文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

「週刊少年サンデー」最後の連載作品 自由度を高めたシュール&ナンセンス『ギャグありき』 

2021-12-21 19:25:58 | 第6章

『母ちゃん№1』終了後、間三週を空け、赤塚にとっては、「少年サンデー」最後の連載作品となる『不二夫のギャグありき』(77年16号~41号)がスタートする。

連載当初は、犬と人間の合の子とおぼしき次男坊の活躍を中心に、メンデルの遺伝の法則を無視したワケあり親子が総出演するファミリー喜劇として展開していたが、一億総中流時代における、一般家庭のステレオティピカルな日常に映し出された倒錯的奇性をテーマに、ホームドラマの常識を意識的に覆す、メタフィクショナルな笑いを標榜したその世界構造にあっては、ドラマの柔軟性を失うことは必至で、テコ入りも兼ね、内容を一新するしかなかったのだろう。

エピソードの途中から、キャラクターを総入れ替えし、何と、父親役にバカボンのパパが登板。このように劇構成の基盤となるシチュエーションをキャラクターシステムに依拠した流れから、ワケありファミリーの定住型コメディーは、『レッツラゴン』のリバイバルへと、ドラマそのものが突如として変わり、その後三週に渡って続くことになる。

リバイバル版『レッツラゴン』に変わって登場した新生『ギャグありき』は、主人公を定めない、より自由度を高めたシュールなナンセンスコメディーへと捻りを効かせる。

亡くなった一人娘の魂が、髭面の中年醜男の身体に宿り、最愛の両親と奇妙な同居生活を始める「リインカーネーション」(77年39号)、ヒマラヤ連峰のエベレストやK2よりも遥かに高い〝世界の天守閣〟と呼ばれる最高峰の山で遭難した二人の青年の運命を描いた「山と友情」(77年40号)等、読者の展開予想を遥かに上回る驚愕のクライマックスへと雪崩れ込む傑作を、何本か提供するが、『レッツラゴン』のように、読者を引っ掻き廻す破壊的なギャグパワーの炸裂は、残念ながら、いずれのエピソードにおいても欠如していた。

『ギャグありき』が全二六回をもって終了した後、77年から78年に掛け、引き続き「サンデー」では、『いたいけ君』という単発の読み切りシリーズが、二本(77年50号、78年23号)、間を空けて執筆される。

今で言うところの草食系男子、絶食系男子を想起させる恋に消極的な、しかし、鬱勃とする煩悩を絶ち切れないいたいけな少年の救い様のない失恋譚と、少年が恋心を抱く少女の慄然とする魔性ぶりを、ラブコメと範疇化するには、余りにも低い体温で淡々と、そしてペシミスティックな位相で綴った、赤塚には珍しい恋愛漫画だ。

しかしながら、思春期特有の刹那の衝動には、単なる愚直さでは語りきれない、清新の輝きを秘めており、恋に勉強、スポーツと、全てにおいて前向きに取り組み、たった一度の青春の季節を、悔いなど残すことなく過ごして欲しいという、少年読者へ向けた赤塚なりのメッセージが、このドラマの基底には込められている。

そして、『インスタント君』(61年)の発表から、実に十七年に及ぶ「少年サンデー」への執筆の歴史は、本作品をもって幕を下ろすことになった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