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AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

私にとっての歌とは あの頃と今

2022年07月30日 | 音楽と歌と私と・・・
私は30代前半、
なんの興味もなかったのですが
ご縁があって、ある先生のもとで
一年間ボイス・ヒーリング(声の波動を使ってヒーリングする)を
学ぶことになりました。

ボイスヒーラー養成講座であったわけですが、
ヒーラー?は?私が?という「場違い感」のもと、
そこからの一年は私にとって人生の転機、
というか、心の中の最大のシフトが展開されたのでした。
(それについては過去にいくつかブログに書きました)


さて先日、
その先生(と言っても一才年下、で、今はお友達、で、今はヒーリングはとっくに引退されて、
内装の会社の社長をしていらっしゃる。バリバリの超やり手ビジネスウーマン)と、
当時の仲間、今も大っ好きで大切な友達、の三人で、
(三人で集まるなんて10年以上ぶり?)昼飲みをしました。
(まさかの8時間@サイゼ in 恵比寿)


後半、あの頃の話になったのです。
つまり20年近く前になります。


そして、(先生が)私に初めて話してくれたことがありました。


先生とは全く繋がりのないある人から、先生の話を聞いて、
けれど私はとても興味があったので、
本当に「好奇心」で彼女にヒーリング&カウンセリングセッションをしてもらいに会いに行きました。

当時、歌のことで今後どうしようと悩んでいたので、
そのことについて相談でもしてみようと。
(本当にその程度)


ここからが初めて知ったこと。


私が現れて、彼女が最初に見たものは
私の母(後で実際の母に会って、それは私の母であったことを確信したらしい)が
私の背後から覆いかぶさるようにいて、
私を鎖のようなものでグルグル巻きにしているような姿であったと・・・


その後私と話をしている間も
「あなたは裏切らないわよね。あなたは裏切らないわよね。」という言葉が
母から聞こえていたという・・・



この下りだけだと
『うしろの百太郎』か!という怖さ。

いや、私も怖かった。



初めて聞いた。
だけど、今なら分かる。
よく分かったよ、これまでのことが・・・



その時に先生は
「ああ、これをなんとかしてあげないと、この子は歌えない」と思ったそうだ。

私がわざわざアメリカの音大に行ったのも、
「お母様から離れるため」って後に言われた。
その時はさっぱり意味が分からなかったけれど・・・


母は、成功し大変裕福な作家(母にとっての義父)の息子(つまり私の父)のところに嫁いだ。
昭和時代のお話。

細かい話は割愛するとして、
先生曰く「お母様は本当に必死だったと思う」と。



母は必死であった・・・か。

自分も子供も「きちんと」「ちゃんと」していなければならない。

小さいながらも、私は母の夢と希望と期待を一身に受けているのは
無意識でも感じていたと思う。

「ここに嫁ぐこと」によって
彼女が諦めなければいけなかった夢、
諦めなければいけなかった自由、
諦めなければいけなかった自分。
でもそれに対してどうすることもできなかった自分。
「なんにもない自分」・・・。

私は母の「夢」だったのだ。
それは分かっていた。
私は母の夢を背負っていたこと。
母が叶えられなかった夢を私が叶えること。
母の代わりに生きること。

思えば私はいつも一生懸命だった。
無意識に、一生懸命だった。
それは母の夢と希望を背負ってのことだったのだろうか。


私はいつも「ちゃんと」していた。
私はいつも頑張っていた。
ぎゅーぎゅーに縛られていることも感じず、
当たり前のように。
だからいつも疲れていた。

それ故だったか、感情の起伏がひどかった。
特に落ちる時はひどい落ち方をしていたな。


小中高の友達に聞けば
「あゆちゃんはいつも頑張ってた」って口を揃えて言うんじゃないだろうか。


でも、頑張るのはいいことだと思っていたし、
ちゃんとしていることは、もはや「当たり前」のことだった。


かと言って、私は頭の固い優等生というわけでもなく、
また母はそれよりもむしろ、
「勉強はできるが、しっかり外で遊んでる」のがかっこいいと思っていたので、
中高の時は驚くほど自由を許してくれていた。


・・・と書きながらも、
ああ、私は「母の代わりに青春やってたのか」と思い始めた。


お嬢様的な感じを身につけることも、
ちゃんとしているように見せるのも、
まあ、一つの処世術のようなもので、
それらは決して悪いものではなく、
役に立てられるものだ。


問題なのはメンタルの方。



先生から先日「まさかの怖い話」を聞いてからの、
でも腑に落ちての、
今、思うことね。



私は小学1年生の時に松田聖子に恋に落ち、
そこからLPが出る度に父に秋葉原で買ってもらい、
全曲歌詞を覚えるまで歌うようになり、
中1からはそれが洋楽に移ったわけですが、
やることは同じ。
いつしかLPはCDへと変わっていき・・・。



私にとって歌は・・・



自分の心を自由にできる唯一のツールだったのかもしれない。
そこだけは「ちゃんと」しなくていい。
そこだけは私は自由に曲を選び、
自分が思い描く憧れの世界に浸れる。
もしくは「憧れの自分像」みたいな・・・


