今回は、「染付 陽刻文 葉形小皿」の紹介です。
表面
側面
底面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期(承応年代)
サ イ ズ : 口径;11.5×9.2cm 高さ;2.6cm 底径;6.7×5.0cm
この小皿についても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介済みですので、次に、そこでの紹介文を再度掲載し、この「染付 陽刻文 葉形小皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー182 伊万里染付陽刻文葉形小皿 (平成25年6月1日登載)
伊万里では、それが素焼きされているのか、生掛けであるのかかがやかましく言われてきた。特に、現在よりも、以前に於ては、、、、、。
それで、私も、これまで、それが素焼きされているのか、生掛けであるのかについての見分け方について真剣に勉強したものである。
素焼きされているのか、生掛けであるのかについての肉眼での見分け方についてはいろんな本等に書かれているが、「古伊万里の染付─その真実の探究─」(今泉元佑著 河出書房新社 昭和62年5月2日初版発行)(この著者は既に鬼籍に入られているし、随分と古い本なので、もう市販はされていないとは思うが、、、)という本には、その見分け方についても比較的に詳しく書かれているので、次に、その本の、生掛けか素焼きかの見分け方を含めた、生掛けと素焼き焼成の判別の重要性を論述した部分を紹介したい。
〔生掛けと素焼き焼成〕(上掲書のP.67~70)
古陶磁を見る時は、先ず第一に、その器物が素焼きされて焼かれた作品であるのか、それとも生掛け焼成されているものかを、見てとることは、時代を鑑別する上でも絶対に必要なことである。
生掛けとか、素焼きした作品だとか、お互いに話をされているので、このことは既に充分お判りになっているものだと思って聞いていると、案外お判りになっていない方も多いようだから、ここで今一度はっきり頭に入れてもらうよう、判り易いようにこの問題を列記することにしたい。
生掛けの器 (1)細工のゆがみがひどい。 生掛けの場合、本焼きで 一度に2割も収縮するか らゆがみがひどい。 (2)染付の色合が、黒ずんで 発色する。 (3)釉薬の肌のテリがどんよ りしている。 (4)釉薬のはじきや、小穴が 多い。 (5)染付の描線が太く、小さ く、のびのびと描かれて いる。 生乾きの器物だから、吸 水力が弱いので、紙に描 くのと同じように描ける。 (6)高台のけずりが角ばって いるのは、生乾きの時、 釉薬をかけたままけずっ ているからである。 (7)生掛けの高台の、釉薬を はいだところが、鉄分の 赤味がそのまま残されて いる場合もある。 |
素焼きされた器 ○素焼きの場合は、素焼き で1割、本焼きで1割と 二度に収縮するからゆが みみが少い。 ○染付の発色は、さえてき れいである。 ○釉薬の肌はきれいにとけ ている。 ○釉薬のはじきが少い。 ○染付の描線は、一定して いて、太くは描けない。 素焼きすると、器物の吸 水力が強くなり、のびの びとは描けない。 ○素焼きも釉薬をかけてか ら高台の釉薬をはぐのに、 棕櫚(しゅろ)でけずって いるのでそのけずり跡をよ くみること。 ○素焼きすると、高台の釉 薬をはいだ素地のところ も、白くなって焼けてし まう。 |
これだけの条件を、しっかりと納得のいくまでよく覚えて戴きたいのである。
陶磁器の技法は、中国から朝鮮を経て日本に伝えられたものだから、無論日本でも初期は生掛け焼成の技法だったわけである。
中国では原料の陶石にめぐまれ、然もその陶石がカオリン分子を多く含んでいる耐火度の高い粘土質の陶石ときているのだから、細工は作り易いねばりのある粘土であり、どのように薄くけずった皿でも、耐火性が強いのだからへたらないし、生掛けで強く焼いても染付の発色は、きれいに焼き上がっているのである。
有田の泉山陶石は単味で白く焼ける陶石ではあったが、さくい陶石(もろい陶石)であり、ねばりが少かったために、いろいろと苦心して焼いており、ちょっとでも火度が強いとへたるので、高台の中に小さな柱であるメを作って、皿の中心が下らないように工夫をしているのである。
また、染付の色合が黒ずんでおり釉薬のテリもにぶいのは、窯の温度を高くせず、必ず7,8分目でおさえて焼いているために、そのような焼き具合になっているのである。この手が、生掛け焼成の作品の大きな特色だと思って戴きたいのである。
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とにかく、窯焼きは、大量の輸出注文を受けるようになり、そのためには、大きい皿、鉢、壺の窯取れをよくする工夫もせねばならず、どうしたら窯取れの歩止りがよくなるか、ここも研究せねばならず、遂にせっぱつまって、窯取れの歩止りのよい、素焼きをして焼く方法が生れたものと推定されるのである。
中国、朝鮮の技法は生掛けで焼く技法だったのに、有田皿山も最初はその通りに焼いていたが、長崎貿易で大量に焼く必要から、誰が最初に創意工夫したものか、そこのところは全然判らないが、この素焼きをして焼く技法が始められたことは、有田皿山では大革命であったに違いない。
