1980年代、蛭子能収(代表作/『わたしはバカになりたい』、『地獄に堕ちた教師ども』)や、特殊漫画家の根本敬(代表作/『怪人無礼講ララバイ』、『タケオの世界』)に代表されるオルタナティブ系作家が、新たな副次文化の担い手として、一部の好事家から熱い注目を集めることになるが、それらのヘタウマ感覚の妙味を逸早く取り入れ、一本の漫画として描き上げた先駆的作品が、次にあげる「説明付き左手漫画なのだ」(73年48号) ではないだろうか。
この作品では、次のような巻頭言で始まり、いきなり読者の虚を衝く。
「アシスタント全員と五十嵐記者は 十月十七日の朝 右手を骨折してしまいました(ほんとはウソ‼)
したがって今回の〝バカボン〟は左手でかいたので絵の表現が思うようにいかず絵に説明をくわえました
けっして 手をぬいたわけではありません‼」
大富豪の金野有助氏の邸宅に遊びに行ったバカボンが、オープンカーをプレゼントされたり、フルコースの料理をご馳走になったりしているうちに、金野氏の養子になりたいと思うようになり、金野氏もまた、バカボンの希望を真に受け、本気で我が子として受け入れようとする。
だが、何でも買ってくれるなら、ワシも養子になりたいとばかりに、パパが乗り込んで来て、事態は更に厄介な方向へと発展してゆく。
そんなエピソードがヨレヨレの描線で描かれ、その拙いタッチを補うべく、細かな心理説明が注釈として加えられる。
例えば、バカボンがご馳走を頬張るシーンでは、金野氏に好かれようと、わざとらしく子供っぽく振る舞うバカボンに対し、「金野氏 急変したバカボンの態度にシラケるが、思わずつられてわらってしまう」と説明が加えられ、パパとバカボンがどちらが金野氏の養子になるか、親子喧嘩を始めた際には、「これこれ、けんかはやめなさい‼」と仲裁するものの、「ほんとはどっちか死ぬまでやればいいのに‼ たいくつしのぎになるのに‼ と思うが紳士のフリをして」と、そのダークな心境を浮かび上がらせている。
また、話の流れを断ち切り、突然、右手に包帯を巻いた赤塚が登場し、「読者のみなさん さぞ読みづらくてお腹立ちのことでしょうね?」と語り掛けるが、「と赤塚 口ではそういいながら「フン‼ また らくにかきとばせるアイデアを思いついてよかったよかった」と心で思ってる」という、エグい心情を吐露した講釈が綴られるなど、明け透けに読者を煙に巻いてゆく。
このように、本来漫画では説明し切れない人間の心の奥底を浮き彫りにし、笑いへと転じるその発想に、赤塚の先鋭的センスの一端を見ることが出来る。
尚、この元祖ヘタウマ漫画は、赤塚も大層気に入ったと見え、次週作品「絵の表現のヘタくそなのだ」(73年49号)でも、このような前書きを寄せ、再度執筆している。
「前の回で「説明いり左手漫画」をかいたら 赤塚不二夫が「これはおもしろい‼ もう一度やるべきだ」といったので 今回もやります
ただし こんどは ぼくとアシスタント全員が 両手を骨折したので(もちろん ウソだが)右足でかきます
足だと絵が思うようにかけないので くどいほど説明がつきます
ではどうぞ‼」
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このヘタクソ版『バカボン』は、一つの主題として、微妙なアレンジを加えながら、更なるバリエーションを追及し、楽屋ネタと融合したエピソードをその後次々と生み出してゆく。