先に書いたように、
私の感情の動きというのは
辛いほどのものでした。
(今思えば。)


そういう感情を声に乗せ、
その声を歌やメロディーに乗せて、
「外に出してやる」というのが
どうしても必要だったのだと思います。


音楽、というより「歌」なの。
ピアノもやっていましたが、
言葉があり、メロディーがあり、声を使う、
歌である必要があったのだと思います。


中高の時に(英語)演劇部に入ったのも、
何かの形で安全に感情を出す必要があったからかもしれません。


少し前にある人に
「歌があって良かったですね」と言われたのですが、
今になって、ああ、そういうことか、と。



自分の中で渦巻く感情を「外に出してやる」必要があった、
と書きましたが、
私が一つのジャンルにこだわらずに、
色々なジャンルを歌っていたのも、
もちろん、それは勉強も兼ねていましたけれど、
外に出してやらないといけない心の中のもの、
満たしてあげないといけない、心の中で描いていた色々な世界、
をカバーするには、
一つのジャンルでは足りなかったからかもしれない。


2016年に5年間の休業を経て復帰した時に、
初めてディズニーやミュージカルのナンバーをやったのも、
「まだカバーしなきゃいけない私の内なる世界」があったからかもしれない、
と今だから思ったり・・・。



私は自分のために歌わずにはいられなかったのでした。
自分を救うために。
自分を守るために。


そして、自分を「証明」するために。


人のためなんかじゃなかった。
自分のために。
自分の存在証明のために。


でも、それも
30代前半で終わりました。


それは色々な理由がありましたが、
自分を守るための、
自分証明のための歌であるならば、
もういらない、
そういうことだったのかもしれません。


先生から先日聞いた初めての話、
実はその後数日尾を引きました。
すごく考えてしまったのですね。

母のこと。
母と自分。
絆なのか、鎖なのか。


そして、今も、無意識のうちに何かが残っている・・・きっと。


それが急に怖くなってしまってね。


私は未だに「母の夢全部を背負って生きているのか」と。

じゃあ、「私」は一体どこにいるのか。
「私」って誰なんだ。


ってね。


でもね。それを突っ込むのはやめた。
今の私は、十分に今の私だ。
ここまで成長し、ここからも成長する私がいる。
肉体の年齢は50歳だけど、中身の成長にはそんなの関係ない。



こうやって
満を持して(?)先生からの話を聞いて
過去を振り返ったり、今の自分の確認をしたり、
そうやって、ちゃんと大切な機会を与えられているということは、
ここからの自分の成長過程も信頼すればいいじゃないかと。


誰もが、父と母から影響を受ける。
それは避けられない運命だ。
たとえどちらかが不在、どちらも不在で育ったとしても、
不在としての父と母がいる。

みんなにいる。


良い影響だか、悪い影響だかなんというのは後付けで、
「今の自分」の幾らかの割合はそれで形成されている。
でも結局、じゃあ、どうする?というのは自分の選択で。

恨むも、感謝するも、
「今の自分」をどう捉えるかだと思う。


母は母で懸命だった。
彼女の夢と希望という情熱でもって私を懸命に育てた。
それを全て背負ったのはなかなかのアレだったし、
頭と心への打撃も相当で、思えば、多分それで30代にパニック障害という形で
爆発したのではないかと、色々今になって辻褄が合ってきたけど、今も生きてるし、
そういう「執着という情熱による縛り」がなければ
私は歌を必要としなかっただろうと思う。


つまり歌手AYUKOは誕生しなかったわけよ。



そしてね、
かつてのように
「自分を救うために、守るために、証明するために歌うこと」は
もう必要なくなった今、


私は今度は自分の意思で、
自分を自由にする。


二つ前のブログ『パンドラの箱〜あの時の私が諦めたこと、そして夢』に
書いたように、

誰に言われたのでもない、
自分が本当にやりたいことを「ちゃんと」やる、笑。
(これこそ正しい「ちゃんと」。)

音楽を通し、歌を通し、
好きなように、自由に、表現をする。
そういう本当の自分をさらす、
という意味で、
私は人のために歌いたい。
ここからは。


母の夢から
私の夢へ。


かなりタフな基盤を作ってくれたのは母。
母を許すこと。
母に感謝すること。
そして私を許すこと。

今だから。


親はどんな形であれ、
「愛」について教えてくれることは確かだ、と思うのです。


どう学ぶかは
自分次第。


そしてね、
私の母はそれでも、ちょっと(相当?)形が崩れていたとしても、
精一杯私を愛してくれた、
いっぱいいっぱいのところで、
愛してくれたのだということは、
私は忘れてはいけない。




そして今、もう一つ先生に当時教えてもらったことを思い出しました。

一人一人が「愛のビーカー」を持っているとして。
親の愛のビーカーはいつも満杯ではなくて。
(愛が)足りないんだって。
だから、こちらから(愛を)注いであげて、
そこから溢れてきたものをこちらはもらうんだ、って。


皆さんはこのお話をどう思いますか。










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パンドラの箱〜あの時の私が諦めたこと、そして夢

2022年07月19日 | 音楽と歌と私と・・・
昨日のブログ『自分の「本当の好き」を見つける』で、
私はここからアーティストとしての歌手としてやっていく上での
課題について書きました。

善は急げ?

