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AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

父との和解

2023年07月01日 | 人との関わり(愛とか)
ブログ、今日で三日間連続です。

多分、私の中で色々なシフトが今、
というより、ここ1ヶ月間くらいをかけて起き、
もしかしたらそろそろ「答え」が出てきている、
そのような気がします。

父は2009年の12月に亡くなりましたので、
14年経とうとしています。

父は思えば、
辛い人生を歩んだのだと思います。
最後まで。


父は母を大切にしませんでした。
何よりも父は自分を大切にすることができませんでした。


子供の頃からずっと単身赴任で、
父は土日だけ帰ってきました。


私にとって家族とは
あの頃は、というよりずっと、「母と私と弟」の3人のような感じでした。
父という存在はあったものの、
父がいるような、いないような、
父自身もそのように感じていたかもしれません。
自分の居場所はどこなのか、
自分の存在の価値はどこにあるのか・・・



母は、家のことでは、
いわゆる「お父さんに本来やってほしいこと」も
担わなければならなかったのですが、
正直、決して「頼もしい」という感じではなく、
私はいつもイライラしていました。


頼りになる「お父さん」がいない。

頼りになる「男性」がいない。


父不在の中、
私は母の期待を一身に受け育ちました。
そして、私はそれに応え続けたと思います。
無意識ですが。


10代の頃までよく言われたのは
「あゆちゃんはいつもすごく頑張っている」
という言葉。


あゆちゃん=頑張ってる人


みたいな。
私はそれが好きじゃなかった。
そして頑張りたくもなかった。
なぜかいつも必死でありました。


まあ結果、それが積もりに積もって
30代前半にパニック障害となったのだろうなあ、と
今は思います。
限界が来たのでしょうね。


父の人生の細かなことは割愛するとして、
私は娘として、女性として、
母を大切にしない父を見てきました。


私が大人になってからですが、
父の色々なことが分かってきました。
本来ならショックを受けるようなことも、
あの頃の私には「そうなんだ・・・」、
そんな感じでスルーしていました。

うちにいるわけではなかったので、
なんだか他人事のような感じだったのでしょうか。


・・・の、「つもり」でいたのだと思います。



亡くなった後も、
母は父がやらかしたことの「尻拭い」をやることになりましたが、
彼女の命懸けの働きで、
田中(私の実家)の家を守ることができました。
母は強い人でした。



すっかり大人になった私は、
父の「悲しみや苦しみ」を
理解することができるようになりました。


父として、夫として、
完璧からほど遠いような男性でした。


でも、私は父を嫌いになることはありませんでした。

決して悲しいことばかりではなかったからです。
今だからこそ、父の精一杯の愛を思い出せるのです。



母を大切にしなかった父を、
いいお父さんをしてくれなかった父を、
私は許したのでした。




「許したのでした」・・・



許した「つもり」でここまでやってきたのだ、と
私は今日、気づいたのでした。



私は許してなどいなかったのです。



繰り返す、私の中の感情パターン、
恐怖、悲しみ、怒り、
その源は私の父だったのだ、と
分かったのです。


ここ数日表れていた
とんでもない恐怖、悲しみ、怒り、
それは直接父とは関係ないのですが、


その溢れてきたものは、
私がずっと押さえつけてきたものだったのだと思います。



それを見ないふりをし、
「あんな風にちゃんと愛してくれたではないか」と
許したつもりでいたのでした。


あの時「スルー」したものは、
ちゃんと一度出なければいけなかった。


どうしてお母様を大切にしなかった?!
どうしてもっと助けてくれなかった?!
どうしてもっと強い人でいてくれなかった?!
どうして私たちをちゃんと愛してくれなかった?!



