goo blog サービス終了のお知らせ 

AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「弱っている時」

2019年02月20日 | 生きていると
という時は、誰しもあるわけで
、心が先か、身体が先か、というのも色々だと思う。
どれだけ弱っているかにもよるけれど、
心がすごく弱れば身体も弱るし、
身体がすごく弱れば心も弱る。

年明けから一ヶ月以上、
私は経験もしたことがないほど身体が弱った。
原因不明の疲労感。
十分に寝ているのに、家族を送り出した後は
ぐったりして起きていられないほどだった。
何か怖い病気にでもなったのか、でも食欲はあるし・・・。
身体の半端ない疲労感は、当然私の心にも影響を及ぼした。
どう頑張っても上がらないのである。
いや、頑張る力さえもなかった。

運動不足が祟ったのだとヨガDVDを購入したものの、手も付けられず。
それでも、この原因不明の疲労感を持ちながら、
日々のことをなんとかこなしていた。

しかし、原因不明かと思っていた、この身体の疲労感には、ち
ゃんと原因があったのだということが、
ある友達のおかげで分かったのだ。
これは、「身体」が先ではなかった。
私の「心」だった。

それは、彼女とある仕事を一緒にさせていただいた日だ。
(その仕事も例の疲労によって、途中、集中も切れて大きなミスまでして、
そのミスもスタッフの方に言われるまで全く気づかなかった。
またある時は、ママ友と集まった時に、
コーヒーに入れるミルクをカップの外に注いでいた。
ちゃんと見てたのに。あり得ない行動に自分でも怖くなった。)

その仕事の帰りの電車の中で、
あまり時間もなくて迷ったのだけれど、
彼女に「聞いてほしいことがある」と、
ここ一ヶ月、私の心の中に棲みついて、
どうにもこうにもそれを解くための出口が見つからない、
私個人的な問題について話した。

彼女は私の話をフンフンと聞いてくれ、
そして、ポツリポツリ、でも率直に、そして正直に、
彼女が感じたことを話してくれた。

そして、私が心の奥で薄々気づいていたけれど見ないようにしていた、
でも今回の問題の核の部分を、彼女がズバリ指摘してくれたのだ。
私はその核の「周り」を、ずっとグルグルしていたのだということに気づいた。
だから出口など見つかるはずもない。

私たちは、生きていれば色々なことに悩む。
それが自分以外の人を含んでいる場合も、
結局、問題の核の部分は「自分」なのだと思う。
「すべて自分が悪い」という意味ではなくて、
感じている苦しみの原因が何かを知りたい時、
自分の奥、「真実」に到達しなければいけない。
「私の本当のところはなにか?」という問いなのだと思う。

その友人は、私が迂回していた「本当のところ」を
「こっちではないですか?」と直接指差してくれたのだ。
そして、それをしてくれた時、私の心は一瞬にして晴れた。
自分の中ですべて解決したわけではない、
ただ私は降伏したのだ。
そして、魔法のように長きに渡った心身の緊張が解けたのだ。

向き合いたくないこと、でもそれが苦しみの原因であった。
私はそれと「向き合わないこと」にずっと凄まじいエネルギーを使っていたのだ。

「あゆちゃんのその疲れって、このことが原因なんだと思うよ」と。

その日、私にはようやく出口が見え、緊張がほどけ、
やっと「本当のところ」と向き合えるようになった。
日に日に身体は以前のような調子に戻り、
そこに(ようやく)ヨガも加え、
「出口は見えたはいいが、ここからどうしよう?」という新たな課題はあるものの、
苦しみがないということは「この方向は合っている」ということだ。

身体にしても、心にしても、
痛みや苦しみがあるということは、
「何か方向が間違ってますよ」というサインなのだと思う。

私の場合は(去年の急性胃腸炎じゃないが)
「お前、気づけ、ボケ!」という罵声を一ヶ月以上浴びて、
ようやく友人の言葉(まさに天からの声)で持って、気づかせてもらえた。

