文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

パロディー的視座に立脚した独特のレトリック 「天然痘?」「ヒーロー」

2021-12-21 23:46:15 | 第7章

さて、ここで趣向を変えて、時事漫画の範疇では収まりきらない、ハード&ラウドな赤塚節が炸裂した傑作中の傑作を、幾つか列挙してみたい。

スペインが生んだ前衛芸術家・パブロ・ピカソ逝去のニュースに合わせて発表された「天然痘?」(73年4月30日号)は、モデルの肢体を抽象絵画のように人体改造し、それをリアリズムとしてしか表現出来ない三文画家を主人公に迎え、芸術本来の崇高さから背き離れたその即物的な創作風景を、過激な笑いへと昇華した珠玉の一編だ。

このエピソードでは、キュビスムを追従するその後の現代美術家の多くが、方式化されたその幾何学的エッセンスを、単にファッションとして組み換え、客体化せしめているに過ぎないという、一面の真理が明徹なまでに喝破されている。

つまり、キュビスムのエピゴーネンは、ピカソが写実から抽象へと作風を変容させていった先鋭性、深淵さとは真逆の脆弱性が、作品の核となって渦巻いているという解釈だ。

悪酔いして嘔吐した人間をモデルにした「ゲロニカ」や、音楽の街・浜松まで、わざわざロケーションに赴き、創作したという意欲作「ハモニカ」、そして三洋電機の工場に忍び込み、拝借した乾電池からイメージを膨らませた「カドニカ」等、作中挟み込まれた本尊「ゲルニカ」へのアンサーともいうべきダジャレ画も、ピカソ同様の幾何学的形象で描かれており、その巧みなパロディーセンスに、ニヤリとさせられること請け合いだ。

また、ラストのコマで描かれた、全身改造により歩く抽象オブジェと化した三文画家、モデル、画商の三人が、〝レッツゴー・グロニカ〟なるお笑いトリオを結成し、ヤケクソになって、テレビカメラの前で、見世物芸を披露するというグロテスクなジョークも、ナンセンスな捻りを加えてパロディー化した、赤塚漫画ならではの見事な着地点と言えよう。

石油ショックに端を発する切実な紙不足の影響から、トイレットペーパーの買いだめ騒動が、全国規模で発生した際、そのイロニーとして描かれたのが、今尚、強烈なインパクトを放つエピソードとして語られることが多い「足りない‼」(73年12月24・31日合併号)である。

灯油の取り扱い店を舞台に、一人一個しか譲ってもらえない一灯缶を巡り、様々な扮装を施しては、何缶も買い求めようとする、愚鈍な中年男の攻防を、ドラマの主軸に用いた一編だが、取り分け印象的なギャグは、その中年男が貴重なトイレットペーパーの使用法を、実例として読者に指南するシーンだ。

まず、三センチ四方の紙を四つに折る。

角を契り、契った先は捨てずに取っておく。

紙を拡げると、真ん中に穴が出来る。

その穴に人差し指を入れ、指でウンコを取る。

更に、指についたウンコを、穴の開いていない四つ折りの部分で拭う。

そして最後に、先程の契った先の紙片で、爪の間に残ったウンコをほじり出す。

ダーティな笑いが満載した赤塚漫画の中でも、このギャグは、生々しさ、エグさという点において、群を抜くほどの不快指数を宿しているが、そうしたバッドテイストと不可分とも言える、ある種の歪んだエンジョイメントも発散しており、単に下品という概念では片付けられない妙味を漂わせている。

「ヒーロー」(74年1月22日号)は、火傷を負いながらも、デパート火災から三〇〇人の人間を誘導して救った男が、現代の英雄として、入院先の病院でMHKの取材を受けるというストーリー。

男は、品性低劣な口ぶりで、救出した時の状況を詳細に語り出すが、口から出る言葉は、どれも放送コードに引っ掛かる卑猥語ばかりで、困惑したリポーターは、男がきちんとした謙譲語で語れるよう指導する。

そして男が、漸く謙譲語で、救出当時のことについて話せるようになった時、男とリポーターのこのようなやり取りで締め括られる。

「えー わたしは今から十年前の中洋デパートの大火の際にですね お客さま方を三百名お助け申し上げたものでございます ハイー‼」

「やっと話せるようにはなったけど いまさら放送してもしょうがないだろうなあ………」

熊本県熊本市にあった百貨店〝大洋デパート〟で、延べ13500㎡が延焼したほか、一〇三名が死亡、一二四名が重軽傷を負うという、未曾有の大火災が発生した際の後日談として、発表されたエピソードだ。

モラルバリューの本質的概念は、相互性のもと、直接的な意思と行為によって成り立つものであり、利己的な倫理観の強制が、如何に不合理で、適応性に欠くものかを、それとなくオブラートに包み、テーゼとして掲げている点に、このエピソードの痛快さがある。

1968年12月10日、東京都府中市で発生し、多くの謎を残したまま未解決に終わってしまった、戦後犯罪史上最大のミステリーと呼ばれる「三億円強奪事件」。

公訴時効成立のデッドラインが迫る75年、犯罪心理学の観点から、三億円犯人像をプロファイリングした様々なリポートが新聞、テレビ、雑誌を賑わし、再び世人の注目を集めることとなるが、赤塚もまた、ナンセンスな切り口により、独自の犯人像を複数のエピソードにて披露している。

