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玉木代表の不倫相手・小泉みゆきは国民民主党の候補者だった!

2024年11月26日 20時19分58秒 | 社会

玉木雄一郎代表(55)の不倫相手・小泉みゆき(39)は国民民主党の候補者だった!

Yahoo news   2024/11/26(火)  文春オンライン

 

涙を浮かべて不倫報道を謝罪した玉木氏 ©時事通信社

 

 11月11日に写真週刊誌「FLASH」電子版が報じた国民民主党代表・玉木雄一郎氏(55)の不倫愛。お相手の元グラビアアイドルの小泉みゆき(39)国民民主党の候補者として浮上していたことが、 「週刊文春」の取材で明らかになった 。

【実際の画像】露出度の高いコスプレ姿を披露していた小泉

 

 不倫報道後、玉木氏はすぐさま会見を開き、「妻子ある身で他の女性に惹かれたことは、ひとえに私の心の弱さだと思う」と力なく語った。だが、取材によれば、小泉は単なる不倫相手の範疇に留まらない――。

 

 高松市に生まれ、上京後にグラビアアイドルやレースクイーンとして活動していた小泉が高松市の観光大使に抜擢されたのは、2019年。県内のイベントなどを通じて急接近し、2人が男女関係に発展したのは2022年頃のことだ。

 

党代表の不倫発覚という緊急事態だが、国民民主党のある関係者はなぜか安堵のため息をつく

不倫発覚のタイミングが衆院選の直後で良かったよ。もし来年7月の参院選後に不倫が露見していたら、目も当てられなかった。党内には『むしろ助かった。最悪の事態は避けられた』という声もあります」

 

 一体、どういうことなのか。別の国民民主党の関係者が明かす。

「実は、小泉さんは国民民主党の候補者のひとりだったのです。10月27日の衆院選にも出馬を模索していたものの出馬できず。そこで玉木氏は、彼女を来年の参院選に出馬させようと動いていたのです。万が一、出馬後に新人候補と党代表である玉木氏の不倫関係が発覚すれば、『公私混同だ』と厳しい批判を浴びることになったでしょう」

 

 玉木氏の事務所に、不倫相手の小泉を公認候補として擁立するつもりだったのかと問うた。

 すると、「小泉みゆき氏は政治への興味関心があったことから、玉木が個人的に国政に限らず何らかの選挙への立候補の可能性について話したことはあります」と認めた上で、「候補者公募への応募や面談など、党が正式に検討するには至っておりません」と回答した。

 

 現在配信中の 「週刊文春 電子版」 では、玉木氏が小泉を選挙の候補者に据えた理由を詳報する。玉木氏が完全否定した「自殺未遂報道」の背景、小泉をサポートする玉木の関係者の存在、慰謝料の支払いなどについても記している。


東京国立博物館・埴輪展① 埴輪 踊る人々 江田船山古墳・国宝・金製耳飾 ・金銅製沓

2024年11月26日 15時46分54秒 | 東京都

重文・旧東京音楽学校 奏楽堂。東京都台東区上野公園。

2024年10月29日(火)。

 

東京国立博物館で2024年10月16日~ 12月8日(日)まで「埴輪展」東京都美術館で田中一村展」が2024年9月19日(木)~12月1日(日)まで開催されており、いずれも9時30分開館なので、上野駅に9時頃に着き、東京芸大構内から上野公園に移築された「旧東京音楽学校 奏楽堂」をまず外観だけみることにした。あることは知っていたが、場所を知らなかったが、芸大方向にあった。途中、東京都美術館を通ると100人ほどが行列していた。奏楽堂横に着くと前庭が修景工事中だった。

 

旧東京音楽学校 奏楽堂(そうがくどう)は、1890年(明治23年)に東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校のオーディトリウム(演奏会場)として建設された日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールとされる。設計は、文部技官の山口半六と久留正道で、中央棟と翼棟からなり、奏楽堂とは中央家2階にある講堂兼音楽ホールのことであるが、今日建物そのものの名称となっている。