自分の「本当のところ」というのは、
自分だからこそわからななかったりする。
ずる賢い別の自分が、巧みに隠したりするから。
でも、「本当のところ」は本当は恐れるものではなくて、
勇気を出して向き合ったときに、
優しく「こっちだよ」と、
「本当にのぞむ幸せと成長の道」を指してくれるのではないかなあと思う。




<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

歌手AYUKOのページはこちら♪

「人は自分の鏡・・・?」

2019年02月18日 | 人との関わり(愛とか)
「人は自分の鏡である」とよく言われるけれど、
果たしてそれはどういう意味だろう。

例えば、自分にとって「嫌だな」とか、
すごい反感を感じる人がいたとする。「
人は自分の鏡」という言葉をそのまま当てはめると、
自分にその「嫌だな」という部分がある、ということになる。

が、しかし。多分そういう単純なことではない。

かつてヒーリングを一年間学んだ時に、
「シャドウ」というものを徹底的に学ばされた。
シャドウというのは心理学用語であると思われるが、
誰かにネガティブな感情、反感を持つ時、生理的に「ウッ」と来る時、
それは自分のシャドウがその人に投影されている、ということらしい。

例えば。これは私も今でもよく覚えていることなのだが、
先生に「例えば、電車で自分の荷物を膝に置かないで横に置いている人をどう思いますか?」
と聞かれたことがある。
実はそれ、まさに私にとって「ダメな人」で、
その頃はどんなに座席が空いていようが、
私は徹底して荷物は自分の膝の上に置いていた。

つまり、簡単に言うと、シャドウとは
「自分が、やってはいけない、こうはなりたくない」という、
ある種の『自分への戒め』を、
『やってのけている』人に対して表れるのである。

そもそも、良い、とか、悪い、という判断というのは、
相対的かつ個人的なもので、
事象や人の行為というのは
「ただ、ある、起きている、やっている」というもので、
そこで人の判断でもって色付けされる。

先の「電車で荷物を横に置く人」に対して、
迷惑だなあと思う人もいれば、何も感じない人もいる。
私のように、迷惑だなあで収まらず「反感」まで感じるというのは、
まさにシャドウである。
つまり、突っ込めば、
私の場合は「行儀よくしなければならない」というのが根本にあり、
荷物を横に置く人は「行儀の悪い人」であり、
自分の個人的戒めを見事に破っているその人への私の反応は、
私のシャドウの反応ということになる。

他の例を出してみよう。

「やたら熱い人」にイラッとしたり、反感を持つ人がいるとしよう。
(例えば、松岡修造さんみたいな、笑)
私なんかは暑苦しいなあと思いつつも、なんとも思わないというか、
むしろ好きなくらいで、あそこまでストレートに熱いと逆に気持ちがいい、なんて思う。
でも、それに対してシャドウを持っている人は、
自分になんらかの理由で「熱くなってはいけない。」という戒めを持っている。

で、大事なのはその「なんらかの理由」の部分だ。
なぜ、熱くなってはいけないのか?
熱くなる、ということ自体には良いも悪いもない。
だが、なぜ自分は熱くなってはいけないのか?
かっこ悪いから?
じゃあ、なぜ、熱くなることはかっこ悪いのか?

・・・なーんてことを、
ただただ「あいつ嫌い」とか「うざい」とか「苦手」で終わらせずに、
(ちょっと面倒だけど)突っ込んで行くと、
自分が長きに渡って課してきた「制限」が見えてくる。
もちろんその制限を自分の大事なこだわりとして持ち続けてもいいし、
「なーんだ、窮屈だから、やーめた!」という選択もできる。

「人は自分の鏡」というのは、多分、
自分が人のどの部分に対してどのような反応をするか、というところで、
人は自分の鏡になってくれているということなんだろうと思う。

ちなみに例の、電車の座席で荷物はどこに置くか、っていう、
私がやたらこだわっていた件だが、あれはやめた。
行儀の良さ、とか、人の目というのは、今でも私にとっては大事なんだけど、
それはTPOに応じてわきまえれば良いわけで、
今では、座席が空いていれば、横に荷物を置いちゃうこともある。
で、何から解放されたかというと、
荷物の重さからというより、自分を縛っていた戒め、ルールからだ。

なので、皆さん、「うっ」と思う人に会った時、
一度、なんでだろう?って考えてみてはどうでしょう?