これらは、ただの「感情」です。
真実とは別でありましょう。


でも、私は
大いに怒り、大いに悲しみ、大いに泣き叫ぶ必要があったのです。


それらを涙が枯れるまで叫び、罵り、憎み、恨み、
もう十分にその負の感情を出さなければ、
本当の「許し」など、人間にはできっこないのです。



私は娘として、女性として、
傷ついたんだ、ふざけんな、ふざけんな!と。


私は怒ることを自分に許したのでした。
父に対して怒ることを自分に許したのでした。
もうこの世にはいないけれど、
まだこの世に残ってる人間の私には、
どうしてもやっておかなければいけないのでした。


前に進むために。


もう、傷ついた私にさよならするために。


「私は男性に愛され守ってもらえる価値がない」という間違った考えから、
自分を解放するために。



もう恐れることはない、ということを知るために。


父を本当の意味で許し、
私の心の中の父と和解し、


もう「幻想」に囚われる必要などないということを知らないといけない。



父を本当の意味で許すということは
私にとっては男性を許す、ということでもあるのです。
完璧な人など誰もいなくて、私も含め、
それぞれがその時を精一杯生きている、
そういう慈しみの気持ちを持つということです。


でもそこに行き着くには、
自分の感情に蓋をしないこと。
それがドロドロした負のものであっても、
そうであるなら尚更、ちゃんと認めて、
出してあげないと、


本当の意味での許しなど起きない。。。



これまで幾たびも襲ってきた
その激しい感情の矛先は
「父であったのだ」、
今朝、私は知ったのでした。


迎えにきてもらえない。
捨てられてしまう。
迷子になってしまう。
一人ぼっちになってしまう。


そのような不安は
「いつも何かを恋焦がれる」私に変えていました。


恋焦がれる、ということは
「今はここにはない」ということです。


でも本当は「ある」のです。

その何かが、
安心であれ、安全であれ、愛であれ、


私は十分に「持っている」はずなのです。


「自分は十分ではない」という思い込みは
いつも私を苦しめてきました。



でも、もうよく分かったよ、お父様。
私は死ぬほど悲しかった。
死ぬほど怒っていた。
この想いを受け止めてくれ。
そして綺麗さっぱり天国の水で洗い流してくれ。

そして、今こそ、本物の愛を、
お父様がいる場所から、
お母様、ともすけ、私に
たくさん送ってくれ。
そして、私たちをちゃんと守ってくれ。


本当はどれだけ注ぎたかったであろう、その愛は
死んだってできるんだから、
愛の場所に戻ったんだから、
惜しみなく注いでほしい。


そして、
私はその愛の中で
やっと安心して生きていけるから。


そして、
今度こそちゃんと自分を愛し、
愛を拒まない私になれるから。



ありがとう。
4649!



It gets the darkest before the dawn





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On Valentine's Day

2023年02月14日 | 人との関わり(愛とか)
今日はバレンタイン・デイです。

「今日は愛の一日にする」とかって
朝からアファメーションしたりして。


本当はね、
Jazzスタンダードの「My Funny Valentine」の歌詞の最後にあるように、
「Each day is Valentine's day(毎日がバレンタインデー)」、
つまり毎日が愛の日であるわけですが、

改めてこういう日があるというのも良いものです。


日本では相変わらず「女の子から男の子へ」なの?
娘は女の子のお友達グループでお菓子やらを交換したようです。
アメリカはそういうの関係なく、恋人同士、友達、家族の間で
お祝い(?)しているようですね。


愛の日にしよう、ということで、
昨日ふと思い出した歌がありましてね。


「マーヴェル映画ファン」以外の方々の間では
あまり知られていないと思うのですが、
マーヴェルシリーズの中で「Black Panther」という物語があって
(かく言う私もマーヴェル映画、ちゃんと観たことない)
その「Black Panther :Wakanda Forerver」のエンディング・テーマである、


Rihanaが歌う「Lift Me Up」という歌を思い出したのです、昨日。


去年にたまたま映画館でその予告編を観て、
曲がとても美しく、物語とか背景とか全く分からないのに
それだけで泣ける、みたいなものだったのです。


その後、帰ってきて調べて、タイトルとアーティストが分かった、という。







改めて歌詞を調べました。
ひたすらシンプルなメロディーと歌詞。
シンプルかつ、美しい。

以下がメインとなる歌詞です。


Lift me up
Hold me down
Keep me close
Safe and sound

Burning in a hopeless dream
Hold me when you go to sleep
Keep me in the warmth of your love,
When you depart,Keep me safe
Safe and sound


非常にシンプルだからか、
色々な和訳があったのですが、
ここは私なりの解釈で和訳してみます。


<和訳>

私を励まして
私をしっかり抱き止めて
私をそばに置いて
安心させて 穏やかでいさせて

希望のない夢の中で身を焦がす
私を抱きしめて あなたが眠りにつく時
あなたの愛の暖かさの中に私を置いて 
あなたが発つ時 私を安心させて
安心させて 穏やかでいさせて