1972年(昭和47年)、老朽化のため大学構内から愛知県犬山市にある博物館明治村への移築保存で合意されたが、日本建築学会、音楽家グループ、市民らの反対により撤回され、1983年(昭和58年)に台東区へ譲渡された。

1984年(昭和59年)、上野公園内へ移築され、1987年10月から一般公開を開始した。翌1988年、国の重要文化財に指定された。

東京国立博物館「挂甲の武人 国宝指定50周年記念特別展「はにわ」」。

9時20分頃に博物館に着くと、200人ほどが開館を待っていた。9時30分に開門されると、ほとんどの人が埴輪展の会場に急いで歩いて行った。入口には通常の埴輪と「踊る人々」の複製が展示されていた。

すぐ先の「踊る人々」の実物の展示ケースにも人だかりがあった。

埴輪 踊る人々。埼玉県熊谷市 野原古墳出土。古墳時代・6世紀。東京国立博物館蔵。

埴輪といえばこれ!と思われる方も多いですが、実は時代が新しく、表現の省略が進んだ姿です。その反面、埴輪がもつ独特な「ゆるさ」を象徴する存在でもあります。王のマツリに際して踊る姿であるとする説のほかに、近年は片手を挙げて馬の手綱(たづな)を曳(ひ)く姿であるとする説も有力です。

 

第1章 王の登場

埴輪は王(権力者)の墓である古墳に立てられ、古墳からは副葬品が出土します。副葬品は、王の役割の変化と連動するように、移り変わります。古墳時代前期(3~4世紀)王は司祭者的な役割であったので、宝器を所有し、中期(5世紀)の王は武人的な役割のため、武器・武具を所有しました。後期(6世紀)は官僚的な役割を持つ王に、金色に輝く馬具や装飾付大刀が大王から配布されました。このほか各時期において、中国大陸や朝鮮半島と関係を示す国際色豊かな副葬品も出土します。ここでは国宝のみで古墳時代を概説し、埴輪が作られた時代と背景を振り返ります。

国宝・金製耳飾。熊本県和水町 江田船山古墳出土。古墳時代・5~6世紀。東京国立博物館蔵。

水滴形および円錐形の飾りの付いた三連のチェーンをぶら下げた金製耳飾りで、一部に銀やガラス製の部品が使われています。揺れ動くたびにダイナミックにきらめき、音を奏でる最先端のアクセサリーでした。朝鮮半島南部にあった古代国家、加耶(かや)で製作され、熊本の豪族にもたらされたものでしょう。加耶諸国の中でも、大加耶(でがや)製品と特定されたらしい。

国宝・金銅製沓。熊本県和水町 江田船山古墳出土。古墳時代・5~6世紀。東京国立博物館蔵。

金銅板を鋲で留めて作られた全長34センチメートルの沓で、亀甲文で飾られ、各交点には小さな飾りが付けられていたと推定されます。死者のための沓で、底は全面に突起があり、実際に履いて歩くことはできません。朝鮮半島の百済で作られました。沓は耳飾りとともに朝鮮半島から伝来した新しいファッションのひとつで、人物埴輪の装いにも見られます。

立教大学池袋キャンパス・第一食堂・立教学院展示館 学士会館 矢口書店


立教大学池袋キャンパス・第一食堂・立教学院展示館 学士会館 矢口書店

2024年11月25日 12時06分49秒 | 東京都

立教大学池袋キャンパス。東京都豊島区西池袋。

2024年10月28日(月)。

東洋文庫ミュージアム最寄り駅の駒込から池袋へ移動。立教大学へは初めて行く。地下道を出て立教通りを歩くと、キャンパスの案内図があり、少し進むと入口があった。目論見通り11時30分頃に着いたので、予定通り第一食堂に向かった。今年9月に山形聖ペテロ教会を見学したが、設計を指導したガーディナーが立教関係の建物を多数設計していたことに気づき、日本聖公会の学園である立教を見学しようと思っていた。