急ぐ必要はないのですが、
私は昨日から早速「私の好きな音楽徹底解析」を始めました。

パソコンのPagesを新規で開き、
色々なカテゴリーを作りながら
これまで自分が好きになった音楽、
歌った曲を振り返り、カチャカチャと打ち始めました。


その作業を始めると止まらないのでした。
つまり、私は「今やりたいことをやっている」ということです。


私もやり出すと、
炭二郎に負けず劣らずの(いえ、劣りますが)「全集中」が可能になるのですが
久しぶりに脳みそをフル回転したがために


疲れた・・・。


が、やる気は満々でして、
今朝もその全集中でもって解析を進めました。


私はこれまである意味、
その場その場で「歌いたい曲」を選んできたので
このように客観的に自分の傾向やスタイルを
分析、解析をするのは初めてです。


ですが、
色々なものが早速見えてきました。


その場その場、と言いつつも、
(当たり前ですが)好みがあるわけで、
その傾向がはっきりと見えてきた。


音楽的にです。


「〜だろうな」と薄々分かっていたのが
「やっぱりな」という感じです。


始動二日目で随分と見えてきましたよ。
(全集中のなせる技、ふふ。)
でもまだ分析段階ですから、
ここから実技といいますかね、
ここから「オリジナルに落とし込む」作業、
つまり頭だけではできないクリエイティブ作業が待っています。
きっと一筋縄では行かないと思います。


でもね、やらないといけないのです。

やってみないと分からない。
(曲を)書いてみないと分からない。
だからまずはやるしかない。



そんな感じで腹を括りましたよ。



そして私は驚くべきことに気づいたのでした。
過去に封印したことすら忘れていたことでした。
当時、私は封印したつもりはなかったのです。
でも・・・私は封印したのですね。
あの頃。



昨日今日と色々分析してみるとね、


私はやっぱりSoul Musicが大っ好きなんだ。



ということが分かりました。
いや、私に近しい人々たちにしてみれば、
「は?今更何言っちゃってんの?そんなの明らかじゃない。」かもしれない。


けれど、
私の中では違いました。
もちろん大好きなのだけれど、
自分がその音楽を本気でやることは・・・



私はとうに諦めていたのです。



そうだ。
あの頃、私は「諦めた」んだ、と。


それに気づいたのでした。
「諦めた」という言葉が出てきた時に
正直、私はびっくりしました。



そこから私は遠い過去を思い出しました。



ボストンでの音大時代。
入学してすぐに観たGospel Choirのコンサートに衝撃を受け、
私はすぐに虜になって、そこからあらゆるSoul Musicを聴き始めました。
「私もあんな風に歌えるようになりたい」という一心で。


本場アメリカで、しかも音楽の専門大学。
「本場のSoul Singer」が周りにたっくさんいるわけです。
今更何を学ぶ必要があるの?っていうくらいすごい歌手もたくさんいました。


私はというと・・・


自分は日本人で、それを聞いて育ったわけもなく、
何から何まで最初から身につけなければいけない。


叶いっこないじゃん。
彼らに。


劣等感です。
凄まじい劣等感。


それでも虜になって、大好きになって、
私なりにとにかくいっぱい聞いて、練習して、
2年生ではようやく「夢のGospel Choir」の試験に受かって・・・


頑張ったさ。


なぜなら、大好きだったから。


なかなか伸びなかった歌のスキルも
3年生で出会った先生のおかげで
卒業する頃までには随分と身につきました。


けれど、
私はいつも「私はまだまだ」だった。
決して自信を持つことはできませんでした。
最後まで劣等感を手放すことはできませんでした。



そう。
それはね。


私自身が自分に偏見を持っていたからです。


日本人だし。
彼らの音楽に手を出すこと自体が図々しい。
恥ずかしい。
彼らみたいになれるわけないだろうが。
真似っこにしか見えないよ。
かっこわる。


そしていつしか
本当に「必死に真似している」自分に気づいて、
それ以上Soul Musicを追求するのはやめました。

でもずっと好きで、
ずっと歌っていたけれど、


今度は帰国した時に、
レコードデビューを狙っていましたが、
結局「日本語で歌わないといけない」と言われ、
そういえばとあるレコード会社のA&Rに声をかけられて
デモとして当時華々しくデビューしたUAの歌を歌わされて、
随分と違和感を感じたなあ。


アメリカの音楽が好きで
わざわざアメリカまで勉強しに行って、
なぜアメリカ由来の音楽を
日本語で歌わなきゃいけないんだ。



そうじゃないと売れないから。
(日本はそういう時代が長く長く続きましたね。
今も相変わらずその傾向は強いですが、
今は発信の仕方がたくさんあること、
多様性の広がり、自由があります。)



私はその辺りで、
多分、全部諦めたのです。


自分がアーティストとしてやりたいことを。
オリジナルを書くという発想もなかったですしね。
時折やるLIVEで好きなものを歌って
後は職業歌手として(こちらは)色々活躍させていただきました。