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このような焼成技法の大改革がいつ時代から焼き始められているのか、その年代を正確に調べることは、古陶磁としての年代を研究する上からも、絶対に必要なわけである。
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我々には、元禄時代頃から柞(ゆす)灰を使って素焼きして焼いているように言い伝えられて来たのだが、それは真実であり、薩摩から柞灰の移入が開始されたのも、間違いなく元禄以降のことではあるまいか。
また前述のように、寛文時代になると、大量に芙蓉手染付の大鉢などが輸出されているが、まだこの時代までは生掛け焼成のようである。
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私としては、素焼きされるようになった元禄時代が皿山の最盛期であり、延宝時代から有田皿山の作品も、大きく飛躍した作品が生れるようになっている筈との見解である。
以上のように、上掲書では、生掛けか素焼きかの重要性を説き、生掛けか素焼きかの判別方法を詳しく記述するとともに、素焼きは元禄時代頃から始められたこと、元禄時代が伊万里の最盛期であることを記している。
私は、素焼きは元禄時代よりももっと前から始められていたのではないかと考えていたし、伊万里の最盛期は元禄時代よりも前であったのではないかとも考えていたので、これらの点に関する著者の見解には賛同しかねていたが、生掛けか素焼きかの判別方法については示唆に富むものがあり、大いに参考にさせてもらってきたところである。
そして、この「伊万里染付陽刻文葉形小皿」のようなものは、生掛けの典型的な器物であると思ってきたところである。
ところが、「伊万里 誕生と展開 ─創生からその発展をみる─」(小木一良・村上伸之著 創樹社美術出版 平成10年10月1日発行)を読んで驚いた!
その本には、次のようなことが書かれていたのである(@_@;)
「ほぼ間違いなく素焼きしている点も見逃せない。素焼き片は、楠木谷窯でもいくらか出土しているが、枳藪(ゲズヤブ)窯の最上焼成室床面に多量に残されていた。141頁のような型打ち皿や丸皿、猪口類などが出土している。脆いためすべては採集できなかったが、それでも数百点に及ぶ。素焼きは、江戸期には通常工房内の素焼き窯で行われた。登り窯の最上室で焼かれたことが確実なのは近代まで降る。よって、本焼きの失敗品である可能性も考慮する必要はある。ただこの中に、焼成不良品に通有な施釉の痕跡は認められない。染付を伴うものも1点も含まれない。1室すべて無文製品を焼成する状況は、有田の窯場では想定しにくいのだ。・・・ 上掲書P.217~218)」
(注:上文中に出てくる141頁というものは次のようなものです。)
(付) 枳藪窯出土 素焼き皿陶片 (有田町歴史民俗資料館蔵)
素焼き焼成が何時頃から始まっているかを知ることの出来る貴重な素焼き皿陶片である。
(イ)は枳藪窯出土品で前掲品(№106)と類似品である。出土部位よりみて、「承應弐歳」銘作品とほぼ同時期頃の作である。
(ロ)も同窯作の古九谷色絵小皿の素焼き陶片だが、高台作りが同類形の古九谷伝世品はいろいろみられる。
素焼き焼成は上手作品では承応時代には行われていたと考えられる。
なんと、窯跡発掘というような実証的な調査結果から、この「伊万里染付陽刻文葉形小皿」のような手は、ズバリ、承応時代に素焼きされていたとして、その例として挙げられていたのである。
しかし、この本を読み、この「伊万里染付陽刻文葉形小皿」のような器物は素焼きしていることを知った後にこの「伊万里染付陽刻文葉形小皿」を買ったきたのではあるが、その後も、どうも、この「伊万里染付陽刻文葉形小皿」が本当に素焼きされているとは信じ難く、長いこと手元に置いて眺めていたところである。
でも、いまだにこれが素焼きされているのかどうかの判断に悩んでいる。
とかく、器物が素焼きされているのか生掛けなのかの判断は難しい(><)
江戸時代前期(承応年代) 長径:11.5cm 短径:9.2cm 高さ:2.6cm
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*古伊万里バカ日誌112 古伊万里との対話(陽刻葉形小皿(平成25年6月1日登載)(平成25年5月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
葉形皿 (伊万里染付陽刻文葉形小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、これまでは、買ってきた順番に従い、押入れから引っ張り出してきて対話をしてきていたが、ここ2回ほどは、最近買ってきて、まだ押入れに入れていない古伊万里と対話をしたところである。
今回は、原則に戻り、以前に買ってきた古伊万里を押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: ちょっと暫くぶりかな!