これはこの物語の背景から生まれた歌詞で
命を落としてゆく愛する人たちに贈る歌として
書かれたとのこと。(この曲のSongwriterの方のお話)

ということをさっき調べて知ったのですが、


そういう背景とかを知る前の、さっきまでの私が、
個人的にこの歌をどのように受け取り、感じたかを
今回はここでシェアしたいと思います。


そもそも、なぜ昨日、この曲を昨年以来思い出したのだろう。
ちょうど今回のSuperBowl Half-time showが
Rihannaだったからか。?


そして、思い出して、
「そうだ、明日はバレンタインデーだし、
久しぶりにこの歌で動画を撮ろう」と。

夜に早速練習しながら、
改めて歌詞を読んだ(歌った)わけです。

無事に今日の午前中に撮ってSNSにアップしたのですが、
(ご興味のある方は、私のtwitterとInstagramをご覧くださいませね。
SNS情報はこのページの最後にあります)


その後、じわじわハートにやって来ました。


歌詞が、メロディーが。



そして、気付いたのです。


この歌詞は全部、(相手に対しての)「こうして」という、
英語の文法用語で言えば「命令形」なのですが、
つまり、「全て」が「こうしてほしい」という「要望」なのです。
他にはないのです。肯定文も、疑問文も、何も。
全部「あなたにしてほしいことリスト」なのです。

Lift me up
Hold me down
Keep me close, safe and sound
Hold me
Keep in the warmth of your love
Keep me safe and sound


全部、こうして、って言ってる、のに何だかびっくりしたのです。
びっくりしたと同時に、なんだか胸がギューっとなったのです。


それを自分が歌っただけに余計に「感じた」のです。


これは女性というのがそもそもそうなのか、
日本の文化というのもあるのか、
でも、多分、元々の女性の質のような気がするのですが、

(今はジェンダーフリーですので、
ここは「女性性の強い側」とお伝えしておきましょうか。
以下、「女性」、反対側を「男性」とさせていただきますね。)


女の人は元々、自分が愛する人に対して、
Giver(与える人)にまずなるのだと思います。
強制でも何でもなくて、だって、そうしたいから。
そうせずにはいられないから。
母性のようなものもあるのでしょうね。

自分の要望よりも、
相手がどうしたいのかな、ときっと先に考える。
どうしたら喜ぶかな、今、どうしてほしいのかな、と。


そう考えちゃうからしょうがない。
そして、それもまた素敵なこと。


でも。


この歌を知って、歌詞を歌ってみて。
「全部、相手への要望」という、
いつもの真逆のような、
ある意味、これもラブ・ソング。


ある意味、強い、はっきりとした命令形。


でも、その下に流れるのは、
もちろん命令ではなく、
「私はあなたを愛しています。
ですから、以下のことを私のためにしてください。
そうでないとと困るのです。」と。
それは、愛があるからこその、そして、相手への信頼があるからこその、
強い、はっきりとした要望、そのように私は感じたのです。


先の女性の元々の質はは「Giver」である、ということですが、
ともすると、それ故に、「自分に必要なことをどこかに置いてきてしまう」
「忘れてしまう」「無視してしまう」、そんなことがあるのではないでしょうか。


でも、ある瞬間に、
例えば、今回の私の場合は、歌だったり、
もしくは、誰かの言葉だったり、何か見たものだったり、
何かのきっかけで、


それらが急に現れる。
置いてきてしまった心の願い、
与えるものではなく、「欲しいもの」に気づく。
そして、その「欲しいもの」を、
相手に「与えてもらった」時のことを想像した時、
心は「そうか。私は欲しかったんだ」と、
熱くなる。


Lift me up
Hold me down
Keep me close
Safe and sound...