 

立教学院は、英国国教会と米国聖公会を母体として成立した学校法人で、英国の伝統的なパブリックスクールと中世ヨーロッパ以来のリベラル・アーツ教育の伝統を受け継いだ日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッションスクール)である。

1859年に初代米国総領事タウンゼント・ハリス(聖公会信徒)の支援によって、プロテスタント初の宣教師、米国聖公会のジョン・リギンズが江戸幕府・岡部駿河守長常の要請から長崎・崇福寺に、チャニング・ウィリアムズとともに英学教育を創始したことを起源とする。1874年、ウィリアムズは東京・築地で私塾「立教学校」を開設し、現在の立教小、中、高、大各学校へと歴史を繋いでいる。

1880年、ジェームズ・ガーディナーが来日し立教学校の校長に就任1883年、築地外国人居留地37番に立教大学校(教育令による旧制大学)を設立し、校長にゴシック風レンガ校舎を設計したガーディナーが就任した。1896年、立教尋常中学校を設置。1918年、池袋へ移転。本館、図書館、寄宿舎(現2号館、3号館)、食堂竣工。1922年、大学令による立教大学を設立。1923年、関東大震災により築地キャンパスは壊滅し、立教中学校は池袋へ移転した。

本館(1号館 / モリス館)。

立教大学本館は 1918 年(大正 7 年)に大学が築地から池袋へ移転した際に建設された建物で、米国聖公会宣教師アーサー・ラザフォード・モリス氏の寄付により竣工したことにより、「モリス館」とも呼ばれる立教大学のシンボル校舎である。設計はマフィー・アンド・ダナ・アーキテクツ、施工は清水組である。

本館は、シンボルゾーンと呼ばれる煉瓦造建造物の正門から伸びる直線軸の中心に位置しており、「煉瓦とツタの立教大学」を象徴する建物である。本建物はチューダーゴシック様式をとっており、扁平アーチ(チューダーアーチ)の意匠を特徴としている。

地下1階、地上2階建てで、平面形は短辺方向約 10m、長辺方向約 76mの長方形である。1階中央部にキャンパスの主要通路が貫通(中央アーケード)しており、その上部に時計を配した塔屋が存在する。主要構造は煉瓦造と鉄筋コンクリート造であり、床および臥梁が鉄筋コンクリート造、壁が煉瓦造(フレミッシュ積)の構成になっている。

築地から池袋への移転を決めた立教大学は、本格的な校舎の建設を構想した。米国聖公会の強い意向で、その建築の設計に白羽の矢が立ったのが、マーフィーとダナという2人の建築家が共同で経営する建築事務所で、彼らはニューヨークに拠点を構え、新進気鋭の建築家として、主に米国東海岸で活躍していた。2人は立教のキャンパス建築を当時アメリカで流行していたカレッジ・ゴシック様式でまとめた。その中心となる本館も時計台下通路の尖ったアーチなどに、ゴシックの特徴を見ることができる。

移転 5 年後の 1923 年(大正 12 年)の関東大震災により中央部塔の崩落、東西面の亀裂の発生などの大きな被害を受け、屋根を切妻から入母屋に変更するなどの改造をしたが、1919年の落成以来、現在も教室として使われている。

中央時計台の時計はイギリス・デント社製で、直径90cm。動力は分銅式で、3~4日に一度、手で巻かれている。

第一食堂。

1919年、本館、チャペル、図書館(現・メーザーライブラリー記念館)、寄宿舎東寮(現2号館)、寄宿舎西寮(現3号館)とともに食堂として建設された。

第一食堂は、レンガ造りの外観や漆喰をまとった壁面など美しい雰囲気をもつ学生食堂である。入口のドアの上にはラテン語で"食欲は理性に従うべし"と書かれている。これは哲学者キケロの「欲望は理性に従うべし」という言葉をもじったものである。