葉形皿: そうですね。2年ちょっとぶりですかね。
主人: お前のことは、平成18年の11月に東京のさる骨董祭で買ってきたんだが、それ以来、押入れに入れることもなく、身近に、すぐに見られる所に置いといたからね。それが、あの2年前の3月11日の大震災だ・・・・・。幸い、無事生き残ってくれたので、その後、慌てて押入れに入ってもらっちゃったからな。押入れに入るということは、シェルターに入っているようなものだから、お前達陶磁器の身の安全のためにはとっても良いことなんだよ。決して、疎外されているとは思わないでほしいんだよね。私としては、常に見ることが出来なくて残念なことなんだけど。
葉形皿: はい、わかりました。
ところで、ご主人は、私を押入れに入れることなく、身近な所に長いこと置いといたわけですけど、それは何故ですか?
主人: それはね、以前は、伊万里の場合、素焼きされるようになったのは元禄時代(1688~1703)以降からだと考える者が多かったんだ。そして、元禄時代こそ伊万里の最盛期だったともいうんだね。それで、伊万里の場合は、素焼きされているかどうかが重要な意味を持ったわけだよ。物の良し悪しを判別する上でも、作られた時代の区分をする上でも、素焼きされているかどうかが重要になってくるわけなんだ。
私なんかも、素焼きされない生掛けの場合は、高台付近に指跡が残っているとか、釉肌がとろんとしているとか、いろいろと肉眼でその判別をする方法を勉強したものだよ。お前のような手のものは、生掛けの典型的なものだと思っていたな。
ところが、最近になって、と言っても、今からでは10年以上も前の話にはなるが、窯跡の発掘調査という実証的な研究結果から、お前のような手は既に素焼きされていると考えられるようになったんだ。
そのような新しい研究結果が本で発表され、お前のような手の物は素焼きされているということを知った後になってお前とは出会ったんだが、以前から、お前のような手の物は是非とも欲しいと思っていたものだから、買い求めたんだ。
しかし、既に素焼きしている物であることを本からの知識で承知のうえで買ってはきたものの、お前を見ていて、どうも、納得できないんだよね。「本では素焼きしていると言っているが、本当なのだろうか?」という疑問が湧き出てくるんだよ。これまでの肉眼での経験からすると、納得できないものがあるんだ。そんな意味もあって、押入れに入れないで、身近な所に長いこと置いといたんだ。
葉形皿: 生掛けか素焼きしているのかの判別は、そんなにむずかしいんですか?
主人: むずかしいね。私は陶磁器を作っていないので、書物等でしか知り得ないが、そこからの知識からだけでは、肉眼での判断はかなりむずかしいね。
葉形皿: ところで、私の購入に当たっては、何か思い出みたいなものはあるんですか。
主人: うん。先程、お前のことは、平成18年の11月に東京のさる骨董祭で買ってきたと言ったけど、その時は「オフ会」というものがあり、そこに出向いて行った際に買ったんだ。もっとも、それでは何のことだかわからないだろうけれど、つまりはこういうことだ。まず、「オフ会」の場所というものを骨董祭の日程に合わせてその会場の近くに設定し、まずは「オフ会」の場所に集まり、そこで食事をしたり、古伊万里談義に花を咲かせたりしてた楽しんだ後、今度は、それぞれ骨董祭の会場に向かっていって古伊万里収集に励むという寸法だ。だから、お前には「オフ会」の想い出が詰っているんだ。しかも、私が出席した「オフ会」はそれが最後だから、余計に想い出深いんだよ。
葉形皿: ところで、「オフ会」とは何なんですか。
主人: 最近では「オフ会」というものが開かれなくなってしまったからわからないよね。
「オフ会」というのは、パソコンのスィッチを「オフ」にしての会合ということなんだよ。普段はパソコンのスィッチを「オン」にして掲示板などで、バーチャルの世界で交流を深めているわけだけれど、たまには実際に会ってみて、現実の世界で交流してみようということになって開催された会合なんだ。全国から古伊万里好きが集まってくるから、同じ話題ですぐに盛り上がり、楽しかったな!