たった、これだけのこと。。。


こんなにも
素直に、正直に、「こうしてほしい。」と、
誰かの懐に飛び込めたら、どんなにか幸せだろう。


誰かを信頼して、ちょっと我儘になって、
甘えることができたら、どんなにか楽だろう。


女性が、Giverという「甘えないという大義名分」を手放したら、
愛がもっともっと


男女の間で

クルクルと甘く優しくダンスするかもしれない、

そんな風に思うのでした。


それこそ二人ともsafe and soundに。







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Just The Way You Are

2022年10月28日 | 人との関わり(愛とか)
誰かと深く関わり、繋がり、愛し合うとはなんであろうか。
そんなことを考えました。

個人的に、私は「絆」という言葉があまり好きではなく、
美しい感じではあるけれど、
「こことここだけの」という、
「外側」対「自分達」みたいな、
なんか排他的な感じがするというか。

それとなんか息苦しい感じがする。
絆という束縛。

絆で結ばられる、が、いつの間に鎖で結ばれているみたいな。

そういう「ごっこ」やめよーよ、って思ってしまうのです。

もしくは、何かを全うするために「絆で結び合う」必要があれば、
全うし終わったら解散。鎖になる前にね。


人との深い関わりというのは、
深い繋がりを持つということは、
愛し合うということは、
絆、とかではないと思っている。

絆と愛とは違うものだと思う。

絆とは互いを(外から)守るために結束するものだとしたら、
愛とは外側に常に開いていてる。


深いけれど自由だ。
深いからこそ自由なものだ。


自由というのは、
深いところで繋がっているからこそ、
絆というもので更にそれを「固める」必要などない。
だってわざわざ「守らなくても」在るものだから。



誰かと深く関わり、繋がり、愛し合うというのは
そもそもタイトルや肩書きと言った「型」はないと思うのです。

友達ぃ〜
家族ぅ〜
夫婦ぅ〜
恋人ぉ〜

なんでも良いんだけど、
それらは後付けであるし、
便宜上、名前が付けられているものです。


でもどういうことなんだろう?
誰かと深く関わり、繋がり、愛し合うって・・・。


人間界であるならば(←出た、笑)
それには


時間
コミットメント


が必要だと思います。


時間、かかります。
時間は必要なのです。

そして、
相手にコミットすること。


これは自分の全ての時間とエネルギーを
そこに注げということではなくて、
「繋がりの成長にかかる時間に対して」
どれだけかかろうとも、
その相手に、時間というものに、コミットすることだと思います。


その間に山あり、谷あり、海あり、森あり、風あり、台風あり・・・
まあ考えられるあらゆる「道」「風景」をコミコミでね、
互いの人生の中に、互いを存在させ続けることなのだと思うのです。


そうやって少しずつ、
色々な出来事や会話があって、
そこからお互いの色々な発見があって、
色々な理解があって、
繋がりが深まっていく。

そうやって愛が育ってゆく。


そのプロセスにコミットすることだと思います。
そのプロセスから離れないことだと思います。

でもね、
そのコミットというのも、絆と違うから、
自由なの。
コミットしなきゃいけない、じゃなくて、
あなたはそれにコミットしたいか、
そのプロセスを一緒に歩んでみたいか、
というところなのだと。


義務じゃない。

あなたの意志。
そんだけ。


自分の道をしっかりと歩きながら、
相手の手を離さない。

それは絆ということではなくて、
関わるということ。

自分の心にその人を存在させ続けること。


会うこと。
お話すること。
聞くこと。
何かを一緒にすること。

喜びを分かち合うこと。
悲しみを一緒に感じてあげること。
相手にある自分とは違うところを理解すること。


地道。


地道でござる。


でもそんなプロセスを誰かと歩むことができるならば、
そんな幸せなことはないではないだろうか。


そして、先の「何かを全うしたら絆チームは解散」なんて書いたけど、
こちらは「全う」なんてないの。
絆ベースじゃないから。


こちらは常に変化する。
常に成長する。
常に深まっていく。



ザ・クリエイティビティ



より創造的になってゆく。
退屈、飽きたとか、そういうのないの。
じゃあ、次はこうしよう!
じゃあ、次はこれやってみよう、あそこに行ってみよう!


地球で一緒に愛を遊び尽くす。


一緒にどこまでクリエイティブになれるか。
どこまで面白くできるか。
どんな喜びを一緒に生むか。



自由なのです。


心の中で手を繋いで。


何にも囚われず、愛し合い、
お互いがどんどん「本当の自分」になってゆく。




アセ〜〜ンショ〜〜ン!!!