カツ丼410円。味噌汁(大)50円。合計460円。学生だけでなく一般も利用できる。12時近くになると学生たちが増えてきたが、それまでは客は少なかった。

メーザーライブラリー記念館(立教学院展示館)。

2階に展示館があるメーザーライブラリー記念館は、本館やチャペルなどの池袋キャンパスのシンボルゾーンを形成するレンガ建造物群の一つで、1919年の落成から2012年まで、図書館本館として使用された。米国聖公会の総会代議員として長年外国伝道を後援してきたサミュエル・リビングストン・メーザー氏の子息であるサミュエル・メーザー氏からの寄付により建てられたことから、現在はメーザーライブラリー記念館と名称を変えている。

立教学院展示館は、立教の歴史と伝統、教育と研究の取り組みを発信する場として、2014年に開館した。

渋谷駅。ハチ公広場。

立教大学を見学後、池袋駅東口にある宮城県の観光案内所を訪れてパンフレット類を入手した。

西郷山公園へ行くつもりで渋谷駅で下車したが、疲れてしまったので、ハチ公像の前で行列を作り記念写真を撮るインバウンド客を笑いながら眺めていた。それでも疲れが取れなかったので、古本まつりが開催されている神保町へ向かうため、御茶ノ水駅へ向かった。

学士会館。千代田区神田錦町。

国登録有形文化財。1928(昭和3)年竣工。鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建・

設計は、佐野利器(構造)・高橋貞太郎(意匠)・藤村朗(増築部分)。

佐野 利器(さの としかた、1880~1956年)は、建築構造学者で、東京帝国大学教授、日本大学教授、清水組副社長を歴任した。芸術としての建築より、工学としての建築、とくに耐震工学に重きを置き、日本の構造学の発展に貢献した。山形県西置賜郡白鷹町生まれ。米沢中学、旧制二高を経て東京帝国大学建築学科で、建築学を辰野金吾に学んだ。

関与した作品に、旧岐阜県庁舎(1924年)、神奈川県庁舎(1927年)、学士会館(1928年)、旧徳島県庁舎(1930年)などがある。

「我が国の大学発祥地(東京大学発祥の地)」。

地下鉄神保町駅A9番出口すぐ南に「学士会館」があり、この建物正面玄関の前に前に「東京大学発祥の地」の石碑が建っている。

五代将軍綱吉は、現在の神田錦町、一ツ橋一帯に広大な密教の大寺院「筑波山護持院元禄寺」を建立した。護持院が享保2年(1717)正月の大火で焼失した跡地が「火除地」となり、護持院ケ原と呼ばれた。この広大な空き地は将軍の猟場として使用されていたが、一般にも解放され庶民の憩いの場になっていた。

その護持院ケ原に文久2年(1862)蕃書調所が洋学調所と改称して当地に移り、翌3年開成所と改め、明治2年(1869)大学南校となった。さらに6年開成学校、7年東京開成学校と改め、明治10年神田和泉町から本郷元富士町に移転していた 東京医学校が合併し, 東京大学が創立された。 

明治初頭、護持院ケ原は、東京大学のほか東京外国語大学、学習院、一橋大学の発祥の地になっている。後に、こうした学生を相手に書店ができ、世界に類のない神保町書店街が形成された。また、それに関わる出版、印刷、製本業発展する一方、私立大学の集積も進み教育・文化の中心地となった。

旧館玄関。

学士会館の休憩室は自由に利用でき、談笑する人や備え付けの新聞を読んでいる人もいる。

矢口書店。千代田区神田神保町。

1928(昭和3)年竣工の木造モルタル造3階建。

レトロな看板建築の代表作品で、テレビドラマのロケに使用されているという。看板建築は正面しか写真で見たことがなかったが、角地にあるのでアールデコ装飾風の側面も見ることができた。

 

