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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

台風19号(その1)

2019年10月12日 13時33分53秒 | その他の日記

 台風19号が接近中です。

 これから、関東を直撃とか、、、。

 今日は、朝から、時折り強い雨が降っています。

 台風に備えて、植木鉢が飛ばされないように等の対策は昨日のうちに済ませ、今は、じっと、台風の過ぎ去るのを待っている状況です。

 しかし、もっと、何か、準備をするものはないのかと考えましたら、「水」を確保する必要があるのではないかと気付きました。

 飲料水は常備しているペットボトル入りのものがまだ2~3ケース残っていますから、それは大丈夫なんですが、問題は煮炊き用の「水」です。それを確保しておく必要があるのではないかと、、、。

 というのは、停電になった場合、水道が出なくなるからです。それは、東日本大震災の際に学習しました。

 そのことに気付いたのは午前11時頃でしょうか。それから、雨の降らない時を見計らい、2個の大鍋に水を張ったり、4リッター入りのペットボトル(2本)に水を入れたり、18リッター入りのポリタンク(1本)にまで水を入れ、煮炊き用の「水」を確保しました(^-^;

 それで、やれやれと思ってほっと一息ついた時です。ちょうど12時の頃でしょうか。

 突然、停電になったんです(@_@)

 これ、あまりにもタイミングが良すぎるではないですか!

 これを予測して「水」を準備したようなものですものね!

 しかし、幸いにして、停電は、5~6分の短時間で解消してくれました(^-^;

 台風に備えて「水」まで準備したのは生まれて初めてです。

 しかし、それは、今回の台風がいかに大きいかを自分に言い聞かせる意味もあります。

 「どうか、台風の勢力が弱まり、あまり被害をもたらさないで通過してください」と願うのみです。


家庭菜園作業

2019年10月10日 21時36分30秒 | 家庭菜園

 今日は、朝から、市の防災行政無線が、しきりに、台風に気をつけるように呼び掛けています。

 先月、台風15号がこの辺も直撃したわけですが、今度の19号も、先月の15号と同じ位の勢力を持つて接近しているので、十分に注意し、それに備えるようにということです。

 自宅の方はまぁまぁ大丈夫なんですが、家庭菜園の方が、ちょっと心配になりました。

 トマトにビニールの雨除けの屋根を作ってやっているんですけれど、その構造は、鉄パイプを組み立て、そこにビニールを張ったものなんです。

 それが、強風に煽られますと、ビニールが風を受け、強い力がかかって鉄パイプまで倒してしまうわけです。

 それで、そのビニールを外しに行かねばと心配になったわけです。

 そんなことで、急きょ、午後から、家庭菜園に赴きました。

 作業は、先ず、トマトの屋根のビニール外しです。

 次に、インゲン豆の収穫作業をしました。それは、強風に煽られ、インゲン豆が、支柱ごと倒されてしまう恐れがあり、そうなると、その後の収穫も出来なくなりますので、現在、生っているものだけでも収穫してしまおうと思ったからです。

 ついでに、ピーマン、ナス、キューリ(ちょっと太めの物2本のみ)、伏見甘長、満願寺唐辛子等を収穫してきました。

 

 そうそう、枝豆も少し収穫してきました。枝豆は初収穫です(^-^;

 枝豆は、遅く種を蒔いたせいもありますし、ほったらかしのせいもありますから、なかなか実を付けなかったんですが、今日、生っているかどうか観てみましたら、生っているではないですか! しかも、もう、若干、収穫には遅いくらいに出来ています。

 早く収穫しないと枝豆にならず、大豆になってしまいますが、そうはいっても、そんなに沢山は食べられませんものね(-_-;) 

 結局は、枝豆で食べるのは全体の内の少しで、大部分は大豆になってしまうことでしょう、、、。


初期伊万里染付波千鳥に福壽文字文八角面取徳利

2019年10月09日 14時58分52秒 | 古伊万里

 この徳利は、今から28年前の平成3年に東京の骨董祭で買ったものです。

 当時は、古伊万里全般が高かったように記憶しています。

 今では、古伊万里全般が安くなっていますが、どうしたわけか、その中にあっても、いまだに、初期伊万里は、それほど値を下げていませんね。

 残存数が少ないからでしょうか、、、。

 

 

初期伊万里染付波千鳥に福壽文字文八角面取徳利(正面と仮定)

製作年代:江戸時代前期  高さ:14.0cm 

 

 

 

 

正面と仮定した面から左に45°回転させた面

 

 

 

 正面と仮定した面の反対面

 

 

 そうした状況下にあっても、比較的に安く手に入れることが出来ました。

 というのも、それにはそれなりの理由があったからです。疵があったからなんです。

 底面には、高台内に、ニューと窯疵がありました。でも、この徳利は厚作りなので、このニューから水が漏れるというような心配はありません。

 

