今回は、「色絵 桐文 豆皿(5客組)」の紹介です。
表面
裏面
代表の1枚の表面
代表の1枚の裏面
生 産地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;9.5~10.0cm 高さ;2.2~2.4cm 底径;5.1~5.5cm
なお、この「色絵 桐文 豆皿(5客組)」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
そこで、次に、その時の紹介文を再度掲載することによって、この「色絵 桐文 豆皿(5客組)」の紹介に代えさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー160 古伊万里様式色絵桐文豆皿 (平成23年7月1日登載)
小さい割には手に取ってみると意外と重い。底が分厚いからである。
型に入れて作られたのではなく、ロクロ引きされ、高台部分を削り出して作られているので、底が厚くなり、その結果、重いのである。
五客それぞれに大きさも異なり、歪みもあり、絵付けも微妙に異なるなど、どれ一つとして同じものはない。
これが、型に入れて作られて、薄く軽くシャープに、しかも、歪みなどもなくキチット作られ、絵付けもプリントでなされて寸分の狂いもなく作られていたらどうであろう。
私は何の魅力も感じず、刺身を食べる際の醤油皿にでもしていたであろう。
この豆皿のような、いかにも手作りというようなところを、目で楽しみ、手に取って手取りをも楽しむというようなところに古美術の醍醐味があるであろう。
ただ、鑑賞する場合は、物が小さいだけに迫力に欠けるきらいがある。ここは、五客、十客と並べ、数の力を借り、迫力を創出して楽しみたいところである。
江戸時代中期 口径:9.5~10.0cm 高台径:5.1~5.5cm
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*古伊万里バカ日誌92 古伊万里との対話(桐文の豆皿)(平成23年7月1日登載)(平成23年6月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
桐 子 (古伊万里様式色絵桐文豆皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、「さて、今日はどれと対話をしようかな?」と、例によって押入れ帳のページをめくっていたが、ふと、桐文の豆皿に目が留った。主人のところの家紋が「丸に五三の桐」なので、「桐文」には興味があるらしい。さっそく押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: 我が家の家紋が「丸に五三の桐」なものだから、桐文には興味があるので出てもらった。
桐子: 桐文を描いた古伊万里は多いんですか?
主人: 結構多く見かけると思ったけどな~。
念のため、「柴田コレクション総目録」(佐賀県立九州陶磁文化館 平成15年刊)をパラパラとめくってみたけど、やはり、結構多く登場してくるね。
桐子: それには何か理由があるんですか。
主人: そうね~。古代の中国には、「鳳凰」という想像上の瑞鳥がいて、その「鳳凰」は「桐」の木だけに棲み、「霊泉」を飲み、「竹」の実だけを食べるという伝説があるんだ。古伊万里も大きな流れとしては中国の影響を強く受けているので、そうした中国の伝説とか故事に関する文様を取り入れている場合が多いんだよね。
それで、古伊万里には「鳳凰」がよく登場するし、「鳳凰」に関連して「桐」もよく登場してくるわけだ。「竹」も多いが、「竹」の場合は、「鳳凰」に関連して登場するんではなく、「鳳凰」とは別な、「松竹梅」というおめでたい文様の一つの構成要素として登場する場合が多いようだね。
ところで、現実には、「桐」文は、「鳳凰」とは関連せず、「桐」文だけが単体で登場してくる場合が多いようだね。勿論、一つの器物に、「桐」と「鳳凰」の両方を描いてある場合もあるし、中には、これは数少ないようだが、中国の伝説そのままに、桐の木に鳳凰が止まっているところを描いたものまであるね。
桐子: 私は、「桐」文単体で登場していますが、「鳳凰」文単体で登場する場合も多いんですか?
主人: 今、言ったように、一つの器物に「桐」と「鳳凰」の両方が描かれている場合もあるが、そのケースというのは意外と少ないんだよね。「桐」文単体とか「鳳凰」文単体で登場するケースが多いんだ。そのうちでは、「鳳凰」文単体で登場するケースの方が多いかな。
なお、「桐」文は、葉っぱの上に「五三」や「五七」の「実」を付けている場合が多いが、お前のように葉っぱだけというのは少ないようだね。
桐子: 「実」を付けないで葉っぱだけでも「桐」文と言えるんですか?
