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someとanyの論理(4) どれか、どれでも

2016-10-24 06:40:16 | 数学基礎論/論理学
 "someとanyの論理(2) 疑問文"で述べたように、肯定文と疑問文では"any"の日本語訳が違ってきます。未来形がわかりやすいでしょう。

B2q) Will any box be opened ? 箱はどれか(将来)開くでしょうか?
B1) Yes, some boxes will be opened. はい、どれかの箱は(将来)開くでしょう。はい、箱はどれかは(将来)開くでしょう。

B5q) Will every box be opened ? 箱はどれでも(将来)開くでしょうか?
B2) Yes, any box will be opened. はい、箱はどれでも(将来)開くでしょう。

 可能形もわかりやすいでしょう。

C2q) Can any box be opened ? 箱はどれか開くことができますか?
C1) Yes, some boxes can be opened. はい、箱はどれか(は)開くことができます。

C2q) Can every box be opened ? 箱はどれでも開くことができますか?
C2) Yes, any box can be opened. はい、箱はどれでも開くことができます。

 実のところ、B1)C1)の日本語のニュアンスをそのまま表現する英文はどうすればよいのか私にはわかりませんが、上記でも間違いではないでしょう。

 ここで問題としたいのは、このように"any"の日本語訳が違ってくるのはなぜかということです。日本語では「どれか」「どれも」と語尾の違いにより2つの意味を区別します。しかし英語の"any"「どれ」は語尾変化もしないし前置詞もつかず、ただ語順により意味を区別するわけです。

 色々な考え方がありうると思いますが、対話として考えてみましょう。

E1q) Can I take any candy ? アメをどれか取ることはできますか?

 この問いにはいくつかの答えがありえます。

E1a1) No, you can not take any candy. いいえ、どれも取れません。
E1a2) Yes, you can take any candy. はい、どれでも取れますよ。
E1a3) Yes, you can take this one. はい、この一つをどうぞ。
E1a4) Yes, you can take blue candies. はい、青いアメなら取れます。

 E1a1)以外はみな"Yes"です。つまりE1q)の問いは、別にE1a2)だけを期待しているわけではなく、「どんな与え方でもいいのだが、どれかの与え方で与えてくれるだろうか?」と尋ねているのです。つまりここでは、どのアメを与えるかを選択するのは、アメを取ろうとする話し手ではなく、アメを与えようとする(取ることを許可する)聞き手なのです。

 では肯定文のC2)E1a2)はというと、「アメを取ろうとする聞き手がどれかのアメを?任意に選択したときにどうなのか?」ということを述べるものです。

 つまり、肯定文でも疑問文でも聞き手が任意に選択すると想定しているのですが、その聞き手は肯定文ではアメを取る者であり肯定文疑問文[*1]ではアメを与える者である、という点で逆転が生じているのでした。でも、次のような文章なら?

F1q) Can you play any instrument ? あなたは何か楽器を演奏できますか?

F1a1) No, I can not play any instrument. いいえ、何も演奏できません。
F1a2) Yes, I can play any instrument. はい、どんな楽器でも演奏できます。
F1a3) Yes, I can play piano. はい、ピアノなら。
F1a4) Yes, I can play percussion. はい、打楽器なら。

 "take candy"では動詞の主語は話し手であり"play instrument"では動詞の主語は聞き手であり、両者は対照的とも考えられますが、何を(取るか/演奏するか)を選択しているのはどちらの場合も聞き手です。すると「選択するのは聞き手である」という一般原則で判断ができそうです。

 疑問文では聞き手が選ぼうとしている選択肢の中に「(話し手が)将来取るアメがある」とか「(聞き手)が演奏できる楽器がある」という選択肢があるのか否かを問うていることになります。ゆえに「どれか」と訳すのが適切なのです。

 一方、肯定文や否定文では聞き手が選ぶまたは選んだ選択肢の状態について述べるのですが、それを述べる話し手は聞き手が何を選ぶかはわからないので、結局は全ての選択肢の状態について述べることになってしまいます。なので「どれも」と訳すのが適切なのです。


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*1) 2018/02/03訂正。誤植はあるもんですねえ、お恥ずかしい。

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