文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

ニャロメのブレイクと「サンデー」掲載版『バカボン』の打ち切り

2020-06-21 07:57:22 | 第4章

このような流れから、『バカボン』は、69年9号の「週刊少年マガジン」、69年1月号の「別冊少年マガジン」で、一旦最終回を迎え、約半年間のインターバルを設けた後、「週刊少年サンデー」35号、「DELUXE少年サンデー」9月号にて、「新連載『天才バカボン』」と飾り立てたタイトルロゴとともに、華々しく再登場する。 

だが、この時点で、もう『バカボン』は、「サンデー」には必要なかったのだ。

具体的詳細については、後程紙幅を割いて記述するが、「マガジン」版『バカボン』の連載終了とほぼ同時期、『ア太郎』には、自己主張の激しい、人語を話す野良猫・ニャロメがレギュラーキャラとして加わるようになっていた。

踏み潰されても、立ち上がり、あらゆる権威や常識に反発しては、玉砕してゆくニャロメのキャラクター像は、1970年の日米安保条約の締結を阻止すべく、政治闘争に燃えていた全共闘世代の心情や生き様とシンクロし、巷ではかつてないニャロメブームが沸き起こっていた。

勿論、その人気は、全共闘世代の若者のみならず、絵の描きやすさ、キャラクターの親しみやすさも相俟って、子供はもとより、サラリーマンなどの壮年層にも広がり、この時期、『ア太郎』は「週刊少年サンデー」、否、サブカルチャーの最前線に位置する、時代の象徴とも言うべきトップ漫画へと躍り出ることになる。

また、ニャロメのブレイクと時同じくして、毛虫のケムンパス、蛙のべしといった常識的な約束事や論理性を無視した奇っ怪なキャラクターが登場。作品のスパイスとなって余りあるナンセンスな魅力を一気に引き上げ、日常を超えたシュールな光彩を放つようになる。

ムーブメントという観点から捉えると、ニャロメの登場を導火線とした『ア太郎』フィーバーは、かつての『バカボン』人気さえも完全に凌駕する盛り上がりを見せていた。

事実、「サンデー」参入後、『バカボン』の人気は伸び悩み、『バカボン』が「サンデー」の部数増大の起爆力となると踏んだ編集部の目算は、大きな誤算をもたらす結果となった。

「サンデー」掲載版『バカボン』の各エピソードごとにおける総体的なクオリティーは、無論一定水準をキープしており、時として「マガジン」時代をも上回る毒々しいシニシズムや、ナンセンス面においては、カルト的とも言えるハイブロウな異端的ギャグを満載した回も少なくはなかった。

例えば、『ア太郎』、『バカボン』の同時掲載という特性を活かし、『ア太郎』(「てってい的なひねくれブタ」/69年51号)で、デコッ八の親切心に触れ、折角改心したひねくれブタが、野菜の配達中、そのまま『バカボン』(「クラスメートルがやってきたのだ」/69年51号)にも登場し、パパにすき焼きにして食べられてしまったり、同じく『ア太郎』(「天国みやげ」/69年49号)で、ニャロメから、誘拐されそうになった際、相手の股関を強く握るよう唆された男の子が、やはり『バカボン』(「ゆうかい犯人はオカシなのだ」/69年49号)にもスライドして登場し、話し掛けてきたパパの股ぐらを思いっきり握り、悶絶させたりと、ドラマのポイントとなる重要なプロットや、文脈の中で伝達される情報としての笑いを、タイトルのヘッジを越え、ハプニング的なギャグへと移し変える新たな意匠を作り上げたりもしたが、当然ながら同じ作家によって描かれた作品が並列するとなると、両タイトルの全体的な空気が似通ってきてしまい、『バカボン』のアバンギャルドな笑いにおける新鮮さは、見る見るうちに損なわれてゆく結果となった。

『バカボン』は、『巨人の星』や『あしたのジョー』、『無用ノ介』といった硬質なストーリー漫画や劇画作品と並び合ってこそ、光輝く作品であって、複数のギャグ漫画が犇めき合う「サンデー」誌面においては、『バカボン』単体の特質は埋没してしまうきらいさえ孕んでいた。

同名作家の、同様のタッチによる、同質の雰囲気を醸し出した二つの作品が隣接し合うことにより、一躍「サンデー」の看板作品となった『ア太郎』の人気を損ないかねないと判断した「サンデー」編集部は、無情にも、連載僅か三十回にして『バカボン』の掲載打ち切りを決断する。

皮肉にも、『バカボン』は、ニャロメの大ブレイクによって、『ア太郎』人気が高まるに従い、「サンデー」編集部にとって、「目の上の痰瘤」的な存在となったのだ。

無論、『バカボン』の連載を終了させることで、この頃、漫画家として、既にトップランクのギャランティが支払われるようになった赤塚の原稿料を削減しようとする腹積もりも、編集内部にあったことは間違いないだろう。

赤塚にとって、この茶番とも言うべき移籍劇は、自身の漫画家人生において、最大の汚点となってしまい、赤塚本人も、自らの慢心が招いた失敗だったと、これに対し、その後、悔恨の念を吐露している。


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