A Whole New World~♫が見えてくるかも?



<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

歌手AYUKOのページはこちら♪

「背中」

2019年02月17日 | 人との関わり(愛とか)
(前の投稿「スキンシップ」からの派生版)

年が明けてから一ヶ月以上、
私は心身の調子が非常に悪い日々が続いて(今は元気。Yogaのおかげか!?)、
どんなに寝ても疲労感が取れず、気持ちも上がらず、
毎日がとても辛かった。。

そんなある日のこと、幼稚園のお迎えの時、
あるママ友が、(私がよほどひどい顔をしていたのだろう)
「あゆ姉、最近調子よくないの?大丈夫?」と言って、
私の背中をさすってくれた。
それがあまりにも温かく気持ちが良かったので、
それを彼女に伝えたら、
「えー!あゆ姉はいつもやってくれるよー!」と。

なんと、無意識に私は人の背中をさすっていたのか!
こんな気持ちがいいものだったとは!
背中をさする、さすってもらうって、
まさに即行で短時間(数秒)でできるヒーリングではないか!

確かに、背中というのは、
背、何かを「背負う」ところだ。
それは、目に見えない何かだって背負ってしまう場所だ。
だから肩こり、背中のこりっていうのは、
そのような「気」がたまって起こるのかもしれないなあ。

だからそんな時に、
誰かが「大丈夫?」と優しい気持ちで背中をさすってくれた時、
背中に埃のようにこびり付いていた、
背負ってしまっていた「気」が、
フワ〜〜っと溶けて分解されるのかもしれない。

そして、自分の心身がどれだけ緊張していたかに気づく。

hugにしても、背中をさする、にしても、
心身共に誰かの愛情を受け取ったり、与えたりする行為は、
人間ができるとっても幸せな行為だなあと思う。



<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

歌手AYUKOのページはこちら♪

「スキンシップ」

2019年02月16日 | 人との関わり(愛とか)
って大事だなあと思う。男女問わず、老若男女問わず。

なぜならとてもホッとするし、心が温かくなる。
フーッと身体の緊張が解けて、心も柔らかくなる。

なぜ急にこんなことを思ったかというと、
(facebookで)学生時代のアメリカ人の友人の投稿を見て。
彼はいつも奥さんとか家族との温かい写真をアップするのだけど、
そこから「アメリカ文化」→「スキンシップ」という順でここに来た。

思えば・・・私は高2で一年間アメリカに留学したのだが、
その前にちょっとアメリカ文化や習慣を学ばされた気がするのだが、
当時、日本ではまだ「hug」というのが出回って(!)いなくて、

「アメリカではhugという挨拶の習慣があって、
お互いにギュッ、とかギューーとかって抱き合うらしい」

というのを知って、ザワザワした覚えがある(笑)。

「そうか、hugっていうのをするんだ」と心に刻み、いざアメリカに行くと、
いきなりホストファミリーはhugをしてくるし、友達同士でもやるし・・・
「うわあ!これかあ!本当にやるんだあ!」と
(心の準備はしていたつもりだが)衝撃を受けた。

私の留学時代の高校生活というのはカルチャーショックも含め、
かなり辛いもので(周りが意地悪だったとか、そういうんじゃない)、
ほぼ毎日家に帰って来たら、Momの前で大泣きしていた。
その度に彼女は抱きしめてくれた。
彼女に限らず、その一年間、
私はどれだけたくさんの人にたくさんhugをしてもらっただろう。

世界には色々な文化があって、
個人的に受け入れられないものもあるかもしれないけれど、
アメリカで教えてもらったhug文化は
私にとっては、「これはいい!」というものだった。

トントンッ、とか、ギュッ、とか、ギューーーとか、
それをやる方もやられる方も、ふっと心が軽くなり、あったかくなる。
不思議だなあ!

