「古代からの伝言 日本建国篇」(八木荘司著 角川書店 平成15年1月20日初版発行)を読みました。

ところで、この本を読み出す前から、東京国立博物館で「三国志展」が行われている(7月9日~9月16日)ことを知り、「三国志」には興味がありましたので、「観に行くべきか、止めとくべきか」で悩んでいたところです。
しかし、この本を読み出しましたら、いきなり、「卑弥呼と諸葛孔明」という項目からスタートするではないですか! 考えてみたら、卑弥呼と諸葛孔明は同年代だったわけですものね。両者は関係するんですよね。
私は、邪馬台国の卑弥呼も好きですし、諸葛孔明も大好きなんです。
これはもう、この本の理解のためにも、是非にでも東京国立博物館の「三国志展」を観に行かずばなるまいと思い、9月10日に行ってきたところです。なお、その結果については、同じく9月10日付けで、ブログ記事にして紹介しているところです。
そんなこともあって、この本には大変に興味を抱き、念入りに読み進めたところです。
しかしね~、この「日本建国」の頃の話になると、私は、何時も、頭がこんがらかってきて、よく分からなくなるんです(-_-;)
邪馬台国が登場します、卑弥呼も登場します、神武東征も登場してきます。でも、それらの登場の前後がどうなっているのか、どちらが先で、どちらが後なのか。また、それぞれが登場してくる場所は何処なのか、、、。私のこれまでの知識では、登場する年代も場所もバラバラで、時系列的に繋がらず、また、場所的・空間的にも繋がらないんです(><)
でも、この本を読んでいて、どうも、その混乱の一つは、初期天皇についての理解が不十分だからなのではないかと思うようになりました。
そこで、ちょっと、時系列的なことだけでも整理してみようと思い、ネットで調べてみました。
<初期天皇の実在性に関する諸説>
①初代神武天皇以降を実在とする説
古代から第二次世界大戦中までの説
②第10代崇神天皇以降を実在とする説
③第15代応神天皇以降を実在とする説
第二次世界大戦後、歴史学の主流となった。
3世紀後半から4世紀はじめにかけて在位したと考えられる第15代応神天皇が初代天皇とみな され、それ以前の天皇の実在を否定する学説
④第26代継体天皇以降を実在とする説
1970年代以降の歴史学界では、「古事記」や「日本書紀」における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されている。このため、6世紀前半に在位したと考えられる第26代継体天皇の実在は確実と考えられるものの、それ以前の天皇については、実在の可能性が薄いという見解が出されている。
初期天皇についての実在性については、いろんな説があったんですね。何冊かの本を読みましたが、各著者は、それぞれ、自分の説を前提にして書いていますから、それらの何冊かを読むと、結果はバラバラになり、こんがらかってしまうわけですよね(><)
この本では、一応、①の説を前提としているようです。ただ、神武天皇が即位したのは、「日本書紀」の記す紀元前660年ではなく、西暦181年だとしています。そして、それを、次のように推論しています。
「つまり神武天皇は174年の甲寅年に日向を出発し、岡山で3年をついやすなど足かけ7年かけて東征を終え、181年の辛酉年に橿原宮で即位したということになる。
中国の歴史書にいう「倭国の大乱」が後漢の光和年間(178年から184年)だとすれば、神武東征の甲寅から辛酉までの間は、これにだいたい見合っている。
その他、すでにふれたように瀬戸内海地方にみられる高地性集落の山上遺跡など、さまざまな傍証をつみあげていくなら、「倭国の大乱」が 終わり神武天皇が即位した年、つまり日本の紀元は考古学でいう弥生時代の後期、西紀181年だったと断定していいのではないか。少なくとも、すべての状況がぴったりと合っているとはいえる。 P.179 」
また、この本では、神武天皇がやっとの思いで制圧した領域は、奈良盆地の南部の狭い領域にすぎず、その狭い領域に建国したにすぎないと書いています。そして、その時点では、まだ、奈良盆地の北半分とそれに隣接する北河内や北に広がる山背(やましろ)(京都)などの広大で肥沃な土地には邪馬台国が存在していたと、、、。
その後、神武天皇が建国した大和の国は、だんだんと力をつけ、西暦245年、第5代天皇の時に、女王国を奈良盆地から追い出したとしています。
その2年後の西暦247年、卑弥呼が亡くなりますが、大和の軍勢は北進を止めているということです。それは、一気に北進して女王国を滅ぼすようなことをすると、近畿から中国地方、北九州にかけて存在した倭国連合を構成している国々が結束し、束になってかかってくることになるからとのことです。倭国連合を構成している国々に結束され、束になってかかってこられては、まだ、奈良盆地の南半分ほどしか領有していない大和の国はひとたまりもなく滅亡する状況だったからとのことです。
その後も、大和の国は、着々と力を蓄え、西暦280年代に、第9代開化天皇の時、初めて北大和へ都を移しているということです。この頃になると、大和平野のみならず、山背から北河内あたりまでの広大な土地が、大和の政権の領域になっているので、これまでの間に、女王国は大和の国に併呑され、歴史の表舞台から消えていったのであろうとしています。
更に、その後も、大和の国は着々と領有地を広げ、第12代景行天皇及びその子の日本武(やまとたける)(古事記では「倭建」と表記)の代に、熊襲征討、蝦夷征討を行い、九州から東北に至る、ほぼ全国を制覇するに至ったものであると書いてありました。
以上、この本の、ほんの一端を紹介しましたが、この本には、中国の三国時代の状況、その頃の朝鮮半島の状況なども詳しく書かれていました。
その内容は壮大であり、また、実によく調べられており、かつ、よく整理して書かれてもいました。
また、内容的には、歴史書ではなく、歴史小説ですので、分かり易く、読み易く、手に汗握るような状況の描写もあり、面白く読み終えました。是非、一読をお薦めします。
ただ、邪馬台国が北九州ではなく畿内に存在していたという内容展開には、個人的には不満なんですが、畿内に存在していたとするほうが、論理的には説得力があるように思いました。