・・・。


前回と同じ結論である。




And when you smile
The world stops and stares for a while
'cause, girl(baby), you're amazing
Just the way you are





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誰かに愛されたいと思う時

2022年07月20日 | 人との関わり(愛とか)
愛されたいと思う時、

その根底には「自分は愛されていない。愛される価値がない。」というものがあるのです。
それが真実だと思っているからです。


「愛されたい」という欲求は「自然な」ものなのだろうか、
と私は考えました。


その欲求があるということは、
やはり「愛されてない(と思っている)」という前提があるはずなのです。



その前提は本当なのだろうか。
それは自然な状態なのだろうか。



誰かに愛されたい、ということは
その欲求が満たされるか否かは、
その自分以外の誰かにかかっている・・・。


自分は愛されてない、
だから愛されたい。


自分は愛されてないという考えを前提にすると、
どういう結論に至るか。


それは。


「自分は愛されるために、何かしなければいけない」


となります。


つまり。


「自分は愛されるのに十分ではない。
だから、愛を『得る』ために
プラスアルファ、何かをしなければいけない。」


ということです。



それは愛を乞うことです。
愛を乞う、ということは、
自分は愛される価値がない、という前提です。


自分は愛される価値がない、という前提があると、
どんなに愛を得るために何か努力しても、乞うても、
自分はそもそも愛される価値がないと思っているわけですから、
愛されるどころか、
「愛される価値のない自分」に値するものを受け取るだけです。
「愛される価値のない自分」に値する人を惹きつけるのです。



そう。
「誰かに愛されたい」という思いの根源はそこなのです。


つまり、誰かに愛されたいと思っている限り、
誰かに愛されるということはないということです。


更に言うと、
愛されていても、「愛されている」ことに気づかないのです。
差し出されている愛を無意識に拒むのです。


だから、あなたの中では
「自分は愛されていない」となるわけです。



自分は愛されている、愛に値する、という真実に気づかない限り。



では。
自分は愛されている、愛に値する、という真実に立ち返るとどうなるか。



愛を「必要としなくなる」ということです。
それは全世界に背を向けるとか、
愛を拒むということではなく、


必要としなくなる、
つまり、愛に値する自分に値しないものはやって来ない。

つまり、あなたはただ「愛される」のです。
必要とする必要がないということです。


だって、愛以外のものは入ってこないのですから。



自分が愛に値する、ということは、

最上級、最高級に値する。
それより下はない、ということなのです。


自分が愛に値するという真実に立ち返ると、
「自分に値しない、こと、もの、人」を見極めることができます。


そして、自分に値しないものを「拒む」力を持ちます。




先ほど言ったよように、
「自分が値すると思っているもの」が
そのままあなたの現実を彩ります。



言うは易しでしょうか。



そうすると今度は。



「どうやって自分の真の価値」に立ち返ればいいのか、になります。


そもそも、何が、どうやって、
あなたを真の価値から遠ざけたのか。


あなたの真の価値は不動です。
これは絶対です。
絶対なのです。


歪められているのは、
あなたの「思考」です。
あなたを「自分の真の価値」を忘れるようにしたのは
「思考」です。


ではそのような「思考」は
どうやって、どこで、形作られたか。



あなたが生まれて
ここまで経験して得た、
「嘘の情報」です。


それは親かもしれない、兄弟かもしれない、友達かもしれない、
恋人や伴侶かもしれない。
学校や社会で教えられたこと。
メディア・・・など、全部、「外側から」受け取った情報です。