中でも、人気歌手の沢田研二が、耽美な三億円犯人像を演じ、評判を呼んだ連続ドラマの主題歌からタイトルを拝借した「時の過ぎゆくままに」(75年12月18日号)は、そのウィットに富んだパロディーセンスのみならず、ストーリーテラーとしての卓越した感性までもが遺憾なく発揮された、高い完成度を誇る一本だ。

田舎の山奥に篭って、隠匿生活を送る三億円犯人は、テレビだけが唯一生活の楽しみで、超ミーハーな芸能ファンに染まっていた。

遂には、見境が付かなくなり、大好きなアイドル歌手のアグネス・チャンに、自らが三億円犯人であることをカミングアウトしたファンレターまで出す始末だった。

ファンレターの筆跡が、かつて犯行前に脅迫状を送った際のそれと同じで、そこに着目した捜査本部は最後の勝負に打って出る。

テレビ局に協力を仰ぎ、時効成立が迫る三時間前、犯人に向かい「もし、時効前に自首すれば、あなたを今年の紅白歌合戦の審査員にしてあげます‼」とアナウンスを流したのだ。

本物のアグネスに会えるとばかりに、喜び勇んだ犯人は、霞ヶ関の警視庁へ自首をすべく急行するが、国鉄はストライキにより運行中止。仕方なくタクシーで向おうとするものの、運悪く、年末の渋滞ラッシュに巻き込まれてしまう。

時効が刻一刻と迫り、狼狽する犯人。

果たして彼は、時効前に警視庁に着き、自首出来るのか……。

「三億円事件」に材を求めたエピソードは、他にも、「わたしは泣いています」(74年11月11日号)、「デブデブ」(75年9月11日号)等があり、「三億円事件」の時効成立は、赤塚にとっても、相当な関心事であったことが窺える。

「私は泣いています」は、事件後、山小屋に潜み、ひたすら時効の日を待っていた犯人が、六年ぶりに下山し、異常なインフレーションに驚倒する姿を、浦島太郎に準えて描いたエピソードで、「デブデブ」は、過度の肥満と気苦労による脱毛で、容姿が偽白バイ警官のモンタージュ写真とはすっかり別人となってしまった犯人が、時効成立後、マスコミに出て脚光を浴びるべく、ダイエットに勤しむ姿を、烏滸の笑いに染めて切り取った一編。

いずれも笑止千万、フジオ・プロ三億円特別捜査班(⁉)による珍説、怪説のオンパレードだ。

だが、そんな寓意を高めた笑いの中にも、捜査の遅滞を例に出すまでもない、警察組織の怠慢、楽観ぶりに対する手厳しい痛撃が加えられており、風刺漫画ならではのニヒリズムをその奥底に見て取ることが出来る。

三億円ネタは、これら『ギャグゲリラ』掲載の作品以外にも、同時期に発売された「週刊読売」の「三億円事件特集号」にも寄稿され、ここでも、赤塚漫画ならではの特殊な犯人像が組み立てられている。

「わたしバカよねネ おバカさんよネ」(75年9月13日号)と題されたこの作品は、捜査中、偶然にも三億円犯人の正体とアジトを突き止めた、うだつの上がらぬ駄目刑事が、警視庁始まって以来の名刑事として我が名を歴史に刻んでやろうと、時効間際の逮捕劇を目論むものの、その詰めの甘さから、みすみす確保のチャンスを逃してしまう、この上ない愚鈍さを湛えた捜査茶番劇だ。


いずれも、その時々同誌で特集となったテーマに連動させた企画物で、日常的な事柄を素材にしつつ、人間の羞恥や醜態に対する稀薄な意識を、仮借なくクールな笑いに包んで、浮かび上がらせた傑作掌編だ。余談ながら、1975年度の「週刊読売」で、赤塚は、このエピソード以外にも、お洒落の本質を見極め切れない、薄っぺらな田舎者のライフスタイルをシニカルに笑い飛ばした『キザかっぺ』(3月1日特別号)、東大卒の妻を持つ駄目サラリーマンの肥大しきったコンプレックスを通し、学歴至上社会を痛烈に皮肉った『うちの女房は東大出』(4月5日増大号)、父権失墜を絵に描いたような中年男が、安い風邪薬の副作用から、ヒトラーそっくりな独善的ファッショな性格に変貌するものの、結局は家族から舐められた存在でしかないその姿が憫笑を誘う『独裁者』(75年5月3日号)、うだつの上がらない三流作家が史上初の暗号小説を開発し、新分野として世に問う迷走ぶりが何とも滑稽な『アンゴウ』(6月21日号)、一流を自負する名探偵が、変装に強い拘りを持つ余り、遂には偽装ホームレスから本物のそれへと身を持ち崩してしまう本末転倒の流儀を、軽侮の笑いとして綴った『探偵』(8月9日号)等、バラエティー色豊かな読み切りを、8ページ前後の短編として、イレギュラー執筆している。


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