の一様式に過ぎないということが定着した後に貼られたものであり、かつ、まだ「古九谷」のブランド名を捨てきれない頃に作られたということを証明するからです。そのような意味で、この箱を登場させました。

 なお、以上の文章を読むと、それなら、この「伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿」という表示も、ちょっとおかしいんじゃないの。本来なら「伊万里 古九谷様式色絵網目宝尽文変形小皿」と「古九谷様式」という文字を入れて表示すべきではないのというご指摘をうけそうですね(-_-;)

 ご指摘はもっともなんですが、今や、「古九谷」が伊万里焼の一様式に過ぎないということは社会一般にも定着したところです。そして、今では、わざわざ、いちいち「古九谷様式」と断らなくとも、その頃のものは、皆「伊万里」なんですよね。

 今や、「古伊万里」は、骨董の世界にだけ留まってはいないんです。「古伊万里」の世界は、「古伊万里学」という学問の世界にまで進展してきました。

 それで、今や、最新の、「古伊万里学」からみた表示としては、「伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿」となるんです。「伊万里 色絵網目宝尽文変形小皿」という表示は、最新の表示なんです(^-^;


伊万里 色絵梅鶯文扇形変形小皿

2020年05月23日 14時26分34秒 | 古伊万里

 ここのところ、2回ほど、伊万里と「箱」にまつわる話を書きました。

 読まれた方の中には、「余計な、箱の話など読みたくもなかった(-_-;) 伊万里だけ紹介してくれればよかったのに、、。頭が混乱し、素直に古伊万里を楽しめなかった!」と思われた方もいたのではないかと思います。

 そこで、今回は、純粋に、古伊万里だけの紹介を、、、(笑)。

 江戸前期によくみられるものです。

 余計な説明は不要でしょう。とくと見てやってください。

 

伊万里 色絵梅鶯文扇形変形小皿 (表面)

 

 

伊万里 色絵梅鶯文扇形変形小皿 (裏面)

高台内の銘:角福

 

製作年代:江戸時代前期

長径:16.5cm   短径:8.7cm

高台長径:11.5cm 高台短径:5.0cm

高さ:2.0~2.2cm


古伊万里の時代を下げる「箱」

2020年05月22日 16時55分16秒 | 古伊万里

 前回は、伊万里と「箱」に関係した話を書きましたが、今回も、伊万里と「箱」に関係した話を書いてみたいと思います。

 なお、今回紹介する古伊万里は、「伊万里 錦手麒麟文手塩皿」ですが、それは、次のような「箱」に入っていました。

 

 

 そして、そこには、10枚入っていました。

 

伊万里 錦手麒麟文手塩皿  表面

 

 

伊万里 錦手麒麟文手塩皿  裏面

 

 

 そのうちの6枚が無疵でした。

 

10枚中の無傷の6枚 (表面)

 

 

10枚中の無傷の6枚 (裏面)

 

 

 そして、10枚中の4枚には疵がありました(><)

          右側2枚: 口縁の10時の方向にカケ

          左側2枚: 高台内にニュー

 

 

 10枚の内の1枚に代表して登場してもらいました。

代表 (表面)

 

 

代表 (裏面)

 

 

 ところで、この「箱」ですが、一番上の写真から分かりますように、「箱」の蓋の表面には、

     「 錦手手塩皿  佐藤 」

と書いてあることが分かります。

 また、その蓋の裏には、次のように書かれています。

 

 

 

 更に、「箱」の側面にも何やら文字が書かれています。

側面1

 

 その反対側の側面にも文字が書かれています。

側面2

 

 最初の、記号のようなものは何を意味するのかは分かりませんが、側面1には、

    「 極上  錦手手塩皿  弐十個(十九個に訂正) 」

と、そして、側面2には、

    「 極上  錦手手塩皿  佐藤(墨で抹消) 」

と書かれていることが分かります。

 

 以上のことから、この「箱」は、佐藤さんという方が、明治29年9月に、極上の錦手の手塩皿20個を調達した際に設えた「箱」であることが分かります。

 また、この佐藤さんという方は、この極上の錦手の手塩皿を、骨董品としての手塩皿として調達したのではなく、日用品としての手塩皿として調達したのだろうと考えるのが普通かと思います。

 そうしますと、この「箱」に書かれている文字を信用するならば、この「箱」の中に入っていた10枚の手塩皿は、明治29年よりも少し前に作られたものということになりますよね。ただ、現在では、20枚あったうちの10枚は失われてしまって、10枚だけが残っていると、、、。

 しかしですよ。しかしです。これらの10枚の手塩皿は、典型的な江戸後期に作られた手塩皿の特徴を具え、よく本などにも登場するものなんです。

 そうであれば、この「箱」と、中に入っていた10枚の手塩皿は、かなりの時間差があり、一致しないのではないかということになりますね。

 誰かが、「箱」に、「極上 錦手手塩皿 弐十個」と書いてあったので、これ幸いと、中身と時代がかなりズレル結果を招くことに気付かなかったのかどうかは知りませんが、その「箱」を利用してしまったんですね。