その中の経験で、

「自分はダメなんだ」
「自分は十分ではないんだ」
「自分は愛される価値がないんだ」


と思わされることがあったのだとしたら、
そしてたくさん傷つき、悲しんだのだとしたら、



それらは全部嘘です。



もちろん完璧な人もいなければ、
過ちを犯したことがない人もいない。
私たちはそうやって学び、成長してゆく。
みんな、同じ道を歩んでいるのです。


真実は


愛に値しない人などいない。



ということです。
どんな極悪人と言われている人でもです。


では極悪人がなぜ極悪人になったのか。
嫌いな言葉ですが、ダメ男とかダメ女はなぜそう呼ばれるのか。



なぜなら、彼ら自身が「自分は愛に値しない」と思っているからです。
自分が自分を極悪に、自分をダメ、にしているのです。
自分で自分を愛から遠ざけているのです。



自分は愛されている、自分は愛、最上級のものに値する、
という真実に立ち返るためには、



「嘘の情報」を「それらは嘘だ」と知ることです。



「知る」のです。
自分の真実の部分が「知っているはず」なのです。


そこに断固として行くのです。


断固として、という理由は
このプロセスはそう簡単ではないからです。
「嘘の情報」をずっと本当だと思ってやってきたわけですから、
その嘘のパワーは強いのです。


とても勇気がいることなのですよ。


それだけ、長い時間の中で「あなた自身のパワー」は
その「嘘」に奪われていたのです。


一夜にして「はい、すっきり!」とは行かないでしょう。


「自分はダメなんだ。十分ではないんだ」と思うようになった経験を、
その一つ一つのトゲを
一つずつ抜いていかなければならないのです。



何度も何度もその「嘘」に負けそうになりながらも、
「断固として」「それは嘘だ」と言い放ち続けるのです。
そこから、勇気を持って離れ、
自分が本来いるべきところにRISE UPするのです。



私は誰かに愛されたい
だって愛されてないから


それは愛ではなくて「欠乏感」です。
自分に対する。


それは嘘だ、ということに気づくこと。
自分はそもそも最初から何も欠乏していないと。



結構前に「引き寄せの法則」というのが流行りましたね。
表面的な欲にまみれた人たちが飛びついたでしょうね。
(だから、あのムーブメント、私は大っ嫌いなのよね。)
この法則は宇宙の法則であり、真実です。


お金が欲しい、恋人が欲しい、
あれが欲しい、これが欲しい・・・いいでしょう。


引き寄せの法則を表面的に学んでもこの魔法は使えません。


「思考」が「現実を引き寄せる」とはどういうことでしょう。


自分が成功した姿をイメージする。
自分が誰かと幸せになっている姿をイメージする。


ただこの法則に飛びついた人たちはここで止まったでしょうね。


この真髄とは

自分が願っているものに、
「自分は値する」と知ること。


です。
どんなに願っていても、
深いところで自分はそれに値すると思っていなければ、
どんなに毎日毎日「夢を想像しても」無駄です。



本当の引き寄せの法則の意味とはそういうことです。




なぜ今回、こんな話になったかというと、
私自身もそのプロセスにいるからです。
ここまで書いてきたことは私が体験してきたことなのです。
私自身も今やっと「本気でこれに気づいた」というところです。

自分自身に対して「気づけ!」と言っていることを
今日は皆さんとシェアしたかった。



「言うは易し」かもしれない。
でも、実行してみることこそ意義がある。




人間の生とは
愛に返る旅なのだと思うのですよ。
そしてすごく勇気がいる。



最高級、最上級(愛)を受け取るということが
なぜこんなに勇気がいるんだろう。



だからこれ以上「自分は愛に値しない」という嘘を受け入れちゃいけない。

誰も、何も、あなたのその価値を奪える人はいないのですから。


自分の中の愛を、力を、取り戻す。
愛に返る。
生き返る。




外側からの価値判断なんてものともしないのさ。
You are Queen. You are King. That's what you really are.
それは物質的なものじゃない、それはメンタリティーです。






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その先に行きたいから

2022年04月21日 | 人との関わり(愛とか)
昨日は雨だし寒かったので、
夕飯のお買い物以外は
家でグズグズしておりました。

今日は東京は晴れて気温も高く、
(と言っても、夜にはまた雨だそうで、
すでにジワジワ曇ってきています)
先ほど、池上本門寺経由で池上まで歩き、
スタバでお茶して、いろいろ書いて、
帰ってきました。

暑い。
パーカーを着ていたのですが、
汗をかいてしまいました。


今日のお話は。

That Thing

「That Thing」と言えば、
90年代にLauryn Hillがヒットさせた曲ですが、
要は

男女のアレ

のお話です。

もちろん、男女間である必要はないのですが、
私の場合は異性が対象になるので、
男女、とさせていただくわね。
(これからの時代は、
こういう但し書きが必要なのかしらね)


暑い暑い、と外から帰ってきて、
オレンジを台所で切りながら食べて・・・

なぜ、こんな話を思いついたのだろう。


ああ、そうそう!
(思い出したけど内緒)


まあ、とにかく。


男女のアレ、まあ、sexのことですけれども。


この先はあくまでも私が思うことですので、
「そうなのね」と思って読んでくださればと思います。


文化の違いもあるのかもしれませんが、
そして、私が20代の時と、
今の時代では、
アレに対しての考えも大きく変わり、
もっと自由になっているかもしれません。


それとも、
いまだに

「すぐにはやっちゃいけない」的な考えが

特に、女性の間ではあるのでしょうか?


