というインタビュー記事が有りました。
あの事件から24年経ちました。
あの事件を、鮮明に覚えています。
あの時も母親の言葉が、自分の事から始まっているのに違和感が有りました。
最近のインタビュー記事でも、最初の言葉が、
地獄です、から始まっていました。
多分、人の気持ちを考える事が出来ないのでしょう。
父親も、あの頃、記事に自分の言葉が出てこないのが不思議でした。
二人共、基本的な所は、一緒だったのでしょう。
彼の異常な行動が、段々過激になっていくのを知っていて、
どちらも、放置していました。
近所の人達には、もしかしてと噂をされていたようです。
警察が自宅に捜査に来た時に、たくさん証拠が出てきて、
彼が容疑者だと警察官に言われて、初めて分かったようでした。
その後も、数々、母親のおかしな言動が有ったみたいです。
人の気持ちを忖度するのが、日本人の美徳のように言われてきました。
しかし、高度成長期に、勉強だけして、いい大学さえ入れば一生安泰、
みたいな事が一番いいなんて大人が言い出して、
一戸建てに住み、子供に自分の部屋を与えるのがステータスになりました。
私の行ってた学校が、そうでした。
運動部なんて入っている奴は、馬鹿や、勉強だけしとけ、
と先生が言っていました。
そういう考えが、戦後日本のスタンダードになり、
人を本来の人らしくではなく、企業戦士として、
情緒の無いロボットのような人間を企業も求め、そして、この事件が起きた。
情操教育とやらは、何処へ行ったのでしょう。
大人とは、若い者より、経験から深く物事を考えて言葉を発し、
行動する人間ではなかったでしょうか。
今は、どんどん浅くなっているように思います。
短絡的だから、いい大人が簡単にデータ偽装をするようになりました。
大人なのに、とても安易です。
恥という文化も、無くなっているような気がします。
この恥知らず、なんてセリフは現代では、存在しえないのかもしれません。
アメリカ人は、ある自動車会社の社長さんが公聴会で言われたように、
恥を知れを、よく使います。
世間体と恥じは違います。
世間体は他人の目線の事で、恥じは自分の信念との齟齬だと、私は思います。
信念も無くなっているかもしれません。
最近、人と話していると、そのまんまテレビの受け売りの言葉を、
話しているような気がします。
自分なりの見識が加わっていない。
テレビの街頭インタビューで、一般人らしき人が言っている模範解答を、
それが世間体として、一番無難で正しいと思っての事でしょう。
それは同調圧力というより、自ら同調協力をしているように思います。
只々、楽ちんに生きようとした結果かもしれません。
精神的に楽ちんなだけでは、楽しくはない。
だから続けていると、本来の自分との齟齬が貯まり、
結果それがストレスとなり、どこかで爆発する。
それが自分に向かうか、他人に向かうかの違いでしかない。
だから、日本の年間一万人の自殺も、
本当は一万人の他殺と一緒ではないでしょうか。
もしアメリカのように、銃が誰でも買えたら、乱射して、
アメリカと同じような状況になっているんじゃないかと思います。
アメリカより人が密だから、もっと酷いことになっているかもしれません。
なにせ、中学生が銃も無しで何人も殺せるんですからね。