一つ前の投稿では
恋愛における「自分をそれでも、大切にし、愛し続ける」
ということについて試される
「恋の修行・苦行」なんかについて勝手なことを書きましたが。
誰かを好きになる時は、
男性なり女性なり、
その何十億分の一と出会う訳だから、
私自身はそこに何かしらの運命のようなものを感じる。
「たまたまだけど、たまたまじゃない」何かがあるようが気がする。
でも、二人の「行く末」も運命として決まっているか、
となると、私はそうは思っていない。
「現時点」から見た「可能性」
というのはあるかもしれないけれど、
「現時点」というのはどんどん変わっていくものだ。
そういう意味では、恋愛に限らず、
どんな人との関わりも、その先は正直「わからないのだ」。
「現時点」の連なりが
未来へ繋がってゆくのだと思う。
だから、人との関わりというのは、
「相手と共に」道を創る・選択していくという、クリエイティブ活動である。
誰かと出会って、
そこで惹かれ合うというのは魔法のようなもので、
そこに「小さな愛の種が一つ」ポッと現れる、
そんな想像を私はする。
でも、この種が土から芽を出し、成長し、
花を咲かせるかどうか、
またどんな花を咲かせるかは、まだ未知の世界であり、
限りない可能性だけが待っている。
それこそが誰かと愛を育むことの妙味であり、
なかなか芽が出なくとも、
なかなか花を咲かせてくれなくても、
その小さな愛の種がまだ「在る」のであれば、
それがどんなプロセスであろうとも、
どんなに時が経とうとも、物語は続くのだ。
愛の種が姿を消す時、
それは種が腐って死んでしまったからではない。
愛の種が使命を全うした時だ。
関係がどんなものであったとしても、
お別れがどんな形であったとしても、
二人の間に小さくても確かにあった愛の種は、
いつの日か、
それぞれの心の中で感謝という愛の花を咲かせる
・・・そんな風に私は思っている。
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恋愛における「自分をそれでも、大切にし、愛し続ける」
ということについて試される
「恋の修行・苦行」なんかについて勝手なことを書きましたが。
誰かを好きになる時は、
男性なり女性なり、
その何十億分の一と出会う訳だから、
私自身はそこに何かしらの運命のようなものを感じる。
「たまたまだけど、たまたまじゃない」何かがあるようが気がする。
でも、二人の「行く末」も運命として決まっているか、
となると、私はそうは思っていない。
「現時点」から見た「可能性」
というのはあるかもしれないけれど、
「現時点」というのはどんどん変わっていくものだ。
そういう意味では、恋愛に限らず、
どんな人との関わりも、その先は正直「わからないのだ」。
「現時点」の連なりが
未来へ繋がってゆくのだと思う。
だから、人との関わりというのは、
「相手と共に」道を創る・選択していくという、クリエイティブ活動である。
誰かと出会って、
そこで惹かれ合うというのは魔法のようなもので、
そこに「小さな愛の種が一つ」ポッと現れる、
そんな想像を私はする。
でも、この種が土から芽を出し、成長し、
花を咲かせるかどうか、
またどんな花を咲かせるかは、まだ未知の世界であり、
限りない可能性だけが待っている。
それこそが誰かと愛を育むことの妙味であり、
なかなか芽が出なくとも、
なかなか花を咲かせてくれなくても、
その小さな愛の種がまだ「在る」のであれば、
それがどんなプロセスであろうとも、
どんなに時が経とうとも、物語は続くのだ。
愛の種が姿を消す時、
それは種が腐って死んでしまったからではない。
愛の種が使命を全うした時だ。
関係がどんなものであったとしても、
お別れがどんな形であったとしても、
二人の間に小さくても確かにあった愛の種は、
いつの日か、
それぞれの心の中で感謝という愛の花を咲かせる
・・・そんな風に私は思っている。
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