 

高台内の左側の縦の 疵はニュー、真ん中の横の疵は窯疵

 

 

 首にも窯疵が見られます。

 

 

 

 

 まっ、首部分にある疵は窯疵なので、それは疵とは見ませんから、それはそれでいいんですが、問題は、肩付近にある横長のニューです。

 

 

「正面と仮定した面の反対面」の肩付近の拡大写真

 

 

 そのニューは、ほぼ半周しているんです。全周まではしてはいませんから、パカット割れることはないんですが、ちょっと、目障りです(^^;

 でも、裏側にしておけば見えませんから、鑑賞するぶんには、それほどの支障はありません(^^;

 ところで、この徳利には、液体を口までいっぱいに入れると350㎖(1.9合)入ります。

 大きさも手頃ですし、文様も、波千鳥と福壽文字文でお目出度いですから、これをお正月に使いたいところですが、実用にしていると、肩付近の横一文字の疵が拡大していってしまうのではないかと心配になり、一度も使ったことがありません。

 これからも、実用にすることなく、鑑賞のみにしようと思っています。

 

 そうそう、ちょっと蛇足になりますが、今回、写真の背景に使っているラシャ紙を新調しました(^-^;

 私は、そのラシャ紙を、ホームページを開設した平成13年10月から使っていましたが、もう、随分と色褪せてきましたし、折皺なども目立つようになりましたので、新調することにしたわけです。

 少しは綺麗に撮れているでしょうか。馬子にも衣裳と言いますものね、、、(^^;


栗拾い(3)

2019年10月04日 13時11分32秒 | 山菜など

 今日は、久しぶりに散歩に出かけました。

 ここのところ、富山に行ったり、家庭菜園に行ったりと、なかなか出かけられなかったので、約1週間ぶりでの散歩です。

 ところで、出かけるに際し、昨夜から今朝にかけて、台風の影響で、やや強い風と雨がありましたので、多分、山栗が落ちているだろうからと考え、拾った栗を持ち帰るための袋を準備しました。

 妻から、「皮を剥くのが大変ですから、もう、山栗は拾ってこないでください」との禁止令が出てはいるんですが、落ちているところを素通りするのは、なにか、忍びないんですよね(^^; 

 山栗が、「私を見捨てないでください。お願いです。拾っていってください」と呼びかけているように聞こえるんです(^^;

 それで、まっ、「拾ってきて、妻から皮剥きを拒否された場合は、捨ててもいいか」と腹をくくっての出発です。

 案の定、山栗は落ちていました。拾って帰宅して計量してみましたら700gほどありました。量としては、十分な量です。

 でも、栗は、シーズン・オフに近づいているようです。もう、これからは、あまり落ちてこないでしょう。

 帰宅して、拾ってきた栗を妻に見せましたが、明確な拒否反応は示しませんでした(^-^;

 もう、山栗は、これが今年の最後になることを言いましたし、また、これから先、栗栽培農家などから届く予定も考えられませんので、結局、栗は、1年後にしか手に入らないわけなので、妻としても、今日拾ってきたこの山栗の皮を剥くことを決意したようです(^-^;


「古代からの伝言 日本建国篇」

2019年10月03日 15時05分40秒 | 読書

 「古代からの伝言 日本建国篇」(八木荘司著 角川書店 平成15年1月20日初版発行)を読みました。

 

 

 

 

  ところで、この本を読み出す前から、東京国立博物館で「三国志展」が行われている(7月9日~9月16日)ことを知り、「三国志」には興味がありましたので、「観に行くべきか、止めとくべきか」で悩んでいたところです。

 しかし、この本を読み出しましたら、いきなり、「卑弥呼と諸葛孔明」という項目からスタートするではないですか! 考えてみたら、卑弥呼と諸葛孔明は同年代だったわけですものね。両者は関係するんですよね。

 私は、邪馬台国の卑弥呼も好きですし、諸葛孔明も大好きなんです。

  これはもう、この本の理解のためにも、是非にでも東京国立博物館の「三国志展」を観に行かずばなるまいと思い、9月10日に行ってきたところです。なお、その結果については、同じく9月10日付けで、ブログ記事にして紹介しているところです。

 そんなこともあって、この本には大変に興味を抱き、念入りに読み進めたところです。

 しかしね~、この「日本建国」の頃の話になると、私は、何時も、頭がこんがらかってきて、よく分からなくなるんです(-_-;)

 邪馬台国が登場します、卑弥呼も登場します、神武東征も登場してきます。でも、それらの登場の前後がどうなっているのか、どちらが先で、どちらが後なのか。また、それぞれが登場してくる場所は何処なのか、、、。私のこれまでの知識では、登場する年代も場所もバラバラで、時系列的に繋がらず、また、場所的・空間的にも繋がらないんです(><)

