最後のブログから9日も経ってしまいました。
それまでは結構な頻度でアップしていましたが、
ピタッと止まってしまったのは・・・
「私あるある」
ちょっと海の底へ沈んでしまって
海底で同じところをグルグルと回り続け
なんだか目も回ってきて
そろそろ上に上がって
息継ぎしないと死んじゃうし
顔をお天道様に向けないと・・・
(紫外線云々とか言ってられない)
顔をお天道様に向けないと
というより、
心をお天道様に向けないと
あかん。
このままではあかんのdeath。
海底をグルグルしている最中は
目に見えぬ皆様と繋がっているこのブログ、
私にとって大切な、「静かなるマイ・ホーム」も遠すぎて
いつもならインスピレーションもバンバン降りてくるのに、
海底はどうも「圏外」らしく、
すっかり
深海魚たちとお友達になりつつも
如何せん私はその世界の者ではない故に
コミュニケーションが噛み合わない。。。
・・・とここまで書いてみますと、
え?深海魚って???
それって「ヤバい人間たち」という比喩で、
ついにAYUKOさんは「ヤバい世界」に足を突っ込んだのか??!!
と思われても仕方ないような書き方をしている。
が、違う。
成り行きで深海魚とかって書いてしまいましたが、
せっかくなのでそれをインスピレーションとして
続けてみましょうかね。
海底に沈み、
同じところをグルグルと回っていた私が言う「深海魚」とは。
それは
私の頭が作り出すイリュージョン、つまり幻想であります。
幻想、ですから、真実ではないのです。
海の底は光が届かないので、
暗闇の中は幻想の宝庫。
光がないので、
そこで作り出される幻想は
暗い怖い幻想です。
じゃあ、そういう暗い怖い幻想を
友達になった「深海魚」といたしましょうよ。
先ほど成り行きで書いてしまった
「如何せん私はその世界の者ではない故に
コミュニケーションが噛み合わない。。。」
こ・・・これは!!!!!
これこそ幻想でなくて真実ではないか?!
海の底というのは、
そもそも私が本来住んでいる場所ではない。
どんなに暗い怖い幻想という「深海魚」とお友達になったつもりでも、
それは本来の私のものではないので、
コミュニケーションが噛み合わない、
「なんか違う。なんか心地よくない。」という感覚。
というのは当然ではないか?!
私・・・天っ才っかも!!!!!!!!
まあ、ある意味、「ヤバい世界」に足を突っ込んだが、
そこに呑まれるほどヤワじゃないぜ、私は。
ちゃんと「分かっていた」ということよ。
の、証明となるではないか。
(まあ、成り行きで書いたはずだったんだけど、
それ自体がもしやインスピレーションだったのではないかと思う。)
こうやって、
ブログを打ちながらも、
既に私は海面に向かい、
お天道様の光の筋が見えるようになってきた。
そのまま飛び魚のように、
ピューーン!!と飛び出せたらいいが、
それはもうちょっと先かな。
もうちょっと海の中にいるかもしれないけれど、
そろそろ「深海魚」たちとはさよならだ。
お天道様の光が差し込むところで、
もう少しゆっくり回っていようかな。
光が差し込むとは
「見える」ということ。
本当の、本来の姿が見える、ということ。
光があるところでは、
今まで隠れていたものも照らされる。
自分が暗い怖いと思っていたものも、
そこに光が当たれば、
真実が見えるというもの。
そして、それらは実は
暗くも怖いことでもなくて、
自分がそのように「思い込んでいた」こと。
暗い怖いどころか、
それらは失ってしまったと思っていた、
私の大切な宝物かもしれない。
本当はずっと今まで
そこでキラキラと輝いていたのに、
私が海底で深海魚にしてしまったものかもしれない。
暗くって怖くって。
深海魚という私が作った幻想のお友達は
それはそれで助けてくれた、のかもしれない。
『「なんか違う。なんか心地よくない。」という感覚』を
味わせてくれた。
それは嘘だ、と。
そいうことを分からせてくれた。
思い出した古いジャズの曲があります。
「On The Sunny Side of The Street」
旋律も歌詞もとても暖かく優しいのです。
歌詞の最初のところだけ是非、ご紹介させてください。
Grab your coat and get your hat
Leave your worries on the door step
Just direct your feet
To the sunny side of the street
Can't you hear a pitterpat?
and that happy tune is your step
Life can be so sweet
on the sunny side of the street
さあ、コートと帽子を掴んで
心配事は玄関先に残して
足を陽の当たる表通りに向けてごらん
足音が聞こえない?
