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根室市 根室駅 花咲ガニ 北海道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)

2024年07月24日 09時00分22秒 | 北海道

根室駅。

2022年6月14日(火)。

根室市歴史と自然の資料館を10時20分過ぎに出て、根室駅へ向かった。根室駅前に駐車すると、周囲の店では花咲ガニを売っていたが、丸々1匹だと1500円から2000円した。駅前のバスターミナル兼インフォメーションセンターに立ち寄り、案内の女性職員にバラで花咲ガニを売っているところはないかと尋ねた。すると、杉山水産が歩いてすぐのスーパーマルシェで売っていると教えてくれた。ついでに、安いガソリンスタンドはどこかと尋ねると、オカモトセルフが安いと教えてくれた。

花咲ガニ。

駅から歩いてマルシェに着いたが、車で行った方が良かった。杉山水産にはバラがいくつか置いてあった。会計を済ませ、イートインコーナーですぐに食べた。

北海道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)。根室市穂香。

根室駅前の観光インフォメーションセンターで観光パンフレット類を入手し、ガソリン最安というオカモトセルフ根室店へ向かった。店は根室市街地の西外れに位置し、自動車専用道・根室道路の東入口手前にあった。単価は153.4円で、今までの160円以上と比べ安かった。16日に網走市でもオカモトセルフで給油したが、154.4円だった。

オカモトセルフから内陸に入った小高い場所に、北海道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)がある。

北方領土問題についての国内外の世論を一層盛り上げるとともに、北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)に居住するロシア連邦国民との交流の促進を図る拠点施設として2000年2月7日「北方領土の日」に開設されたという。

愛称の「ニ・ホ・ロ」とは、日本(二)とロシア(ロ)をつなぐ北海道(ホ)の交流拠点を意味する。

展望室からは国後島や知床半島を間近に望むことができ、展示室では北方領土の歴史や現状を学ぶことができる。

2階北方資料館。北方四島に関する歴史的にも貴重な写真、書物、地図などを展示している。

明治後期のサケ、カニ、エビ、マスの缶詰レッテルは、特にカニ缶詰のレッテルが多い。カニ缶詰業は明治37(1904)年、当時の高瀬根室支庁長の薦めで和泉庄蔵が国後島で始め、また同じ国後島でエビ缶詰を作っていた碓氷勝三郎も始めた。これらがカニ缶詰の最初ではといわれている。

当時の缶詰の値段は高く主に輸出用だったため、レッテルには英語が多く使われている。

写真最上段の製造元である星野佐紀は明治37年農商務省の「海外実業練習生」に選ばれテレビアメリカへ行き、また昭和5(1930)年には商工省から海外市場調査員を委嘱され世界10余国を回った。根室では明治42(1909)年に五十嵐久三郎と五ツ星缶詰合資会社を設けて、国後島で缶詰事業を行った。

2階には展望室があり、2台の双眼鏡を設置している。

晴れた日には、海の向こうに知床半島や国後島の島影がみえる。

20分ほど滞在したのち、12時30分過ぎにノツカマフチャシ跡へ向かう。途中で根室港に沿って走ると、弁天島が見えたので、車から降りて眺めた。

弁天島は根室港(根室市)にある無人島で、根室港からは北西約200m沖にある面積0.05㎢、周囲1.2kmの小さな島である。高田屋嘉兵衛が島に弁財社を建てたことから、のちに弁天島とよばれるようになった。島全域がオホーツク文化の重要な遺跡となっているほか、現存しないものの、1872年(明治5年)にこの島に建てられた灯台は北海道では最古のものだった

弁財天と市杵島神社

廻船業者高田屋嘉兵衛(1769~1827年)は、択捉島への航路を拓いて成功した。文化年間(1804~1813年)に、高田屋嘉兵衛はこの島に弁財天を祭ったが、この社は1843年(天保14年)に失火が原因で焼失した。再建されたのは22年後の1865年(元治2年)のことで、明治時代に入ると地元の住民が費用を負担して春と秋の例祭を奉斎するようになり、1882年(明治15年)には村社として認められた。

現在の社殿は1958年(昭和33年)建築のコンクリート製のものである。

この弁天社はのちに市杵島神社となり、例年9月15日を祭礼日と定めて神事が営まれている。弁天島は北海道埋藏文化指定地域となっており、ふだんは上陸できないが、この祭りのときだけは根室港から渡し船が出て、上陸ができるようになる。

根室市歴史と自然の資料館⑥ラクスマン根室来航 樺太日露国境標石 花咲線100年



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