更に一〇年余りの時を経て、87年11月号から90年3月号まで「コミックボンボン」、88年2月号から90年1月号まで「テレビマガジン」と、講談社系児童漫画誌でのリバイバル連載で、三度目の復活を果たし、赤塚の手による完全オリジナルのエピソードが描かれるようになる。
これらの『おそ松くん』は、88年よりフジテレビ系列で、二一年ぶりに復活したリバイバルアニメ「おそ松くん」(88年2月13日~89年12月30日放映)の放映に合わせ、再連載されたもので、『おそ松くん』の原点に立ち返り、よりドライで狡っ辛い、80年代解釈に基づく、六つ子を中心とする珍談を中心に描かれた。
1989年4月10日発行の「週刊少年サンデー 30周年記念増刊号」にて発表された『あの有名キャラクターは、いま⁉』は、連載開始より二七年経ったという設定で、おそ松ファミリーのその後を描いたセルフパロディーだが、残酷でおぞましい現実がキャラクター達の後々の人生として展開してゆくこちらの物語は、『おそ松くん』本来のバイタリティー溢れる快活な世界観から完全に分岐した仮想的並列世界として見るべきであろう。
80年代版『おそ松くん』は、六つ子がファミコンやミニ四駆に嵌まっていたりと、当時の子供達の流行のエッセンスを取り入れたり、イヤミやチビ太が脇役に降格され、近所の鼻摘み者のエセ紳士や空き地の土管に住むみなし子という設定に固定されるなど、若干ディテールやシチュエーションに変更が施されている。
また、『天才バカボン』や『もーれつア太郎』の人気キャラが友情出演し、爆弾を抱えた猫型ロボット「あぶニャン」なる新キャラクターも、このシリーズに限り登場するなど、同時期に放映していたアニメ版『おそ松くん』にも相通じる装飾的な賑やかさを具有するファンシー漫画としての母型を新たに提示しているのも、本シリーズのカラーと言えようが、そこには息つく暇もない、アクロバティック且つ細やかなギャグの応酬、趣向を凝らしたアップ・ツー・デートな物語構成といった、往時に見られたキレや冴えはなく、60年代版『おそ松くん』のように、作品全体から迸る熱気は極めて薄い。
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しかしながら、リバイバルアニメ版『おそ松くん』は、最高視聴率26・4%、平均視聴率18・2%と、予想外の高視聴率をマーク。子供達の間で、再び「シェー‼」や「だよ~ん」が盛んに使われ、その後、赤塚アニメが続々とリバイバルする嚆矢となるなど、新世代のファン層の獲得へと繋がる大ヒットとなった。
「収録後は毎回、毛細血管が七本は切れた」と後に述懐するくらい、テンションを最高潮に高めた上、収録に臨んだというイヤミ役の肝付兼太の強烈なボイスアクトも話題となったリバイバルアニメ版『おそ松くん』だが、実は番組のプランが立ち上がった当初、イヤミ役に話題作りも兼ね、その風貌からキャラクターイメージがピッタリな明石家さんまの起用を視野に入れて企画が進められていたことは、あまり知られていないエピソードであろう。
テレビ局側が、所属事務所に出演の依頼を申し込むものの、当時、既に人気№1のテレビタレントであり、タモリ、ビートたけしと並んで、お笑い界の頂点に君臨していたさんまとのギャランティーの面で折り合いが付かず、事務所側が勝手にそのオファーを断り、この夢のキャスティングはご破算になってしまったという。
さんま自身、イヤミ役を演じられなかったことが相当心残りだったようで、その後、自らが出演するテレビ番組『オレたちひょうきん族』の『おそ松くん』のパロディーコント『ピヨ松くん』の中で、イヤミ役を怪演し、茶の間を大いに湧かせることとなるが、もしこの当時、さんまがアニメ『おそ松くん』でイヤミの声を当てていたなら、さんまと『おそ松くん』、双方にとって大きなプラスイメージとなって余りあるメリットを享受出来たであろうことは間違いないだけに、さんま版イヤミが幻に終わったことが残念でならない。
それでも、そうした話題性に頼ることなく、レイティング面や総体的な作品の完成度という点においても、大きな成功を収めたリメイク版『おそ松くん』は、赤塚作品に時空をも飛び越えてしまうほどの普遍的な魅力とオーラが備わっていることを世間大衆に印象付ける結果となった。
それにより『おそ松くん』は、現在に至るまで、幅広い層から根強い支持を誇る戦後ギャグ漫画の至宝として、眩しいまでの輝きを放ち続けることとなるのだ。