聞こえてくる幸せな曲はあなたのステップ
人生はね 陽の当たる通りでは
それはそれは甘く優しいものになり得るんだよ
これはJudy Garlandが歌っているもの。
そう。
海底でグルグルしながら、
ここ数日、この曲を思い出しましてね。
この曲は「道の陽の当たってる側」ですけれど、
私の今日の話から行けば、
「陽の当たる海面」っていうところでしょうか。
暗い怖い幻想の深海魚は海底に残して
さあ海から顔を出して
太陽へ顔を向けてごらん
そうした時に
人生はそれはそれは甘く優しいものになり得るということを
きっと知ることができる
きっと思い出すことができる
そんな感じでしょうか。
勇気を出して
外に出て
陽に当たってみてください
私も騙されたと思って(って誰に?笑)
海から顔を出してみようかな。
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
プロフィール(なのでラストも少し変わりました)、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も試聴(ミュージカル曲はもうないよ〜)できます!
https://www.ayukosaito.com
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
それまでは結構な頻度でアップしていましたが、
ピタッと止まってしまったのは・・・
「私あるある」
ちょっと海の底へ沈んでしまって
海底で同じところをグルグルと回り続け
なんだか目も回ってきて
そろそろ上に上がって
息継ぎしないと死んじゃうし
顔をお天道様に向けないと・・・
(紫外線云々とか言ってられない)
顔をお天道様に向けないと
というより、
心をお天道様に向けないと
あかん。
このままではあかんのdeath。
海底をグルグルしている最中は
目に見えぬ皆様と繋がっているこのブログ、
私にとって大切な、「静かなるマイ・ホーム」も遠すぎて
いつもならインスピレーションもバンバン降りてくるのに、
海底はどうも「圏外」らしく、
すっかり
深海魚たちとお友達になりつつも
如何せん私はその世界の者ではない故に
コミュニケーションが噛み合わない。。。
・・・とここまで書いてみますと、
え?深海魚って???
それって「ヤバい人間たち」という比喩で、
ついにAYUKOさんは「ヤバい世界」に足を突っ込んだのか??!!
と思われても仕方ないような書き方をしている。
が、違う。
成り行きで深海魚とかって書いてしまいましたが、
せっかくなのでそれをインスピレーションとして
続けてみましょうかね。
海底に沈み、
同じところをグルグルと回っていた私が言う「深海魚」とは。
それは
私の頭が作り出すイリュージョン、つまり幻想であります。
幻想、ですから、真実ではないのです。
海の底は光が届かないので、
暗闇の中は幻想の宝庫。
光がないので、
そこで作り出される幻想は
暗い怖い幻想です。
じゃあ、そういう暗い怖い幻想を
友達になった「深海魚」といたしましょうよ。
先ほど成り行きで書いてしまった
「如何せん私はその世界の者ではない故に
コミュニケーションが噛み合わない。。。」
こ・・・これは!!!!!
これこそ幻想でなくて真実ではないか?!
海の底というのは、
そもそも私が本来住んでいる場所ではない。
どんなに暗い怖い幻想という「深海魚」とお友達になったつもりでも、
それは本来の私のものではないので、
コミュニケーションが噛み合わない、
「なんか違う。なんか心地よくない。」という感覚。
というのは当然ではないか?!
私・・・天っ才っかも!!!!!!!!
まあ、ある意味、「ヤバい世界」に足を突っ込んだが、
そこに呑まれるほどヤワじゃないぜ、私は。
ちゃんと「分かっていた」ということよ。
の、証明となるではないか。
(まあ、成り行きで書いたはずだったんだけど、
それ自体がもしやインスピレーションだったのではないかと思う。)
こうやって、
ブログを打ちながらも、
既に私は海面に向かい、
お天道様の光の筋が見えるようになってきた。
そのまま飛び魚のように、
ピューーン!!と飛び出せたらいいが、
それはもうちょっと先かな。
もうちょっと海の中にいるかもしれないけれど、
そろそろ「深海魚」たちとはさよならだ。
お天道様の光が差し込むところで、
もう少しゆっくり回っていようかな。
光が差し込むとは
「見える」ということ。
本当の、本来の姿が見える、ということ。
光があるところでは、
今まで隠れていたものも照らされる。
自分が暗い怖いと思っていたものも、
そこに光が当たれば、
真実が見えるというもの。
そして、それらは実は
暗くも怖いことでもなくて、
自分がそのように「思い込んでいた」こと。
暗い怖いどころか、
それらは失ってしまったと思っていた、
私の大切な宝物かもしれない。
本当はずっと今まで
そこでキラキラと輝いていたのに、
私が海底で深海魚にしてしまったものかもしれない。
暗くって怖くって。
深海魚という私が作った幻想のお友達は
それはそれで助けてくれた、のかもしれない。
『「なんか違う。なんか心地よくない。」という感覚』を
味わせてくれた。
それは嘘だ、と。
そいうことを分からせてくれた。
思い出した古いジャズの曲があります。
「On The Sunny Side of The Street」
旋律も歌詞もとても暖かく優しいのです。
歌詞の最初のところだけ是非、ご紹介させてください。
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さあ、コートと帽子を掴んで
心配事は玄関先に残して
足を陽の当たる表通りに向けてごらん
足音が聞こえない?
聞こえてくる幸せな曲はあなたのステップ
人生はね 陽の当たる通りでは
それはそれは甘く優しいものになり得るんだよ
これはJudy Garlandが歌っているもの。
そう。
海底でグルグルしながら、
ここ数日、この曲を思い出しましてね。
この曲は「道の陽の当たってる側」ですけれど、
私の今日の話から行けば、
「陽の当たる海面」っていうところでしょうか。
暗い怖い幻想の深海魚は海底に残して
さあ海から顔を出して
太陽へ顔を向けてごらん
そうした時に
人生はそれはそれは甘く優しいものになり得るということを
きっと知ることができる
きっと思い出すことができる
そんな感じでしょうか。
勇気を出して
外に出て
陽に当たってみてください
私も騙されたと思って(って誰に?笑)
海から顔を出してみようかな。
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