主人: そうそう、そうなんだ。私もね、それを疑問に思ったんだよ。普通、「桐」には「実」が付けられて描かれているものね。
それでね、じつは、さっき、散歩がてらに「桐」の木を捜し、実が付いているかどうかを見てきたんだ。そうしたらね、全ての枝先の葉っぱの上に「実」が付いているわけではないことがわかった(^_^)。 結構、葉っぱの上に「実」の付いてない枝先もあったよ。だから、葉っぱだけでも「桐」文と言えるんじゃないかと思う。
桐子: それはまた研究熱心なことですね。
ところで、ご主人の近くには「桐」の木が沢山あるんですか? すぐに見つかりましたか?
主人: 研究熱心というほどではないけどね。ちょっと気になったので、気軽に、軽い気持ちで、ぶらりと散歩がてら、確認してみようと思って出かけたんだ。
ところがね、実を言うと、「桐」の木を捜すのにてこずった。「この辺にあったはずだがな~」と思って行ってみると無くなってるんだよ。切られてるんだよ。そこで、また次に行っても同じで・・・・・。結局、とうとう散歩コースからは発見できなかった。そうなると意地になって、どうしても確認したくなり、今度は車に乗って捜すことにし、やっと見つけることが出来たんだ。先程は、ちょっと散歩がてらに「桐」の木を見てきたようなことを言ったけど、本当は、大変だったんだよ(~_~;)
桐子: 「桐」の木は少なくなってしまったんですか。
主人: これまで、あまり気に留めていなかったので気付かなかったが、「桐」の木は減ってしまっていたんだね。「桐」は切るとその生長が早くなるので「キリ」と名付けられたとのことだけれど、どうも、最近では、「桐」の木の生長を早めるために切っているんではないようだね。根絶するために切っているようだね。
思い返してみると、最近、「桐」の花を見ていないような気がするものな。例年、「藤」の花の咲く頃には「桐」の花も咲いているのを見かけたが、近頃では、それでも、まだ、「藤」の花は見かけるけど、「桐」の花はトント見かけなくなったように思うよ。
そのことは山百合にも言えるね。少し前までは、散歩に出ても、また、車で近くに行くにしても、その際、あちこちに山百合を見かけたが、近頃ではほとんど見かけなくなってしまった(>_<)
桐子: 寂しい限りですね。でも、どうしてそんなことになってしまったんでしょうか・・・・・。
主人: この辺は、かつては、桐下駄や桐箪笥の産地だったので、特に「桐」の木は多く植えられていたと思うんだけど、桐下駄や桐箪笥の需要がなくなったので切り倒すようになったんだろう。
山百合は、掘り起こして鑑賞用に移植するとか、百合根を食用にする人が増えてきて、すっかり採り尽くされてしまったのかな~。園芸センターなんかに行くと、山百合の鉢植えなどが結構な値段で売られているし、スーパー等でも百合根が売られるようになったからね~。山から採ってくればタダだし、それに、山百合の花は目立つから、花の咲いた時期には発見が簡単だしで、採り尽くされたんだろうね。
そんなこんなで、近辺の光景は、短時間のうちに、大きく変化してしまっていたんだね。
桐子: 普段、特に気にも留めず、なにげなく過ごしていますと気付きませんが、ちょっと注意を払いますと変化していることがわかるんですね。
主人: そうだね~。昔は、周辺環境の変化なんか、ゆったりとしたテンポでしか推移していなかったから、そのつもりで生活していたが、最近では、そんな生活態度では取り残されてしまうんだろうね。
追記(H23.7.28): ↑ で、「少し前までは、散歩に出ても、また、車で近くに行くにしても、その際、あちこちに山百合を見かけたが、近頃ではほとんど見かけなくなってしまった(>_<)」と書きましたが、1か月前頃の、この文章を書いた時点では、山百合はまだ咲いていなかったんですね(>_<)
山百合は今頃咲くんですね!
当然、1か月前には山百合を見かけないはずですね(>_<)
ほんの最近は、以前ほど多くは見られないですが、たまに少し咲いているところを見かけるようになりました(^_^)
私の無知で、山百合の咲く時期を間違えてしまいました(>_<) お詫び申し上げます。
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