最近では、インターネットも普及し、盛んにブログ等で交流していて、もう、すっかりバーチャルの世界での交流に慣れてきたのか、特に、実際に会ってみて交流してみようとする欲求も強くなくなったようで、「オフ会」をしようという話題は盛り上がらなくなったね。こんなことにも時代の流れというものがあることを感じるね。
葉形皿: そうですか。私にはそんな想い出があったんですか。
主人: そうそう、お前への想い出というと、もっとあるな。
葉形皿: どんな想い出ですか。
主人: その骨董祭でお前を出品していた業者さんは山形県から来ていたんだ。業者さんの話では、お前は、山形県内の民家の蔵から出てきたんだそうだよ。3枚出てきた内の1枚だそうな。山形県内の民家の蔵から出てきたということは、北前船で運ばれてきたという事実が濃厚だよね。お前が北前船に乗って肥前の地から出羽国まで行ったんだな~と思うとロマンだよね。それを聞いて、ロマンも買ったんだよ! 当時の壮大なロマンをね!!
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以上で、この「染付 陽刻文 葉形小皿」の紹介は終了となりますが、次に、上記の紹介文の中に出てきます「伊万里 誕生と展開 ─創生からその発展をみる─」(小木一良・村上伸之著 創樹社美術出版 平成10年10月1日発行)についての概要を紹介したく思います。
それは、上掲書「伊万里 誕生と展開 ─創生からその発展をみる─」が、上記の紹介文中に出てきますような「生掛けか素焼きか」の問題のみを取り扱っているだけではなく、各方面にわたる伊万里研究の新しい視点を取り扱っていますので、伊万里研究のためには大変に参考になるからです。
その上掲書の概要につきましては、「伊万里研究日進月歩」という形にまとめ、日本陶磁協会の月刊機関誌の「陶説」に投稿し、また、やはり、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中にも同文を掲載しているところです。
そこで、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で掲載しましたその部分を次に転載し、上掲書の概要の紹介に代えさせていただきます。
再度の、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の登場となり、恐縮です(~_~;)
なお、前回の「染付 小碗」の紹介文 の中に、「続・伊万里研究日進月歩ー伊万里は唐津の延長ー」(陶説561号;H11.12月号に掲載) というものが登場してきていますが、登場が前後してしまいましたけれど、今回の「伊万里研究日進月歩」と合わせてお読みいただければ、望外の幸せです(^-^*)
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里随想12 伊万里研究日進月歩(陶説552号;H11.3月号)(平成14年2月20日登載)
久しぶりに伊万里の本を注文する。伊万里の現物を買うとなると、「チラッ」と見る程度で決断し、また、金に糸目をつけずに購入するが(といっても、所詮たかがしれた購入額ではあるが)、本を買うとなると、あれこれ悩み、なかなか、ふんぎりがつかない。「伊万里に関する本は沢山出ていて、もう出尽くした感があるではないか。」とか、「狭い書棚もいっぱいで、もう、置くスペースがないではないか。」などとの屁理屈を考え出しては購入にストップをかけてしまうのである。
それが、どう判断を誤ったのか(?)、『[伊万里]誕生と展開』(小木一良・村上伸之著 創樹社美術出版 平成10年10月1日発行)の注文を出してしまった。それでも、「陶説」の新刊紹介を読んでいて、10月1日の発売であることを知っていながら、いろいろと悩んだ揚句の、ボーナスをもらってからの暮れの注文という具合に、決断力のにぶいものではあった。ともかく、暮れもおしせまっての12月25日、本は無事に到着する。まあまあ、入手までに時間がかかったが、それだけに待ち遠しさも増大し、また、伊万里に関する新しい知識への渇望も手伝って、一気に読み進んだ。読み進むうちに、だんだんと事の重大さに気付く。今まで常識とされていたような見解が吹き飛ぶようなことが書かれていたり、今までの疑問点に対して見事に応えた見解が書かれていたのである。伊万里の本も、だいたい同じようなことが書かれているのが普通だ。似たりよったりなのだ。それが、この本は違う。読み進むうちに、大げさにいうと、カルチャーショックを受けたのである。