そして時間は過ぎて
時は今。


学生時代から30年経った今、
私は新たに本気で音楽をやろうとしている。


私の「オリジナルの世界」を音楽で表現しようとしている。


そしてね、
あの時の私と違うところは、



彼らみたいにならなくてもいいじゃないか。
っていうかなれないし、なる必要もない。
私のスタイルで私オリジナルのSoul Musicをやればいいじゃないか。
言語だって英語で書きたいならそうすればいいじゃないか。


だって、好きなんだから。




っていうところに辿り着いたということでしょうか。
そして、今は、自分が持っているもの、培ってきたものに、
ちゃんと健全な自信を持っている。(認めることができるようになった)



そして冷静に考えてみますと、
クラシック音楽はヨーロッパの人たちにしか演奏ができないのか。
いやいやオーケストラでもオペラでも
世界中の人がやっているじゃないか。
きっと、好きだからでしょ?
オペラだってその元々の言語でやってる。
だって、多分、それが一番美しいから。



私はアメリカ由来の音楽を
日本語で歌うことを否定しません。
それはそれで「新しいジャンルのへ挑戦」であり、
多くの日本のアーティストたちが
切り開いてきました。


ただ、私の場合は、

それらの音楽を英語で歌うのが好き。



というだけの話。


「〜が好き、というだけの話。だからそれやる。」に落ち着くまで
あ〜あ、30年もかかっちゃったよ。



自分への偏見や劣等感や自信のなさ・・・
周りにどう見られるか、どう評価されるのか・・・
オリジナルなんて書けないという思い込み・・・
それらが「好きを追求する」をずっと妨げてたのでした。



でも今回の作業で
パンドラが開いて
中から出てきたものがこれだったとは
私は予想もしていませんでした。



でもあの時「諦めた」自分を許そうと思う。
そうするしかなかった自分を。



けれど私はまだ生きている。
生きているということは、
「あの時できなかったことに挑戦できる」
ということです。



そしてもう一つ思い出したこと。


30代の頃だったでしょうか。


「私は一度でいいから
本気で音楽に取り組んでみたい。」


ということを思いました。
それはその結果として成功する、しない、よりも
何よりも、
私の「夢」だったのではないかと。



その夢を叶えるチャンスが
ようやく訪れているのかもしれません。





本来パンドラの箱というのは
「触れてはいけないもの、
実行すれば何が起きるか分からないもの」
という、ちょっとおどろおどろしい意味らしいですが、


私のパンドラの箱は
開けてもらうタイミングを
ずっと待っていたのかもしれません。


今だから触れられるもの。
そこに新しい発見をする。




怖くないやい!





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自分の「本当の好き」を見つける

2022年07月18日 | 音楽と歌と私と・・・
前回、前々回と
「ついに真っさらな更地になり、
なんにもない、なんにもない、全くなんにもない」
というのが
今の私の世界であると書きました。

厳密にいうと、
私の音楽の世界、
歌手としての私の世界です。


更地、なんにもない、
というのは目の前になんにもない、
ということであって、
ここから先必要なもの全てを既に持っている、
「私自身はすっからかんどころか、
満ち満ちている(はず)」ということです。


つまり、
ここから何を耕していくのか、
新たにどんな世界を構築していくのか、


そこが今の私の課題です。


そして具体的には
自分の「本当の好き」を見つける、見極める、
ということです。


長年、「職業歌手」をやって参りました。
そうするとね、ある意味、
なんでも歌えちゃうのです。
職業ということは、それだけのスキルを
身につけているからです。


しかし、
アーティストとして歌うということは、
「なんでも歌う」ではないのです。


私はここからアーティストとしての歌手として
歌っていくと決めたのですから、
「なんでもある世界」ではなく
「AYUKOの世界」を創っていかなければならない。
それこそが、アーティストとしての、
喜びであり、挑戦であると思います。


その一番最初の挑戦こそが、


私は何を本当にしたいのか。
私は何を本当に歌いたいのか。


そこを「知る」ことです。


・・・って、
つまりね、
私はまだちゃんと分かってない、
ということです。


だからこそ、
私はずっと前に進めないでいたのです。
ずっと足止めをくらっていたのです。


ということを、
私の親愛なる(シンガーソングライターの)友達と話して
やっと理解できたのです。


昨年末にしたLIVEで、
完全に全てが流れ去ったというのは、
そういうことだったのだと
今、やっと心底理解できたように思います。


アーティストとしてやっていきたいのなら、
あのままではいけない、
あのやり方ではもういけない、
そういうことだったのです。


ただ、これまでの自分を否定はしません。
これまでの自分を責めることも。


子供二人を産んで、
歌をやめるか、やめないかで悩み、
それでも「ここからはソロ活動をやる」と決意して、
2016年にワンマンライブで復帰して・・・


それがなかったら、
今の私はここに到達していなかったでしょう。

そして、復帰してからのLIVE全ては、
たとえ、今となっては「古いやり方」だったとしても、
私にとって大きな喜びでありました。


私にとって歌は喜びである、
ということを確認する旅でした。


だから今、
「次の旅」の準備をする時なのだと思います。

いや、きっともう始まっているのです。
(こんなブログ書いてるんだから、笑)