翌日は、東京国立博物館の埴輪展と東京都美術館の田中一村展を鑑賞した。

東京都駒込 東洋文庫ミュージアム企画展「知の大冒険—東洋文庫 名品の煌めき—」 


愛知県 豊田市博物館 常設展示

2024年11月24日 11時30分31秒 | 愛知県

豊田市博物館。愛知県豊田市小坂本町。常設展示。

2024年11月15日(金)。

 

12月8日(日)まで開催されている 開館記念展「旅するジョウモンさんー5千年前の落とし物ー」の会場を出たのが16時30分前で、外は暗くなりかけていたが、せっかくなので常設展示室も見ることにした。歴史系展示コーナーを眺めて、展示が少なく、歴史的解説もほとんどないことに驚いた。縄文・弥生・古墳時代の豊田市の概況がさっぱり分からない。松平氏発祥の地があるにもかかわらず、展示資料の1点のみ。戦国時代も松平氏と織田氏の境目の地域としての動きもあったはずだが、足助城や拳母藩なども全く展示に反映されていない。

酒呑(しゃちのみ)ジュリンナ遺跡は有名な遺跡なのでコロナ禍中の2022年ごろに見学しようとして、併せて見学しようとした博物館前身の豊田市郷土資料館が廃止されたと知ったので、博物館の開館を待つことにした遺跡である。

 

酒呑(しゃちのみ)ジュリンナ遺跡。豊田市幸海(こうかい)町ジュリンナ。

豊田市域としては最古の縄文時代草創期(約9,000年前)の遺跡である。豊田市東部,矢作川支流の巴川に注ぐ白山川中流域,標高約120mの北側の段丘上に立地している。

1959年(昭和34),宅地整地作業中に石器が出土し,1966年(昭和41)と1968年(昭和43)の2回にわたり名古屋大学考古学研究室が調査を行った。

出土した石器には,木葉形尖頭器(せんとうき)・有茎尖頭器・掻器(そうき)・局部磨製石斧(ませいせきふ)・石鏃(せきぞく)・砥石(といし:矢柄研磨器)・たたき石などがある。土器では,隆起線文土器(りゅうきせんもんどき:口縁部に粘土紐を何条かめぐらせ,そこに爪形の模様を施した深鉢形の土器。かつて縄文土器の中で最古のものと考えられていたもの)が出土している。

豊田大塚古墳。

豊田大塚古墳は,豊田市河合町1丁目に所在。矢作川右岸の台地南端にあり,直径約30m,高さ3.5mの市内最大級の円墳で,1969年(昭和44),県指定の史跡となった。

1963年(昭和38)に調査が行われ,全長8.7mの横穴式石室と,小さな竪穴式石室という二つの埋葬施設が発見された。横穴式石室からは,多数の須恵器や鉄製品,数百個の首飾りの玉などが出土した。中でも装飾須恵器は,器台と壷,坏を組み合わせたり,台付壷に小壷や人物・動物などの小像をつけたものもある。この豊田大塚古墳出土須恵器26点は,有力豪族の墓前祭礼用の器か副葬品として作られたと考えられ,出土の状況,遺存状態がよいことから国指定重要文化財になった。 大塚古墳は,横穴式石室の形状,須恵器の特徴から,古墳時代後期,6世紀前半に造られたものと考えられている。

藤山1号墳。豊田市加納町。

山ノ神古墳。豊田市渋谷町。

 

3分ほど見学して帰宅することにした。

愛知県 豊田市博物館開館記念展⑥祈りの土器 縄文時代中期の土器


斎藤元彦知事に公選法違反「買収」疑惑急浮上!選挙広報のコンサル会社に「報酬」か

2024年11月23日 12時06分00秒 | 社会

斎藤元彦知事に公選法違反「買収」疑惑急浮上しSNS大炎上!選挙広報のコンサル会社に「報酬」か

Yahoo news  2024/11/23(土)  日刊ゲンダイDIGITAL

期日前投票を呼びかけ(「さいとう元彦応援アカウント」のXから)