たとえば、磁器の創始については、李参平が元和2年(1616年)に泉山で原料を発見し、天狗谷窯で創始したというのが従来の説である。これに対して、近年、磁器の創始窯は天狗谷窯ではないのではないかと主張されてきている。それでは、両者の関係はどうなっているのか、どちらかが誤りなのかという疑問が生じよう。この疑問に対して、「・・・泉山発見の意義とは、むしろ良質な磁器原料が安定して確保できるようになった点にありそうだ。これによって磁器専業窯である天狗谷窯が創設された、と考えればすべてに矛盾がない。・・・」(前掲書200ページ)と、見事にその整合性を図った記述がされている。
また、李参平が天狗谷窯で磁器を創始したとされてきたので、当然、陶器窯と磁器窯とは全く別な窯だと思われてきたわけであるが、これに対しても、「・・・特に陶器窯、磁器窯の区別もないことだ。だから両者が混在する窯では、同じ焼成室でも併焼される。・・・陶器と磁器が熔着して出土する場合もある。・・・」(前掲書206ページ)と、白磁皿と灰釉皿が熔着して出土している例を示し、今までの常識を吹き飛ばしているのである。
色絵の成立についての記述も見事である。
色絵は、柿右衛門が創始したということが伝説的なまでに信じ込まれてきたが、近年、それに異論が出されていることぐらいは、「陶説」の読者ならば、先刻承知のことであろう。この色絵の成立については、「・・・まず、山辺田窯で寒色系の絵具を主体とした「色絵」が成立し、後に楠木谷窯で暖色系の絵具を主体とした「赤絵」が成立したと考えればまったく矛盾はない。・・・この後普及するのは楠木谷窯からはじまる東部系の赤絵である。だから現在でも有田では、上絵製品はすべて赤絵と称される。色絵の呼称はないのだ。喜三右衛門は年木山から、後に南川原へ移住したという。・・・楠木谷窯にはじまる赤絵の一つの完成したスタイルが、柿右衛門様式だったのである。」(前掲書221~222ページ)と、これまた見事にその整合性を図っている。
最も衝撃的だったのは、素焼焼成についての記述である。
古九谷様式を焼いたと思われる楠木谷窯では、少なくとも中・小皿については、「ほぼ間違いなく、素焼きしている点も見逃せない。素焼片は、楠木谷窯でもいくらか出土しているが、ゲス藪窯の最上焼成室床面に多量に残されていた。・・・ただ、この中に、焼成不良品に通有な施釉の痕跡は認められない。染付を伴うものも一点も含まれない。一室すべて無文製品を焼成する状況は、有田の窯場では想定しにくいのだ。・・・」(前掲書217~218ページ)と記されていたからである。
これまで、生がけのものが古九谷様式であり、素焼したものが柿右衛門様式だと言われてきた。古九谷様式と柿右衛門様式との分水嶺は、素焼しているか否かにあると言われてきたのである。そして、これまでの本には、生がけ焼製品と素焼焼製品との判別方法が詳しく記述されているのが普通であった。しかし、これからは、少なくとも中・小皿についての古九谷様式と柿右衛門様式との判別には、素焼の有無は無関係になろう。純粋に、様式そのもので判別することにならざるをえまい。
なお、「鍋島」が「鍋島様式」として、明確に「伊万里」の中に位置づけられていることにも大きな驚きを感じた。「伊万里」の定義にもよるだろうが、これまでは、「鍋島」と「伊万里」は、それぞれ別な本になっていたか、一冊の本であってもタイトルは「伊万里・鍋島」となっていたのである。「伊万里」のタイトルの本の場合は、せいぜい、その中で「鍋島」がふれられる程度であった。ところが、ここでは、「鍋島様式」という用語が使用され、「伊万里」の中に位置づけて解説されている。
以上のように、この本を読み進む間は驚きの連続であった。まさにカルチャーショックであり、浦島太郎の心境である。近年の伊万里の研究の進歩は目覚しく、著しい。ちょっと勉強をおこたると取り残されてしまう。たまには、本にも投資し、知識を新しいものと入れ替え、落ちこぼれないようにしなければならないと痛感したしだいである。
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驚くような内容の本はそれほど多くないですが、小木センセーのこの本は、我々門外漢も読むべきですね。今泉さんの本にしろ、大部なのでつい後回しになってしまいます。
調べものも次々と出てくるし、時間と根気がないです。それに、生掛けのみわけ方が、よけい混乱しそうです(^•^)
それはともかく、この皿はいいですね。
底の太明も実に堂々としています。
もっとも、過去の文章を継ぎ合わせただけですので、これを読む人のほうが大変だったと思いますけれど、、、。
素焼き・生掛けの見分け方は、いまだによく分かりません(><)
三つ子の魂百までもで、若い頃学んだことから抜けきれないからなのかもしれません(~_~;)
この変形皿、良いですよね(^_^)
有名なだけのことはありますよね(^-^*)
5枚組で欲しいところですが、なにせ、先立つものがありません(><)