長らく出産が延び延びとなり、読者をやきもきさせていたハジメだったが、連載六話目となる「どんな顔 こんな顔」(67年20号)で、漸くにしてこの世に生を受け、レギュラーキャラとして加わることになる。
そして、このハジメが産まれたことにより、天才(ハジメ)+バカ(パパ、バカボン)の図式が成り立ち、『天才バカボン』のタイトルが含有するもう一つのイメージが誕生するに至った。
生後二週間目にして喋り出し、十ヶ月目で歩き出すという驚異的なまでの超人ぶりは、生まれて間もなくの頃のパパには及ばぬものの、その天才的なDNAを確実に引き継いでいると見て間違いないだろう。
天才坊やのハジメは、その後も、ピタゴラスの定理やケプラーの法則をそらで解説し、フルスクラッチのテープレコーダーを製作、流暢な英語も喋れば、そっくりな似顔絵を描き、犯人逮捕にも貢献するという、ありとあらゆる局面において、その天才性を発揮してゆく。
ハジメという名は、漢字表記では「一」という字になる。
何でも一番になって欲しいという願いを込めて、ママによって名付けられたものだ。
次男であるにも拘わらず、名前が「一」というのも不思議な話だが、これは長男であるバカボンに命名するはずだったのが、パパの勝手な一存で、バカボンと名付けてしまったことに起因していると思われる。
初期『バカボン』において、ハジメの天才性が極限に示されたケースに、タイムマシンの開発が挙げられよう(「タイムマシンで神サマになるのだ」/「別冊少年マガジン」67年11月号)。
あらゆるフィクショナルな世界において、タイムマシンを最年少で発明したのは、誰あろう、ハジメであるといっても過言ではあるまい。
このタイムマシンは、何と、単純なダイヤル操作だけで、過去にも未来にもスリップ出来るスグレモノで、まさに全人類の夢と希望が託された雄偉なる創造と称して然るべき発明だ。
早速、パパとバカボンがタイムマシンに試乗し、ダイヤルを回すと、モニター上に大波に揺られながら漂泊する小型ヨットが映し出される。
ソロセーラーの堀江謙一青年が、マーメイド号で神戸からサンフランシスコまでの太平洋横断航海を成功させた際の映像である。
そして今度は、ゼロ戦が上空高く飛び交い、太平洋戦争開戦のシーンが流れる。
この辺りはまるで、昭和の時代の映画館でロードショーとともに上映されていたニュース映像の如くだ。
その後も、鹿鳴館スタイルのアッコちゃんや、十二単姿で佇むジャジャ子ちゃんが現れ、明治維新、平安時代へと遡り、紀元前の原始時代が映し出されたところで映像は途切れる。
パパとバカボンは、原始時代へタイムスリップしたのだ。
このエピソードでは、パパとバカボンが、手製の弓矢で原始人を倒したり、壺から手が抜けなくなってしまった部族の人間に、中で握っている手を放すように促し、助けてあげたりしたことから、天才、神様として崇められるという現実とのギャップがギャグとして描かれている。
このように、タイムマシンまで作り上げてしまう大天才に成長したハジメだったが、その活躍は、後に本人が「ツマミ程度」と自らを自虐的に語るように、徐々に翳りを帯びてゆく。
このような経緯から、「十歳で神童、十五歳で天才、二十歳を過ぎればただの人」という言い習わしの通り、ハジメもまた同様の生育歴をその後辿るのではないかとの指摘が、当時読者の間でなされていたそうだが、果たして、その真相は如何なるものだったのだろうか……。