ジョン・レノンが撃たれて死んだ時、その衝撃がよくわからなかった。ぼくはご多分に漏れず70年代のギターキッズで、クラプトン少年だった。ビートルズはすでに過去で、ギターキッズとしてはあまり興味を持てなかった。カンタンじゃん、みたいな。そんなことより、ブルーノートスケールをペンタトニックでスローハンド奏法だぜ、てなことに夢中だった。
学生時代にビートルズって何だったのか考えるようになった。下北沢の酒場で仲間たちと、ジョンはメッセージがあるけどポールは音楽家にすぎないよな天才だけど、などと知ったようなことを語り合った。当時のぼくらとしては、ジョン・レノンこそロックンローラーで、ポールはそうじゃない、だけど二人が出会ったことがビートルズというヒットメイカーになったのだ、と結論づけて納得していた。
ロックンローラーとは、メッセージを世の中に問う存在なのだ。だからストーンズも当然ロックンローラーだし、清志郎ももちろんそう。U2なんかもロックンローラーとして認めていた。
ジョン・レノンがImagineなんて曲を臆面もなく歌う様はカッコいいと思った。夢みたいなことを平気で世の中に問いかける。ロックンローラーは理想家で夢想家で現実みてない人で、それがいいのだと。そんな思いの結果が、広告を通じてメッセージを問う仕事につながっていった。実際、コピーライターは音楽やってた人間が多い。ロックンローラーになってメッセージしたいぜ、という意気込みと、現実との兼合いというか打算が、広告という当時すでに立派な産業になっていた世界でコトバを編む仕事につながっていたんじゃないかな。
現実と兼ねあって打算したよな、という自覚があるもんで、どこか負い目持って生きてきてる感じがある。
昨日書いたような道筋でMacに出会った時、感じたのは「これはロックンロールなツールだぜベイビー」という気分だったんだと思う。この箱を手にすることで、自由になれる。メッセージを増幅できる。そんな感触だったんじゃないか。当時、明確にそう思ったとは言えないけど、そんな気分ではあった。
スティーブ・ジョブズは、ロックンローラーなのだと思う。メッセージを発する人がロックンローラーだとすれば、そうなんだ。
ジョブズとビル・ゲイツの関係は、ジョンとポールの関係に相似なんじゃないか。ゲイツは、ソフトウェアの天才だ。でもソフトウェア開発者のすごい人、にすぎない。ジョブズはちがう。彼はコンピュータがやりたかったんじゃない。メッセージを発していた。これを使って自由にいろんなことやってみなよ、そう言っている。コンピュータを通じて、言いたいことがあったのだ。たぶんね。そんなコンピュータ界のジョンとポールがいたからこそ、IT界の繁栄もあるのだと思う。
ロックンローラーはメッセージをたまたま、演奏というツールにのせている。ジョブズはたまたま、コンピュータという製品にのせている。おんなじなんじゃないか。
そうやって考えると、ジョン・レノンとスティーブ・ジョブズはつながっているのかもしれない。ビートルズ時代のメッセージは、Macのメッセージと似ているかもしれない。
例えばこのページに「Dig a Pony」という曲(アルバム"Let It Be"に入っている)の歌詞が載っている。この歌詞を若い頃みて、何が何だかわからなかった。でもこれ、Macについての曲だって解釈できるかも。要するに、君は何で何をやったっていいんだ、ってこと言ってるんだね。それってMacのことだよ。
そうすると、iPadはImagineなんじゃないかな。もう国家も宗教も所有もなくって、みんな兄弟で仲間でひとつなんだと。Imagineのそういう、なんだよ共産主義者かよ、って歌詞も、iPadについてのメッセージなんだと受けとめられるかもしれない。
なんてことは、ちょっと脳みそのお遊びに過ぎないんだけど、ジョブズとジョン・レノンを並べて見ると、いろいろ面白いよ。
ビートルズは"演奏を特別な機械で複製して世界中に売るビジネスモデル”の完成者だ。彼らの登場で、音楽によって世界的なスーパースターってのが有りだね、ってことになった。彼らに憧れる若者がそのあとを追った。そこでは"複製はカンタンにはできないからレコード会社とその周辺産業が莫大に儲かるね”という前提があった。
その構造がインターネットで壊れはじめた時、ジョブズが世界に提示したのがiTunesとiPodだった。そのレコードとかCDとか特別な複製にすがるの、もう終わりにしない?だって複製はもうファイルをコピーすればできちゃうよ。だったらもう、ユーザーの方で好き勝手に複製して利用してもらえるシステムにしない?そんな提案をしてきた。
そしてiPadだ。もうこれに対しては20世紀のスーパースター製造システムは無関係だ。マスメディアなどコンテンツの大量流通を支える産業はいらないことになってしまう。ビートルズのようなひとつのスーパースターが世界中を席巻する、なんてことはiPad上では起こらないだろう。
だたし、誰でも小さなジョン・レノンになれる可能性をiPadは示してくれる。自分の創造性をメディアのフィルター抜きでほんとうに理解して愛してくれる相手を世界中で数万人でも集められれば、クリエイターは表現し続けていけるのだ。それはスーパースターになって世界中のメディアにさらされるより、幸福なのかもしれない。
なんか、いったい何を言っているのだろう、という内容になってしまったけど、とにかくね、スティーブ・ジョブズはロックンローラーなのだと思う。そういうロックンローラーも有り、ってことに、していい?
