いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

青森県弘前市 弘前城 旧弘前市立図書館 旧東奥義塾外人教師館

2024年04月16日 15時29分44秒 | 青森県

弘前城。天守。弘前公園。弘前市下白銀町。

2022年9月26日(月)。

岩木山東麓の高照神社を見学後、弘前市街地へ向かった。途中、JAの販売所でリンゴを買った。まず、弘前城を見学することにして、弘前公園追手門前弘前市立観光館下駐車場に駐車した。1時間以内は無料。

弘前城は1990年代後半に登城している。弘前城は修理工事のため、2015年から曳屋の作業が行われ、位置は濠端から内側に移動されたことが、テレビでも紹介されていた。2025年に元の位置に戻るという。門も修理工事中であった。

弘前城。天守。下乗橋。

この先から有料になる。一度登城しているので、入るのをやめて、往路を戻った。

弘前城。二の丸馬場。下乗橋手前に弘前城情報館があり、その東側に二の丸馬場が復元されていた。先程の高照神社にも復元された馬場があったので興味をもった。

 

市立観光館へ戻り、車を外に移動して入り直した。東側に隣接している旧弘前市立図書館と旧東奥義塾外人教師館をまず見学した。

旧弘前市立図書館。県重宝。弘前市下白銀町。

明治39年(1906)5月竣工。この建物は、日露戦争による第八師団関連の請負工事で得た大きな利益を公共に還元しようという堀江佐吉や斉藤主らによって、当時市立であった東奥義塾の敷地に建てられたものである。

設計・施工は堀江佐吉第五十九銀行本店本館落成後の意欲的な堀江佐吉は、当初の設計を大きく変更し規模を約4倍にして、明治39年に竣工した。

木造洋風3階建で八角形の双塔のドーム、正面のドーマー窓、玄関ポーチのペディメントなどルネッサンス様式を基調としながら、随所に和風様式が取り入れられている。明治洋風建築として堀江佐吉の手慣れた手法と卓抜した技術をうかがわせる。

昭和6年(1931)に払い下げられた後、昭和38年からは賃貸アパ-トとして使用されていたが、市政百周年を記念して現在地に移築復原されたものである。

1階は、旧市立図書館の形態を復元し、当時の関係資料も展示している。

2階には、世界遺産・大森勝山遺跡の最新出土品、地方出版物や同人誌の紹介、ビデオによる文学碑めぐりのコーナーなどがある。

旧東奥義塾外人教師館。県重宝。ミニュチア明治建築模型。弘前市下白銀町。

東奥義塾は、藩校であった稽古館を母体に、明治5年に創立された私学で、この建物は東奥義塾で招いた外人教師専用の住居として、明治33(1900)年に建てられた。

木造2階建の建物は東面して建ち、北側が玄関、屋根は赤、外回りは質実堅牢な構成である。上げ下げ窓が多く、屋内は白漆喰を主体とするシンプルな仕上げであるが、外壁の白に付け柱などのオリーブ色、煉瓦の茶は瀟洒なコントラストをなしており、庇の飾りはさらに繊細さを添えている。

設計はメソジスト伝道本部と同校宣教師アレキサンダーであり、施工者が本間俊平である。延床面積は約280㎡である。

館内には、古い時代の家具や調度品なども置かれ、明治期の外国人の生活を再現している。また、1階には喫茶室が設置されており、ゆったりくつろげるスペースとなっている。

ブランコ。

 

旧弘前市立図書館と旧東奥義塾外人教師館を見学したのち、駐車1時間無料の市立観光館へ戻り、車を外に移動して入り直した。次は、近くにある旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)の見学である。

青森県弘前市 高照(たかてる)神社 高岡の森 弘前藩歴史館

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。