さて、
AYUKOの音楽の世界ってどんな世界なのか。


最初に「自分自身の中は満ち満ちている。
必要なものは全て持っている」と書きましたが、


それがドサっとですね、
ぐちゃぐちゃの引き出しの中のような状態なのですね。



あれも好き、これも好き、
っていうか、ぜ〜〜〜んぶ好き!
みたいな感じね、笑。


はい、はい、そうなのね、ですが、
ここから「本当に好き」を見つけないといけない。
漠然と、ではなく、明確に、具体的に、です。


復帰してからずっと困っていたこと、
それは、LIVEをやる時に、
全く別の、大きく違う二つのジャンル、
でも、どちらもどうしてもやりたい、
というのを同じLIVEでどうするか、ということです。


それは、

ブラック・ミュージックと
往年のミュージカル(ディズニーも含む)です。


大丈夫ですか?
人格、割れちゃってますか?


というくらい、
とにかく「混ぜられない」。


なので、
私は1st setはミュージカル系で、
2nd setでブラック・ミュージックやRockと、
Setで分けてやっていたのです。



そう、私は「ありもの」のカバーをやっていたので、
そうするしかなかったのです。


ちょっと前まで、
この先をどうするかと考えた時に、
一本に絞らなければと思い、
どちらかを捨てるしかないか、と思っていました。


ミュージカル系で押していって、
ブラック・ミュージックは趣味で、とかね。


二者択一、と思い込んでいたのです。


でも、どうもそれだと、違う気がする。
なぜ、自分の好きを諦めなければならないのか。。。




そして、先週、
久しぶりのその親友と会って話して
見えてきました。


彼女自身が経験してきたことが
私にものすごくヒットしたのです。



そもそも、昨年末のLIVEの後に、


あゆちゃん、あゆちゃんの本当にやりたいこと、
見つけなあかんで!
(大阪出身)


と言ったのも彼女でした。
その言葉がずっとずっと残っていたのですね。

そして、ようやく更地になっての、再会。
だからこそ、彼女の言葉がよく入ってきた。
今必要な情報を得ることができた。


まずは


自分の好き、を徹底分析すること。


一言ミュージカル、ディズニー系好き、
ブラックミュージック好き、
と言っても、決して全部の曲が好きということではないのです。

多分、ヒントとなるのは、
私が繰り返し、必ずLIVEで歌ってきた曲。


大きくジャンル別というより、
その自分が惹かれる「要素」とは何か。



です。


例えばある曲が好きだとする。
どこが好きなのか。

例えば、
歌手の声や歌い回し?
メロディー?
コード進行?
歌詞?
それともリズムの種類?
他の楽器の感じ?(そうなるとアレンジとかってなる。
そうするとどういうアレンジが好きなのか、という問いにもなる。)



ミュージカルとかディズニーの音楽が好きと言っても、
その世界のどこが好きなのか。

ブラックミュージックと言っても、
この中でまたカテゴリーに分かれていますから、
その中でもどんなものに惹かれるのか。
それはどうして?


絞れ。


彼女もこの作業をして、
そして分からないことは、
周りにいるミュージシャンに聞きまくり、
自分の好きの理由を理解し、
「私はこういうのが好きなんや!」に辿り着いたわけです。


そして、


自分の本当の好きの要素が分かったら、
それらを使って、ここからはオリジナル作れ!



とのこと。

やはり・・・


ちょっと前にブログでも書きましたが、
「私が避けてきたこと」でございます。


でもあれから、全く手付かずだったのです、正直。
でもそれは、「好きなもの、作りたいものが分からなかったから」
となるわけです。



でも彼女から話をたくさん聞いて
思ったのは、


そうやっていけば、
もしかしたら、
二者択一だったものが、


ジャンルを混ぜる、ではなく、
「本当の好き」という要素を混ぜ合わせて、

それこそ「私の世界」が可能になるかもしれない、
と思い始めたのです。


それこそがオリジナルの世界ということか。




まずは自分の「本当の好き」を徹底研究すること。


FOCUS! Dig Deep!



今、そんなところにいます。

ようやく、「一歩」踏み出せそうです。


(注:そして、聴くの大好き、それに合わせて踊るのも好き、が、
「そういうのを自分が歌いたい。歌ってしっくりくる。」とは限らないのも大事なポイント。)





「さあ、音楽のアルケミストになれるのか!」






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タワレコで砂漠に雨が降る

2022年07月07日 | 音楽と歌と私と・・・
昨日、7月6日、
私は特別な用事があって
渋谷のタワーレコードに行きました。

かつて「私の庭」のようであったその場所に
足を踏み入れて、CDを買うというのは、
多分、15年以上ぶりだったと思います。


特別な用事というのは、
私の長年の親愛なる人、
シンガーソングライターであるハルナ
(私はハルちゃんと呼んでいる)
ついにデビューアルバム「Hometown」をリリース、
というのが昨日だったからです。


