deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

126・ひのき舞台

2019-06-24 08:07:17 | Weblog
 図らずも「卒業制作展委員」というのを引き受けることになってしまった。今年度に卒業する各科学生の卒業制作作品(卒制)を一堂に集める展覧会が、卒業制作展(卒展)だ。卒展は、大学のキャンパスを大々的に使って行われる。その会場における彫刻科作品の配置を調整せよ、というのだ。なかなかのお役目ではないか。
 彫刻科に与えられるメイン会場は、エントランスホールだ。天井も高く、空間的にもひろびろと開かれたフロアで、ここは言わば、キャンパス内における来客との顔合わせ場だ。こんな特等席に恥ずかしいものを置くわけにはいかないので、エース級が取りそろえられる。さらに、屋外向けの石彫作品は、大学正面門からエントランスにつながる、長大な野外のアプローチに並べられる。こちらも来場者たちを最初にお迎えするという意味で、好位置と言える。しかし、実はそれらの座をしのぐプラチナ席が存在する。エントランスホールからサイドギャラリーにアクセスするポイントだ。ここには数段の小階段が設けられていて、そのせまいスペースを通り抜けた途端の真正面に、作品が一点だけ置けるのだ。ここに置かれた作品は、派手さ重視のメイン会場から、質の高い小品が集中する落ち着いたサイド会場に移動する来場者が、必ず正対することになる。そんな絶好のポジションなので、伝統的にここには、その年の最も優れた作品が置かれるものとされている。
 この座に据えられる一点は、いわば卒展のハイライトとなるわけで、当然ここへの設置権は、各部屋入り乱れての争奪戦になる。元来、この場には石彫部屋の作品が置かれるのがスジだ。同窓の重しとして誰からも敬意を払われる大将もいれば、彫刻展のリーダーとなって八面六臂の活躍を演じたマッタニもいるし、そもそも、オレという天才がいる。ところがここにきて、ディスコのバイトと色恋に明け暮れていた木彫科の輩が乗り込んできたのだ。今年度の首席ポイントにはわが木彫部屋の作品を置かせよ、というわけのわからない強硬な主張だ。見よ、俺たちもがんばったものだぜ、これらの木の作品のなんという華やかな出来栄えであることよ。その場にぴったしマッチするではないか。やみくもに巨大で、見栄えもいいでしょ〜!・・・などと見苦しく大きな声を出している。しかしどうひいき目に見ても、卒業生代表という存在にそぐう作品ではない。なるほど、でかい。が、重みがない。かっこいいが、安い。メイン会場から客足を誘導する力がない。オレは彼らの作品に対して(というよりは、彼らの制作態度に対して)極めて批判的なのだ。こんなやつらを相手に引くわけにはいかない。いつもは羊のようにおとなしいオレだが、ここは戦わねばならぬ。口アワ飛ばし、論理的、かつつかみ合いまじりでやり合う。そんな喧々囂々の末に、ついに主席ポイントは石彫場のためにもぎ取った。ま、卒展委員なのだから、独断で決めてしまっても構わないのだが。とにかく、そこに置く作品は、オレが決めるのだ!
 そんなこともつゆ知らず、愚直に、勤勉に、バカ真面目に、わがマッタニは毎日毎日、朝から晩まで、巨石に紙ヤスリを当てている。寒風と、小雪までが吹き込む石彫場で、凍らんばかりの水を流しっぱなしにし、軍手をビチャビチャにした手で、カシカシ、カシカシ・・・大理石の表面を磨いているのだ。くる日もくる日も、延々と延々と、それを繰り返している。が、作品の形は変わっていかない。当然だ。石なのだから。マッタニよ、アタマは大丈夫か?近くで聞き耳を立てると、「わいの大理石ちゃん、うふっ」と、うすら寒いことまでつぶやいている。
「もうすこしだからね、しんぼうしてね、うふっ・・・うふふふ・・・」
 ・・・狂っている。その可愛がりっぷりを毎日見ていてオレは、どれほど奇妙なものが出来上がろうと、あの主席ポイントにはマッタニ作品を据える、と腹を決めている。もう好きにすればいい。そんな境地に達している。そうしつつ、オレはオレで作品にノミを打ちつける。
 こうして、ついに卒展の搬入日を迎えた。オレの巨大な作品は、エントランスホールを入ってド正面の「いらっしゃいませ席」に置かれた。ユニックでホールまで吊り上げ、ビシャモンという搬送用の台車でそろりそろりと運び入れ、最後は原始的に、巨大な三脚と滑車を使って設置した。3トンの重さに床が耐えられるか議論になったが、最後は押しきった。なかなかの迫力だ。ざまあみろ。
 さて、問題作の方だ。大方の作品のセッティングが終わり、ついにマッタニの真っ白な大理石が、首席ポイントに運び込まれた。でかいっ、長いっ!こいつを垂直に立てなければならない。完成した作品は、恐ろしくデリケートなつくりだ。手で触れるにも気後れがするほどなのだ。石は、極めて薄く削げている。裏に手を回すと、透けて見えるほどなのだ。もう一度言うが、これは大理石なのだ。美に対する執着か、バカのたわむれか・・・とにかく、怪作であることには間違いない。
 丸太を三本立てて三脚にし、頂点に滑車を結わえつける。滑らかなベルトを巻き、しず、しず、と慎重に吊っていく。作品の天頂部が持ち上がり、全体が起き上がっていく。マッタニ自身も、完成したこの作品の立ち姿を見たことがない。危うすぎて、立てる勇気がなかったのだ。そいつが今、立ち上がり、ついにひのき舞台に屹立する。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園