 でも、この本を読んでいて、どうも、その混乱の一つは、初期天皇についての理解が不十分だからなのではないかと思うようになりました。

 そこで、ちょっと、時系列的なことだけでも整理してみようと思い、ネットで調べてみました。

 

<初期天皇の実在性に関する諸説>

①初代神武天皇以降を実在とする説

  古代から第二次世界大戦中までの説

②第10代崇神天皇以降を実在とする説

③第15代応神天皇以降を実在とする説

  第二次世界大戦後、歴史学の主流となった。

  3世紀後半から4世紀はじめにかけて在位したと考えられる第15代応神天皇が初代天皇とみな       され、それ以前の天皇の実在を否定する学説

④第26代継体天皇以降を実在とする説

  1970年代以降の歴史学界では、「古事記」や「日本書紀」における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されている。このため、6世紀前半に在位したと考えられる第26代継体天皇の実在は確実と考えられるものの、それ以前の天皇については、実在の可能性が薄いという見解が出されている。

 

 

 初期天皇についての実在性については、いろんな説があったんですね。何冊かの本を読みましたが、各著者は、それぞれ、自分の説を前提にして書いていますから、それらの何冊かを読むと、結果はバラバラになり、こんがらかってしまうわけですよね(><)

 この本では、一応、①の説を前提としているようです。ただ、神武天皇が即位したのは、「日本書紀」の記す紀元前660年ではなく、西暦181年だとしています。そして、それを、次のように推論しています。

 

「つまり神武天皇は174年の甲寅年に日向を出発し、岡山で3年をついやすなど足かけ7年かけて東征を終え、181年の辛酉年に橿原宮で即位したということになる。

 中国の歴史書にいう「倭国の大乱」が後漢の光和年間(178年から184年)だとすれば、神武東征の甲寅から辛酉までの間は、これにだいたい見合っている。

 その他、すでにふれたように瀬戸内海地方にみられる高地性集落の山上遺跡など、さまざまな傍証をつみあげていくなら、「倭国の大乱」が 終わり神武天皇が即位した年、つまり日本の紀元は考古学でいう弥生時代の後期、西紀181年だったと断定していいのではないか。少なくとも、すべての状況がぴったりと合っているとはいえる。  P.179 」 

 

 

 また、この本では、神武天皇がやっとの思いで制圧した領域は、奈良盆地の南部の狭い領域にすぎず、その狭い領域に建国したにすぎないと書いています。そして、その時点では、まだ、奈良盆地の北半分とそれに隣接する北河内や北に広がる山背(やましろ)(京都)などの広大で肥沃な土地には邪馬台国が存在していたと、、、。

 その後、神武天皇が建国した大和の国は、だんだんと力をつけ、西暦245年、第5代天皇の時に、女王国を奈良盆地から追い出したとしています。

 その2年後の西暦247年、卑弥呼が亡くなりますが、大和の軍勢は北進を止めているということです。それは、一気に北進して女王国を滅ぼすようなことをすると、近畿から中国地方、北九州にかけて存在した倭国連合を構成している国々が結束し、束になってかかってくることになるからとのことです。倭国連合を構成している国々に結束され、束になってかかってこられては、まだ、奈良盆地の南半分ほどしか領有していない大和の国はひとたまりもなく滅亡する状況だったからとのことです。

 その後も、大和の国は、着々と力を蓄え、西暦280年代に、第9代開化天皇の時、初めて北大和へ都を移しているということです。この頃になると、大和平野のみならず、山背から北河内あたりまでの広大な土地が、大和の政権の領域になっているので、これまでの間に、女王国は大和の国に併呑され、歴史の表舞台から消えていったのであろうとしています。

 更に、その後も、大和の国は着々と領有地を広げ、第12代景行天皇及びその子の日本武(やまとたける)(古事記では「倭建」と表記)の代に、熊襲征討、蝦夷征討を行い、九州から東北に至る、ほぼ全国を制覇するに至ったものであると書いてありました。

 

 以上、この本の、ほんの一端を紹介しましたが、この本には、中国の三国時代の状況、その頃の朝鮮半島の状況なども詳しく書かれていました。

 その内容は壮大であり、また、実によく調べられており、かつ、よく整理して書かれてもいました。

 また、内容的には、歴史書ではなく、歴史小説ですので、分かり易く、読み易く、手に汗握るような状況の描写もあり、面白く読み終えました。是非、一読をお薦めします。

 ただ、邪馬台国が北九州ではなく畿内に存在していたという内容展開には、個人的には不満なんですが、畿内に存在していたとするほうが、論理的には説得力があるように思いました。