先に述べたように、私も最初は「衝撃」を受けたわけで、
日本のオリジナル文化では、そうそう軽々しく人に触れたり、
ましてや抱きしめるなんていうのは、
お母さんと子供の間でくらいしかなかったのだろうと思う。

けれど、私が留学した時代から30年近く経った今では、
日本でもhugが、またhugという言葉自体も、浸透してきたように見える。

もちろん抵抗のある人(嫌だ、というより恥ずかしい?)もいると思うけれど、
純粋な愛情のあるhugを(多分、人間の本能的に)
「不快だ」と思うひとはいないんじゃないかなあと思う。

友達同士ても、親子でも、恋人同士や夫婦でも、
関わりの違いこそあれ、「温かいスキンシップ」というのは、
心を通わせるのと同じくらいに、大事なものだろうなあと、
改めて感じた今日である。




<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

歌手AYUKOのページはこちら♪

「お金で買える贅沢」について

2019年02月12日 | 生きていると
贅沢というのは、
「本当にたまに」だから贅沢と言えるし、
何を持って贅沢というかは
それぞれの「お財布事情」によると思う。

でも、お金で買える贅沢というのは、
それができる環境ならば
(例えば、うちだったら今日は豚肉じゃなくて牛肉とか、ふふふ)
ちょっとした幸せ感と素敵な気持ちを味わえる。
だから、私はお金で買える贅沢とか、幸せ感って、全然否定しない。

しかし世の中には想像を絶するような大富豪の方々がいらっしゃるわけで、
ホリエモン程度なら「ホンダのジェット機買いました」とかって得意顔になっちゃうけど、
世の中にある、お金で買えるものは全て買えます、
買いましたという人たちもいるわけだ。(多分)

そういう人たちにとっては、
もはや「お金で買える贅沢・幸せ」というのは無いのである。
そういう物質的豊かさの究極まで行った人たちというのは、
きっと「お金では買えない贅沢・幸せ」を探し求めるのだと思う。
なぜなら、人間はやっぱり
「たまにあるからこその贅沢」を欲するものなのだと思う。
それは「自分に対してのご褒美」と言っても良いのかもしれない。

物質的豊かさへの欲望というのは、
キリがないものなのだろうなあと思う。
お金がある人ほど、もっともっと、となるのではないのだろうか。
特にマネーゲームに没頭している人たちはそうだろうと思う。
でも最終的には「頭打」が待っている(ような気がする)。
お金が溢れかえっている状態が普通になってしまうから、
もはやお金と幸せが結びつかなくなる。
もしくはお金を失う恐怖を常に持っている。
で、「本当の幸せとは」っていう問いが、
私レベルとは全然次元の違うところで、
彼らは悩むのだろうなあと。

なんてことを書きながら、
「足るを知る」という言葉があるけれど、
これは「贅沢の余地を残しておきなさい」とも取れる、
と勝手に思ってしまった。
あくまでも物資的なことだけれど。
それって、幸せなことではないか。
「わーい!焼肉だ!」と言える自分。

しかし一方では、今日、明日の生活もままならない、
食べ物もままならないという人たちが世の中、世界に存在する。
その人たちにとって、お金とはどんなにかありがたいものであろうか。
どんなにか必要なものであろうか。
世界にはお金で買える幸せが必要な人たちがたくさんいる。
食べ物だったり、住むところだったり、学校だったり、水道だったり・・・

「その人たちのことも考えて、身の程を知れ」ということを言いたいのではなくて、
お金が無価値となってしまう大富豪よりも、
(レベルの差はあれど)物質的豊かさも、精神的豊かさも、
「ああ、ありがたい。幸せだなあ。」と同じように思えるような、
そういうところにいるのが人間にとって
「最高の幸福」かもしれない・・・
それが、とても難しいところなのであろうけれど。

そして、その難易度というのは、
その人の「心の豊かさ」が鍵を握っているのだろうなあと思う。
どうでしょう?



<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

歌手AYUKOのページはこちら♪