先週末は久々に快晴の暖かい日だったので、夫婦して施設で暮らしている私の両親に会いに行きました。
ちょっとした近場の買い物では素直にお留守番をするモコ助ですが、遠出の時はなぜか雰囲気で解るらしくワンワン言いながらクルクルと連れて行けアピールが止まりません。
まあ天気も良いので公園にでも寄って、両親にも何年かぶりに見せてやろうということになり妻の膝の上に乗っけて出かけたのでした。
途中、1時間程走ったところにある道の駅でお弁当を買う。
ここは鹿児島特産の黒豚や黒牛のお肉も売られており、店の外には豚やら牛やらの像が並んでいます。
写真を撮るために無理やり大きな牛の真ん前に放置されたモコ助は後ろが怖いのか、なんだかソワソワしてました。
丘の上にはこれまた大きな「弥五郎どん」の像があります。
昔々、このあたりを治めていた?と言われる身長5mの大男で、11月には手づくりの大きな弥五郎どんが町内を練り歩くという有名なお祭りも有ります。
アップで見ると目をギョロッと見開いて怖い顔で睨んでますが、世の中があまりに乱れてしまうとそのうち「大魔神」のように動き出してしまうのかもしれません。
モコ助は公園内を元気に走り回り、湧水公園ではカモを追いかけ、池の中の鯉の群れにビビったりと、楽しそうだったので連れてきて良かったかな。
そして今日の目的地である両親の暮らす施設へ。
庭で立ってガラス越しに待っていると二人が車いすに乗せられてやってきました。
この前までは杖をついて歩いていた96歳になる父の方も急に足が弱くなったらしい。
しかも最初は私たちをずっと兄夫婦と勘違いしていたようで、会話をする中でやっと解った感じでした。
もう2年も直接触れ合うことができず、前のように近くで肩を叩いたり、手をさすってやりながらの会話をしていません。
この状況がまだ続けば、恐らく私が息子であることを判らなくなる日も近いと思います。
(イメージ)
コロナが悪いことは解っています。
でも、もう2年にもなるのだからコロナについていろんな事が解ってきたはず。
「怖い、怖い」だけでなく、コロナの病原性、感染性、それによる社会へのインパクトを総合的に判断して、今、何をどこまでやれるのか、あるいはやれないのかを冷静に考える必要があると思います。
いつまで「コロナだから・・」という一言だけで、自分にとって家族にとってかけがえのない時間や大事なことを犠牲にしなければならないのでしょうか・・
と思うオジサンでした。
全くそうですね。
出始めの頃は判らないのでそれで良かったと思いますが、病原性も1日の感染者数もインフルエンザと同様になった今でも、コロナだけ特別扱いされているのが納得出来ないんです。大切な家族との残された時間を犠牲にしても良いほど危険な感染症なのだろうかと…。
私も母ともう2年ほど触れていません。私を見てもヘルパーさんだと思うようにまでなってしまいました。コロナ直前まで週に1度は買い物に行って帰りはコーヒー飲んだりおしゃべりが出来ていたのに。
もう私は諦めてしまいましたが、このままではいけないんじゃないかと思います。
高齢者には危険な感染症だと言う事はわかっているのですが、こんな形でお別れになるのは悲しいです。
コメントありがとうございます。
嫌なのはインフルエンザは怖くないから普通で良いけどコロナは怖いから全てダメと言う流れになってしまったこと。
高齢者や私のように肺の持病持ちの人にはどっちも同じく危ない感染症なんですけどね。
ちゃんとした薬ができるまでは許されないのかも知れませんね。😩
凄くわかります。
この状態をただズルズルと…なんてやめて欲しいです。
牛とモコ助さん、可愛いですね💕