 

 混沌とした選挙戦の裏側で、不法行為が行われていたのか。パワハラ疑惑などで失職し、出直し選で再選を果たした斎藤元彦兵庫県知事(47)に公職選挙法違反疑惑が急浮上。SNSは大炎上だ。

 

 問題が明るみに出たきっかけは、選挙で斎藤氏の広報戦略を引き受けたコンサル会社「merchu(メルチュ)」の折田楓代表が20日にnoteに投稿した記事。「兵庫県知事選挙における戦略的広報:『#さいとう元知事がんばれ』を『#さいとう元彦知事がんばれ』に」と題され、メルチュ側が斎藤氏に広報戦略を提案する様子が記されている。

 

 例えば、「兵庫の躍動を止めない!」というコピーや「#さいとう元知事がんばれ」というハッシュタグを考案。ポスターやチラシ、選挙公報の仕様については「デザインチームと日夜追求しました」と書いている。さらに、立ち上げたXの「さいとう元彦応援アカウント」は選挙期間中に「『さいとう元彦(もとひこ)』とお書きいただき、皆さまの熱い想いを届けてください」と期日前投票まで呼びかけている。

 

 2013年にネット選挙が解禁された際に総務省がまとめたガイドラインには、業者に選挙運動用サイトなどに掲載する文案を主体的に企画立案させ、報酬を支払った場合は〈買収となるおそれが高い〉と記載されている。折田氏は記事中で今回の広報活動について「仕事」と言及。斎藤氏側から報酬を得たとみるのが自然で、その場合、公選法違反の「買収」に問われかねないということだ。

 

■コンサル会社女性社長の不自然な「記事訂正」

 兵庫県の選挙管理委員会の担当者は「一般論として、業者に広報戦略を主体的に企画させたり投票の呼びかけをさせ、報酬を支払った場合、公選法違反となる場合がある」と説明した。

 

 斎藤氏は22日、報道陣に対し、広報戦略の企画立案の主体は自分と関連政治団体であると強調した上で「公選法に抵触するようなことはしていない」と疑惑を否定。しかし、怪しさは拭いきれない。折田氏は炎上以降、記事の一部を削除・訂正している。ネット上の「魚拓(アーカイブされた過去の投稿)」と、きのう夜時点の投稿を見比べるとどうにも不自然なのだ。

 

 例えば、メルチュ社内で斎藤氏と折田氏らが打ち合わせしている写真に添えられた〈「#さいとう元知事がんばれ」大作戦を提案中〉は〈「#さいとう元知事がんばれ」を説明中〉に変わっている。

 また、〈ご本人は私の提案を真剣に聞いてくださり、広報全般を任せていただくことになりました〉との一文は丸ごと消滅。どうも、折田氏の主体的な「提案」を隠したようにも見えるのだ。

 

 メルチュ社に見解を求めたが「問い合わせが殺到しており、現時点では一律で取材を断っている」とのことだった。

 

 ある選挙プランナーが言う。

「広報戦略の企画立案もさることながら、応援アカウントに期日前投票を呼びかけた一件は完全にアウト。投票呼びかけについては、どの選挙かを特定し、候補者を名指しし『投票しましょう』と明示すると選挙運動と捉えられる。選挙運動ができるのは、基本的に候補者本人と無償のボランティアだけ報酬を払えば、当然ながら買収になる。よくぞ、あんな危険な記事を投稿したものだと思いますね」

 

 斎藤知事はまさかの当選無効もあるのか。まずは、詳細な説明が必要だ。

  ◇  ◇  ◇

 兵庫県知事選でキーマンとなった立花孝志氏の行動を巡り、オンライン署名「Change.org」で《兵庫県知事選に関連した立花孝志氏の行為に対して、公正な調査を求めます》と題したページが立てられ、署名は3万6000人を超えるほどに……関連記事【もっと読む】で詳しく報じている。

 

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