(そのハルちゃんとデビューアルバムのお話は、
きっと別の機会でお話をさせてください。
サラッとついでに書けることではないのです。)


ですので、今日は
15年以上ぶりのタワレコ体験についてお話を。


お昼頃渋谷に着いた私はお腹がぺこぺこで
まずは腹ごしらえをせねばとなり、
本当は私はお昼は軽くパンとかを食べるのが好きなのですが、
意外と渋谷というのは、
パン屋さん、かつ食べる場所も付いてる、っていうのがない?
スペイン坂にある老舗『人間関係』(知っている人は知っている)も考えましたが、
う〜〜ん、なんとなくピンと来ない。


じゃあ、何にピンと来たかったって



まさかのシェーキーズのバイキングランチ



「お昼は軽くパンがいい」って嘘じゃないか。
これまたもう15年ぶりどころの騒ぎじゃないよっ、
高校生ぶりかい?っていうくらいの久々でして。


今回はタワレコ体験のお話なので、シェーキーズ体験は割愛させていただきますが、
なかなかの久々体験だったので、シェーキーズで撮った写真などをfacebookで載せましたら、
あるお友達が「店のチョイスが、さすが若い」というコメントをくれて、
そして、その「若い」という言葉から思ったよ。
ち・・・違う。若いんじゃない。「古い」んだ、私の店のチョイスは・・・!
昭和時代なんだよ、そのチョイスのセンスが・・・と、愕然としたのでありました。


ピザとポテトとパスタでお腹がいっぱいになり、
やや重い体で
マイ・オールド・ガーデン・タワレコへ。



Twitterで見ていたとおり、
入り口入って真正面に山下達郎さんのニューアルバム「Softly」、
・・・の横にハルちゃんのデビューアルバムが!
(ハルちゃんはずっと達郎さんのツアーメンバーとして活躍していて、
今回のアルバムには、達郎さんもコーラスアレンジとコーラスで
参加していらっしゃるのですよ!)



おお、ハルちゃん、ついにここまで来たね。


彼女のCDを手に取り、
そして一瞬迷ったが、「まあ、せっかくなので(←超失礼」ということで
達郎さんのCDも手に取り、
お会計をいたしましたよ。




そうか。
こうやってCDを買うのも15年以上ぶりだ・・・。


急にタワレコカウンターが懐かしくなるのでした。
というより、とても不思議な感覚でした。
なんかタイムスリップしたような。



ここでミッション・コンプリート。


でも、せっかくだからもっと見て行こうかな。。。


フロアガイドを見てみると、
今は、クラシック、Jazz 、洋楽全般が
全部7階にあるのね。
(以前は洋楽だけで1フロア使ってなかったっけ?)


一階の右手にはエスカレーター。
ああ、これも思い出したよ。
昇ったり降りたりしていたな、かつて。


でも7階に行きたいから、エレベーターにしよう・・・
どこだっけ・・・?あ!奥だ、左の奥だ!
と思い出しました。


そうそう。
エレベーターはここだった。。。
(色々思い出してきました。
なんてったって15年以上ぶりですから)


それは外が見えるエレベーターで
私は乗り込みました。


すると。



また泣いてるんかい、私よ?!



ここのところ
こんなことばかりだ。

平日の昼間、ガラガラだし、エレベーターも一人でしたので、
「私はまた泣いている」と涙を流しておりました。


なんでしょう、15年以上放っておいたもの、
奥に閉まってしまったもの、
「もういいや」と背を向けたもの、


そういうものが、
ドドーーーーーーっと戻ってきたような感じでした。


「おいおい、忘れんなよ。忘れちゃダメなんだよ。
そろそろ思い出しなさいな。」



それらは怒ってるんじゃないんだ。
すごい楽しそうに笑ってるのよ。
楽しそうに私のところに戻ってきて
私の手を取って「さあ、歌おうよ!踊ろうよ!」、
そんな風に言っているようで。



7階に着くと、
そこもまたお客さんはほとんどいなくて。


特にお目当のものはなかったけれど、
なんとなくグルッと廻って・・・
ちょうど私が好きな、でも、youtubeとかでしか聴いたことなかった、
Jon BatisteというSoul系アーティストのアルバムが試聴できるコーナーがあって・・・



ああ!
この試聴機にかかってるヘッドフォンを手に取って、
頭に装着する感覚!
全く進化してない(進化しようがない)、試聴用CDプレーヤー!
「Play」を押すと、
ご機嫌なOld SchoolなSoul Musicが流れてくる。


ひゃ〜〜〜!
わ〜〜〜〜〜〜い!
楽しい〜〜〜〜〜!