どういう姿勢、メンタリティーなのか、というのが
大きな意味を持つとは思いますが。


「愛されるために」
「嫌われないために」

という理由で、自分の体を売るような形で
すぐにやる、というのは自分の心は傷つくでしょうね。


そうでなくて、
相思相愛で、
お互いが強く惹かれていて、
お互いに求めあっているいるのなら・・・


「少し待とう」とか「時間を置こう」とか
思う必要ないだろうなあと私は個人的に思います。


「なんのために」待つの?


と疑問に思う。


なぜこうも「アレ」を特別視しなきゃいけないんだ。
まるで「ゴール」かのような。

もちろん、軽視することでもない。
少なくとも私にとって
誰かと親密になるということは
とても特別ですし、
その行為自体も特別なもの。

だって、好きな人としかやらないから。

ここで言う「特別視」というのは、
あたかもすごいハードルの高い、
というか、若干の「罪悪感」すらも感じるような
扱いのことです。


はい、精神的なつながりは大切です。

どうも、精神的なつながりをある程度築きあげてからやるのが、
美しいということになっているのでしょうか。
(私の時代はそうであったような。
最悪結婚までしない、とか、くだらない)


アレが先じゃダメなのかしら、と。


お互いを求め合うということに普通に素直になればいいんじゃないの?と。
なんか「我慢」の意味がわからないのです。


そして、
その流れで親密になって、
それで終わってしまうこともあるでしょう。
それでもいいのではないか、と。

でも、
より精神的なつながりを深めていく相手とは、
「その先」がちゃんとあるのです。
そのようになっているのです。


で、ここから私の話になりますが、

「私はその先に行きたいから、
先にやりたい。」


・・・ご理解いただけるのだろうか。


若い頃からそうであったと思います。
まあ、若さ故の情熱もあったと思いますが、
お互いの気持ちとタイミングが合えば、
その情熱を我慢する必要はないと感じていたのです。


その、どうにも収拾つかない情熱を我慢していると、
頭や心がそればっかりになってしまって、
「その先」に進めないのです。


結果おつきあいがすごい短いものになろうが、
何年かになろうが、
私はいつも「その先」のことを思っていました。
One-night-standや遊びには興味はありませんでした。


これをただの性欲、ただの情熱、
(まだ)愛じゃないと言われても、
まずはそれを気がすむまで表現してもいいのではないかと。


まあ、簡単に言えば
「恋愛初期の盛り上がり」でしょうけれど。


その中で、
少しずつ落ち着いてゆく。
激しい情熱が、優しい安心へと変化してゆく。

sexがmake-loveへと変化してゆく。


そこからようやく「その先」に行ける。


もちろん、先ほども言いましたが、
「その先」がない場合もありますけれど。


私は最初の情熱も素晴らしいと思いますが、
「その先」にある、
その人が自分の日々にいることが自然、
というのがすごく幸せなことだと思います。

それは、情熱が冷めた、ということではなく、
打ち上げ花火ではない、
ずっと続く、熱い、でも静かな炎のような質に変わっていくのだと思います。

ずっと続くわけですから、
時にはワッと激しくなったり、
時には暖かな暖炉のようなものだったり・・・
アレもより愛おしいものとして続いていくわけです。


なので。


That Thingというのは、
ごくごく自然なものであり、
怖がることも、罪悪感を感じることもなくて、

お互いに惹かれているのなら、


待たなくてもいいと思うのです。


ただ、「待つ」という別の愛もあります。
それは、今日書いたsexに対する観念のことではなく、
相手や自分の心のお話になります。
その話はまたいつか。



「その先」にあるもの。


Dive into a real love story ahead.




この曲は「気をつけなきゃダメだよ!アレだけが目的の男の子や女の子もいるからね。」という内容。
今回の内容とはズレるけど。かっこよくてキャッチーな曲でした。大好き。






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