島ちゃんからもらった命のバトン

2009.1月急性骨髄性白血病発症。
2010.12月、旅立ち。
島ちゃんの軌跡と島ちゃんが遺してくれたもの。

答えは自分の中にある

2012-03-28 22:26:06 | Weblog
昨日、義姉である妙子さんにデトックスをしてもらったお陰で、本日は朝からテンション高く、気分がイイ。

毎日の何気ない事や、行動。目に映るものや、誰かと交わす会話。

自分を取り巻く全てのものが一昨日と違うのが分かる。

人生大肯定。

自分の気持ち次第でどうにでもなると言う事だ。

考え方次第。

答えは自分の中にある。


次男坊が空手をしたいと言い出した。

長男坊が先週末に行われた空手の試合で、いつも負けていた相手に勝ち、金メダルを貰った。

これまで次男坊は長男坊の試合観戦に行っても全く興味を示さず、試合が終わるのをまだか?まだか?と待っていた。

その次男坊が今回の長男坊の試合を真剣に見ていた。

長男坊が一番高い表彰台の上に立ち、メダルをかけてもらってる姿を次男坊は目をキラキラ輝かせて眺めていた。

そして翌日、長男坊の空手のグローブを装着し「押忍」と構えていた。

その次男坊に長男坊は「こうやってするんやで」と練習をつけていた。

そして次男坊にアドバイス。

「空手を始めたら、友達とケンカしても絶対に叩いたらアカンねんで。ホンマに強い人は優しい人なんやで。わかった?」

と、かなり大人びたことを言ってる。

私は「先生がそうやっていってたの?」

と聞くと「先生ちゃうで。お父さんやで。お母さん知らんの?お父さん、言っとったやん」だって。

長男坊はお父さんっこだった。お父さん大好きで、長男坊の中のお父さんは「ヒーロー」なのだ。

姿なくとも島ちゃんは今でもしっかり子育てをしてくれてる。

長男坊は島ちゃんの教えをきちんと次男坊に伝えている。


次男坊が時計をみて「おとうさん、何時になったら帰ってくる?」

と長男坊に聞いた。

長男坊は「おとうさんは死んじゃったから帰ってくる訳ないやん。」と言った。

すると次男坊は「おとうさんはココにおるやん。ぼくの心臓のところにおるんやで」と自分の胸をたたいた。

かっちゃんも私もその言葉に黙ってしまった。

島ちゃんが入院中、体調がいい時は病院に子どもたちを連れて行ってた。

長男坊と次男坊を自分のベッドに座らせて、子どもたちそれぞれのいいところを大げさな位に褒める。そして悪い事に対しては、怒るのでは

なく、「お父さんはこうするほうがかっこいいと思うけど、どう思う?」とか、何故ダメな事なのかまだ言葉も話せない次男坊にさえごまかす

事なく丁寧に諭してた。必ず、手を握り、目を見て、ゆっくりと話す。そして終わりには「おとうさんはいつもココにいて、近くで見てるんやで。」

と、子どもたちの胸をなでた。

次男坊はお父さんの容姿は写真でしか覚えていない。

でも、お父さんのしてくれた事は覚えている。

島ちゃんは父親として、子どもたちの中で生き続けてる。


島ちゃん兄妹は幼少期、壮絶な虐待を受けていた。

でも島ちゃん兄妹は虐待連鎖はない。

「何故なの」と妙子さんに聞いた。

「自分がホントに辛く嫌な思いをしたことは、誰にだってしようとは思わない。あんな思いを誰にもさせたくない」とキッパリ言った。

私が想像する以上の体験をしたに違いない。


私は子育て真っ最中。

カッとなる事だってある。

思うようにいかなくて、落ち込んだり、迷う事もある。

妙子さんの言葉、島ちゃんがしてくれた事・・・。

一つ一つに救われる。

生きていれば色んなことがある。

でも、時間は止められない。

答えは自分の中にある。




心のデトックス

2012-03-28 00:30:33 | Weblog
出た、出た、小さな石ころ、大きな石ころ。

私の心の中に蓄積されつっかえていた石ころがどんどん溶けてたくさんの涙に流されて私の心の中から出ていった。

どんな私にでも真正面から向き合って、支えていてくれていた島ちゃんが亡くなって、心のよりどころがなくなり自分では自覚してなかったが

なんでもかんでも自分の中に閉じ込めていつの間にか大きな石となり毎日楽しいことだってあるのに上手く自分の心のコントロールが出来なく

なっていた。

自分でもどうしていいのか・・・。制御不能。

そんな私の心の大きな石ころを溶かし、癒し、包んでくれた救世主がとても近くにいた。

その人は島ちゃんの妹、島田妙子だ。

妙子さんと、真正面から向き合った。

上手く自分の気持ちを表現できないでいる私を何も言わず、黙って、私に向き合ってくれた。

言葉より先に涙が溢れでた。

子どものように泣いた。

ひとしきり泣いたあと、胸の中につっかえていたモヤモヤとした思いが訳のわからないまま言葉となり吐き出されていた。

妙子さんは私の頭を撫で優しく笑って、私の話をいつまでも聞いてくれた。

嬉しかった。

「これだ。私は甘えたかったんだ」って思った。

大人になり、母となり子どもの頭を撫でる事があっても私の頭を撫でてくれる人はパパだけだった。

パパを頼りにし、絶対的に信頼しいつまでも、そんなパパと一緒にいることが当然だった。

そんなパパがいなくなり私の心はグレてしまってた。

ひとしきり泣き、一気に自分の気持ちを話したら、妙子さんが「それでいいねん。これからもずっと見てるよ」と笑っていた。

映画のゴーストみたい。

パパと妙子さんがリンクした。

島田兄弟は一体何者なのか・・・。

ただ一つ言えるのは、私の大切な大切な親愛なる人間ということ。

「このままもし死んでもパパに追い返されるよ」と妙子さんは笑った。

ホンマや。それは困る。

いつかパパのいる天国に行ったときにパパに頭を撫でてもらい褒めてもらえるよう、毎秒過ごそう。

こんな身内を持つ自分を誇らしく思う。

キザにカッコよく生きよう!