周りに誰もいないこをいいことに、
ヘッドフォンが千切れない程度に踊りましたよ。



タワレコで砂漠に雨が降ってきた





そう、砂漠に雨が降ってきた。
砂漠に雨が降ると、きっとこんな気持ちなんだろう。
砂漠になっていたことすら気づいてなかった。


アメリカにいた時は
ほぼ毎日、学校の近くのタワレコに通いました。
25歳の時に帰国してから、
私は今度は渋谷のHMVとタワレコに通いました。
33歳くらいまでだったろうな。


でも少しずつ、つまんなくなってきてしまった。
音楽が、というよりも、自分が歩んでる道が。
その先に面白いものを見据えることができなくなってしまった。
私は自分が歌う目的を失ったのです、その頃。



そこから
結婚、出産、育児・・・
2016年の一念発起の歌手復帰。


2005年くらいから2015年くらいまでの10年間というのが、
まさに私にとっては、
音楽的砂漠時代となったのですね。


聴かなくなりました。
新しいアーティストにも全く興味がなかった。
実家には10代からコツコツ貯めた数百枚のCDを残したまま、
私は音楽から離れていったのですね。



2016年に歌手復帰をして、
プロのお仕事とは別に、
「自分が歌いたい歌を歌う」LIVE活動・・・
活動、という意味では初めて
「活動しよう」と思ったのですね。


2020年、コロナというものが世界を覆い尽くし、
さあ、活動再開か、という時に
昨年末に個人的に内面で大シフトが起きて、
かれこれ6ヶ月以上の



暗黒時代、笑。




を、そろそろ終わらせろ!
という意味での、昨日のタワレコ体験だったように思うのです。





満を持しての、
タワレコとの再会。

満を持してのハルちゃんのデビュー、からの、
避けようものないタワレコとの再会。



これはね、
Youtubeでも、
Spotifyでもダメでね。



全身で感じて、思い出す必要があったのだと思います。


何をって、
私が通ってきた道。
かつて、私がこの足で歩いた道。


新たな道を歩むために、
過去から思い出さなければならないことが
きっとあるのです。


掘り返さなければならないもの。



Jon Batisteのご機嫌な音楽を
ヘッドフォンで聴きながら、
踊らずにはいられないほど楽しくて、



タワレコを後にしながら、


随分と私は「深刻」になってたな、
楽しい気持ちを自分に許さないようになっていたな、
と思いました。
そうすると、自分の中から出たいものが出られない。
それは純粋な喜びではないでしょうか。
そもそも、そこから全て始まったのではないだろうか。


純粋な喜びを覆っていたものが深刻さだっとしたら、
昨日私は随分と大事な体験をしたと思います。




さあ!
歌おうよ!
踊ろうよ!



何度もそこに帰らないといけないです。


タワレコで砂漠に降った雨は
そういう感覚を思い出させてくれました。






渋谷タワーレコード。正面にはどどーんとね。


涙のエレベーターを降りて、目の前に広がった世界。


懐かしいヘッドフォンを装着して、Jon Batisterをノリノリで聴く。



上→ハルナ「Hometown」下・左から→山下達郎 Jon Batiste Silk Sonic
CDってね、アーティストからの贈り物、宝物のような感じがします。
CDプレーヤーで、「大事に聴く」のです。










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バークリーでの体験

2022年05月21日 | 音楽と歌と私と・・・
今日はなんとなく私の学生時代のことを
振り返っています。


これが読者の皆さんにとって
興味深い内容かどうかは分かりませんが、
私にとっては備忘録のような、
そんなようなものかもしれません。


バークリー音楽大学( Berklee College of Music)というのは
米ボストンにあるアメリカ・コンテンポラリー音楽の専門大学です。
Jazzで有名ではありますが、
ジャンルはJazz/Soul music/Rock/Pop/Latin...
考えられる全ての現代音楽を扱っていて、
コース(学部)においても、
私が取った、演奏自体を勉強するパフォーマンス科から、
作曲、アレンジ、フィルムスコアリング(映画音楽)、
ソングライティング、レコーディングエンジニアリング、
先生になるためのMusic Education、
その他、たくさんのものがありました。
あれから25年も経ちましたので、
今はきっともっとあるだろうと思います。



今「あれから25年も経ち・・・」と書いて、
改めて、ああ、25年も経ったのかあ!と感慨深いです。



さて、かの(?)バークリーでの経験はどうだっのかと聞かれると。



何よりも宝だと思える経験は
あらゆる人種、あらゆる国の人たちと交流できたことです。
もちろん、音楽の学びも大層貴重なものでしたけれど、
一番心に残るのは、「彼ら」との交流。
もちろん音楽が媒体となっていることで、
そこに感性の交流も起こります。


アメリカの音楽を本場で学べたことは
本当に素晴らしかった。


でも、それに更に加えて、
地球上の色々な人たちがそこに集まり、
出会えたこと、新たな文化を知ることができたことは、
それはそれは私にとって大きな経験でした。


そして、「色々なバックグラウンド」を持ちながらも、
やはりみんな「人間」なのです。(って当たり前なのだけど、笑)
生まれた場所や育った環境が違っても、
みんな人間で、共通することろもたっくさんある。
悲しかったり、嬉しかったり・・・みんなおんなじ。
笑顔はやっぱり誰の笑顔も素敵で、
何かが「通じ合った時」の嬉しさなんかも、みんなおんなじ。