 そんなことは良くあるんですよね。「箱」と中身を一致させない結果を招くことは。

 しかし、普通は、中身よりも古い時代を証明すような「箱」を見つけてきて、中身を、実際よりも古く見せかけて高く売りつけようと工作するんですが、このケースは逆ですね(笑)。「箱」のほうが、中身の時代を引き下げているんです。むしろ、「箱」から出して、裸のままで売った方が高く売れたのではないかと思います(^^;

 ちなみに、この「箱」とその中に入っていた手塩皿とが、何故、一致しないのかと言いますと、次のことからも言えるんです。

 この10枚を、この「箱」の片側に重ねて入れますと、「箱」から飛び出してしまって、蓋が閉まらないんです。この「箱」には「弐十個」と書かれているわけですから、片側には十個(10枚)入るわけですよね。

 

片側に10枚入れたところ。

「箱」から飛び出してしまい、蓋が閉まりません。

 

 

 それで、1枚減らしても、まだ、蓋の桟が邪魔をして閉まらず、2枚減らして8枚にしてやっと蓋がしまるようになりました。

 結局、この「箱」には、この手塩皿ならば、16枚しか入らないということなんですね。

 

片側に8枚だけ入れると蓋が閉まります。

 

 

<製作年代>

江戸時代後期

 

<サイズ>

口径: 11.2~11.3cm

高さ: 2.7~2.9cm

高台径: 6.5~6.8cm


でも、しか買いの「伊万里 染錦梅花文丸皿」

2020年05月20日 16時11分23秒 | 古伊万里

 今回は「伊万里 染錦梅花文丸皿」の紹介です。

 ところで、私の場合は、普通、口径が24cmほどの伊万里の皿を紹介する際には、「〇〇文中皿」というように表示し、「〇〇文丸皿」というようには表示しないんですが、この皿の場合は、箱に、「伊万里 染錦梅花文丸皿」と表示されていましたから、その箱の表示名をそのまま書きましたので、このようになりました。

 また、文様も、いろいろと描いてあって、どの様な名前にすればよいのか迷いますが、これも、箱に「梅花文」と書いてありましたので、そのようにしました。

 それはともかく、この丸皿は、3年ほど前の平成29年8月、私がいつも行っている古美術品交換会で落札してきたものです。

 私は、染錦というものをあまり好きではありませんし、また、この丸皿には古さを感じませんでしたから、是非にでも買いたいという気にはなりませんでした。

 でも、この丸皿には、新しい桐箱まで設えられていたんです。売主には、この丸皿を、いかにも旧家の深窓のお嬢様のごとくに仕立て上げ、少しでも良いところに縁付けようという熱意が感じられました(^-^; 

 もっとも、それは、ちょと低級な表現になりますが、「馬子にも衣裳」にも通じますよね。馬子に立派な衣装を着せ、外見だけでも、馬子を立派な人間に仕立て上げようという魂胆ともとれますよね(-_-;)

 しかし、ちょうど8月の夏枯れの時期で、骨董も夏枯れで、他に、やはり、それほど欲しい古伊万里も登場してきませんでした(-_-;)

 そんなことから、私には、売主がこの丸皿のために新しい桐箱まで設えた熱意が伝わってきましたし、夏枯れで他に是非にでも買いたいという古伊万里も登場してきませんので、だんだんと、「この丸皿でも買うか」、「この丸皿しか買うものがないか」という心境になってきました(-_-;)

 ということで、ついに、落札することを決意して手に入れたものです。

 いわば、この丸皿は、「でも、しか買いの丸皿」ですね(笑)。

 

 

新しい桐箱が設えられていました。

箱には「伊万里 染錦 梅花文 丸皿」と書かれています。

 

 

表面

 

 

裏面

 

 

<製作年代>

 売主としては、新しい箱も設え、外見を立派にし、高級品に仕立て、また箱の中には古い布まで入れて古く見せかけ、江戸時代はあるように仕立てたんでしょうけれど、幕末までも届かず、明治時代というところでしょう。

追記:令和2年5月22日

 これをアップしてから、或る方から、「製作年代を明治にしては可哀想ではないでしょうか。幕末はあるのではないでしょうか」とのコメントをいただきました。私としてもそれに賛同したいと思いますので、この丸皿の製作年代を「江戸時代後期」と変更したいと思います。

 

<サイズ>

口径:24.5cm (伊万里の場合、口径が3寸、5寸、7寸、1尺というものが多いんですが、これは、珍しく8寸となっています)

高さ:4.5~4.8cm(若干の歪みがありますので、一定ではありません)

高台径:12.5cm