てっぺいの、いつも写真でさわでぃーかっぷ

日本とタイと写真が好きなてっぺいの日常を綴った日記のようなものです。

なつかしのRoute66

2005年02月05日 | パブ・ディスコ
「Route66」

それは僕がタイで1番愛したPubです。
(ダンスステージがない店はPub、ある物はDiscoとなります)

アジアの大陸独特の、日本にはない3つ打ちのリズム、高速のビート、
タイPOPSでの合唱、テーブルで踊ること、コーラで割ったウイスキー、
店の外まであふれる人・人・・

どれもが旅行で来た僕には今まで味わったことのない新鮮な衝撃で、
すぐにここの魅力に捕り付かれてしまいました。

2003年の5月から1年の遊学にタイへ来た僕は、毎日でもここに行きたくて、
毎日Routeの音(RCA系と呼ぶ)を聞いたり、
合唱する時に少しでも歌えるように歌を覚えたりしてました。

しかしその頃、トンローが若者の間で流行だし(音はHip HopとBand)
客の年齢層は上がり、お水系の女の子が増え、客層は悪くなりました。

それでも僕はこの店に行き続け、その結果お店の人とも仲良くなり、
色々顔が利くようになり、ますますこの店が好きになりました。

また、折悪しくラチャダーソイ4にもPub街が出現。
トンローに重ねてそこにお客が流れ、RCAは衰えていきました。

そうしてるうちに隣でずーっと争っていたMorganが潰れ(この店は後にSLIMとして蘇る。
後日書きます)Routeの客も減ってきて、去年の7月頃から入ったDJが30分
HipHopをやり始めました。(その前にもDJ Steveが15分HipHopを
流していた頃がありましたが・・・)

その後Hip Hop OnlyのDJが現れ1時間回すようになり、それと同時に
Inter State(Routeと繋がっている姉妹店)が改装をして、
金土以外はRouteを閉めてInter Stateにて営業していました。

気がつくと、いつのまにかHip Hop DJが増え、Routeも改装を始めました。

改装が終わってみると、見事にスクンビットのBEDをまねた白を基調とした店に。

改装後、お店をEastとWestに分け、音楽を分け、今までのRCA系の音を捨て、
HipHopの店として営業を始めました。

こうして僕が1番愛したタイPubが「在りながらにして」死にました。
あの頃の音楽、雰囲気、感情、全てがもう帰ってこないと思うと切なく、
また悲しいです。

尚、この写真は改装後のRouteです

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2 コメント

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同感 (菊豆)
2005-02-10 01:21:16
あー、分かるよう。

てっぺいくんの気持ち。

そうそう、あの日本では味わうことのない、独特の雰囲気をRCAは持っているよねぇ。

あたしも、RCAに初めて行ったとき、とても衝撃を受けたよ。

何コレ!?みたいな。

ただ、だんだんと音楽の趣向が変わってきてるようだねぇ。

日本でもB系サイコー!な時代もあったけどさ。笑。

また、RCA系黄金時代が帰ってくるのを、あたしは待ってるよー。
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Route66 (てっぺい)
2005-02-10 14:39:58
もう本当に行くトコが無くて困ってるよ。

Bというかエセ ヒポープが早く終了する日が来ることを祈ってます。

期待をしてたラチャダーSoi4にもオートーコーにもRCA系音楽がなくなってたよ・・・
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