何を持って、肌の色の違いがどうとか、国の違いがどうとか、
って言うのだろう、と思うようになりました。


で、もちろん、人間ですから、
そういう表面的な違いを超えて、
ムカつく奴はムカつくし(笑)
いい奴はいい奴なわけで、

結局のところ「その人」がどうなのか、というところだと思います。


ただ、確かに文化の違い、慣習・習慣の違いはあり、
それを理解していないと「あれれ?」と思ったり、思われたり、
不快に思ったり、思われたり、そういうことはあるのです。


だからこそ「知る」ことは大切なのだと思います。
自分の知っていること、常識は決してみんなのものではない、という自覚でしょうか。


でもね、やっぱり「その人」が放つもの、
それは違いを超えて伝わってくる。
それは違いを超えた、その人中心からの輝きだったりとか、
愛だったりとか。


そして彼らとの交流を音楽を通してできたことは、
それはそれは幸せな体験だったと思います。


まだまだみんな学生で未熟ですから、
みんなで音を作るというよりは、
自分、自分、になっちゃうことも多かったのですが、
それでも一緒に「いっせーのーせ!」で音を出せるって、
(今でも思いますが)本当にワクワクすることです。


バークリーで音楽的に学んだことは数知れず。
そしてその頃が一番、音楽を聴いていたと思います。

学校のすぐ近くにタワーレコードがありまして
ほぼ毎日通ったと思います。
気になるアルバムを片っ端から試聴したり、
ある時は全く知らない歌手のアルバムを
あまりに強烈な「お顔」だったのでジャケ買いしたら、
大当たりで、その後聴きまくったとか。
(それはEetta Jamesという歌手です。)


私はボーカルを学びに行ってましたので、
とにかく「歌もの」を日々探して聴いていました。
音楽鑑賞としてではなく、
勉強になる歌手を聴いて、練習して、真似して、
それをすることによって、自分に必要なスキル、
練習すべき点が分かりました。


私は当時は歌手としては劣等生でしたが
周りには「あなた、勉強する必要ある?」というくらい
本当にうまい人がたっくさんいて、
自分が惨めで、悲しくて、本当によく泣いていました。
でも、それが、私にとって「どうやったらあの人たちみたいに上手になれるのだろう?」と
頑張る力の源であったと思います。


一つ、自分はよくやったと思えること。
それは、校内ではありますが、セルフプロデュースのショー(ライブ)
一学期に一回、やり続けたことです。

本当にうまい人たちは、周りから声がかかったりするからか、
実はショーをやるほどの勇気はなかったのか(笑)
意外と自分から何かをやる、という人たちがいませんでした。


そういう意味では行動力はずば抜けてたぜ、おいら。
すごい下手くそだったけど、
何か、やりたかったのですな。
それは今も変わりません。


そんな訳で、歌は上手くないが、ルックスはいい(生涯唯一の大モテ期)という
かろうじての自信でもって、
そして、歌いたい!表現したい!面白ことしたい!という気持ち一心で、
私はショーをやり続けました。
そして有難いことに、毎回たくさんの人たちが観に来てくれました。


下手だからね、
周りはすんごいスタープレーヤーで揃えるわけ。
集客のための見栄ではありましたが、
でも、みんな上手だから、貴重な体験をさせていただきました。
あの頃は、リズムセクション(ドラム、ベース、ギター、キーボード)に加えて、
ホーンセクション(3~4管)、バックアップボーカル(コーラス)3人、
一度はダンサーも加えて大所帯なショーをやっていました。


なぜ、そのようなことができたかというと、
当時、日本人のボーカリスト(今でも大切で尊敬する先輩友人)が
率先して大所帯の派手なショーを展開していたからです。
彼は主にPrinceの楽曲をやっていて、
当時はまだパソコンとか当たり前ではない時代、
彼は全てのパートを耳で聞き取り、
全て手書きで、見事なパート譜(楽器ごとの譜面)を書いて、
見事なリハーサルから、見事な本番まで持っていっていました。
ありがたいことに、私は彼のコーラスとして毎回参加させてもらい、
私は彼から大変多くのことを学んだのです。


ですから、
私自身も自分のショーをやるようになってから、
彼がしていたことを全部やりました。

それが、バークリーの授業で学んだいたことの「実践」となり、
そうやって色々なスキルが身についたのだと思います。



バークリーでの尊い「地球人異文化交流」、
そして、「音楽の実践」、
これらが私が体験して得た、宝です。



歌手としてのスキル(ご安心ください。
その後、3年生の時に素晴らしい先生と出会い、
下手くそな私はようやく必要なスキルを身につけていきましたよ)
においては、

本当に、自分のものとして、
自分の肌となっていったのは、
卒業して日本に帰ってからです。


色々な体験をしながら、
「必死の真似」から「私のものとして」のスキルへと
時間をかけて身につけていきました。


そうそう。
すんごいうまい人はたくさんいます。
でもね、人が聴きたいのは歌のうまさや音域ではないのですね。
「その人」を聴きたいのだと思います。

スキルはそれを助けくれるツール・・・
スキルに引っ張れるのではなく、
いかにスキルを「自分という人間の表現に使うか」、
というのが大事なことなのだと思います。



それは、だいぶ後になって分かったのでした。




という感じが、私のバークリーでの体験、備忘録でした。









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