学生時代にビートルズって何だったのか考えるようになった。下北沢の酒場で仲間たちと、ジョンはメッセージがあるけどポールは音楽家にすぎないよな天才だけど、などと知ったようなことを語り合った。当時のぼくらとしては、ジョン・レノンこそロックンローラーで、ポールはそうじゃない、だけど二人が出会ったことがビートルズというヒットメイカーになったのだ、と結論づけて納得していた。
ロックンローラーとは、メッセージを世の中に問う存在なのだ。だからストーンズも当然ロックンローラーだし、清志郎ももちろんそう。U2なんかもロックンローラーとして認めていた。
ジョン・レノンがImagineなんて曲を臆面もなく歌う様はカッコいいと思った。夢みたいなことを平気で世の中に問いかける。ロックンローラーは理想家で夢想家で現実みてない人で、それがいいのだと。そんな思いの結果が、広告を通じてメッセージを問う仕事につながっていった。実際、コピーライターは音楽やってた人間が多い。ロックンローラーになってメッセージしたいぜ、という意気込みと、現実との兼合いというか打算が、広告という当時すでに立派な産業になっていた世界でコトバを編む仕事につながっていたんじゃないかな。
現実と兼ねあって打算したよな、という自覚があるもんで、どこか負い目持って生きてきてる感じがある。
昨日書いたような道筋でMacに出会った時、感じたのは「これはロックンロールなツールだぜベイビー」という気分だったんだと思う。この箱を手にすることで、自由になれる。メッセージを増幅できる。そんな感触だったんじゃないか。当時、明確にそう思ったとは言えないけど、そんな気分ではあった。
スティーブ・ジョブズは、ロックンローラーなのだと思う。メッセージを発する人がロックンローラーだとすれば、そうなんだ。
ジョブズとビル・ゲイツの関係は、ジョンとポールの関係に相似なんじゃないか。ゲイツは、ソフトウェアの天才だ。でもソフトウェア開発者のすごい人、にすぎない。ジョブズはちがう。彼はコンピュータがやりたかったんじゃない。メッセージを発していた。これを使って自由にいろんなことやってみなよ、そう言っている。コンピュータを通じて、言いたいことがあったのだ。たぶんね。そんなコンピュータ界のジョンとポールがいたからこそ、IT界の繁栄もあるのだと思う。
ロックンローラーはメッセージをたまたま、演奏というツールにのせている。ジョブズはたまたま、コンピュータという製品にのせている。おんなじなんじゃないか。
そうやって考えると、ジョン・レノンとスティーブ・ジョブズはつながっているのかもしれない。ビートルズ時代のメッセージは、Macのメッセージと似ているかもしれない。
例えばこのページに「Dig a Pony」という曲(アルバム"Let It Be"に入っている)の歌詞が載っている。この歌詞を若い頃みて、何が何だかわからなかった。でもこれ、Macについての曲だって解釈できるかも。要するに、君は何で何をやったっていいんだ、ってこと言ってるんだね。それってMacのことだよ。
そうすると、iPadはImagineなんじゃないかな。もう国家も宗教も所有もなくって、みんな兄弟で仲間でひとつなんだと。Imagineのそういう、なんだよ共産主義者かよ、って歌詞も、iPadについてのメッセージなんだと受けとめられるかもしれない。
なんてことは、ちょっと脳みそのお遊びに過ぎないんだけど、ジョブズとジョン・レノンを並べて見ると、いろいろ面白いよ。
ビートルズは"演奏を特別な機械で複製して世界中に売るビジネスモデル”の完成者だ。彼らの登場で、音楽によって世界的なスーパースターってのが有りだね、ってことになった。彼らに憧れる若者がそのあとを追った。そこでは"複製はカンタンにはできないからレコード会社とその周辺産業が莫大に儲かるね”という前提があった。
その構造がインターネットで壊れはじめた時、ジョブズが世界に提示したのがiTunesとiPodだった。そのレコードとかCDとか特別な複製にすがるの、もう終わりにしない?だって複製はもうファイルをコピーすればできちゃうよ。だったらもう、ユーザーの方で好き勝手に複製して利用してもらえるシステムにしない?そんな提案をしてきた。
そしてiPadだ。もうこれに対しては20世紀のスーパースター製造システムは無関係だ。マスメディアなどコンテンツの大量流通を支える産業はいらないことになってしまう。ビートルズのようなひとつのスーパースターが世界中を席巻する、なんてことはiPad上では起こらないだろう。
だたし、誰でも小さなジョン・レノンになれる可能性をiPadは示してくれる。自分の創造性をメディアのフィルター抜きでほんとうに理解して愛してくれる相手を世界中で数万人でも集められれば、クリエイターは表現し続けていけるのだ。それはスーパースターになって世界中のメディアにさらされるより、幸福なのかもしれない。
なんか、いったい何を言っているのだろう、という内容になってしまったけど、とにかくね、スティーブ・ジョブズはロックンローラーなのだと思う。そういうロックンローラーも有り、ってことに、していい?
ビルゲイツは、ディランじゃないっすかね?